双風亭日乗

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2005年6月28日 (火)



 尊敬している編集者・末井昭さんの日記で、銀杏BOYZの峯田和伸さんのブログがあることを知りました。勝手ながら峯田さんは、素直に、直感的に、毒づきながら、正直に生きている貴重な人だなあ、と思います。そのことは楽曲にもあらわれていますし。


 「シコり場」の話、最高に笑えます。復帰したら、ライブに行きたいなあ。


 峯田和伸の★朝焼けニャンニャン http://blog.livedoor.jp/mineta1/tb.cgi/26532017


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2005年6月28日 (火)



 昨日、仲正さんの文章をブログにアップしました。本来ならば、自身のブログにそれをアップすればいいのですが、仲正さんはブログをやっていないので、ここで公開した次第です。


 すでに本を買っていただいた方のなかには、「買った本の内容を公開すべきでない」と思われる方もいるでしょう。とはいえ、本に書いたものの著作権は、主に著者に帰属し、つづいて出版社に属するものだと私は考えています(もし間違っていたら、ご指摘ください)。ですから、著者と出版社が「ネットに公開しよう」と合意すれば、基本的には公開は可能になるものだと思います。宮台さんのwebページがよい例ですが、著者がみずから執筆した文章を、ネットで公開することには何の問題もありません。たとえ、それが該当する本の発売前であっても。


 こうした公開を、読者の方がたは、どう思っているのでしょうか。とりあえず出版社側の考えは、こうです。第一に、まえがきやあとがきは、本文全体から見れば数%の分量であり、それらが公開されても、本文の内容はほとんど公開されません。第二に、それらを公開することは、企画の成立経緯がわかり、また対談本であれば著者同士の関係性がわかり、「この本、面白そうだな」と読者に思っていただく材料を提供することになると思います。第三に、宮台さんは刊行前に公開しますが、刊行から一定の期間が経過してから本の一部を公開することは、未開拓の読者への営業戦略としても有効だと考えます。


 ざっくりと書きましたが、以上のようなことで、仲正さんと協議のうえ、「まえがき」を公開した次第です。今回を皮切りに、著者と相談したうえで、このような方針はつづけていこうと思っています。


 さて、こうして本の一部を世の中に晒すことにともない、もっとも危惧されるのはコピペ(コピー&ペースト)の問題でしょう。大学生の卒論がコピペで書かれてしまうくらい、ある種の文章作法として普及している(!?)と、宮台さんや仲正さんから聞いています。


 ネットで公開したということは、基本的にコピペはフリーだと考えてかまいません。ただし、著者による思考の結晶としての文章を使うときには、いくつかの仁義を重んじてほしいものです。


 仁義その1) まえがきやあとがきも、本一冊の文脈のなかで書かれていることなので、しっかりと本を読んで、どんな文脈でそれが書かれているのかを理解したうえで、コピペをする。


 仁義その2) 部分的な使用であっても、出典(出所)を明記する。本であれネットであれ。


 仁義その3) 批判や批評、罵詈雑言、誹謗中傷をする場合には、書き手の名前やidを明記する。


 仁義その3については、いろいろと意見があることでしょう。「自分の名前を書くと、悪口が書きづらくなる」とか「ネットなんだから、匿名でもいいじゃん」などなど。しかし、人の書いたものを批判したり悪口をいう場合には、書かれた対象となる人を不快にしてしまう責任が、書いた人には生じるわけですよね。また、批評や批判の場合には、書かれた側にも応答する責任が生じます。そういった責任関係をクリヤーにするには、やはり名乗るという行為は必須だと私は思います。そんなのどうでもいい、と思うのであれば、書き込みなどしないほうがいいし、そう思って書かれる書き込みは、対話としての意味がないので削除されても仕方がありません。


 ただし、匿名でもいい場合があります。それは内部告発です。もちろん、象牙の塔の内紛に関するくだらない告発とか、誹謗中傷目的のスキャンダラスな内容のものは論外。組織や社会の問題点で、隠蔽されている膿の部分を告発する場合で、なおかつ名乗ってしまうと書いた方の生活がたちいかなくなってしまうような場合は、匿名でもかまいません。


 こうした簡単な仁義を重んじるようにすれば、「炎上」することなどないとは思うのですが……。そう思いつつも、人のルサンチマンや怨念は、「そんな仁義なんて、守ってられるか!」という強い思いを抱かせてしまうのかもしれませんね。


 いまさら教科書的なことばかり書いているんじゃねえ、と叱られそうです。しかしながら、このブログは出版社のwebページの出張所と位置づけているので、話が通じない人から著者を守る必要があることから、このようなことを書いています。まあ、これを書いたからといって、どこまで著者を守れるのかは疑問ですが、以上のような意志を著者や読者に知っていただくことには、それなりの意味があるような気もします。


 というわけで、繰り返しますが、文脈を理解してコピペをして、コピペの際には出典を明記して、悪口を書くときには名乗ってください。


 よろしくお願いいたします!


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2005年6月27日 (月)



 宮台さんと仲正さんの共著『日常・共同体・アイロニー』(双風舎)が出てから、すでに半年くらいたちました。


 最近、仕事の都合で、グーグルにて「仲正昌樹」を検索する機会が多いのですが、かなり上位に宮台さんによる同書の「あとがき」が引っかかることに気づきました。気づくのが、ちょっと遅すぎたような気もしますが……。


 そこで仲正さんに相談したところ、いまさらながらこのブログで、同書の「まえがき」の全文を掲載しようということになりました。


 まだ同書を買っていない方は、まずは仲正「まえがき」と宮台「あとがき」を読んでみてください。そして、面白そうだったら買ってください。よろしくお願いいたします。


 宮台真司さんによる『日常・共同体・アイロニー』の「あとがき」は以下のページです:


 http://www.miyadai.com/index.php?itemid=192


 では、以下は仲正さんによる「まえがき」です。どうぞお楽しみください。



 『日常・共同体・アイロニー』まえがき by 仲正昌樹



 「宮台真司さんとトークセッションをしてみませんか」という話が双風舎の谷川さんからあったのは、2003年の暮れであった。三省堂本店でおこななわれた、宮台さんと情況出版の前社長の古賀暹さんによる「北一輝とアジア主義」についてのシンポジウムで、私がコメンテーターをしたときのことだった。システム理論を中心とする理論社会学と、サブカル系のフィールドワークとのあいだで器用にバランスを取りながら、いろいろな「立ち位置」で過激な発言を続ける「宮台真司」という特異なキャラクターには、ずっと前から関心を持っていた。とはいえ一対一で話す機会があるとは思っていなかった。


 本書を手に取っている読者もそう感じているかもしれないが、私自身も、宮台さんと私では住んでいる世界がかなり違うと感じていたのだ。東大の文系大学院出身で、大学教師をしており、いろいろと雑多な領域で専門が何なのかわからないような言論活動をしている、というところまでは共通している。しかし「非日常性に惹かれる若者たち」のオピニオン・リーダー的な役割を演じている宮台さんと、わかる人だけわかればいいという調子でちまちまと皮肉ばかりいっている私とでは、体質が根本的に違うという認識だった。


