双風亭日乗

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2005年5月31日 (火)



 そんなのつくって、世の中に役に立つ人材が育つのでしょうか?


 大手マスコミの天下り先にならぬことを祈っております。この件に関しては、武田徹さんとまったく同意見です。興味のある方は、武田さんのオンライン日記(http://162.teacup.com/sinopy/bbs)を読んでみてください。


 編集者だって、一応はジャーナリストなのですが、「俺は、ジャーナリストだ」なんて気概のある編集者は、いったい何人いるのでしょうか? とりわけ大手に。いい仕事をするためには、カネがかかる場合が多い。一方で、何かしら危機的な状況や苦難に直面してはじめて、いい仕事ができるのだ、ともいえるんですよね。これは貧乏を美化しているのではありません。やはりカネがあると、あらゆる面で危機感が減ります。余計な危機は避けねばなりませんが、ジャーナリストが絶えず、ある程度の危機感を持つことは、とても重要なことだと私は思うのです。


 これって、大手出版社で働く編集者へのヒガミなんですかねえ。でも、いい給料もらって、つくりたくない本をノルマでつくらされて、うまくいかないと窓際に飛ばされてしまうような強迫的な状況にいるよりも、給料はほとんどないが、出したい本を出したいときに出しているほうが気楽で幸せなのではないか、と思ったりもします。まじで。


 編集者のサラリーマン化がすすみ、彼らの強迫的な状況が深刻化していることは、書店に並んでいる本を見れば、ある程度の察しがつきますよね。新書なんて、とりわけキツいんじゃないのかな。かといって、我慢して大手でがんばり、カネをためて独立するといっても、そう簡単なことではありません。そのことは、このブログを読めばわかるでしょう。


 どうしたらいいのでしょう? 


まあ、この問題も、おいおいこのブログで考えていければと思っています。


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2005年5月31日 (火)



 書店と新規で交渉をするのにあたって、ひじょうにラッキーだったことがある。それは、K社在籍中の末期に、姜尚中さんと宮台真司さんの対談を開始していたことだ。この企画はK社の負債をすこしでも減らす目的で、おふたりに協力をお願いしたものだった。


 まず、K社の『反ナショナリズム』という本を担当させていただいた姜さんに、低迷を打開するための企画について相談した。ご了承いただいてから、対談相手の候補者をしぼり、最後は宮台さんか高橋哲哉さんということになった。この段階で、姜さんと主張が異なりそうな宮台さんに、あえて対談をお願いしたほうが、面白い内容の本ができるような気がした。それで宮台さんに対談の依頼をしたところ、快諾をいただけた。この企画は、のちに双風舎の『挑発する知』となって、かたちになる。


 姜×宮台トークセッションは、すべて書店で実施した。一回目が三省堂書店神田本店、二回目が青山ブックセンター本店、三回目がリブロ池袋本店であった。これらの書店には、常設でトークセッションがおこなえるスペースがある。


 とはいえ……。通常は、本の刊行記念としてサイン会や対談をおこなうものだ。本をつくるための対談、それも教育系では知られているが、現代思想系では知られていないK社の企画を、書店が受け入れてくれるのだろうか……。そういう不安があった。


 まず、三省堂へ相談にいった。すると、人文担当のSさんは、いとも簡単に「やりましょう」という返事をくれた。嬉しかったなあ、このときは。Sとは、ほとんど面識がなかったのに、引き受けてくれた。やはり、講師のおふたりの力であろうか。つづいて、青山ブックセンターのMDだったKさんにお願いした。またまた快諾。最後に、リブロ池袋本店の人文書MDだったMさんに依頼、そして快諾。


 こうして対談の依頼で書店をまわっていて、よくわかったことは、書店人の方がたの秘めたる思いだった。それは、ただただ本を売るだけでなく、著者とふれあう機会を求め、本を売るのとは違ったかたちで読者との交流を求めている、という思いであった。


 書店でトークセッションをやることが決まると、テーマ設定や内容の吟味、会場設備、日程など、何度も打ち合わせをする必要が生じる。イベントを成功させれば、お互いに達成感を得るし、連帯感(というか「一緒にやりましたねぇ」といった程度の親和感)が生まれる。ひとりで出版社をやる段階になって、このときの書店人との付き合いは、かなり大きな財産だということがわかった。


 さて、ここで書店との交渉の話に戻る。トークセッションを実施した書店は、各担当者の多大なるバックアップのおかげで、どこもすんなりと直販契約をむすぶことができた。とはいえ、上記の3店(3チェーン)だけでなく、さらなる販売網を築かなければ、採算などとれるはずもない。


 ここで役に立ったのは、トランスビューの工藤さんによるレクチャーであった。どの書店のどの担当者に会うと、スムーズに直販契約をむすぶことができる、という各書店の特徴に関するレクチャーである。これにくわえて、ある書店人から営業代行のプロフェッショナルであるNさんを紹介していただき、Nさんからかなり詳細なる書店の情報を聞くことができた。もうひとつ、心強かったのは、イベントでお世話になった書店人が、みずからのネットワークを駆使して、ほかの書店の人文担当者を紹介してくれたことである。


 これで「契約できる可能性のある書店」は、ある程度、リストアップできた。さあ、ここから先が問題だ。契約のための「三種の神器」は、第一に処女出版となる『挑発する知』のデータ、第二に直販契約書、第三に今後の刊行予定。契約書は、こちらのを使う場合もあるし、書店独自のフォームを利用する場合もある。刊行予定は、現実味のある企画が半分だけ(あとの半分は無理矢理ひねりだしたものであった。書店のみなさん、誠に申し訳ありませんでした)。


 すでにJRCと協力関係にあったことから、JRCには小さめの書店との契約をお願いして、私は大きめの書店との契約に奔走した。


 この段階で、私の頭に妙案がうかんだ。これから契約をお願いする書店の人文担当者の方がたと、宮台さんとの交流会をやって、そのときに双風舎のアピールをしようではないか! 書店人は著者との出会いを求めているし、著者だって書店人との直接対話を求めている。ならば出版社がそれをつなげばいいじゃないか。まず、そう思った。そして、その機会が会社の宣伝になれば、なおいいじゃないか。


 すぐに宮台さんへ連絡をした。多忙なスケジュールを調整して、参加していただくことが決まった。つづいて、リブロのMさんにお願いして、参加者を募集してもらった。こうして、人文書担当者による宮台さんを囲む会を実行することができた。この会の影響は大きく、参加した書店人がいる書店では、どこもスムーズに直販契約をむすぶことができた。『挑発する知』刊行の半月前には、上記の3店のほか、ジュンク堂書店(チェーン)や紀伊國屋書店新宿本店(のちにチェーン展開)、堀野書店(あゆみBooksチェーン)、図書館流通センター、丸善(各店ベース)、くまざわ書店(各店ベース)などとの契約が完了していた。


※以下、つづきを一度掲載しましたが、長すぎるので明日分にまわします※


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2005年5月30日 (月)



 こぶ平さんも、たいへんですね。林家正蔵を襲名してしまったからには、これから八代目正蔵と比較される地獄の日々がつづくのですから。無責任だけど、こぶ平さんには地獄を乗り越えていただき、落語復興のためにがんばってほしいなあ。


落語笑事典(11)宿屋噺


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2005年5月30日 (月)



 双風舎のwebページは、立ちあげて1年ちょっとくらいになりましょうか。数日前に、ようなく1万ページビューとなりました。リニューアルした2カ月前からは、制作や更新を専門の方にお願いしていますが、それまではホームページ・ビルダーで、自分で制作していました。


 「webが好き」とか「ネットに興味がある」というのなら、まだいいのですが、別にwebなんて好きでも嫌いでもない私には、新刊が出る際の更新だけでも、かなり苦痛な作業となっていました。結局、新刊のときに更新するだけなので、人もぜんぜん訪れません。


 リニューアルを実行し、ブログと連動しはじめてから、ページビューが一気に増えました。やはりネットは、新鮮なネタと更新が命なのですね。


 ひとり出版社といっても、現実はこのように無理が重なって成立しています。餅は餅屋であることを認識するのは、重要なことなのですが、どうも「ひとりで、できるもん」と気負いがちになってしまいます。そんなことは無理なのに。


 たいせつなことは、何らかの作業について、「人を雇う」ことと「餅屋さんに依頼する」ことの確実性とコストパフォーマンスを、徹底的に計算したうえで事業を進めていくことなのかもしれません。


 ひとりでやっているフリをしていますが、所詮、出版社は多くの方の協力なしには成立しない事業です。日々、ご協力いただいている方がたに、感謝。


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2005年5月29日 (日)



 落語を聞くと、話自体が面白いし、庶民の歴史の勉強になるし、ユーモアの勉強になるし、他人と話すときの話術の勉強になる。いいことばかりじゃあ、ありませんか、ねえ。とりあえず、古今亭志ん生でもいかが?


落語笑事典(3)人情噺


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2005年5月29日 (日)



 出版社は取次に、正味だけでなく、まだまだ条件を飲まされる。その第一が「部戻し」という条件だ。部戻しと称して、取次から出版社への精算時に、売上から3~5%くらい引かれた状態で支払がなされる。たとえば、正味が65%で部戻し3%だと、本体価格1000円の本が1冊売れた場合、62%にあたる620円が取次から出版社に振り込まれる。


 その第二が、「保留」という支払期限延滞システムである。私がいたK社の場合、ほとんどの取次の支払条件が「毎月の支払の20%が6ヶ月後に支払われる」というものであった。つまり、今月の取次から出版社への支払総額が100万円であった場合、うち20万円は半年後に支払われて、実際に入ってくるのは80万円になる、ということだ。


 この正味や部戻し、保留については、某出版社の社長にいわせると「そんなの交渉すればなんとかなる。正味をあげるのは難しいが、部戻しも保留も、パーセンテージを減らすことはできる」とのこと。そうはいっても、20年以上も経営をつづけてきたK社が、そういった交渉を取次としてこなかったとは考えづらい(もしかしたら、交渉しなかったのかもしれないが……)。おそらく、そう簡単に条件を変更してはもらえないのだろう。


 私は、上記のような支払システムに大いなる疑問を持ちながらも、とりあえず仕組みを覚えようと考えていた。しかしながら、あまりにも複雑かつ不明朗な部分が多いシステムなので、覚えるだけでも時間がかかってしまう。取次との条件交渉どころではない。取引のある取次が10社以上あり、それぞれの取次の取引条件が異なる。取次1社の請求書をつくるためには、新刊委託からはじまって、注文や延勘、長期、常備などの計算をそれぞれおこない、さらに部戻しがいくらで、保留額がいくらかを計算する必要がある。


 このように苦労して複雑な計算をして、請求書を作成し、それを取次に送る。だがしかし……。取次は、けっして出版社の請求額どおりに支払ってはくれない。とりわけ大手にその傾向が目立つ。私がK社に在籍した1年数ヶ月のうち、大手取次から請求どおりに入金があったことは、1度もなかった。たいてい、すくなめに支払われる。ときどき、請求額よりも多かったりする。


 ようするに、K社にいたときの私は、出版社が請求をして、ブラックボックスを通過してから、出版社にお金が支払われるような気分であった。いうまでもなく、ブラックボックスとは取次のことである。取引条件にしろ、摩訶不思議な支払システムにしろ、ある程度はハッキリさせてやろう、と私は考えていた。なぜかといえば、とりわけ支払システムがはっきりせず、月々の入金額が出版社の請求書ではなく取次の支払明細書が届くまでわからない、という状況は、月々の資金繰りに頭を悩ませる中小企業経営者としては、胃が痛くなる原因となっていたからだ。


