双風亭日乗

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2005年4月30日 (土)



 昨日は、誕生日だった。41歳になったが、とくに何が変わったわけでもない。生まれたことを恨んではいないが、別におめでたいなどとも思わない。歳をとる、という感覚もよくわからない。ないないづくしではありませんか。やはり遠藤賢司大先生の感覚なのかなあ。かの名曲「不滅の男」。年をとったとか、そういうことじゃない。俺がいま何をほしいか、それが重要!


 とはいえ、何となく過ぎた1年間を振り返ったりするのには、いい機会になる日なのかもしれない。「家族で竹富島にいったなあ」とか、「宮台さんや藤井さんと火祭りやチンポ祭りを見にいったなあ」とか……。


 こんなことを書きながら、宮台×北田対談のテープ起こしに四苦八苦しているのだから、おめでたいなんていってはいられないのが現実なのでした。


東京ワッショイ


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2005年4月29日 (金)



 なぜ編集者になったのかといえば、1989年までさかのぼって話す必要がある。


 横浜市職員をやりながら六角橋のK大学二部に通っていた私は、卒業したらやりたいことをやろうと思っていた。当時、同大の経済学部にはマル経の先生方が多く、ブントの元委員長であった冨岡さんがいたり、短大にはあの網野さんがいたりした。在日の尹さんに教育学を教わったり、朝鮮史の梶村さんのゼミに入るなど、夜間大学にしては充実した環境で勉強をしていた。


 ある日、「中国でもいきたいなあ」と漠然と考えていた私は、偶然、元朝日記者の本多勝一さんの『中国の旅』という本を読んだ。そして、知らなかったことがたくさん書いてある彼の本を、目から鱗が落ちる思いで読みあさった。とにかく、文章がわかりやすいので、つぎつぎと読んでしまう。それで、何となく「ジャーナリストって、やりがいがありそうな仕事だなあ」と思ったりした。ちなみに、本多さんの評価については、朝日を辞めたあたりから、その言説に幻滅することが多くなり、いまとなってはまったく読まなくなってしまったが……。


 夜間大学を卒業すると同時に公務員をスパッと辞めて、K会という新左翼系の出版社に入った。それが1989年のことであった。同社は当時、5人でやっていて、完全分業しているわけではなかった。だから営業をやりながら編集を手伝ったりする機会も多く、出版社の仕事をトータルで学ぶのには最適だと考えて入社した。私自身はまったく思想性がなく、ただただジャーナリズムに関わってみたいと考えていた。この無思想性もしくは無党派性は、いまでもまったく変わっていないし、今後もあえて無思想・無党派でいようと思っている。


 さて、教育問題を中心に、社会、政治、女性、図書館など、幅広いジャンルの本を出していた同社で働き、つくづく感じたことは、中小の出版社は「社長の思想で刊行物の善し悪しが決まる」ということであった。当たり前のことなのかもしれないが、もっと社長以外の編集者が独自に企画を出しているのかと思っていたので、すこし拍子抜けしたのを覚えている。もちろん会社によって、状況は違うのかもしれないのだが。


 当時はまだ、思想のことなどよくわからなかったので、新左翼と左翼があり、新右翼と右翼があることを知り、日本の思想もいろいろあるんだなあ、とけっこうワクワクした。また、同社は国労支援の本をたくさん出しており、国労の集会にいって本を売ったり、組合員とともに「団結、ガンバロー」などと叫んだりするなど、なかなかエキサイティングな日々を送っていた。統一教会と闘っていた有田芳生さんの本を出したり、オウム真理教と闘っていた江川紹子さんの本を出すなど、社長の故・Hさんの問題意識と鋭いアンテナに、大いなる影響を受けることにもなった。最近、飲む機会が多くなった藤井誠二さんの本を最初に刊行したのも同社であった。考えてみれば藤井さんとの付き合いは、断続的ではあるものの、15年くらいになるんだなあ。


 同社に入って半年が経過したとき、ベトナムとカンボジアを旅行した。いずれも当時は社会主義の国だったので、現在でいえば北朝鮮にいくような形態(つまり観光ではなく、友好使節として訪問する)で訪ねる旅であった。両国を渡航先に選んだのは、いうまでもなく本多さんの影響であった。『戦場の村』のベトナムが、いまどうなっているのか。『カンボジア大虐殺』のカンボジアが、いまどうなっているのか。それを、この眼で見たかったのである。旅の案内人が、戦場カメラマンの石川文洋さんであったことも、参加の動機になった。二週間程度の旅であったが、私は大きなカルチャーショックを受けて帰国した。


 帰国してからも出版社で働いていた。心のなかでは「きっちりと修行をして、将来は自分の出したい本を編集できるようになるんだ」などとマジで考えていた。ところが、入社して1年が経過したころ、上記の旅行を手配した旅行会社の社長から、「カンボジアにいきませんが」と突然いわれた。旅行でカンボジア人の素朴さに触れて感動する一方、なぜあの国で1975年というごく最近に、大量虐殺が起きたのが不思議でしょうがなかった。それで、帰国してからは在日カンボジア人と交流を深めつつ、日本で手に入る文献を読みあさったりもしていた。そういうタイミングでカンボジア行きを勧められたのだった。