 古賀さんが情況の編集長だったころ、「あんたには、日本の左翼の思想界を背負って立ってもらわなければならないんだから、もっと宮台真司みたいに若者に好かれるようにやってもらいたい」とよくいわれていた。だが私は左翼にも若者にも無理に好かれたくないし、向こうも好いてくれないだろうと思って本気にしていなかった。あまりポピュラーにならないので、ひがんでいるだけだといわれそうだし、実際、そうなのかもしれない。とにかく、まわりへのウケを気にしながらポピュラーになってもしょうがないと私は思ってきた。


 ヘーゲルの主/僕の弁証法でいうと、「僕」の立場の者たちによって、つねに「承認」されていないかぎり「主」であり続けることができない「主」は、「僕」以上に“僕”的な従属状況に置かれている。「宮台真司」とは、「私」にとってアクセスできないし、アクセスすべきでもない「向こう側」を象徴していたような気がする。


 「アジア主義」に関するシンポジウムのコメンテーターを引き受けていながら、こんなことをいうのは無責任かもしれないが、宮台さんの「アジア主義」論に関しても、「そんなことを、ほかのアジアの人が望んでいますかね」という趣旨のことをいって、まぜっ返してやろう、と最初から決めていた。実際、そういう言い方をした。「西欧近代」を尺度にしてしか、物事の是非を論じられないリベラル左派の知識人に刺激を与えるために、「アジア」という対抗モデルを持ち出すことの意義はそれなりに理解していたつもりだ。しかし日本人だけで「アジア主義」を語りはじめたら、結局、日本のナショナリズムの拡張にしかならないと私は思っている。


 元統一教会信者がこんなことをいうのはヘンかもしれないが、私は超越系の思考が苦手なのだ。「近代の超克」にかかわった廣松渉の思想的弟子として、彼が晩年にいい出した「アジア主義」を本格的に継承・発展すべきことを説いていた宮台さんにとっては、いわずもがなのことをわざわざ口にして、場をシラケさせる私は、長期的な政治戦略がわからない「うるさい皮肉屋」に見えたかもしれない――もっともそういうことは、戦略家の宮台さんにとってはすでに織り込みずみだったかもしれないが――。


 以上のような経緯から、自分とは異質な「宮台真司」というキャラクターと話しをしてみたいのやまやまなのだが、正直いって、たぶん宮台さんのほうがあまり乗り気でないので、企画が流れてしまいそうな気がしていた。谷川さんから「宮台さんは了解してくれてますし、けっこう乗り気のようですよ」といわれても、何だかリップサービスっぽい気がして、さほど実感がなかった――元新興宗教信者のくせに、やたらと疑り深くて申し訳ありません――。それで、あまり実感がないまま日程を調整して、トークセッションをすることになった。年長の、自分よりもかなり有名な人と対談や座談会をするときには、「〇〇さんの胸を借りるつもりで、思い切って……」とまえがきやあとがきで書くのが論壇・文壇の礼儀・慣習のようになっているが、あいにくそういう殊勝な気分ではなかった。いまから殊勝なふりをするのも私の柄ではないとも思う。それに、私が殊勝だと、キャラクターの組合せを考えて本を編集している出版社にも申し訳ない。


 このように終始ひねくれた態度を取っていた私に対して、宮台さんは、メディアで流布しているイメージとは違って、非常に「紳士」的であった。いまとなっては、大学の先生なんだから、あれが普通なのかなという気もする。とはいえ「仲正さんが、さきほどおっしゃいましたように……」「ここで、お書きになっていらっしゃる……」という感じのしっかりした敬語を一貫して使っていたのが意外だった。あまりしっかりしていない敬語と、タメ口が交じったような口調になると思っていたからだ。私自身は、自分よりすこし若い人と話をするときには、そういう調子になる――「~おっしゃる」的な表現を使うべきことは、さすがの私にもわかっているのだが、何となく口はばったいので、わざと下手な言い方をしてしまう――。


 トークのあいだも、宮台さんがずっと紳士的な態度で、私の話をよく聞いたうえで話を合わせてくれているのが、印象的だった――この本を読んでいる人には、かならずしもそう見えないかもしれないが――。有名な論客にありがちの、相手の「立ち位置」をあらかじめ強引に規定したり、最初に揚げ足を取って心理的ダメージを与えてから、うまく操縦してやろうとするような態度は見られなかった。そういう小細工をしないで誠実に相手の話を聞くのは、当然といえば当然のことかもしれない。しかしながら、イヤミな論壇人たちをすこし離れたところから見ているうちに、「単純なわかりやすさ」を求めるダメなファンを引き付けている有名人なんてロクなものじゃない、と腹の底で思うようになっていた。だから、もっともポピュラーな立ち位置系社会学者「宮台真司」の“普通さ”がかえって新鮮だった。私のほうがずっと、“宮台真司的”だったかもしれない。


 「私」の「宮台真司」像が形成されたのは、青少年問題をテーマにした『朝まで生テレビ』だった。ブルセラなどにかよって小遣いを稼ぐ(大人には)「理解できない」女の子について、フィールド・ワークをやっている新進気鋭の社会学者として宮台さんが登場してきたときのことである。当時の私は、11年半ほど入信していた統一教会を辞めて、(標準より7年遅れで)本格的に大学院生生活を始めたころであった。四畳半の部屋にはテレビを置いていなかったので、テレビの音が聞けるラジオで宮台さんのトークを聞いた。テレビが買えないほど貧乏ではなかったが、部屋が狭いし、電気代がかかりそうだし……。くわえてテレビの世界に影響を受けすぎると、自分が惨めだと感じるようになるかもしれないと思っていたからだ。


 90年代後半以降に宮台ファンになった人には想像しにくいことだろうが、あのころの宮台さんは、いかにも東大の社会学の頭でっかちの院生が、パンピー(一般ピープル)には一言も理解できないような難しいシステム理論系のジャーゴンで、「若い子」たちの「現実」についてとうとうと語っていた。当時は私自身も駆け出しの院生で、社会学を専門的にやっていたわけでもないので、正直いって、語っていた内容がよく理解できなかった。


 ただ宮台さんの口調が、いかにも東大文系に典型的なものであることだけはすぐにわかった。単調だけど微妙な抑揚のついた独特のリズム。やや甲高い声。きわめて専門的なことを、まるで暗唱しているかのように、すらすらと語っていく。「声だけ」だったので、余計にそのイメージが強かった。東大の知的にスノッブな院生の集まるゼミに一度でも出たことのある人は、「ああ、あれか」とすぐにわかるはずだが、そうじゃない人にはなかなかイメージできないかもしれない。当然のことながら、一般の聴衆には何をいっているのかわからなかっただろうし、そもそも、宮台さんが何者かも理解できなかったかもしれない。東大の頭でっかちの院生をいきなりテレビに出して、しゃべらせたら、たぶんあんな感じになるのだと思う。