 しかし、それをハッキリさせる前に、私はK社を去ることになる。


 以上で、すでにあきらかになったとは思うが、私が双風舎の起業時に取次との取引を考えなかった理由は、以下のとおり。第一は、新規参入では、どんなに売れそうな企画を並べても、まともな正味を獲得することは不可能だと判断したこと。第二は、K社時代に経験した取次のブラックボックスぶりに呆れ、別の流通ルートがあれば、それで勝負したいと考えていたこと。


 で、ネットや人づてにいろいろ調べていたところ、「直販」でやっている出版社があるという情報を得ることができた。私が調べた範囲では、一般書を直販で流通させているのは、たしかリトル・ドッグ・プレスとトランスビューの2社であった。さらに書店で情報を集めた結果、おそらく双風舎にとっては、トランスビューのやり方が参考になるであろうと考えるにいたった。


 そして、トランスビューの工藤さんに話を聞きにいった。天使のような工藤さんは、手持ちの情報のほとんどを開示してくれた(詳細は5月18日の「会社の話 10」参照)。また、中小取次であるJRCも、在庫管理から営業代行まで、取次でありながら直販の手伝いをしていただくというかたちで、創業前から全面的に協力してくれた。


 さて、直販で本を流通させる場合、とくに起業時の最大の問題は、どれだけの書店と契約できるのか、ということにつきる。本が流れはじめると、今度は経理面で様ざまな問題に直面することになるのだが、まずは書店と契約できなければ、経理も何もいっていられない。


 そもそも、どれだけの書店が、直販で本を扱ってくれて、実際に直販取引で契約してくれるのか……。どの書店が直販をやっているのか、という部分は、工藤さんや書店人の話を聞けば、ある程度の情報が集まる。しかしながら、その書店が取引をしてくれるのかどうかという問題は、いくら工藤さんの指導をうけてもしょうがなく、自分で解決しなければならない。「直販だ」と意気込んでも、いくら「いい本を出すぞ」と思っても、書店と契約できなければ意味なし。


 次回は、そのへんの経緯を書いてみましょう。


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2005年5月27日 (金)



 もうすぐ告知されると思いますが、7月21日に青山ブックセンター本店にて、宮台さんと倉田さんによる「恋愛」をテーマにしたトークセッションを実施します。書籍化を目標にした全3回の連続トークで、その後、リブロ池袋本店や紀伊國屋書店新宿本店でも開催する予定。


 くわしい内容は、青山ブックセンターの告知がはじまったら、ブログでもお知らせします。


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2005年5月27日 (金)



 6月下旬の発売予定でしたが、編集作業が遅れているため、7月の第2週あたりの発売となりそうです。申し訳ありません。とはいえ、北田さんも宮台さんも、トークの原稿に大幅な加筆をおこなっているので、当初の予定よりも内容はさらに充実。256ページの予定が、300ページを超える本になりそうです。


 ちなみに、書店からの事前注文数は、すでに4000部を超えています。おそらく初版は5000部になる予定。人文書の新刊で、なおかつ弱小出版社で、有料広告を一行も打たず(打つ資金がない……)、これだけの事前注文が入るのは、ある意味では奇跡に近いことだと思います。なぜ奇跡が起きるのか?


 理由の第一は、著者のネームバリューだと思います。第二は、著者に「活躍してほしい」という書店人の方がたの期待度でしょう。第三は、なんとかいままで継続して本を刊行できたことから、双風舎の書籍なら売ってみよう、という書店が増えたこと。第四は、関東圏では人文・社会科学書流通センター(JRC)、関西圏では「るな工房」による、積極的な営業努力があげられます。


 『限界の思考』に限っていえば、北田さんと同年代・同世代の書店人が、人文書コーナーの責任者であったり、人文書担当であったりすることが多く、「北田さんの本を売ろうぜ!」というモチベーションが高まっている、という理由もあげられます。こうした気運が盛り上がることは、私としては、なによりも嬉しいことです。


 双風舎のwebページにも書きましたが、『限界の思考』は四章だてで、一章から三章までは書店でのトーク(紀伊國屋書店新宿本店、青山ブックセンター本店、リブロ池袋本店)を加筆・修正したものとなっています。そして、四章は4月に谷中で独自収録した対談で、附録は千駄木の酒場で収録した(私も交えての)鼎談です。鼎談は酒が入って(北田さんと私はビールを飲みながら、宮台さんはカツ丼を食べながら)の話なので、かなりブッチャケ話もあり、なかなか楽しめる内容となっています。乞うご期待!


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2005年5月27日 (金)



 「仲正×宮台→宮台×北田」とくれば、「→北田×仲正」でトークバトルをしてもらわなければなりません。これで、謎の三角形が完成することになります。トライアングル対談とでもいいましょうか。(笑) もちろん書籍化を前提にしています。


 仲正昌樹さんと北田暁大さんに、「ロマン主義」や「アイロニー」「ナショナリズム」「リベラリズム」といったテーマを、時事問題に結びつけながら議論していただきます。全3回で、すべて三省堂書店神田本店にて開催。第1回は、9月初旬の予定です。


 くわしい内容は、8月に入ったら三省堂書店より告知されると思います。


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2005年5月27日 (金)



 仲正昌樹さんの書き下ろしを、10月初旬あたりに発売する予定です。テーマは、「生き生きとした思想を語る死者たちを斬る」。流行思想批判をとおした現代思想の入門書になりそうです。現在、仲正さんに張り切って執筆していただいております。


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2005年5月27日 (金)



 韓さん(東大大学院)のチマ・チョゴリをとおした在日朝鮮人のエスニック・アイデンティティに関する論文を、一般向けに加筆・修正して、年内に刊行します。


 姜尚中さんらの活躍により、「在日」への認知度や理解度は、ひと昔まえよりも高まったといえましょう。それでも、日本で暮らしている人なら(とりわけ日本「人」なら)、もっと在日の方がたに関して知ったほうがよいと私は考えています。


 本書のテーマは、歴史認識などといった堅苦しいものではなく、チマ・チョゴリという比較的身近なものから在日を考察するものです。なぜ在日が日本にいるのかとか、なぜ総連と民団があるのか、といった歴史を知るのは重要なことですが、一方で在日の歴史が在日の当事者を含めて風化しつつあるのが現状です。


 だからこそ、身近なテーマから在日にアプローチする必要が高まってるのだと思います。この本を読めば、朝鮮半島に対する風当たりが強くなるたびに「チマ・チョゴリが切られる」、といった馬鹿げた事件が減少するかもしれません。


 かりに在日を敵だと思っている人がいるのならば、いい加減な情報で噴きあがる前に、まずは敵である在日のことをよく知ることからはじめてはいかがでしょうか。きっと、チマ・チョゴリを切ることが、いかにチャンチャラオカシイことかということに、気づくことでしょう。


 とはいえ、知る努力を怠ったり、わざと知らせないような力が、いまだに働いているのも事実で、だからチマ・チョゴリが切られつづけているのだともいえます。人間って、敵を欲しがる生き物ですし、敵を攻撃しているときには安心できますからね。そうなると、敵をズラす戦略が必要になるのかもしれません。


 だがしかし、敵をズラすということは、単に敵の対象を変えることであり、けっきょくは敵が存在しつづけることになります。敵の再生産ですね。はっきりいって、いないと安心できない敵なるものを消滅させるということは、おそらく無理でしょう。ならば、どうしたらいいのだろう……。なさけないことですが、私の思考はこのへんで止まってしまいます。


 興味深い問題なので、こんど著者のみなさんに聞いてみましょう。


 


 





 


 


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2005年5月26日 (木)



 懸案の和田アキ子「ルンバでブンブン」ですが、池袋や上野のCD屋をまわっても見つからなかったので、アマゾンで注文しました。合わせて和田さんの「フリーソウル」も買ってしまった。


 昨日とどいたので、早速聴いてみましたが、和田さんの「タイガー&ドラゴン」は、剣さんとは別の味があり、最高でした。「パンチ力のある声」というものを感じます。


 ピチカート・ファイブの小西康陽さんが、和田さんの既存の曲を独自にセレクトしたコンピレイション・アルバムである「フリーソウル」も大当たりでした。8割がた、すでに持っているCDに入っている曲で構成されているのですが、「選曲と並べ方、そして微妙なリミックスで、こうも変わるのか」ということを痛感。


 朝まで仕事をしたのだが、和田さんのほかのCDも聴きたくなり、けっきょく「和田アキ子ナイト」になってしまいました。


フリー・ソウル 和田アキ子


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2005年5月26日 (木)



 昨日は、隔週開催の宮台思想塾だった。


 前回に引き続き内田隆三著『国土論』を読む。時間ギリギリにやってきた宮台さんは、「いま土井たか子と会ってたんだよ」といっていた。憲法のお話しをしてきたとのこと。


 レジュメ発表の前に鈴木謙介さんの『カーニヴァル化する社会』が話題になり、ご本人がいる前で、宮台さんの短評が聞けたのが面白かった。宮台さんは、鈴木さんや北田さんが著書で、社会の諸問題を分析しながら、それがいいのか悪いのかという評価をしないことに対し、「ディプレッシブ(強迫的)なコンニャク野郎」と評していた。(この件については、鈴木謙介さんのblogに詳細が書かれています。ぜひご参照を)


 私は、「ディプレッシブなコンニャク野郎」的であってもかまわないと思う。というか、そういう空気が人文系の「言説空間」に流れており、おふたりはその空気を察してものを書いているのだと思う。ちょっと断定的にものをいったり、問題の対処を提案したりすると、重箱の隅をつつくような罵詈雑言がネットに出回ったりするのだから、そのへんのリスクをヘッジしながらものを書くのは、仕方のないことだとも思う。


 思想のグランドデザインを語ると、すぐに専門知を振りかざした細かいツッコミが入り、その細かい部分が駄目だからグランドデザインも駄目だという話になる。宮台さんや仲正さん、そして姜さんのように、思想のグランドデザインを語れて、なおかつ知識と経験に裏打ちされた「勇気」のある発言ができる研究者や書き手は、いまやほんとうに限られている。


 一方で、鈴木さんや北田さんは、まだ30代前半だということを考えると、これから知識を積み重ね、経験を積んでいけば、きっと「コンニャク野郎」ではなくなるのだと思うし、なくなると信じてもいる。すくなくとも北田さんについては、「コンニャク野郎」を「あえて」やっている節があり、そのへんの実情が知りたいと思って、宮台さんとの対談『限界の思考』を仕込んだのであった。北田さんには、ある種の強い「意志」が感じられ、その「意志」はけっしてコンニャク的ではない、と私は勝手に確信している。


 こう書きつつも、鈴木さんや北田さんに「コンニャク野郎が時代のトレンドなんだ」という問題設定で、宮台さんと徹底抗戦してもらうのも面白いと思っている。そこに大塚英志さんや東浩紀さんが参戦したら、さらに面白くなりそうな予感。夢のバトルロワイヤルですなあ。


 とにかく、いま人文系の出版人がやらなければならない仕事は、「コンニャク野郎」がいいか悪いかという評価などではなく、「党派制」をぶちこわしたうえでの自由で活発な議論をうながすことなのだと思う。そして、若手ながら、そういう議論の場に顔を出す鈴木さんや北田さんの姿勢に、私は敬意を表したい。


 ここで思想塾の話に戻る。今回は、民俗学の巨頭である柳田國男や折口信夫、坂口安吾、三島由紀夫らの言説をおもに分析しながら、敗戦前後の歴史を振り返るという内容だった。