 出版はつづけたいし、カンボジアにも行きたい。かなり究極の選択であったが、私は結局、カンボジアに行くことにした。理由は、日本で出版を志すことは帰国してからもできるが、社会主義から資本主義へと変貌をとげる激動期の国に滞在し、長期でフィールドワークができるような機会は、おそらく一生に一度しかないだろうと思ったからだ。


 このつづきは次回に。


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2005年4月26日 (火)



 「君の瞳に恋してる」という名曲がある。フランキー・ヴァリがオリジナルで、ボーイズ・タウン・ギャングがディスコ風にカバーしてから、一気に日本での知名度があがった。私らが中高生のときに、テレビやディスコでかかりまくっていた曲。


 何年たっても好きなこの曲は、やたらとカバーされている。で、けっこういろんなカバーバージョンを聞いたりしているのだが、今回買ったアラン・コープランド・コンスピレシーの「ア・バブル・コールド・ニー」というアルバムに入っているカバーは、これまで聞いたもののなかで最高のものであった。


 私は圧倒的にロックを聞くことが多く、ソウルやファンクがそれに続くといった感じ。このアルバムは、FM東京で流れていたものをチェックしておいて購入した。最近、仕事をしながらラジオを聞く機会が増えた。そして、ときどき気になる曲が流れてくると、仕事を中断して曲名などをチェックする。なんか中学生みたいなことをやっているなあ。


 ラジオを聞くようになってから、ロック以外のアルバムを買う機会が増えた。アランもその一環で、この音楽のジャンルはソフト・ロックとやらで、別名はなんと「フィンガー・スナッピン・ミュージック」というらしい。そういうジャンルを初めて知った。


 たしかに親指と人差し指をパチパチしながら聞きたくなるような……。


 もう一枚、CDを買った。銀杏BOYZの「DOOR」。私はサンボマスターの大ファンで、先日も渋谷AXにてライブを聴いて、目頭を熱くした。サンボの山口さんが仲良くしているのが銀杏の峯田和伸さん。「アイデン&ティティ」という映画で主演してたのも峯田さん。この両者が同一人物だと知って、アルバムを買うことにした。


 すでに「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」を購入しており、今回はそれと同時発売のアルバムを買った。前者も後者もやりたい放題。「どんどん、ぶっ壊してくださいね」と声をかけたくなるようなアルバム。パンク調の曲に、いきなりカッコいいフレーズが入ったりするのもいい。アルバム構成が、前半は「破壊」、後半は「まじめ」となっている。レコードだったらA面とB面でまったく違う顔を見せているような感じで、これも面白い。


 「風とロック」という雑誌の創刊号で、山口さんと峯田さんが対談をしている。これが傑作で、ふたりとも好きになりました。


 銀杏BOYZを聞いた宮台さんは、どういう感想を述べるのかなあ。ぜひ聞いてみたいところ。


ア・バブル・コールド・ユー DOOR



 


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2005年4月25日 (月)



 対談の感想は、内容をテープ起こししながら書くことにしよう。


 それより、今日は業者さんへの支払日。どこに、いくら、何の代金を支払うのか、計算しなければならない。


 出版社の経費は、本の製作費(組版、装丁、用紙、印刷、製本など)がもっとも多く、運賃や広告費、営業代行費、倉庫代、通信費、交際費、雑費などがこれにつづく。問題は、これらの経費を支払うために、書店や取次への請求業務をやらなければならないことだ。本を売った得意先に代金を支払ってもらわなければ、自分が支払うお金がないのは当たり前の話である。とはいえ、これがなかなか「当たり前」ではない。このへんを契機にして、ひとり出版社の実情を書いていこうと思う。


 ひとりで出版社をやるということは、編集のみならず、経理も総務も営業もひとりでやるということが前提となる。この前提にかなり無理があるということが、会社をはじめてしばらくたったころに理解できた。


 企画・編集については、なにがあろうと自分でやる。というか、他人がたてた企画の本をつくるのならば、別にひとりで出版社をやる必要はない。編集者になる理由は、「編集作業が好き」とか「編集という職業に憧れている」、「編集で生計を立てたい」、「安定した仕事として編集を選んだ」、「本が好き」、「業界で働きたい」など、さまざまであろう。しかしながら、会社という組織に入ってしまい、給料をもらうようになったら、給料相応の働きをする義務が会社に対して発生する。すなわち「あなたは売れる本を年に何冊つくりなさい」というようなノルマが生じる。たとえ自分の企画でなくても、本をつくらなければならなくなる。まあ、当たり前の話ですね。


 私の場合は、それが当たり前ではない。本は好きだけど、編集という仕事には何の憧れもない。編集作業がとりわけ好きでもない。業界なんてどうでもいい。こんなことをいっていると、「じゃあ、なんで君は編集者をやっているのかね」と問い質されることでしょう。