 アナウンサーから感想を求められたスタジオの一般聴衆のひとりが、「みなさん、話があまりにも抽象的で、現実ばなれしていますよ。宮台さんとおっしゃるんですか、あなた、もっとしっかりしてくださいよ」といったら、宮台さんが、やや興奮した声で、「私は若い人たちのことについてフィールドワークをやっいて、あなたなんかより、ずっとよく知っていますよ。公的機関にも調査に基づいた提言をおこなっています」という趣旨のことをいっていた。反論されたり批判されると、「僕はフィールドワークをやっていて、ちゃんと現実を見ているよ。これは現場で実証された理論なんだ」という調子でやたらとムキになるになるのは、「やや左翼的」な東大文系のエリート学生に脈々と引き継がれている重要な特徴だ。過去のことを引き合いに出して、本当に失礼だと思うが……。


 だから「いかにも東大の人だなあ、あれじゃテレビ受けしないだろう」と思った。しかし、そのうちに声だけで認識した「宮台真司」が、いろいろな「軽いメディア」で、芸人さん的な「軽いパフォーマンス」をしながら登場するようになって、私には意外な気がした。パフォーマンスを学習する能力が高いことに関心すると同時に、よくここまで柄にもないことをやれるな、と思った。


 宮台さんがメディアに登場して以降、きわめて抽象性の高い社会学・社会哲学の理論研究をやっている人が、サブカル的なパフォーマンスもまじえて、アカデミズムからかなり遠いところにあるメディアに出てお喋りするのが、わりと当たり前になっている。一般のメディアに専門家として登場して、情報提供する社会科学者はかなり以前からいたはずだ。とはいえ、アカデミズムとサブカルチャーを、自分の「身体」まで動員したパフォーマンスで繋いで見せる荒業をやってのけたのは、宮台さんが先駆けではなかったのではないか。いまは、正統派エリートだったはずの社会学者や哲学者が、過激なパフォーマンスをやって話題を呼ぶのは、それほど珍しいことではなくかったが……。


 ドイツ思想史という斜陽一方の分野で、かなり遅れて院生になった「私」は、そういう「宮台的なもの」に対して、いうまでもないことだが、憧れと同時に反発を感じていた。もともと、普通の人には到底できないような理論をやっていながら、一般ウケしてしまうメカニズムというのが、どうにも不可解だったのだ。別にそのまま真似したいとも思わなかったが、あのようにウケル人たちと、自分はどこが違うのか、折に触れて考えてみた。


 専門がすこし違う人がごく普通に読んでみたら、絶対に面白いとは思えないものを書くような人が、「何らかのきっかけ」により思想ジャーナリズムで注目され、話題の中心になる。そのときの勢いで、その人物の「立ち位置」に注目が集まるようになると、あとは芸能人と一緒で、何をいおうとやろうと、注目が集まるようになる。だが、その最初の「何らかのきっかけ」というのが、なかなかわからないのである。おそらく、2ちゃんねるやブログ日記などで、宮台さんや北田暁大さん、東浩紀さんなどを上げたり下げたりしてうさをハラしている「恵まれない院生」たちの多くが、不思議に思っていることだろう……。「どうせ記号だから何でもいい」というわけにはいかないらしい。


 たとえば、宮台さんが社会学者としてデビューしたころは、システム理論全盛期で、「システムの自己完結性」とか「コンティンジェンシーの縮減」とかについてとうとうと語れる人間は、エリートとして注目されていた。しかし、いまとなってはパーソンズやルーマンには、ウェーバーやデュルケーム並みの――つまり、訓詁学者のあいだだけでしか通用しない――リアリティしかなくなりつつある。現時点では、ルーマンを引きこもり問題やイラクへの自衛隊派遣問題などに応用して、マスコミに華ばなしく登場する人物がいるとは想像できない。


 東さんが出てきたときは、デリダに人気が集まっていたが、いまでは自称本格哲学者が大学三年生レベルのかなり稚拙なデリタ批判を書いても、どこからもクレームが出てこない。カルチュラル・スタディーズの「エージェンシー」論なども、そのうちにみんなから忘れられてしまうだろう。あとになってみると、抽象的で難しく、パンピーに縁がないのは同じなのに、特定の理論潮流だけがなぜかウケル。北田さんや宮台さんのおかげで、最近、ロマン派にほんのすこし注目が集まっているようだが、もともとドイツの初期ロマン派をやっていた「私」にとっては、冗談としか思えない。


 こんなことばかり書いていると、読者には皮肉にしか受け取れないかもしれないが、そういう「宮台的なもの」を見てきた「私」は、よきにつけ悪しきにつけ、「宮台的なもの」を参照しながら、自分のスタイルをつくってきたと思う。べつに、全面的に反面教師だというわけではない。自分の専門領域には固執しないで、機会さえあれば、どこにでも出ていって発言するというスタンスは、たぶん「宮台的なもの」から影響を受けているのだと思う。


 ただ、私は「宮台的にはなれなかった人」なので、「無理して一般人のウケを狙うようなマネはよしておこう、疲れるだけだ」と心がけるようにもなった。子どものころは、俳優やスポーツ選手、政治家などの華ばなしい職業に憧れていても、自分とその手の人たちとは「違う」ということがわかってしまうと、さほど羨ましくも嫉ましくもなくなるのと同じような感覚だ。長い時間、リハーサルなどで拘束されたり、プライヴェートでも愛想を振りまいたりするのがイヤでたまらない人間は、たまたま芸能人になれたとしても不幸だと思う。そして「宮台的」になるということにも、そういう側面があるような気がする。


 「私」にとっては、くだらない悩みごとを深刻ぶって語ろうとする最近の学生は、ウザクてしょうがいない。また、ファンもどきの無邪気な悪口を、有名税と思って平気で受け流すこともできない。我慢できそうになかったら、最初から無視するし、たまたまくだらない話を耳に入れる輩がいたら、思いっきり不快そうなふりをして、以後は寄せつけないようにする。たまたま「宮台的」になってしまっても、「私」にとっては不幸だろう。「そんなこと、もっと有名になってからいえよ」といってくるバカがいそうだが、一応、大学教師を職業とし、雑誌などの編集にも関わっているおかげで、あまり有名にならないうちに、そういうことをかなり学習してしまった。


 いろいろと思い返してみると、「宮台真司」という特異なキャラクターは、学者としての「私」にとって、エディプス三角形の「父」の位置に相当する存在するのかもしれない。いろいろな面での「父」がいたが、こういう文章を書いている「私」のひねくれ方は、どうも「宮台真司」というイメージとの関係に規定されている部分が多いような気がする。そして、トークセッションで実物にお会いしてみて、やはり「宮台真司」というのは、「私」にとって到達できないし、到達すべきでもないモデルであるという印象が強くなった。