 著者の内田さんは、ベンヤミンの『パサージュ』を多分に意識されてこの本を書いたのであろう。この記述スタイルは、しばしば小熊英二さんの『民主と愛国』と比較されるが、『民主と愛国』のほうが圧倒的に読者に対して親切だと思う。『国土論』とは、どんな読者を想定して書かれたものなのだろうか、と思想塾のたびに思ったりする。テキストとして取りあげるだけあって、内容は面白いのだが……。


 民俗学といえば、私がカンボジアの農村調査をしたときに、もっとも繰り返し読んだのが宮本常一の著作であった。柳田や折口の理論的民俗学とは距離をおいて書かれた宮本の著作は、経済学を専攻していた私にも、宝の山のようだった。とりわけフィールドワークの実践について、多くのものを学んだ。とりあえずいろいろな本を読んでみる、ということをつづけていると、ときどきこういう有意義な出会いがある。


 「アジア人は同じ」とか「アジアはひとつ」などとは、口が裂けてもいえない。そんな情況があり得ないことは、アジアで長期滞在すればわかる。だが、宮本の実践がカンボジアの農村調査で役立つということからは、日本とアジア諸国をむすぶ「アジア的」な共通項のようなものを感じずにはいられなかった。


 話は飛ぶが、じつは宮台さんの「亜細亜主義」議論については、もうすこしアジアの側の応答を確認しつつ、議論を展開していただきたいなあ、と僭越ながら私は考えている。忙しくて時間がとれないかもしれないが、宮台さんが東アジアや東南アジアを旅して、アジアの人びとの息吹にふれたとき、宮台「亜細亜主義」はさらなる進化をとげるのではないか、などと日々夢想しているのでした。


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2005年5月25日 (水)



 私は、テレビが大好きです。


 宮台真司さんが「僕はテレビ、ぜんぜん見ないなあ」などというと、「それは、損をしていますよ」なんて思ったりします。思っても、口には出しません。だって、大学での教育と実務、原稿の執筆、講演、映画鑑賞などで忙しく、宮台さんにテレビなんて見る暇がないのは、考えてみればすぐにわかる話しだからです。


 一方、仲正昌樹さんは、テレビを見ながら論文を書いたりしているという。机にはパソコンのディスプレーがあり、机のヨコにはテレビがある。その双方を、目がいったり来たりしているそうです。テレビ問題(そんな問題あるのか!?)に関して、私は断然、仲正派です。さすがに仲正さんのごとく、机のヨコにはテレビを置いていないけれど、仕事の合間にはかならずテレビを見ています。


 読み物だと、新聞(「あえて」読売新聞)を読み、雑誌(書店に配達してもらってるのは、週刊だとSPA!と週刊文春、ニューズ・ウィーク。隔週でASAHIパソコン、月刊でダ・ヴィンチとサイゾー。面白そうだと買うのが、情況と理戦、現代思想、ダカーポ、創、文藝春秋、disign、談、ロッキンオンJAPAN。あと実話GONナックルズとノンフィックスをミリオンの久田さんからお送りいただいている。ありがとう!)を読み、マンガを読み、本を読み、原稿を読みます。こう書いてみると、テレビのみならず、私は雑誌も好きなんですね。


 このように、何かを読んでいる時間だけでも、かなり膨大になっているわけですが、それでもテレビはやめられません。根っからテレビが好きなんですね、私は。


 では、何を見ているのか。まず、NHK教育の幼児番組を見ています。娘のお付き合いで見ているつもりなのですが、けっこうハマって見ている自分に気づき、驚いたりします。「ピタゴラ・スイッチ」や「バケルノ小学校」といった、大人でも楽しめる名作もあります。同様に、アニメもかなり見ます。レギュラーで見ているのは、「ミルモでポン」や「ブラック・ジャック」「名探偵コナン」「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」といったところ。


 ニュースは、流していることはあっても、ほとんど真剣に見ません。多くのニュースがワイドショーになっています。いまのニュースは、現場にいって報道したり、取材して報道する、というニュースの本義を忘れ、流行ものや見せ物的な出来事に「演出」をくわえて流すので、あまり信用できません。「こんなことが、ありました」ということを知るためのツールとしては、NHKのニュースがいいかもしれませんが、もちろん内容は信用していません。


 ニュースとかドキュメンタリー(と呼ばれる)番組の、どの部分が信用できて、どの部分が信用できないのか。この点については、カンボジアでテレビ番組制作のコーディネーターを8年くらいやっていたので、ある程度の察しはつきます。とはいえ、これは別の話なので、いずれまた書きましょう。


 ニュース以外だと、お笑いとバラエティー、そしてドラマを見ます。お笑いやバラエティーは、1回見れば面白いかどうか、たいてい判断できるので、面白そうなものだけ「スゴ録」で録っています。かならず見るのは「リチャードホール」と「内P」くらいで、あとは「ロンドンハーツ」「めちゃイケ」「学校へ行こう」などを少々。


 いろいろ見ているわけですが、やはりテレビの王道はドラマでしょう。しかしながら、最近は面白いドラマが少なくて悲しいですね。オリジナル脚本を元に、局が総力戦でつくるようなドラマは、ほとんどありません。小説やマンガで売れたから、ドラマでもやってみましょうか、というノリのものが多く、辟易しています。


 こうなると、レギュラーで見るドラマも極端に限られてくる。いま毎回見ているドラマは、「危険な関係」(フジの昼ドラ。ドロドロさ加減が、なんともいえません)と「タイガー&ドラゴン」のみ。後者は、おそらく歴史に残る傑作になると思います。私のいう傑作とは、「傷だらけの天使」とか「探偵物語」「寺内貫太郎一家」「ロング・バケーション」「太陽にほえろ」「鬼平犯科帳」などと同列だということです。(笑)


 そうそう、いま再放送でやっている「王様のレストラン」も傑作ですね。録画して見ていますが、あまりにも面白く、カンボジアでは1クール(全話)をとおしで5回くらい見た記憶があります。いま見ても面白い。キャスティングも内容も、ほとんど完璧な作品です。


 今回、テレビのことを書こうと思ったのは、いま「池袋ウエスト・ゲート・パーク」を見ているからです。仲正さんが対談で言及していたのと、クドカンが脚本を書いていることから、DVDを借りて見ています。これがまた面白い。噂では、石田衣良の原作も面白いとのことなので、ぜひ小説も読んでみようと思います。小説やマンガが原作であっても、作り手の創意工夫があれば、いくらでも面白くする可能性がある、というお手本みたいなドラマです。そう考えると、いまはキャストの人気だけに頼った、ヘタレなドラマがいかに多いことか……。


 いずれにせよ、テレビは視聴者の欲望がストレートに反映されるメディアだから、アホなニュースが多いのは、視聴者がまともなニュースを求めていない証であり、ヘタレなドラマが多いのは、それを求めている視聴者が多いことの現れなのだともいえましょう。そういうテレビを懸命に見ている私も、アホでヘタレだということになりますなあ。


 まあ、面白い番組をベタで見るのと同時に、こうして面白くない部分も分析しながら見ていると、テレビというメディアも捨てたものではないなあ、と思います。問題は、面白くない部分をベタに受け取ってしまうことです。そのへんは、メディア・リテラシー教育によって、どうにかしなければならないんでしょうね。


 いろいろ書きましたが、面白いドラマがあったら、ぜひ教えてください。いまのものでも、昔のものでも。私が好きなドラマの傾向は、これを読んだ方にはすでにおわかりのことでしょう。よろしくお願いいたします。


 


 


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2005年5月23日 (月)



 たとえば、新規に出版社を起こし、取次に口座開設のお願いにいく。まず、取り合ってもらえない。この雰囲気を言葉にすれば、「どうせ売れる企画なんてないんだろう」とか「既存の出版社がヤマほどあるんだから、新規参入なんて無理だよ」ということになろうか。取次の方には申し訳ないが、ほんとうにそういう雰囲気なのです……。


 だから、何度もかよう。かよっていると、すこしずつ話だけは聞いてくれるようになる。それで「まあいいか、口座を開いてあげようか」ということになるわけだが、ここから先が利権問題と絡んでくる。「正味」の問題である。


 以下、「私が知る範囲」での話なので、正確な数字は知っている方や専門の方にご助言いただきたい、という前提で話をすすめたい。「そんなあいまいな数字で、偉そうに書くな」と思う人がいるかもしれない。だが、あいまいな数字であっても、構造的な問題点は提示できると思うし、その問題点を改善しないかぎり、出版に未来はないような気もするので、あえて記す。


 新規の出版社が取次に口座を開いてもらう場合、よくて本体価格の65%、たいていは同62%または60%が、出版社から取次への卸し正味となるのではないか。老舗出版社のなかには正味75%とか72%というように、正味が70%以上のところがたくさんある。もちろん老舗出版社の「古くからやっている」という「経験」や「実績」は、評価しなければなるまい。老舗でいまも残っている出版社の多くは、ただ正味が高いとか条件がいいという理由だけでなく、内容のある本や売れる本を出しつづけてきたからこそ、現在まで生きのびているのだから。この点については、おおいに敬意を表すべきである。


 だがしかし……。老舗といっても、看板だけ出していて、まともな本を出していない出版社もかなり多い。そういう出版社は、高い正味を「利権」として保持しつつ、自分らは本をつくることをやめて、「発売元」として高い正味という「利権」を別の出版社に享受させつつ、みずからもその「アガリ」で利益を得ているという実態がある。また、たいした内容の本でなくても、売れる本でなくても、たまに本を出せば、取次は高正味でその本を取り扱う。


 私は、K社の代表になり、出版流通がすこしずつ理解できてきたときに、以上の点に出版流通の最大の疑問を感じた。なぜ、本を出していないのに、古くからやっているということで、高正味が維持される出版社があるのか。なぜ、売れるような本を出していないのに、高正味なのか。なぜ、内容の薄い本ばかり出しているのに、高正味なのか。他の出版社の諸先輩に話を聞くうち、その理由が「古くからやっていると高い正味を維持できる」という「利権」であることがわかってきた。


 私は、この「利権」について、弱小出版社のヒガミとかヤッカミにより、この文章を書いているわけではない。正直いうと、「うらやましいなあ」とは思う。とはいえ、時間は不可逆なのだから、いくらそう思っても自分らは「老舗」にはなれない。つまり、うらやんでも意味がない。この正味の問題は、出版流通の構造の問題であり、知れば知るほど矛盾していると思うから書いているのである。


 単純に考えてみてほしい。しっかりとした内容で、かつ売れる本を出している新興のFという出版社があったとする。新興であるから、この出版社の取次への卸し正味は62%程度だと仮定する。一方で、ほとんど本を出していないものの、他社の発売元としてつぶれない程度の利益を得ているS社の正味は72%だとしよう。F社とS社の正味の差異は10%。本体2000円の本が5000冊ほど売れた場合、同じ価格の本を売ったとしても、S社はF社よりも100万円ほど多く利益を得る。あえていおう。その100万円が必要なのは、古いが「やる気」のないS社ではなく、新興だが「やる気」のあるS社なのではないか。


 新興のF社が、高正味を得たからといって、よい内容の売れる本を継続的に出せる保証はない。しかし、出せるかもしれない、という程度の可能性はあると思う。つまり、世に良書が産み落とされる可能性を、F社は持っているのだといえよう。一方、よい内容の売れる本を出す意志のないS社が高正味を維持しても、世に良書が産み落とされる可能性は、ひじょうにすくない。