 この問いに、あえてこう答えておきましょう。自己満足のためにやっています、と。実際にそうだし、こういう前提にしておかないと、恥ずかしくて自己満足に付随する目的を語れなくなってしまう。けっこう気が弱いのです。でも、ここで「世の中のためになる本を出したい」とか「弱者の視点に立つことの重要性を……」とかいいだしたら、ゲームオーバーでしょう。人のために何かをすることは、結局、自分のために何かをすることなんだから。


 では自己満足に付随する目的は何か。これがけっこう重要なのだが、短時間では書けないので、今回はやめておこう。


 以下、なぜ編集者になったのか、ひとり出版社設立の経緯、ひとり出版社の苦悩と喜びなどを、ぼちぼち書いてみよう。


 乞うご期待、といいたいところだが、あまり期待しないでください。


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2005年4月24日 (日)



 宮台真司さんと北田暁大さんの対談は、今回が4回目で最終回となる。たまには下町でやるのもいいだろうと思い、台東区の谷中銀座にあるレンタルルームを借りた。


 ちょっとお疲れ気味の北田さんが先に到着し、「駐車場を見つけるの、たいへんだったよ」といって元気な宮台さんがあとから登場した。


 約3時間の対談は、かなり白熱した議論となった。宮台さんによる『嗤う日本の「ナショナリズム」』批評、北田さんによる宮台さんの「あえて」するコミットメント批評、などなど。くわしい内容は、6月発売の本であきらかになろう。


 対談終了後、近くのすずらん通りにある明石屋で一杯。この店は、まるで映画のセットのようなところで、いろんなジャンルで活躍する人びとが、何気なく集まるところ。巨人×中日戦が大ボリュームで放映されるなか、飲み食いしながら対談のつづきをお願いした。


 話を聞いていて痛感したのは、ある程度のレベルの相対的な教養が、社会に共有されていないということだった。逆に、「●●のことだけなら、よく知っている」というような、部分的に集中した教養を持つ人が増えている、と北田さんがいっていた。


 お二人の振るまいや書くものについては、ネットなどで様ざまな意見が出されている。とはいえ、一定の教養を前提にして語る彼らの姿勢と、ネットで展開されている批評との論点のズレは、ずっと気になっていた。


 今日は疲れてしまったので、つづきは明日に。


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2005年4月21日 (木)



藤井誠二さんに誘われて、台東区根岸にある鍵屋という居酒屋へいってきた。


店は古い建物だが、店内は小ぎれいにしてある。カウンターとテーブル四つが置ける程度の座敷があり、いかにも常連さんというお客が多かった。


うなぎや鳥のモツ、豆腐などを、そこらの居酒屋にはないような調理法で出してくれた。


酒もうまいし、料理もうまい。


藤井さんのチョイスに間違いがないことを、再確認してしまった。


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2005年4月21日 (木)



昨年から進めてきたこの企画。4月23日に台東区谷中の某所で最終対談をおこない、6月中旬あたりには刊行できる予定。


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2005年4月21日 (木)



昨日、宮台真司が主宰する「思想塾」に参加してきた。都立大が首都大学に再編されるのにともない、社会人も参加できる時間帯のゼミの開催が、学内では困難になった。そこで、我が双風舎の大切な著者である宮台さんが、社会人も参加できるゼミの存続を模索した。


そして1年間の準備を経て、学外で開催する「思想塾」が設立されたわけだ。


研究テーマは、日本や西欧の近代政治思想史とのこと。今期は日本近代政治思想史で、とりわけ「近代の超克」論をテーマに学習を進めるとのこと。塾は、隔週水曜に開講される。


私は社会人になった後、駅伝が強い横浜の大学で経済学の博士後期課程まで学んだが、やっていたのはカンボジアの地域研究のようなものだった。だから本格的に政治思想史などを学ぶのは初めてのこと。


しかしながら、出版社を立ちあげ、宮台さんや姜尚中さん、仲正昌樹さん、そして北田暁大さんら、学者といわれる方がたとお付き合いをさせていただくたびに、自分には政治思想史の素養が足りないと痛感してきた。今回は、とてもよいチャンスだと思う。


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2005年4月21日 (木)



はてなで日記をはじめようと思ってから、なんと1年が経過してしまった。


1年間、まったく何も書かないのだから、自分は日記には向いていないのではないかと痛感している。毎日更新している方がた、心より尊敬いたします。


何かを書いて、他人に読んでもらいたいという意志が、あまり私にはない。


自分でものをいうよりも、それぞれの問題のエキスパートに語ってもらうほうがいい、というくだらない編集者的思考をもっているのかもしれない。


私は、手帳を持ち歩かず、日記などつけることもない。


ひとりで出版社をやっていると、日々の出来事を跡づけるゆとりなどなく、ただただ先に進むことだけを目指す毎日となってしまう。


とはいえ、せっかく日記をはじめたのだから、備忘録のようなかたちで利用しようと、今日になっていきなり思い立った。ついでに、これから「ひとり」で出版社をやろうという無謀なことを考えている方がたに、すこしでも参考になるようなものを残せればと考えた。


そんな経緯で、毎日更新というわけにはいかないが、こうして日記をはじめることにした。


ひとり出版社のリアルを記述しつつ、おもろいトピックスがあれば取りあげていきたい。


さて、どうなることやら……。


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