 「私」には、不特定多数の聴衆の「まなざし」を引き受けながら、急に超越するようなキャラクターを演じることはできない。根が深いのか趣味なのかわからないような、多くの悩みに応える心構えもない。「宮台真司」を演じ続けるのは、疲れることなのだろうなあ、とつくづく思う。あの丁寧で紳士的な語り口を聞いていると、メディアにあらわれている「宮台真司」像の背後から、もうひとりの宮台さんがときおり顔を覗かせているような気がしてきた。そっちの「宮台さん」は、意外と「私」に近いところがあるのかもしれない。


 これでは、まったく「本」の導入になっていないが、宮台さんとお話できたおかげで、自分自身のことがいろいろわかったような気がする。トークセッションの中身も、「父の像」に向かって勝手に語りかけているようなチグハグな感じになっていると思う。そういうチグハグさと、すこしだけ病的な感じがあったほうがいい、という人たちには、この本はお薦めである。




日常・共同体・アイロニー 自己決定の本質と限界

日常・共同体・アイロニー 自己決定の本質と限界





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2005年6月26日 (日)



 最終回では、2回泣きました。西田敏行と鶴瓶が対話するシーンと、岡田が「俺は寿限無でもやればいいんだから」といって長瀬を高座にあげるシーン。


 ドラマで泣いたのは、「傷だらけの天使」最終回で、修がアキラの亡骸をドラム缶に入れ、夢の島に捨てにいくシーン(BGMが「ひとり」って名曲でしたねえ)以来のことでした。


 くわしくは、tatarさんがお書きになっているとおりなので、書きません。とにかく、いいドラマをつくってくれたクドカンに感謝です。昨日、往来堂のオイリさんと、ドラマで「ちくま文庫といったいましたねぇ……」などと話していました。http://d.hatena.ne.jp/tatar/20050625


 つぎは「ドラゴン桜」ですね。たしか朝ナマで、宮崎哲弥さんが面白いマンガだと誉めていたような気がします。とりあえず初回を見て、お手並み拝見です。


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2005年6月26日 (日)



 昨日のブログで『現代思想』誌について書いたところ、いくつかのコメントをいただきました。以下、その応答をふくめて、私の思うところを記します。


 私は、丸川哲史さんがコーディネートする竹内好研究会で同誌編集長とご一緒したり、双風舎の著者たちと対話した経験から、同誌についてこのブログで書いています。また、すぐれてはいませんし、「伝統」もありませんが、みずから淡々と著作を発行している自負もあります。「だからといって、君のいっていることに根拠があるとはいえない」と思われても仕方ありませんが、けっして私の妄想のみを膨らませていっていることではないのも確実です。


 つまりは、同誌にエールを送っているわけです。


 いい部分をとりあげて「そのままでいいよ」といっている場合ではない、と私は思います。売れなくて、廃刊になったら、あまりにももったいない。よって「こうだったらいいのになあ」と批評を重ねることにより読者層を増やし、部数を増やし、「存続」してほしいと思っています。僭越ながら。


 『情況』は、廣松渉さんの思想を多かれ少なかれ継承する人が、党派性を超えて執筆するので、『現代思想』よりも幅の広い筆者が書いているのでは。とはいえ、高齢のブレーンには、いまだ廣松マルクス主義を信仰されている方も多いらしく、その部分が誌面に滲み出てくると、若い人には読みにくい雑誌に変貌してしまっているような気もします。それを考えても、『現代思想』より『情況』のほうが、「何でもあり度」(= 新しい読者をつかむ可能性の度合い)が高いと見ています。


 細かく書くわけにはいきませんが、ようするに私は、たとえば『現代思想』に宮台真司が書いてもいいじゃん、と強く思うわけです。お笑い芸人・レギュラーの「あるある探検隊」ではありませんが、ひとつの雑誌のなかで「ある、ある」「そうだ、そうだ」と、ほかに書かれた同誌の論文に対して同意し、安心してしまう筆者をあつめる。そして、「ある、ある」と同意し、安心したい読者のみがそれを買う。政治が熱い時代は、それでもよかったのかもしれませんが、政治が寒い、空虚なこの時代に、そういう方向ですすむのはどうかなあと思います。ときには「ある、ある」以外の筆者を招き入れ、同じ雑誌の同じ号で論争を展開してもいいのでは、などと思ったりもします。


 同誌編集長の新人発掘への意欲と、その嗅覚の鋭さには、学ぶべきものが多々ありますし、素直に尊敬もしております。双風舎の筆者である丸川さんも、発掘された方のひとりですし。そのへんは、出すものの一点一点に経営の存続と生活がかかってしまっている私などに、できる芸当ではありません。雑誌だからできることを、口先だけにとどまらず、着実かつ淡々とおこなっているというご意見は、私も同意いたします。


 それでも、いまは『現代思想』の優れた部分を認識しつつも、あえて「こうだったら、いいのになあ」と多くの人が意見を重ねることが、重要なタイミングであるような気がします。同誌にしろ『情況』にしろ、正確なデータはありませんが、部数的にはかなり苦戦していることが想像できます。党派性を貫徹して「討ち死に」するのも、ある人にとっては美しい姿なのかもしれません。でも、それでは、もったいなさすぎます。私自身は、「討ち死に」に価値があるとは、あまり思いませんし。


 先日、ある月刊誌編集長にそんな話をしたら、「きみに必要なのは、概念だよ」といわれてしまいました。「必要なのかなあ……」と思いつつ、「いまどき概念ですか……」と思ったりもします。この点については、私の出すものを見てください、としか答えようがありません。


 みなさんは、どうお考えですか?


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2005年6月25日 (土)



 ピエール梶さんによる以下のご指摘は妥当。二つの雑誌とは『現代思想』と『ユリイカ』のことです。 http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20050623#p2 



しかし昔はこの二つの雑誌はもう少し似たような雰囲気をかもし出していたような気がするのだが・・いつからこんな風になったんだろう?なんか青土社内でも仲悪そう、というか話合わなさそうだな、この二つの雑誌の編集スタッフって(例えば『現代思想』の企画段階でウチダ先生とか小谷野敦に書いてもらおう、なんて話が出たりするだろうか?)。・・あくまでも想像ですけど。



 稲葉振一郎さんによる以下の危惧も妥当。まったく同感です。http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20050624



『現代思想』が左翼雑誌になるのがいけないのではない。ダメ左翼雑誌になるのがいけないのだ。



 かなり多くの人が、上記のおふたりのように感じているのに、なぜ変わらないのでしょうか。こうやってネットで取りあげられているうちは、まだ「変わってほしいなあ」という段階なので、救いようがあると思うのですが。「敵」だと思われる人の意見は、読まないのかなあ……。


 


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2005年6月25日 (土)



 宮台×北田本『限界の思考』の脚注をつくっているのですが、以下の人物に関する情報がどうしても得られず、困っております。どなたかご存知の方がいたら、メールでご教示いただけませんか。