 今後、この日記に書いていくことになるとは思うが、出版社を新規でおこすことと、それを維持することは、技術的にも能力的にも、とりわけ金銭的にも、ひじょうにリスクの多いことであり、苦難の多いことでもある。ひとりでやろうが、数人でやろうが、そのリスキーな状況にはたいした差がなかろう。このリスクを引き受けてでも、出版社をおこそうと考える人には、それなりの意志や「やる気」がある。数千万円の準備資金がある、というような恵まれた環境で開業する人もいるのだろうが、それは少数なのではないか。


 ようするに、リスクを引き受け、それなりの「やる気」をもつ新興出版社に対して、取次は「正味」という「利権」で、さらなるリスクを新興出版社に与えようとしているように、私には見える。だからといって、取次が新興出版社に、口座開設時に高正味を提示しろなどとは、まったくいっていない。半年から1年に1度、刊行した本の売れ行きや内容に応じて正味を見直すなど、取次は柔軟な対応をしたほうがよいと思う。逆に、発売元としてしか機能していなかったり、どう考えても内容がなく、売れない本ばかり出している老舗出版社の正味も、しっかりと見直すべきだ。


 取次が、こうした柔軟な対応をとれば、世に良書が生み出される機会は、確実にいまより増えることになろう。そのことが最終的には、読者にとってメリットとして還元されるわけだ。出版社も取次も、読者あっての出版活動なのだから、原点に返ればそういう発想にならざるをえないと思うのだが……。ひたすら奇妙な状況がつづいている、というのが出版流通の実情であるように、私には思えてならない。


 しつこいようだが、次回も出版社と取次の関係をとりあげてみよう。


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2005年5月23日 (月)



 無事、終了しました。いらっしゃった方々、誠にありがとうございます。


 いまどき「冷戦」がテーマの対談など、どれだけお客さんが入るのだろう、と心配していました。とはいえ、それなりの人数に達し、安心した次第です。


 丸川哲史さん、米谷匡史さん、ほんとうにありがとうございました。私は、熱くアジアを語るおふたりが大好きです(恋愛感情は抜きにして……)。共有できるものも、たくさんあります。「来年あたり、年2回くらい発行する書籍扱いの雑誌をやりましょうか……」などと私が戯れ言をいうと、ふたりとも協力を誓ってくれました。ありがたや、ありがたや。


 出版社は、もっともっと著者の「顔」と「声」とが、読者に見えるようなイベントを手がけたほうがいいと思っています。読者も著者の「顔」や「声」を見たがっています。


 さらにいえば、書店でイベントをやるのがいいと思います。なぜかといえば、書店人の方々も読者と同様に、著者との接点を求めているからです。当たり前でしょう。日々、顔の見えない著者の本を棚にならべるよりも、イベントという共同作業を著者とおこなえば、その著者の本を売るモチベーションが高まります。さらに、対談ができるような場所のある書店は、比較的アクセスのよい場所にあります。


 出版社は書店でのイベントをとおして、著者と読者をつなぎ、著者と書店をつなぐことができます。サンボマスターの山口さんが、対談やらライブやらで、しばしば人と人とがつながることのたいせつさを語ります。まさに、ごもっとも。つながれば、何かが起こるかもしれません。何かが始まるかもしれません。


 私には、出版社がそのような「つなぎ」の役割を引き受けているようには、あまり思えません。「本だけだしてりゃ、いいんだよ」というのは、ちょっと違うでしょう。出版社があまりイベントをやらないのは、もしかしたら「本を出すこと」と「対談」とは違う次元のことであると考えている人が多いからかもしれません。前者が高尚で、後者は低俗だ、と決めつけている人が、出版人のなかにはいるようです。だから、対談本は「軽い」とか「売れない」というように、決めつけている人もいるようです。


 人が何かを決めつけてしまうと、なかなかその決めつけから解放されません。私としては、あえてイベントで対談をやり、それを本にするというスタイルを継続して、そういうことにも意味や価値があるということを実践することにより、そういう人たちの決めつけを解放できればと思っています。出版企画の本質は、ネタもとが「対談」なのかどうか、などという部分とは違うところにあるのですから。


 人文系の出版社さん、もっともっとイベントをやって、立場の違う著者に言葉のプロレスをやってもらい、さまざまな議論を盛り上げようではありませんか。そうすればもっと、人文書は売れるようになりますよ!


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2005年5月21日 (土)



 本日、18時30分よりジュンク堂書店池袋本店4Fにて、『冷戦文化論』(双風舎刊)の著者である丸川哲史さんと東京外大の米谷匡史さんのトークセッションを実施いたします。テーマは『冷戦再考』。中国や韓国での反日デモや北朝鮮問題など、アジア諸国と日本とのあいだで発生する摩擦の影には、じつは終わったといわれている「冷戦」の影がひそんでいます。


 「冷戦」という古くてあたらしいテーマに関する議論は、現代のアジア情勢や日米関係を考えるときに、きっと役立つことでしょう。


 まだ残席があります。ぜひお越しください!


 ※詳細は、一昨日のブログに掲載してあります。


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2005年5月20日 (金)



 「週刊文春」5月26日号のコラムで、近田春夫がクレイジー・ケン・バンド(CKB)の「タイガー&ドラゴン」て曲をベタ誉めしていた。まあ、当然のことでしょう。文句なしの名曲ですから。


 私がこの曲をはじめて聴いたのは、時期は忘れたが「ミュージック・フェア」という番組でCKBと和田アキ子が夢の競演をしたときであった。なんと、なんと、この曲を横山剣ではなくて、和田アキ子が歌っていたのであった。


 じつは、私は歌手としての和田アキ子の大ファン(芸能界でのポジションとか、司会としての彼女には興味なし)で、本領を発揮するソウル系の彼女のアルバムは、すべてもっている。歌謡曲系の楽曲も、初期のものはソウルフルなものが多く、いまでもときどき聞いている。


 というわけで、和田さんの「タイガー&ドラゴン」は、まだ1回しか聞いたことがなかったのだが、同コラムによると、なんと、なんと、CDでリリースされているというではないか(「ルンバでブンブン」)。


ひさびさに超うれしい音楽情報に出逢ってしまった。


 さっそく今日、買いにいこう!


タイガー&ドラゴン  ルンバでブンブン


タイガー&ドラゴン         ルンバでブンブン


 


 


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2005年5月20日 (金)



 出版社と取次との関係において、いったいどんな利権があるのか。こんなことを書いていると、出版界の諸先輩に喝を入れられそうだが、ほぼ素人による戯れ言だと思って、ご勘弁ねがいたい。


 出版社が取次と正式契約をする際に、もっとも重要な契約事項は、前者が後者にどれだけの掛け率で本を卸すかということ、すなわち「正味」の問題である。私が知る狭い範囲のなかでは、本体価格の60~70%が、出版社から取次に卸す正味のようだ。ようするに、本が売れると出版社は、本体価格1000円の本の場合、600~700円が売上として取次から支払われる。


 「けっこう儲かるじゃん」と思われるかもしれないが、この売上から製造コストや広告費、人件費などの諸経費を差し引いたものが純利益となる。みなさん、純利益は、たいてい本体価格の20~30%くらいに設定しているのかなあ。本体価格1000円の本が1万冊完売となって、利益は200万~300万円といった程度。このたとえは、ちょっと現実離れしているかもしれないが、あくまでわかりやすい事例ということで……。


 ここでよく考えてみよう。いまの事例にもとづいて本を出すと、利益が200~300万円と書いた。いまの事例の本を年間10冊ほど刊行したとする。そうなると、利益は2000~3000万円になる。ここで正味が関係してくる。正味が10%違うと、いまの事例でいえば、利益が1000万円も違ってくることになるのだ。この1000万円の違いは、大きいですよ、やはり。


 この正味がどのような基準で決まるのかは、ぜひぜひ取次関係の方に教えてもらいたい。なぜかといえば、私にはその大きな基準が、創業が古い出版社は正味が高く、創業が新しい出版社は正味が低い、というふうに思えてならないからだ。


 もう一点は、卸す条件であろう。基本的には、以下の条件がある。読者や書店の要望により出荷する「注文」。新刊を出す場合に数ヶ月の委託を条件に出荷する「新刊委託」。代表的な本をセットにして書店に寄託し、売れたら補充していく「常備寄託」。まとまった冊数の注文があった場合、精算を数ヶ月先に延ばす「延勘」。ほかにも条件はあるが、ほとんどの本は以上のいずれかの条件で出版社から出荷される。


 「注文」については、基本的には買い切りが条件なのだが、実質上は返品が可能となっている場合が多い。老舗出版社だと、いまでも「注文」された本が買い切りになることもあるらしいが、それは稀な例だと思う。書店にいって、高くて古い本が、いつまでも同じところに置いてあったら、それは買い切り条件の「注文」本なのかもしれない。書店としては、買ってしまったので返品できず、売れるまで置いておくことになるわけだ。読者が注文して、書店が出版社に発注したあと、注文がキャンセルになったりすると、そういう事態になったりする。もちろん、本好きの書店人が「この棚には、この本が必要だ」という信念のもとに、老舗出版社の高くて古い本が置いてある可能性もありうるのだが……。


 いずれにせよ、本を出版社から取次へ卸す条件についても、正味と同様に、古い出版社がなにかと有利なシステムになっており、ある種の利権になっているように私には思えた。


 次回は、正味や卸す条件に関する利権について、新しい出版社が取次に口座を開くという事例を元に考えてみよう。


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2005年5月19日 (木)



 金融機関なのであろうか……。K社で出版経営を学ぶうちに、取次とは金融機関なのではないか、と思うようになった。取次は出版社に対して、本が売れていないのに、お金を払ってくれる。しかし、本が売れているのに、お金を払ってくれないこともある。この摩訶不思議なシステムがどういうことか、ごく簡単に説明しよう。


 まず、A社が「XYZ」という新刊を出すとする。A社は刊行前に見本をもって取次Nをたずね、「XYZ」がいかに売れるかを仕入れ担当者にアピールし、「2000部、配本してください」というように配本希望部数を知らせる。配本希望日も知らせる。さらに、取次Tや取次Oなど、いくつかの取次をたずね、同じことをする。


 数日後にA社は各取次に電話をして、「XYZ」を何部配本してくれるのか、おうかがいをたてる。K社の場合、トーハンや日販、大阪屋、栗田など、大手取次のすべてに口座があったので、配本前はけっこう忙しかった。簡単にいうと、出版社と取次が契約関係にあることを、口座がある、といってよかろう。この「取次に口座を開く」ということが、新興の出版社にとっては、最大の難関だといえる。


 私はK社にいたとき、口座というものが、いかに古くから取次とつきあっていたかが基準となる「利権」のようなものになっている、と感じた。どう「利権」なのかというと、古くて伝統のある出版社と新しい出版社とでは、取引条件がかなり異なるのである。この条件の違いを知れば知るほど、新興の出版社は「やる気をなくす」ことになる。


 純粋に流通の面だけに注目すれば、本の流通に取次は必要なのたろう、とは思う。しかし、この「利権」はどうにかしてほしい。どうにかしないと、新しい出版社は「いかに取次とつきあわないで、本の流通を成立させるか」ということを真剣に考えはじめる。「いくら真剣に考えたって、できることには限界がある」などと鼻で笑っている輩は、トランスビューという出版社の設立から現在までの実情を、しっかりと知るべきだと思う。


 私は、トランスビューの工藤さんほど、出版営業や流通に関する知識も経験もない。とはいえ、経験がないからこそ、K社でイチから学んだことにより、取次という「ブラックボックス」の姿がおぼろげながら見えてきた、ともいえる。


 では、明日のお題は「利権」ということで……。


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2005年5月19日 (木)



 21日の土曜日に、弊社が関わるトークセッションを開催します。ちょっと硬派な内容ですが、講師のおふたりはともに気さくな方で、硬いテーマを柔らかく話してくれることは確実です。


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JUNK 連続トークセッション


『冷戦文化論』(丸川哲史著、双風舎刊)出版記念


丸川哲史 × 米谷匡史


トークセッション『冷戦再考』


2005年5月21日(土) 18:30~


ジュンク堂書店池袋本店にて。


入場料1000円(ドリンク付き)


ご予約:03-5956-6111


http://www.junkudo.co.jp/newevent/evtalk.html


 旧ソ連と東欧の崩壊により、東西の冷戦は終わったと一般的には考えられています。とりわけ日本においては、冷戦にコミットしていたという実感がとぼしく、傍観者として他人事のごとく冷戦を眺めていたというのが実情であったように思います。一方で、東アジア諸国から見た日本は、冷戦に参加し、加担し、主宰していた国として認識されています。


 『冷戦文化論』の著者である丸川哲史さんは、こうしたギャップがそれぞれの国における歴史認識の違いから生じていると考えました。そして丸川は、冷戦にコミットしていた事実を日本人に気づかせる手段として、冷戦期の文化を再検討することを選びました。


 北朝鮮問題や中国と台湾の対立、歴史認識をめぐる日韓の温度差や大規模な反日運動など、東アジア情勢はいま揺れています。不安定な要素を抱えながらも、多くの韓国人や中国人が日本に長期滞在し、多くの日本人が観光レベルで韓国や中国、台湾を訪れています。


 揺れる東アジアの現状を理解するためには、冷戦の再検討が欠かせません。


 いまだからこそ、冷戦を問題にしなければならないことの意味を、若手研究者の丸川哲史さんと米谷匡史さんに徹底討論していただきます。


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2005年5月18日 (水)



 いま届いた月刊誌「サイゾー」6月号をめくっていたら、「男根! 男根! 男根! オカマの群がる世界的奇祭」という記事があった。川崎大師の近くにある金山神社では、毎年4月の第一日曜に男性器を崇拝する祭りがあるそうだ。で、十数年前に某女装クラブが、神社にピンクの男根御輿を寄贈したことから、「すべてが狂ってしまった」とのこと。ニューハーフのお姉さんたちが「でっかいまら、かなまら!」と叫びながら御輿を担ぐのだそうです。


 3月に宮台さんや藤井さんと、愛知・小牧で「ちんぽ祭り」を見物してきたが、記事によれば、川崎の祭りはそのうえをいっているような感じ。


 詳しくは「サイゾー」を読んでみてください。「こんなのありなのかよー」と思ってしまうような奇祭です。とにかく面白い! 


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2005年5月18日 (水)



 とにかく、見栄えがする程度の数の出版企画が必要になった。創業資金を国民生活金融公庫から借りるときに必要だし、取次や書店と取引契約をするためにも必要だ。


 いま取次と書いた。一般の方には、あまりなじみのない言葉かもしれない。出版社を経営するためには、企画も重要だが、本を売るための流通をしっかりと押さえることも重要だといえる。本を流通させる、ということは、すなわち我が社の本を書店で販売してもらう、ということである。しかし、書店に本を置いてもらうことは、そう簡単なことではない。ここで取次が登場する。以下、本の流通について、ごく短く説明する。ここでは本といった場合、書籍を指すことにしよう。


 出版社が本を書店に置いてもらい、販売してもらうためには、多くの場合、取次をとおす。取次は、本の問屋のような役割を担っている。つまり、「出版社→取次→書店」という経路で、本が流れていく。ここで問題となるのが、本は委託商品として販売される、ということだ。委託とは、書店の店頭で売れなかったものは、取次をとおして返品として出版社に戻してもよい、というシステム。書店で売れなかった本は、「書店→取次→出版社」という経路で返ってくるということだ。


 本の問屋である取次は、出版社と書店との納品・返品を輸送し、売れた分の代金を書店から徴収し、その売上を出版社に支払う。これらの業務を出版社と書店との直接取引でやろうと思ったら、ものすごい労力がかかる。だが、ものすごく労力のかかることを、あえてやっている会社もある。双風舎の師匠だといえる、トランスビューという出版社だ。私にとって、トランスビューの工藤さんは、出版営業の先生である。創業前から創業初期まで、直接取引に関する様ざまな情報をいただいた。本を詰めるダンボールのサイズから、営業用のチラシ作成まで、私がたずねたことに対して、工藤さんはすべて答えてくれた。


 双風舎は創業からしばらくのあいだ、書店との直接取引を主にしつつ、弊社の盟友ともいえる人文・社会科学書流通センター(JRC)という小規模な取次のみと付き合っていた(創業当時の取扱シェアは、直販9割・JRC1割)。その後、「ひとり」で出版社をやることと、直接取引のみで書店と付き合うことは、よほど条件が整っていないかぎり無理だということに気づき、取次経由で本の出荷を開始することになる。とはいえ、私がなぜ創業時に取次と契約せず、書店との直接取引を選択したのかをあきらかにするためには、もうすこし取次に関する情報を提供する必要があろう。何を考える場合であっても、たいせつなのは、なぜそれを「選択したのか」ではなく、「選択しなかったのか」ということなのだから。


 本の流通は、とてもわかりにくい。とはいえ、読者はどのように本が流通しているのか、知っていたほうがよいと思う。自分が書店で本代として支払っている金額には、いったいどんな費用が含まれているのか。以降、流通コストのみならず、製造費用などに関しても、私のわかる範囲であきらかにしてみよう。


 出版は企画が命なのだが、創業時はそれだけに気を使ってもいられない。いい企画があっても、書店に本が届かなければ意味がない。逆に、いくら書店に本が届いても、売れない本であれば意味がない。この問題は、出版人のあいだで意見が分かれる部分だ。たしかに売れなくても歴史に残る名著はある。だが、本を出すということは、こういうことだと私は考えている。


 すなわち、著者の考え方に共感した編集者が、共同作業で本をつくり、その本をひとりでも多くの読者に読んでもらい、共同作業の成果を吟味してもらい、賛否両論の議論を盛り上げてもらう。たいせつなのは、議論を盛り上げることで、そういった作業によって、世の中の嫌な部分や蓋をしている部分、見えるのに見えないことにされている部分に、すこしでも風を送り込めればそれで十分。


 なぜ本をつくるのかという点については、編集者や出版社によって様ざまな方針や意見があろう。現時点で私は、議論を盛り上げるためには、それなりの数の読者に読んでもらわなければ意味がない、と考えている。そしていまの時代は、「売れなくても、歴史に残る良書」を悠長につくっているゆとりなど、ないのではないかとも思う。もちろん、どの出版社もそうしたほうがいい、なんてことをいっているのではない。出版社は、十社十色だから面白い。とはいえ、時代の空気と読者の傾向を冷静に考えてみると、「歴史に残る良書」のプライオリティは、どう考えても低いといわざるをえない。


 では、自分には何ができるのか、とみずからに問い質したとき、いまの双風舎の出版傾向にたどりついたということ。ギャンブル性が高い経営と、時代に浮かぶ浮き草のような出版企画が、どこまで持ちこたえられるのかは、自分でもよくわからないのだが……。


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2005年5月17日 (火)



ケータイから日記を更新できるようなので、試しに送ってみた。


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2005年5月16日 (月)



 私の話を聞いた宮台さんは、「選択肢はふたつある」といった。ひとつは、やりづらい会社なら辞めてしまい、あらたに出版社をやればいい。さらに、もしひとりでやるのなら、全面的に協力する、という涙ぐましい言葉をいってくれた。もうひとつは、優秀な弁護士と相談したうえで、法廷で争う。そして、名目上も実質上も会社の代表になるべく調整する。宮台さんはその場で、自分と親しい弁護士を紹介してくれた。


 分岐点に立たされた私は、悩みに悩んだ。それこそNHKで内部告発をした方ではないが、いくら自分の側が正義だ思い込んでも、生活がかかった問題なのだから、慎重にならざるをえない。あっさり辞めたら、即、給料がなくなる。生活はどうなるのか。そもそも、ひとりで出版社などやれるものなのか。五里霧中。一方には、法廷で争うあいだも、訴える相手と一緒に仕事をしなければならないという精神的苦痛がある。代表なのに、どうしてほんものの代表になるべく裁判をおこさなければならないのか、という事態のバカらしさもある。


 結局、代表を引き受けるときに、親身になって話を聞いてくれていると思っていた方から、「それは、キミがいけないんだよ。株をちゃんと持っておかないんだから」とさらりといわれ、それもそうだなあと考え直した。そして、意外とすんなり、居座ることの精神的苦痛よりも、未知の世界に飛び込むことの不安(および期待)を選択し、K社を辞めることにした。正式に辞めたのが、2003年の8月末のことであった。


 さあ、ここからがたいへんだ。会社を設立するためには、どうしたらいいのか。いくらお金が必要なのか。借入はできるのか。どれだけ企画を準備すればいいのか……。どれから手をつけていいのか、よくわからない。


 とはいえ、まずは会社がなければしょうがないので、有限会社の設立からはじめた。K社でお世話になっていた優秀な会計士の方から助言をいただきつつ、手続きをすすめる。取引銀行をどこにするか。我が家から3分のところにある朝日信金に事情を話したところ、気持ちよく取引を開始してくれた。つぎに社名を決める。宮台さんに名付け親をお願いして、双風舎という社名が決まる。最低限の資本金として、300万円を銀行に預ける。会社の実印をつくる。登記用の書類に記入する。それを公証人役場にもっていき、さらに法務局へもっていく。会社の登記が完了したのは、9月半ばであった。つまり、会社設立のために動き始めてから、約1カ月半で手続きが完了したことになる。


 


 会社って、意外に簡単かつ迅速にできるものだなあ、というのが感想であった。設立のための費用は、30~40万円であったと思う。


 こうして、双風舎というひとり出版社はできた。箱ができたので、こんどは中身を詰めなければならない。企画だ。じつは、ひとり出版社をやると決めた時点で、自分のなかで決めていたことがあった。それは、K社のときに進行していた宮台さんと姜さんの対談本の企画を第一弾の刊行物にして、それがハズれたら(売れなかったら)会社をスパッとたたむ、ということだ。そうすれば、失敗してもリスクは最低限で済む。


 ほとんど博打のようなノリだが、もともと読者が実際に買うまでは、本が売れるのかどうかわからない出版社という商売自体、ある種の博打のようなもの。売れると思って出しても売れないこともあり、売れないと思って出したのが売れることもある。もちろん、ある程度の予想はつくが、結果は「実売」となるまでわからない。


 いずれにせよ、元手300万円で本を出すというのは、いくら少部数の出版であっても危険すぎる。組版や用紙、印刷、製本、送料、そして印税など、どう考えても足りない。ならば、どこかからお金をかりなければ……。いろいろ調べた結果、国民生活金融公庫に創業資金として、300万円の借入を申請することにした。


 K社はかなり借入をしていたが、すでに20年ちかく継続して、何らかのかたちで公的機関から借入をしていたので、借入をすること自体がパターン化していた。銀行に「●●●万円、借りたいのですが」と相談すると、すぐに申請書をもってくる。その申請書に代表者の署名と捺印(場合によっては保証人も必要)をすれば、数週間後には借り入れた分のお金が口座に入っている、というパターンだ。もちろん前社長の信用が厚かったから、そのようなパターンで借入ができたのであろう。しかし、あまりにも手続きが簡単だし、銀行がやたらと借入をすすめてくることから、「安易」に借りてしまうことが習慣化してしまう可能性があるのではないか、といつも思っていた。「あとで返す」という感覚が麻痺してしまうのではないか、などと考えることもあった。