 こんなことをブログでお願いしているのは、とても恥ずかしいことだと思います。とはいえ、八方手をつくしてもわからなかったので、恥をしのんでお願いしてみます。


 いずれもカルチュラル・スタディーズ関連の研究者です。


 ●ローレンス・グロスバーグ


 ●ジョナサン・クレーリー


 知りたい情報は、以下の脚注サンプルに基づきます。


 「マックス・ウェーバー(1864-1920) ドイツの社会学者。社会科学にとって重要な「価値自由」「脱魔術化」「理念型」などの新しい概念を生み出し、比較社会学や理解社会学の基礎を築いた。著書に『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(大塚久雄訳、岩波文庫、一九八九年)、『職業としての学問』(尾高邦雄訳、岩波文庫、一九八〇年)など」


 よろしくお願いいたします。


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2005年6月25日 (土)



 いまの日本、そして世界が、さまざまなリスクに覆われていることは、時々刻々と伝えられるマスコミ報道などにより、すでに誰もが感じていることでしょう。


 リスク社会を見つめ直す場合にたいせつなことは、大きく分けてふたつあるような気がします。第一に社会にはどんなリスクがあるのか、ということ。第二に、そのリスクをどう報じる(伝える)のか、ということ。


 目先に危機があり、その情報は一般の人びとが共有すべきなのに、政治的・経済的な圧力により報じられないのはマズい。逆に、政治的・経済的な圧力が働いて、一般の人びとにとってはたいした危機ではないのに、やたらと大きく報じられるのもマズい。じゃあ、どうしたらいいのだろう……。


 そんな疑問をずっと抱いていたので、武田さんが企画したセミナー(「リスク社会と報道」連続セミナー)に参加することにしました。来月から月1回、全8回の連続講座です。毎回のセミナーの概略は、できるだけこのブログで報告するつもりです。


 受講資格を得るために800字の課題作文を書きました。せっかく書いたので、以下に貼り付けておきます。



リスク社会を報道する難しさ


 文京区千駄木のいたるところに、「見られているぞ」と大書きされたポスターが貼られている。そのポスターには、恐い目のイラストも描かれている。貼ってあるのは、地域の掲示板や一般の民家、店先などなど。いまや観光地化しつつある東京の下町で、「見られているぞ」とポスターにいわれるたび、私は憂うつになる。


 日々のマスコミ報道で、様ざまな犯罪が報じられている。それを見たり読んだりした人が、「明日はわが身」と考えてしまった結果、「見られているぞ」というポスターが町に溢れているのであろうか。わが身にふりかかるかもしれない災難を防止するためには、相互監視の日常化はやむなし、ということなのであろうか。


 文京区の千駄木や根津、そして台東区谷中は「谷根千」と呼ばれる。これらの地域は人口の流動化がすくなく、いまでも町内会が機能し、ある意味では地域コミュニティのお手本ともいえる地域だ。そのような地域で「見られているぞ」と相互監視を呼びかける意味は、どこにあるのであろうか。


 「見られているぞ」というポスターを目にしたとき、私たちは「誰が誰を見ているのか」とか「なぜ見る必要があるのか」と想像する必要があろう。想像せずに、素直に相互監視を承認してしまうことは、素直に自由を奪われることにつながる。自分たちが無知であることを認めたうえで、想像したり知ろうとしたりする意志が必要になろう。


 犯罪者から子どもたちを守るのか。交番駐在の警官が足りないので、住民が治安を管理するのか。セキュリティ会社のお金が、治安当局に流れている結果なのか。このように、私たちの想像を補助するような材料を、マスコミは与える必要がある。とはいえ、マスコミはそれを報じない。それは、マスコミも誰かに「見られている」からなのであろうか。



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2005年6月24日 (金)



 前々回に「週刊SPA!」の話題を取りあげました。話の流れで、巻頭コラムに関する記述になってしまいましたが、ほんとうはマネー記事について書こうと思っていました。よって、今日はマネーに関するネタを取りあげます。


 編集作業の実況は、著者からの原稿が入ったら再開しますので、しばらくお待ちくだされ。


 同誌をながめていると、「マネー」や「株投資」「金融」などといった文字が、ほぼ毎号にわたり踊っています。そういった文字群に、私がまったく興味がないからなのかもしれませんが、どうしても「そんなに毎号、カネのネタを書いて、読む人がいるのかなあ」などと思ってしまいます。


 おそらく、読む人がいるのでしょう。まあ、資本主義だし、株主が投資しなければ企業は存続できないことが多いのでしょうし、できるだけカネを儲けて豊か(に思える)な生活を送りたいのでしょうし……。でも、雑誌などでマネー記事を目にするたび、ちょっと違うんじゃないのかなあと思ったりもします。


 株式投資や仕手というのは、いまやディスプレイのうえで数字を動かすことによって、得したり損したりするシステムですよね。現金が動きません。支払にしか使わないけれど、クレジットカードも似たようなものだといえます。現金を持っていないのに、誰かが立て替えてくれることにより、モノが買えてしまいます。


 いずれも架空のお金が基準となっている、という点が、どうも私には気になって仕方がありません。なんだか中学生みたいな議論ですが。


 ちなみに私は、株に手を出したこともないし、クレジットカードをつくったこともありません。前者については、別にトレーダーなど株に関わる職種の人を馬鹿にしているわけではありませんが、ディスプレー上での数字いじりで架空のカネを操作することに、まったく興味はないし、そんなふうにカネを儲けたいとも思いません。


 後者については、カネを持っていないのにモノが買えてしまうという不自然なシステムに、強い違和感があるので、つくっていません。企業は、生産したものを消費してもらい、その利潤で働いている人にカネを払います。よって、人びとの消費欲求がなければ企業も存続しないし、給料もない。ですから、モノを買うという欲求を持つのは、社会がまわるために必要なことだともいえます。


 でもね、実際にカネを持っていないのに、モノを買う(または買えてしまう)のって、どうなのでしょうか。買う方にも責任があるし、買わせるようなシステムをつくるほうにも責任があるとは思うのですが。株の場合だと、大量の人のカネをディスプレーの数字に置き換え、それを操作しているわけですよね。そういうことをつづけていると、ある種の感覚がズレてしまうような気がするのですが。


 そんなことを考えるようになったのは、やはりカンボジアで生活したからでした。あらゆる公有地が私有地になっていくという現象が、社会主義から資本主義に移行する際に多発しました。それを目の当たりにすると、「土地を持っている、ということは、歴史をさかのぼっていくと、なぜ持っているのかという根拠がないのかもしれない」などと妄想します。カンボジアには金融市場などありません。数少ない銀行は、外国人(それも私のようなちっぽけな日本人)にはカネなど貸してくれませんし、そもそも貸すカネもありません。だから、いつも現金勝負です。売上金を預けた銀行は、内戦が起これば早ばやと閉鎖してしまいます。


 日本にいると、大銀行や大手証券会社、信販会社を過剰に信用している人が多い(最近は、そうでもないのかな!?)ように見えるけど、そんなに信用しちゃっていいのかなあ、と思います。銀行に預けたカネも、ディスプレー上の数字としてのカネも、誰かが立て替えてくるカネも、天災や人災、事件、事故、紛争などでシステムが壊れてしまえば、いとも簡単に「無」となってしまうんですよね。最近、話題になっていますが、クレジットカードなど、つかっていなくても誰かに勝手に使われて、損をする場合もあります。