 公的機関も銀行も、パターン化すれば「はい、どうぞ」とお金を貸してくれる(とはいえ、最近は厳しくなってきているようだ)が、一番最初の借入時には、とても厳しい査定がある。所定の書類に記入して、今後の出版企画などを添付する。窓口にいって、担当者に対し「こういう状況なので、お金を貸してください」と説得する。創業の資金を借りるのだから、貸す側の最大の関心事は、会社の将来性である。出版社の場合、将来性は「今後の出版企画」で判断されるといってもよい。


 確定している企画は、宮台さんと姜さんの対談本のみ。さあ、どうしようか……。


 つづきは明日にでも。


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2005年5月15日 (日)



 K社を辞めた経緯は、こうであった。


 私が経営を引き受けたのは、2000万円の負債を個人で引き受けるかわりに、私が株式の半数以上を取得して会社の代表になるという合意が、社内でできていると考えていたからだった。入社後、登記や取次に対する代表者変更手続きをひととおり終え、一応は名目上の代表になった。で、そのうち実質上の代表、すなわち株式の半数以上を私が取得できるような状態になるのだろう、と当初は考えていた。


 ところが、私が実質上の代表になる日は、けっきょくおとずれなかった。それは、株式を大量に保持する前社長のパートナー(兼社員)が、私に株式を譲ってくれなかったからだ。会社経営をすこしでも経験したことのある方ならば、おわかりだと思うが、社員数名の株式会社の株式は、金銭的な価値でいえば、ほとんど紙くず同様のものである。しかしながら、法律上、全株式の半数以上を所持していないと、経営に対する決定権が持てず、代表者なのに自由な采配がふるえない状況になる。


 つまり、「経営をやってくれ」と頼んだ方は、私に名目上の代表として2000万円の負債の責任を負わせておきながら、株式を譲らないことにより、私を実質上の代表にはさせなかったのである。私はさんざん、「この程度の規模の会社なのだから、株式の半数以上を所持して、すっきりと名目上も実質上もオーナーになりたい」とその方にいった。だが、それは拒否されつづけた。拒否の理由は、前社長が大切に育てた会社なのだから、私に勝手な経営をさせたくない、とのことであった。ん~、それではルール違反でしょう。


 そんな考えを持っているのならば、はじめから私に「経営をやってくれ」などといわないでほしかった。だって、2000万円の負債を引き受けるということは、2000万円の借金をしてK社という出版社を「買った」ということと同義でしょう。私はてっきり、そういうつもりで経営を依頼していきたのだと思っていたし、代表になってからもそうなるのだと考えていた。


 いま思えば、会社を引き継ぐときに、株式の件をクリヤーにしておかなかった私が、甘かったのだといえる。「そのうち、譲ってくれるだろう」などと、のんきに人を信用しすぎた。ほんとうに甘いなあ……。


 最終的には、私が辞めるか、株式をたくさん持っている前社長のパートナーが辞めるか、という話になった。私が代表者なのに、「そんな話になること自体、おかしな話だなあ……」とあきれつつ、どう対処してよいものか悩み抜いた。


 自分の進退に悩んでいたころ、私は同時に、負債を返済するための売れ筋企画として、姜尚中さんと宮台真司さんの対談を仕込んでいた。会社を辞めようかどうか迷いながら、「このおふたりに協力していただき、売れる本を出して、すこしでも負債を返そう!」と動いていたのだから、まったく笑える話である。


 宮台真司さんとは、対談企画の打ち合わせで何度かお会いした程度の面識であった。にもかかわらず、私は宮台さんに会社の実情をすべて話し、どう対処したらよいのかを相談した。ほとんど面識のない私から、重い内容の相談を持ちかけられつつあった宮台さんは、私が「すぐにお会いしたいのですが……」と電話すると、詳細も聞かずに「急いでいるのですか?」とだけ私にたずねた。私が「はい」というと、宮台さんはすぐに「では、できるだけ早く会いましょう」といってくれた。


 そして電話の翌日には、宮台さんと私は渋谷のタイ料理屋にいた。


 つづきは明日にでも……。


 


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2005年5月14日 (土)



 2002年の3月末に、カンボジアから日本に帰国した。そして帰国したその日に、以前勤めていた出版社のK社から連絡があった。連絡の内容を聞いて、驚いた。K社は、先代の社長が亡くなったのにともない、新しい経営者をさがしており、なんと私に経営を「やらないか」といってきたのである。


 創業から20年以上も経営を維持し、既刊本は400冊弱。出版傾向は先代社長の懐の深さを象徴しており、登校拒否問題をはじめとする教育問題や労働問題、女性問題、社会問題、思想、宗教、図書館など、多岐にわたる。社員は3人。すべての取次との帳合をもち、流通はなんら問題ない。ただし、おおきな問題がひとつあった。負債が2000万円以上あるのだ。


 ん~、2000万円。売れる本を出せば、返せる額なのだろうか? わからない……。でも、これだけ環境が整っている出版社、それも私が尊敬していた方が経営していた出版社を引き継げる。どうしよう、どうしよう……。


 さんざん迷ったあげく、家族と相談したうえで、私はK社の経営を引き受けることにした。かなり無謀な賭けだということは承知していたが、思い切ってカンボジアにいってしまったときと同様に、「好機は逃すな」という気分で引き受けた。


 代表になったあと、出版人の先輩がたから、何度も何度も「無謀だ」といわれた。それを聞くたびに、そんなことは理解したうえでやっているんですよ、と思っていたが、結果を出すまでは黙ることにした。


 ここから先、翌年8月まで、馬車馬のような働くことになる。出版経営など、なにもわからないので、初歩から勉強しなければならない。また、引き継いだ時点では、出版企画がほとんど「ない」状態だったので、新規企画の開拓もしなければならないのだから……。


 で、一念発起して引き受けたK社の代表は、「翌年8月まで」しかつづけられなかった。私としては、もっとつづけたかったのだが、そうもいっていられない事情ができた。この事情については、次回の日記で簡単に記す。私が会社経営を継続するか、ひとりで出版社をやるか迷っていたときに、相談したのが宮台真司さんであった。


 


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2005年5月13日 (金)



 双風舎でwebページをやっていても、1日に数人から数十人しか見に来ない。ブログは、やりだして10日ちょっとなのに、1日100人くらいのアクセスがある。やはりwebは「更新」が命ということなのだろうか。


 ところで最近、我が家の周辺(谷中・根津・千駄木。略して谷根千)は、土日祝日になると人がヤマほど歩いている。老若男女を問わず、雑誌や本、地図を片手に、歩き回っている。数年前までは閑古鳥が鳴いていた店に、人が押し寄せている。先週の「はなまるマーケット」で、谷根千が取りあげられていた。


 散策がブームになっているのであろうか。何を求めて、みんなは谷根千に来ているのだろう。下町、お寺や神社、博物館、コロッケ、穴子寿司、古い民家、路地裏、植木、商店街……。古き良き何か? ノスタルジー? 教養? 首都圏の人にとっては、遠くへいかなくても、訪ねるべき面白い街が都内にもある、ということへの気づきなのだろうか。


 悪いことではないと思う。誰もがスーパーマーケットで買い物をすませてしまうこの時代に、商店街でコップの生ビールを飲みながら、揚げたてのコロッケを食べる。個人商店が儲かり、商店街は維持され、来た人たちも満足して帰る。これぞ地域の活性化といえるのではないか。


 谷根千はすでに、観光地化しているのかもしれない。だって、「タイガー&ドラゴン」で伊東美咲が扮するようなツアコンが旗を振り、そのあとを肩にリボンをつけた初老の男女数十名がぞろぞろ歩く光景が、毎週見られるようになっているのだから。


 週末になると「子どもをどこへ連れていこうか……」と悩む親としては、観光地化してしまい、どこにいっても人がたくさんいるのは少々困る。とはいえ、それを差し引いても、谷根千という地域が、その特色を維持していけるのならば、たくさん人が来ることも仕方のないことなのだろう。まったく自分勝手な論理ではありますが……。


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2005年5月12日 (木)



 昨日は、宮台思想塾であった。しばらくは、内田隆三さんの『国土論』を読み解くことになる。内田さんの著作は、『ミシェル・フーコー』ISBN:4061489895や『社会学のを学ぶ』ISBN:4480062270など、入門書的な新書しか読んだことがない。いずれの本も、内容は面白いのだが、入門書にしては文章が難解(たいへん申し訳ないが、読みづらい……)と感じた。


 内田さんは「国体論」というタイトルにしたかった、という司会の堀内さんが紹介したエピソードが、たいへん興味深かった。たしかに内容からいえば、それが妥当だと思う。だかしかし、「国体」という言葉にへばりつく魑魅魍魎的かつ解釈自由な意味を考えると、出版社が「国体は勘弁してください」という気持ちもわかる。


 塾に二回ほど参加して感じるのは、学部生の方がたに、共通前提としての教養を身につけてほしいということだ。まあ、塾の目的が、ものごとを議論する際の共通前提を身につけることなのかもしれないが、その共通前提を身につけるためにも、ある程度の共通前提が必要なわけで……。このことは、神奈川大学で講義をやっていても、強く感じることである。


 おそらく宮台さんも、そう思っているに違いない。とはいえ、やさしい宮台さんはけっして「勉強して出直してこい」とはいわない。なぜかといえば、そういわれた学生が、勉強して出直すのが面倒になり、参加しなくなることを危惧しているからなのだと思う。よって、共通前提を理解するための前提を、時間をかけて説明してくれている。このような学習の場は、きっと他にはありませんよ!  



国土論

国土論





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2005年5月11日 (水)



 さて、お金と仕事というキーワードが出て、それがボランティアとなじまないという話になった。なぜなじまないのかは自明なことで、無償で何かをやるのならお金はいらないし、無償で何かをするのなら、その何かはけっして仕事などではないからだ。


 そういう前提で考えると、カンボジアでNGO職員またはボランティアとして活動している日本人のほとんどが、給料をもらって仕事をしている「職業」としてのボランティアをやっていることになる。つまり彼らは「職業ボランティア」だといえよう。そもそも無償で活動をするボランティアなど、よほどの蓄財をして、よほどの空き時間がなければできない。


 私はこんなことを書いているが、ボランティアとか援助活動と呼ばれているものを否定しているわけではない。それが、知恵をしぼって、適材適所に人材やモノを送れば、それなりに意味のある活動であることは、10年も現地に暮らしていればよくわかる。なぜ、こんなことを書かざるを得ないのか。それは、ボランティアを称する本人と、ボランティアを見つめる世間一般のまなざしと、ボランティアの対象となる現地の人びとの気持ちが、ズレているからである。


 ズレていても、結果オーライならば、それはそれでよい。結果オーライとは、援助などで関わる日本人の思惑とは関係なく、現地の人びとがやってもらって「よかったなあ」と思えるような状況である。逆に、いちばん質が悪いのは、前者の思惑が「やってあげてよかったなあ」で、後者の思惑が「やってもらわなくてもよかった」というものだといえる。


 このネタをだらだらと続けていると、読んでいる方に申し訳ない。このへんで、まとめに入ろう。


 現地にとって、どうすれば的確な支援ができるのか。第一に、現地の社会をよく知ること。第二に、何を支援するのかを的確に判断すること。第三に、誰を現地に送るのかを的確に判断すること。第四に、送られた人は、自分が「ボランティア」だなどとは思わず、職業人としての最大限の能力を発揮すること。第五に、その職業人に対して、送った側の組織はしっかりと生活を保障すること。