 「所詮、金融機関なんて、あまり信用できない」という前提で、リスクがあったらかぶる覚悟をしたうえで、貯金をしたり投資をしたりするのなら問題ありません。しかし私には、そういうリスクを極力見せずに、人びとが架空のカネをどんどん使うべく、マネーがらみの企業とマスコミが結託して、キャンペーンをやっているようにも見えます。


 海外で生活していて、クレジットカードを持っていないと、面倒なことがけっこうあります。ホテルにチェックインするとき、カードがあれば、それが保証になりますが、なければ現金でデポジット(前渡し)を払ったりします。手持ちがないときにたいせつな接待があった場合、カードを持っていれば、とりあえず支払が可能になります。使い方によっては、たいへん便利なものなのかもしれません。


 それでも私は、クレジットカードをつくるつもりはありません。持っているカネで、買えるだけのモノを買えればいいし、それで何にも困っていませんので。当然ながら、何を買っても困らないくらいカネを持っているのではなく、あまりカネはないけど、あまり欲しいモノもない、ということです。


 カードを持つのも株式投資をするのも自由です。しかしながら、それを利用する人たちに、脆弱な信頼関係のもと、何かあったらふっとんでしまうような架空のカネをイジっているという意識が、あるのかどうかが気になります。とりあえず、『SPA!』で毎回とりあげられているようなマネーゲームを、どれだけの人がほんとうにやっているのかも気になります。さらに『SPA!』を読んで、マネーゲームをやって、ほんとうに儲かっている人がいるのかどうかも気になります。


 今回は「中学生の素朴な疑問コーナー」のようになってしまいました。


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2005年6月22日 (水)



 諸般の事情で作業が遅れております。申し訳ありません。


 現状では、7月25日には発売する予定です。とはいえ、すこし遅れてしまうかもしれません。


 遅れている最大の理由は、おふたりが大幅に加筆していることです。北田さんが本書の「まえがき」で触れているように、(北田さんは)ほとんど原型をとどめないくらい加筆しているので、トークに参加した方にも、あらたに楽しんでもらえる内容になっています。


 おかげさまで事前注文は5000部に迫る勢いです。初版部数は5500部にします。


 発売まで、しばらくお待ちください。


追記… アマゾンドットコムの著者別「売れている順」で、宮台さんも北田さんも『限界の思考』がトップになっています。まだ本が出ていないのに、予約をしていただいている読者のみなさんに感謝。期待に応えなければ……。


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2005年6月22日 (水)



 なんとか参加しつづけています。数回前から、ちらほらと社会人参加者の姿が消え、今日はほとんどいなかったのでは? みなさん、忙しいのでしょうね。


 今回は、前半が前回のつづき(松本健一著『竹内好「日本のアジア主義」精読』)でした。松本さんが、竹内好の議論をどう読んでいるのか、という部分の検討です。


 後半は、表題の竹山本のレジュメ発表。「北一輝と生存空間の転換」の第一章から第三章まで。この本は、北一輝の政治思想ではなく、おもに北の実在的な生き様を心理学的に分析し、人間・北一輝の実像を浮かびあがらせるような内容です。文章がひじょうに難解で、典型的な「読むのに時間がかかる本」だといえます。


 宮台さんの発言で興味深かったのは、EUの話でした。


 EUといっても、イギリスのように流動化を認めることにより伝統を守ろうとする社会と、フランスのように流動化を認めないで伝統を守ろうとする社会がある。EU全体としてはイギリス型社会への方向性を模索している。しかし、フランスのように議会の90%が賛成しているEU憲法の採択が、国民投票で否決される、すなわちヨーロッパ全体の利益よりも流動化による失業率の上昇が重視される国もある。現代における亜細亜主義は、EUをお手本にすべきだとは思うが、そのEUが機能不全になるようならば、おそらく東アジアにおける亜細亜主義の実現も厳しいものとなろう。


 強引な要約で、すいません。


 関連記事 : 「会談で決裂したEUの未来」(『ニューズウィーク日本版』6/29号)



北一輝の研究―竹山護夫著作集〈第1巻〉

北一輝の研究―竹山護夫著作集〈第1巻〉





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2005年6月22日 (水)



 本日、青山ブックセンターのKさんや企画室の方がたと、現場を見ながら打ち合わせをしてきました。


 ウイメンズプラザでイベントをやるのは、はじめてです。ホールは円形で、設備は充実。とても機能的なつくりです。最大270人くらい座れるとのこと。すくなくとも200人は集めたいと思っています。


 このブログに来ていただいた方がたも、ぜひぜひご参加ください。


 7月21日(木)の18時30分開場で、入場料は1000円。テーマは「恋愛」です。


 詳細は、以下にアクセスを! 


 http://www.aoyamabc.co.jp/events.html#ao20050721_1


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2005年6月21日 (火)



 今日は火曜日。さきほど「週刊SPA!」が届きました。


 じり貧だった旧「週刊サンケイ」から決死のリニューアルを遂げ、「マネー」「恋愛」「遊び」を柱にした企画でそれなりの部数を発行している雑誌です。


 一応、週刊誌のなかでは、サブカルチャー関連の記事が多い同誌に目を通しておけば、「若者文化」なるものをすこしは理解できるのかなあ、と思って読んだりしています。


 とはいえ、このところ読みたくなる記事が、どんどん減っています。いまや必ず読むのは、くらたまの「だめんず・うぉ~か~」とさかもと未明の「ニッポンの未明」、松尾スズキの「寝言サイズの断末魔」くらいでしょうか。


 巻頭コラムで「売れっ子」コラムニストの勝谷誠彦さんが、「我こそはニッポンの代表者ナリ」といわんばかりの空回りした文章を書いています。きっと同じように空回りしている人が多くいるから、このコラムが「巻頭」に配置されているのだろうなあ、などと思いながら同コラムを流し読みします。


 ウザい。今回は、青学の高等部が入試問題で出した英文に関することを書いています。英文には、元ひめゆり学徒の証言を学生が聞いたときの感想について書かれているのですが、ここではくわしく書かきません。詳細は同誌6/28号を読んでいただければと思います。


 で、何がウザいのかというと、彼の「私はいつも平和を構築するにはリアルな戦争の感触を知らねばならないと言ってきた。リアルな感触とは歴史的な事実や遺物に接して本人が肌で感じる恐怖である。それは個人の感性のフィルターを通して語られるものとはまた別なのだ」という大上段な物言いがウザい。


 誌面で読んだ限りでは、勝谷さんはイラクにいったり、竹島にいったりと、ニュースになる場所へ「体験取材」にいっているようですね。たしかに、ネタが何であれ、ジャーナリストは現場にいったほうがいいのは認めます。「リアルな感触」があって書く記事と、なくて書く記事とは、説得力が変わってきます。