 私がカンボジアで体感した範囲でいえば、まず第一の問題を多くのNGOがクリヤーしていない。その理由は資金難である。十分な事前調査ができるような資金が、各団体にはない。よって、第二の問題についても、的確に判断されていない場合が多い。まあ、NGOの資金源がドネイション(募金)であり、熱心に募金をするのが宗教団体くらいしかない、という悲しい事実もあることから、きわめて日本的な問題なのかもしれない。


 日本のNGOの場合、募金で集めた資金の使い方に関して、ものすごくドナーに配慮している。NGOは「こう使ったら、もう募金がもらえなくなる」という思いを抱きながら活動をつづけ、ドナーも「変に使ったら、もう出さないよ」と考えているようである。そうなると、いくらNGOが的確な支援を思いついても、それを実現できない場合が多くなる。


 前述したように、カンボジアの教育には、学校よりも教員育成のほうがたいせつなのである。で、そのことを現地NGOの人びともわかっていたりする。でも、人材育成は失敗のリスクが多いので回避され、建設して写真をとれば「かたち」となってドナーに見せられる、学校のような箱ものをつくることが多くなるわけである。つまりドナーの側が、NGOに自由な資金運用をさせればよいのだが、一方で資金を悪用する詐欺まがいのNGOもあるので、事情は複雑になる。


 さて、第三の誰を現地に送るのかという問題。これは単純な話です。手に職を持っている人を送ればいい。現地の人は、そういう人を求めているのだから。大学院で開発経済を学んでからNGOに入ったとか、英語ができてボランティア活動に興味があったからNGOに入った、などという人は、それほど必要としていない。「俺は井戸を掘れる」とか「自動車の修理が得意」、「稲作のことなら任せておけ」という人を派遣したほうが、現地にとって役に立つのである。もちろん、経理や渉外、管理などで「英語ができる」人も活きる可能性はあるが……。


 それで、上記のような人は給料をもらって仕事をする職業人(職人)だから、与えられた仕事はきっちりとするでしょう。よって第四の問題は解決する。だがしかし、その給料が安いというのが、NGO業界の大きな問題でもある。数ヶ月から数年のあいだ、日本での職をなげうって現地入りする職業人に対し、「ボランティアですから」とか「援助ですから」といって、安月給しか与えないのは、どう考えてもおかしい。帰国してからも、しばらくは生活できるくらいの額を支給して、当然のことでしょう。ドナーもそれを承認したうえで、寄付なり募金なりをすべきだと思う。


 国によって違うのだろうが、海外のNGO職員には職人が多く(医者、技術者、研究者など)、資金のうち多くの部分を政府がまかなっている場合もあったりする。日本の場合、左翼系の人びとがNGOの創設に関わっていることが多いため、政府との連携がいまひとつとれていないように見える。NGOは「政府のカネをもらうと、体制寄りだと思われる」と考え、政府は「反体制の団体に与える資金はない」と考えるような、最悪の循環ができている。90年代なかばから、その循環がすこしかわったような気もするが、左翼系の人びとが団体の幹部をやっていたりするうちは、大きな構造の変化は見られないような気もする。


 ようするに、前述したような現地支援の原理原則をまっとうするための環境は、日本ではまだできていないということなのであろう。とはいえ、どうでもよい人材ではなく、できるだけ現地で実力を発揮できるような人材を派遣する努力は、NGOにしてほしい。そして、自分たちをボランティアなど呼ぶのはやめて、職業にとしてのボランティアに関わる人、すなわち「職業ボランティア」と呼ぶようにしてもらいたい。


 そういう自覚があれば、「俺たちボランティアだから、車代を安くしろ」などという馬鹿げた錯覚を抱く輩は減るであろうし、現地の人びとに喜ばれる内容の活動を展開できるのではないか、と私は考えている。


 宗教の広告としてのボランティアとか、まじめな人ほど早くつぶれてしまう実情など、援助にまつわるネタはたくさんあり、いろいろ書いてみたいが、だいぶ長くなったのでボランティアの話はこれにて終了。


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2005年5月11日 (水)



 若手雑誌編集者(というか編集長)として私がもっとも期待をよせ、尊敬もしている久田将義さんが、大博打をうってくれた。雑誌がなかなか売れない時代に、あえてノンフィクションをテーマにした雑誌「ノンフィックス ナックルズ」を創刊したのである。「世の中の理不尽に喧嘩を売る雑誌」とのことで、挑発的な内容が満載。たえず「世の中を挑発しよう」と思っている私には、答えられないくらい嬉しい雑誌の創刊だ。


 久田さんは、「実話ナックルズ GON」や「不思議ナックルズ」の編集長も兼任しているスーパーマン。このブログで書いてもしょうがないが、くれぐれもお身体をたいせつに!


 福田和也×朝倉喬司×元木昌彦による「雑誌ジャーナリズムを語る」という強力な対談も掲載されています。みなさんも、ぜひご一読を。


 


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2005年5月10日 (火)



 さて「これらが複合すると、どうなるのか」という前日の問いからはじめよう。簡単にいうと、NGOの人びとに、ある錯覚を生じさせてしまうことになる。たとえば、こんな話がある。私はカンボジア滞在中に旅行会社を経営していた。一応は、ポルポト時代以降、もっとも古くから開業していた日系の旅行会社なので、現地NGOの旅行手配を承ることも多かった。ある日、某現地NGOから車の手配の依頼があった。日本で若い人たちをあつめ、小学校の建設を手伝うという主旨のツアーのための車手配であった。無事に車を手配し、ツアーが順調にすすんでいたある日、ツアーリーダーと称する若い衆がいきなり我が社を訪れ、こういった。「俺たちNGOなんだから、車代をもっと安くしてくださいよー」。


 この若い衆の発言に、当時は血気盛んであった私は、一瞬キレてしまった。なんでNGO「なんだから」、車代を安くしなけりゃならないのか。そう私が問い質すと、若い衆はすぐに「俺たちボランティアなんだからさー」と切り返してきた。この論理破綻した発言に対して、「お前らに貸す車はない」といって車の手配を拒否した。そして若い衆は怒り狂って去っていった。


 同じ日の夕方、そのNGOの日本側の副代表(俳優。娘が某歌手と結婚・離婚した)が我が事務所にきて、ものすごく丁重な姿勢で誤った。やはり心に「ゆとり」がある人は、ボランティアというものの本義をわきまえていることがわかり、安心した次第である。


 まあ、これは極端な事例だが、ようするに「いいことをされている対象の視点」が抜けたまま、「自分はいいことをしている」と勝手に思い込んでしまうと、「いいこと」をしているから自分は何をやってもいいんだと勘違いしてしまう場合がある、ということだ。さらに、いいことをしているという気分は、自分を何となく「崇高」で「神聖」で「偉い」ような気分にさせてしまう、ということでもある。はっきりいえば、いいことをしているという気分は、エゴと隣り合わせだ、ということです。


 NGOが、やれ「農村開発だ」とか「社会開発だ」とかいう大上段な目標をかかげ、現地のむらに入っていく。まず「開発」って何よ、と私は思う。何を基準にして、どう開発するのだろう。たいていは、予算がないので現地のことなどあまり調べずに、他国の農村や社会でやったプロジェクトの事例を、地域開発のためにそのまま導入する。うまくいくプロジェクトは数少なく、多くの場合、頓挫したり破綻したりする。そして、うまくいかないと、現地の日本人スタッフは、「現地の人たちの能力が足りない」とか「自分たちは一生懸命やっているのに……」といって逆ギレする。10年も滞在していると、そういう声を直接、山ほど聞く機会があった。なかには、「どうして自分はこんなに頑張っているのに、現地の人たちはわかってくれないのだろう」などと思い悩み、神経症を患って帰国する人もかなり多く存在した。


 地域社会にコミットする(というかイジる)NGOがある一方で、いわゆる箱もの(学校とか職業訓練所など)をつくるNGOがある。こちらは、箱をつくってしまえば終わることなので、地域社会を変えようなどと思っている人たちよりも、すっきりと仕事をすすめることができる。とはいえ、カンボジアに必要なのは学校という建物よりも、教員の数を増やし、質を向上することなのではないか。NGOの人にそういうと、「きちんと育つかどうかわからないので、人材教育だとお金が集まらないんですよねー。だって、教育したって、ちゃんと仕事するのかどうかわからないじゃないですか。それに対して、箱ものだとカタチとして残るので、お金が集まるんですよ」といわれたりする。


 おっと、ここで「仕事」と「お金」いう言葉をつかってしまった……。仕事やお金という言葉は、「無償の奉仕活動をする人」と定義されるボランティアには、あまりなじみませんなあ。そうです、このへんにNGOやボランティアを考える大きなポイントがあるのです。そのことは明日に。


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2005年5月10日 (火)



 装丁のラフがあがってきたので、掲載しておきます。ラフなので、変わるかもしれませんが……。昨年9月、紀伊國屋ホールでトークセッションをやったときに撮影した写真を使ってみました。写真撮影は、カメラマンの横須賀洋さん。デザインは、いつもお願いしている大竹左紀斗さん。


 著者名と座席のあいだあたりが、カバーとオビの境界になります。つまりオビの天地が138ミリなので、カバーを2枚かけるような感じになります。


 目次などは双風舎のwebページ(http://homepage3.nifty.com/sofusha/)にアップしてありますので、よろしければご覧になってください。


 おふたりとも多忙なので、原稿の整理が難航しているものの、6月末か7月初めには発売できると思います。


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2005年5月 9日 (月)



 90年にカンボジアへ渡航し、まずは生活の糧を得るために旅行会社をはじめた。現地のことを勉強したいといっても、お金がなければ長期滞在ができないからだ。そのころカンボジアにいた日本人は、たしか7人くらいだったと思う。その多くがNGO関係者で、民間企業として滞在していたのは私と木材会社の駐在員だけであった。


 NGOや援助関係者のフットワークは軽い。この点は、すばらしいことだと評価できる。とりあえず、援助や支援や救助が必要な場所にいき、何らかのアクションを起こす。本来ならば、政府関係者がすべきことも多いが、国交がないと外務省は動かない。だから民間の人びとがそれをやっているわけだ。90年の時点では、日本とカンボジアには国交がなかった。


 滞在当初、首都プノンペンから300kmほど北西にあるアンコール・ワットへの旅が、日帰りでしか許されなかった。ヘン・サムリン政権の軍が、まだ国内の都市部を点でしか支配できていなかったため、都市から数キロ先にいくとポルポト派の活動地域になっていたのだった。


 そんな時期に滞在していた日本人は、誰もが強者だった。前回のブログで紹介した、アッコちゃんにおけるお星さまの助言を実践しているような人たちだった。ところが、カンボジアと日本とが国交を結び、日本の大使館ができた93年ごろから状況が変わった。何が変わったのか。


 カンボジアの日本人社会において、職業によるポジションの高低、すなわち職業の貴賤のようなものができていったのである。アホらしいとはいえ、興味深い現象であった。


 高低のうえからいうと、外務省職員→その他の公務員→国の外郭団体職員→NGO職員→大手商社の駐在員→学術関係者→その他の商売、といった感じであろうか。NGOから学術関係者までは、ほぼ同列といってもよい。面白いのは、「NGO職員」が上位に食い込み、「その他の商売」が最底辺におかれているという点である。


 この基準をつくったのは、大使館員(というか外務省)であろう。天皇の誕生日やら何やらのパーティーに呼ばれるかどうか。治安情報を提供する会議に呼ばれるかどうか。戦闘が発生した際に、連絡がくるかどうか。とにかく、以上のような職業的基準で、大使館との付き合い方が異なってくる。また、重要な情報が入手できる度合いが違ってくる。さらに、どれだけ大使館員と懇意にできるかどうか、という超くだらない基準も、実際に存在していた。


 こんなことを書いていると、ルサンチマンに燃えているかのように思われるかもしれないが、そんな気持ちは毛頭ない。あまりのアホらしさに、日本人のみなさんとすこし距離を置きながら、日本人社会を客観的に眺めて楽しんでいたのが実情である。重要な情報といっても、カンボジアのようなちいさな国では、私のようなちっぽけな人間であっても、大使館よりも多くの情報を得ることは可能であった。すくなくとも90年代前半までは、治安が悪いといって首都にこもりっきりの大使館員より、私は地方都市や首都での市井の事情を把握していた自信がある。


 そんなことはどうでもいい。問題は、大使館によってつくられた「カンボジアの日本人社会における職業の貴賤」だ。この弊害がどのようにあらわれるのか。ここでNGOが登場する。NGOが貴賤ランクの上位に食い込んでいることの理由は、正直にいってよくわからない。推測でいうと、日本でのボランティア神聖化が海外にまで波及していることのあらわれなのであろう。いずれにしても、NGOのみなさんは、「その他の商売」の人たちよりも大使館との付き合いを密にしていたし、外務省による「草の根援助資金」なるものを得るために、付き合わざるを得なかったのかもしれない。


 日本から一時的に来たNGOの幹部や職員、サポーターらが、大使館を表敬訪問して大使と会う。NGOがつくった建物の落成式に、大使や領事がいく。NGOをやっていると、カンボジア政府の大臣をはじめとするエラい人たちと、直接話したりする機会が多くなる。そして、カンボジアの日本人社会における職業の貴賤……。これらが複合すると、いったいどうなるのか。


 この話、さらに長くなりそうなので、次回もつづけます。書き進めながら盛り上がってきてしまった……。このブログは、ひとり出版社の日常を記す場なのではなかったのか?


 お許しくだされ。


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2005年5月 7日 (土)



 断片的になってしまい申し訳ないが、会社の話を再びはじめよう。カンボジア滞在中の話は、東京外大のインタビュー(http://www.tufs.ac.jp/st/club/caminterv/tanikawa.shigeru.html)にて簡単に語っているので、それを読んでいただければと思う。ようは「本で読んだ→興味を持った→旅行に行った→現地にいった→10年以上暮らした」というだけことである。とはいえ、社会主義の時代に暮らしはじめ、ある程度の市場経済化が成立しつつあった時期までの10年間、ひとつの国に滞在できたことは、お金をいくら積んでも経験することができないことであったと思う。


 たとえば、土地。社会主義のときには、国土のすべてが国有地であった。農民には「占有」は許されていたが、「所有」はできなかった。その制度が92年あたりからあいまいになり、権力者や有力者は「ただ」でできるだけ多くの土地を手に入れるべく奔走し、農民は自分らの農地の範囲をできるだけ多く見積もろうと画策しはじめた。同時に、土地に値段がつくようになり、売買がはじまった。「国有地」という値段がついていない土地に、なぜか値段がつけられていく過程は、経済学を学んでいた私にとって、ひじょうに興味深い現象であった。


 たとえば、NGOやボランティア。そういう組織にかかわっていると、日本では神聖視される節があるが、現地でじっくり彼らを観察していると、そうでもないことがわかる。また「援助」とか「人を助ける」ということの本質を垣間見ることができる。いみじくも、数日前に娘と観たアニメ「ひみつのアッコちゃん」(1969年放送分。第二話 レッツゴー健太くん)で、アッコが困っている少年を助けたいとお星さまに相談するシーンがあった。相談するアッコにお星さまは「いいことをして、人に喜ばれよう、褒められようって思っているうちは、本当にいいことはできないってことを、知ってる?」と助言する。この含蓄のある言葉に、ちょっと感動した。赤塚不二雄、恐るべし……。


 そうなると「援助って何」とか「ボランティアって何」という話になろう。ネット辞書の大辞泉によれば、援助は「困っている人に力を貸すこと」とある。つまり援助とは、相手が困っている場合に力を貸すということ。では、相手が困っているかどうかの判断は、誰がするのか。これが大きな問題となる。さらにボランティアは「《志願者の意》自主的に社会事業などに参加し、無償の奉仕活動をする人」とある。では、海外でボランティアを称して活動している日本人のなかで、「無償」で活動している人など、ほんとうにいるのであろうか。これも大きな問題である。


 このネタ、長くなりそうなので、次回に繰り越すことにしよう。なかなか会社の話にならなくてすいません……。


ひみつのアッコちゃん 第一期(1969)コンパクトBOX2


 


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2005年5月 6日 (金)



 テレ朝で毎週やっているアニメ「ドラえもん」を、娘と欠かさず観ている。観ているといっても、たいていは食事の準備をしている時間帯なので、流して観ているのが実情なのだが。さすがに、この年齢になってしまうと、娘のようにドラえもんへ没入することはできない。


 だがしかし……。先週のドラえもん(4月29日放送の「どくさいスイッチ」。子ども番組では、あり得ないタイトル!)は、すごかった。あらすじを簡単に記しておこう。


 まず、野球でヘマばかりするのび太を、ジャイアンらがいじめる。さんざん嫌な思いをして帰宅したのび太に、「人を消し去るボタン」をドラえもんがあげる。外出すると、ふたたびジャイアンやスネ夫がのび太をいじめようとする。そこで、困ったのび太は、そのボタンを押してしまう。すると、ジャイアンもスネ夫も目前から消え去ってしまう。


 人が簡単に消えてしまった衝撃にのび太は驚き、帰宅後、ドラえもんに「消した人たちを元に戻したい」というが、ドラえもんは冷たく「それはできない」という。昼寝をしたのび太が、世の中のさまざまな人びとにいじめられる夢を見た。寝苦しさのあまり、腕をあげたその場所に、そのスイッチがあり、押してしまった。


 そして、社会から人が消えてしまった。のび太以外の……。


 知人の家を訪ねても、誰もいない。はじめは不審に思っていたのび太も、社会に自分ひとりしかいないことを確認すると、自分が「独裁者」になったと考えるようになる。好きな場所から勝手に、好きな食べ物やおもちゃを持ってくる。すべてのモノが自分のモノになったことを喜ぶ。


 しかしながら、のび太はだんだんと、自分ひとりでは生活が成り立たないことを自覚する。そして、困り果てたときにドラえもんが登場し、「独裁者」になっても面白くないし困るだけだと諭したうえで、元の社会にのび太を戻す……。


 この内容が、視聴対象の子どもたちに理解できるのかどうかという疑問は残るものの、そんな些細なことはどうでもよく思えてしまうくらい、インパクトのある内容であった。


 なぜ私がドラえもんを観て、こんなに盛り上がっているのか? 簡単にいえば、私が十数年暮らし、研究の対象でもあったカンボジアのポルポト政権を、番組を観ながら思い出してしまったからだ。たった30分の番組のなかに、ルサンチマンや反逆、殺人、孤独といった、独裁者にまつわるキーワードが詰め込まれ、番組をしっかり観れば、それらの意味がなんとなくわかるようになっていたのも驚きだった。


 ドラえもんは、侮れない。


 そういえば、なかなか「ひとり出版社」の話にならなくて、申し訳ありません。


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2005年5月 3日 (火)



 先日、知人の薦めで花沢健吾の『ルサンチマン』(全四巻、小学館)を読んだ。主人公とあまりにも似ている知人がいたため、同調しながら一気に読んでしまった。ネット社会の行く末を予想した内容も、ひじょうに興味深かった。


ルサンチマン 4 (4)


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2005年5月 3日 (火)



 連休は娘とふたり暮らしになってしまった。


 私が住む台東区谷中は、時間をつぶせるスポットがたくさんあるので、子どもがいても地域に助けられている。


 今日は、我が家から5分のところにある根津神社のつつじ祭にいってきた。神社の境内の一角が、まさにつつじだらけの状態で、数え切れないくらいの色のつつじが咲き誇る。


 屋台や出店が出ているし、猿回しもやっていたので、かなり時間をつぶせた。一週間前にいったときよりも、花がたくさん咲いていたのが印象的だった。花は見頃があるんですね。


 なぜか屋台や出店の位置がいつも同じなので、とても気になっていた。仲良くなったヨーヨー釣りのおっちゃんに場所取り問題の内情を聞いて、勉強になった。


 問題は明日から。我が家から10分の上野動物園は、年間パスをもっており、いつでもいけるのだが、月に3~4回はいっているので、すでに主な動物の名前まで覚えてしまった。


 どこへいこうかなあ。亀有神社の藤でも見にいこうかな……。


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2005年5月 1日 (日)



 いま労働組合って、機能しているのでしょうか。


 日本にいたころ(1990年まで)は、横浜市職員だと市従と統一労組懇というのがあって、前者が社会党、後者が共産党だったような気がする。20歳台なかばのころの感覚でいえば、労働組合はあったほうがいいなあ、と漠然と感じていた。


 とはいえ、ボーナス時期に限ってオルグとかいいつつ、執行部の連中がやってくる。そしてカンパと称してカネを集めていたのだが、この行為は姑息に感じられた。普段はまったく組合員の意向など聞きにこないのに、組合員にカネがあるときだけ意見を聞きに来るのだから、ご都合主義の最たるものでしょう。それで組合が嫌いになった。


 確かに市当局という体制に対し、反体制としての組合は必要なのかもしれない。でも、執行部が「前衛」となって、末端の意見などほとんど無視したかたちで、賃上げだ時短だと叫んでいるのだから、やはり滑稽な話だとしか思えない。ある日、「組合を辞めたいんですけど」と事務に相談したら、「君、そんなことしたら職場でつまはじきにされるよ」と警告され、落胆したこともある。


 その後、1990年から2002年までカンボジアに滞在し、帰国してみたら、労働組合のことなど、ほとんど話題にならないような状況になっていた。この期間に、何があって労働組合は衰退したのか。浦島太郎のような気分だった。


 まあ、組合自体が、戦後の社会主義や共産主義の盛り上がりの一環として成立したのだから、本家本元が衰退すれば組合も衰退していくということなのだろうか。基本的には、組織のなかに、働く側の権利や主張をくみ取り、それを代表して働かせる側に伝え、何らかの利益を勝ち取るような仕組みは、あったほうがいいでしょう。一方で、そういう気配りのできる幹部スタッフを、会社組織自体が育てていく必要があるような気もする。


 いずれにせよ、1990年以降、ずっと個人商店をやっている私には、組合にお世話になるような機会が皆無なので、どうでもいい話なのだが……。


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2005年5月 1日 (日)



 最後に、私がもっとも愛しているアーティスト、トッド・ラングレンの最高のアルバムを紹介しておきましょう。『SINGLS』は1988年に発売され、1970年から83年までに発売されたトッドのシングルAB面をならべたもの。古いとか新しいとか、まったく関係ありませんね。私は気が滅入ると、最近はトッドかビートルズ、サンボマスター、レミオロメン、ROSSO、銀杏BOYZなどを聞いたりしています。


シングルズ


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2005年5月 1日 (日)



 はてな市民権獲得のため、しばらくは暇ネタありということで、ご容赦ください。


 本日、宮台×北田本のテープ起こしがすべて完了。おふたりにファイルを送り、ひたすら返送を待つ日がつづく。催促、がんばらなければ! この本では、四回にわたる対談の模様にくわえ、打ち上げ時に酒場で録音した雑談風の会話を「附録」として巻末に掲載する。これがけっこう面白い内容なので、ご期待ください。


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