 自分の「リアルな感触」を担保にして、平和論を語るのはいい。けれど、それを人に押しつけるのはどうなのでしょうか。私など勝谷さんなどよりもよっぽど、カンボジアで長期にわたり「リアルな戦争の感触」を味わったのですが、その感触を他者に「知らねばならない」などと押しつける気はありませんし、そんな必要性も感じません。


 「リアルな戦争の感触」を知ることのできる、すなわち戦地や紛争地に足を伸ばす日本人など、今後も増えることなどありません。ならば読者に「リアルな感触」を持てなどと強要することに、どんな意味があるのでしょうか。


 もし彼がジャーナリストなのであれば、そんなに熱くならず、あまり価値をまじえない乾いた文章によって、自分が見聞きしたことや感じたことを淡々と、読者に知らせればいいんじゃないのかなあ。そして、紛争地にいかない読者たちは、その乾いた文章を読んで、「リアルな感触」を想像すればいいと思うのですが。


 自分の「リアルな戦争の感触」を開陳しつつ、議論をすすめる彼のコラムを読んでいると、なんだかむなしくなります。そんな彼の噴きあがった文章を、「二項対立で敵と味方がはっきりしており、極端なことをいっているので面白い」と読者が感じているのであれば、それは宮台さんがいうところの「民度」の問題になってきてしまいますね。


 いずれにしても、たまたま自分が経験した「リアルな戦争の感触」を元手に、「日本の戦後平和教育の最大の失敗は歴史を物語にしてしまったことにある」と彼はいいきってしまいます。それは、どうかなあ? とりあえず、「リアルな戦争の感触」を持つ読者としての私には、何の説得力もありません。


 やはりテレビでコメンテーターなどをして、知名度があがると、週刊誌の巻頭で何をいってもいいよって話になるんですかね。ちなみに、テレビに出演しはじめた活字系ジャーナリストで、テレビ出演前より出演後のほうがいい文章を書いたり、いい仕事をしているような人を、私は知りません。


 カネは人を変えてしまうのでしょうか!?


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2005年6月20日 (月)



 藤原和博さんと宮台真司さんが編集した『人生の教科書 [よのなかのルール]』が文庫になりましたね。


 「宮台真司って、何か軽い感じで嫌だ」とか「援交だテレクラだといっている学者なんて……」という声を、先日も聞きました。宮台さんについて、そういう評価をしたり、思ったりしている人は、けっして少なくないような気がします。


 そういう人は、おそらく宮台さんの本など読んでいないか、読んでも咀嚼できていないのだと思います。つまり、誤解や誤読にもとづいて、軽がると宮台批判を展開しているように、私には見えます。


 まず、そんな人たちに、この本を読んでもらいたいものです。なぜ宮台さんが発言し続け、書き続けているのかが、すこしわかるかもしれません。


 つぎに、研究室ではふんぞりかえり、学生に「指導」などしているものの、ろくに論文も書かず、みずからの研究成果を社会に還元していない大学の学者さんたちに、この本を読んでもらいたい。宮台さんと同じことをしてください、といいたいのではありません。リタイアした建具職人さんが、住宅リフォームのNPOでみずからの技術を活かすことにより、地域社会に貢献するように、長年の研究で学んできた成果を、よのなかのために活かしてほしいのです。


 実務や研究で忙しい人(そんなに多くはない)を除けば、学者さんたちには時間もカネも機会もあるでしょう。「できるのに、やらない」だけなんですよね、おそらく。分野によっては、社会還元しにくい学問もあろうかと思います。それは仕方がない。とはいえ、分野によっては、明日からでも社会還元が可能な学問も多々あるわけです。


 大学で教え、「何かできないかなあ」と思いながらも、みずからの実績に自信がないため、よのなかに貢献することを躊躇している学者も多いことでしょう。たしかに、持論をよのなかに出すとなれば、しっかりと理論武装する必要も生じます。でも、その持論は、よのなかで揉まれ、洗われなければ、数十人しか読まないような大学紀要のなかに埋もれてしまいます。「俺は、それでもいいんだ」なんて悲しいことは、できればいわないでほしいなあ。


 同書を読んで、「自分にも何かできるのかなあ」なんて思う学者さんがあらわれることを、ついつい私は期待してしまいます。微力ながら、そういう学者さんの意志を、ある程度はすくいとれる受け皿のようなものを、私は準備できればと考えています(夢で終わらぬよう、精進しなければ……)。



人生の教科書 よのなかのルール

人生の教科書 よのなかのルール





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2005年6月20日 (月)



MakisiさんからMusical Buttonが回ってきました。


はてなダイアリーをつけて47日目のわたくしには、バトンを回すべき方がたの名が、残念ながら浮かびませぬ……。


ですから、「バトンをわたす5名」という部分を後回しにするという、掟破りの逆サソリ(by 長州力)で、書かせていただくことにします。



■コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量


3.86GB


■いま聞いている曲


Couldn't I Just Tell You (Todd Rundgren)


いま聞いていなかったので、iTuneでシャッフルして、はじめに出てきた曲です。


■最後に買ったCD


フリーソウル(和田アキ子)


■よく聞く、または特別な思い入れのある5曲


<アーティスト、「曲名」、(アルバム)の順に記します>


ジョニー,ルイス&チャー「風に吹かれてみませんか」(FREE SPIRIT)


1979年に日比谷野音でおこなわれた無料コンサートのなかの1曲。日本ロックギター界の雄であるCHARさんは、ときどき社会風刺のような曲をつくっていました。日本人よ、そんなに急ぐな、「誰もあんたを、殺しゃしないから」っていう歌です。


サンボマスター「朝」(新しき日本語ロックの道と光)


サンボだと、この曲が一番好きです。一昨年9月に紀伊國屋ホールでやった宮台さんと姜さんのトークでは、入場のときにこの曲を使いました。トークのエンディングでは、エンケンの「不滅の男」を流しました。


ティン・パン・アレー「SHI IS GONE」(キャラメルママ)


オリジナルメンバーが、細野晴臣と鈴木茂、林立夫、松任谷正隆。サポートメンバーとして、後藤次利や今井裕、高中正義、斎藤ノブ、山下達郎、大貫妙子、矢野顕子、南佳孝らが参加している、超贅沢なアルバムのなかの1曲。


クレイジー・ケン・バンド「横顔」(777)


10年くらい横浜で暮らしていましたが、CBKのライブによくいきました。こんなに売れるとは思っていませんでした。剣さんは、本物のエンターテイナーです。いまだに70年代ソウルを、そのまんまでやっている心意気がすばらしい。この曲、好きです。


カシオペア「TAKE ME」(MINT JAMS)


ギター小僧だった高校時代に、このアルバムをすりきれるくらい聞きました。黄金期のメンバーによる、最高の演奏です。なかでもトップのこの曲がお気に入り。フュージョンなるものが日本で大衆化したのは、彼らの功績が大きいのでは。


■バトンを渡す5名


保留。


 というわけで、バトンタッチは保留にします。ごめんなさい。「よく聞く曲」は、洋楽を含めると選曲に悩みそうなので、邦楽だけにしてみました。


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2005年6月18日 (土)



 昨日、仲正さんの新刊『なぜ「話」は通じないのか―コミュニケーションの不自由論』(晶文社)を買いました。内容の吟味は専門家にまかせます。かなり面白いので、みなさん買いましょう。さまざまな場面で「話」が通じなくなっていることを、みずからの体験や経験にもとづく具体例を元に、仲正節で語っています。専門書ではないので、サクサク読めます。


 思い起こせば、仲正さんと私との出会いは、2003年12月末に三省堂書店神田本店でおこなわれた『情況』主催のトークイベントでのことでした。


 同年11月に、『帝国を考える』(双風舎刊)でお世話になった的場昭弘さんの研究室を、写真撮影のために訪れました。そこで「仲正くんという面白い人がいるんだよ。頭はきれるし、仕事も早い」といいながら、的場さんは書棚から『「不自由」論』(ちくま新書)を取り出して、私に手渡したのです。まったく失礼な話ですが、その時点まで私は仲正さんの存在を知りませんでした。


 すぐに同書や他の著書を数点ほど購入し、一気に読んだところ、確かに面白い。現代思想関連の理論的な考察もさることながら、エッセイ風の文章に、これまで読んだことのないタイプの何かを感じました。


 仲正さんの存在を知ってから1カ月後のトークイベントの日、「宮台さんとの対談をおこない、それを本にしませんか」という内容の手紙を、ご本人に手渡しました。イベントのテーマが亜細亜主義だったので、ちょうど宮台さんも参加していました。その数日後、仲正さんからメールをいただき、対談本の企画について快諾をいただきました。


 それ以来、だいたい2カ月に一度は、仲正さんと食事をしたりお茶を飲みながら、イベントの話や企画の相談をしています。仲正さんが深く関わる「人体実験裁判」を傍聴するため、金沢を訪ねたりもしました。


 私との年齢差は、わずか1歳。ほぼ同年代です。とはいえ、お互いの生き様はぜんぜん違います。統一教会での宗教経験については、ときどきご自身で語っていますが、その他の部分でも興味深い生き方をしてきた仲正さんの「人物像」に、私はたいへん興味を持ちました。


 仲正さんの人柄については、『日常・共同体・アイロニー』(双風舎刊)の「あとがき」で宮台さんが、かなり的確に記しています。興味のある方は、ご一読を。


 想像を超えた知識の量に裏打ちされた仲正さんの発言には、ときどき畏怖を感じたりします。しかしユーモアもけっして忘れない。まさに敵なし。敵にしたらこわいが、見方にすれば心強い。


 ここまで読んだ方は、「仲正さんって、敵なしで強そうな(コワそうな!?)人だ」と思われるかもしれませんが、ご本人と接してみると、語り口のウラに垣間見られるやさしさを強く感じたりします。


 ずっと一緒に仕事をしていきたい著者であり、一杯やりながら与太話をしたい友人。それが私にとっての仲正さんです。


 年内には、サクサク読める仲正節炸裂の現代思想本を、弊社から刊行します。



なぜ「話」は通じないのか―コミュニケーションの不自由論

なぜ「話」は通じないのか―コミュニケーションの不自由論





追記… なぜか書影の写真はないし、新刊なのに品切れになっています。どうしてだろう? (6月19日に、品切れではなくなりました)


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2005年6月17日 (金)



 昨日、カンボジアのシエムレアップ(アンコール・ワットのある町)で、監禁事件があったようですね。テレビで「カンボジア」のネタを見聞きするのは久々だったので、ちょっと驚きました。そして、ニュースを見ていて、日本人がからんでいるから、カンボジアのネタであっても報道していることがわかりました。


 前から不思議かつ違和感を感じていたのですが、海外で飛行機が落ちたり、大きな災害があったり、事故があったりすると、ニュースでかならず「日本人は含まれていませんでした」とか「日本人の何人が亡くなりました」とか伝えますよね。それって、どういう意味があるのでしょうか。


 逆に、日本人がからんでいないと、けっこう大きな事件や事故が海外で発生しても、報道されなかったりする。極端にいってみると、日本人がらみの小さな事故と、国際的には重要である大きな事故が発生した場合、日本の報道だと前者を優先して報道することが多いですよね。


 これだけ日本の社会が成熟して、人の流動化が激しくなり、自己責任で海外に出る人が多くなっている時代に、いまだ報道が「日本人が……」をかなり重視しているのは、なぜなのでしょうか。「だって、俺たち日本人じゃん。だから日本人の動向が知りたいじゃん」ということなのかなぁ。まあ、知りたい人がたくさんいるから、報道されるわけですが……。


 カンボジアで番組協力していたときに痛感したのは、制作側がいかに「日本人がらみ」のものを求めているか、でした。そんな提案が出されるたびに、「カンボジアで日本人を取材してもつまらないので、カンボジア人を対象にしましょうよ」と、私は皮肉をこめていいました。


 うまく表現できませんが、とにかく「日本人が……」報道には違和感があるんですよね。


 


 以上、またまたどうでもいい話でした。


 原稿が届いたら、編集作業の実況を再開します。



追記… ここまで書いてから朝刊を読みました。すると誌面に、知人のFさんとカンボジア人妻の名前があった。娘さんがインターナショナルスクールにかよっていて、お子さんは運よく脱出できたとのこと。


 私はカンボジア滞在中、上智大学のアンコール遺跡調査団で社会調査を担当していました。建築の専門家であるFさんと私は、灼熱の日差しの元、現地で苦楽をともにしました。そんな彼の子どもが事件に巻き込まれていたなんて……。


 「日本人が……」ということではなく、個別具体的に知人が事件に巻き込まれていたのがショックでした。とはいえ、新聞を読まなければ、そのことがわからなかったわけですよね。わかったから、何ができるわけでもありませんが。


 電話くらい、してみようかなあ。


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2005年6月17日 (金)



 マツケン・ヒトシくん問題で、いくつかコメントをいただきました。応答は長くなりそうなので、日記で書くことにしました。


 彼らが出る番組をすべてチェックしているわけではないので、「いつからやっている」という点でご教示いただいたことには、感謝いたします。とはいえ、私はそのようなことを問題にはしておりません。「いつから」とか「どの番組」というのではなく、彼らがエンターテイナーとして、それぞれ本流(と思われる)の仕事(役割)以外の部分、それもギャグ的な部分に、なぜかかわるようになったのか、という点が気になるのです。


 以前に書きましたが、結局テレビなんて、観る側の欲求から逆算して番組をつくっているわけです。そして「製作側のネタ枯渇」が発生すれば、観る側にウケて、かつ変化のあるネタを提供せざるをえなくなります。それで、意外なことをやり、意外な人物を起用しよう、ということになるのでしょうね。そして、ヒトシくんに「草野ランドに出演していただけますか」というオファーがいきます。


 ここまでは「製作側のネタ枯渇」とクールに見ることができますが、ここから先の出演するかどうかという部分は、ネタ枯渇では説明できないような気がします。それは、昨日も書きましたが、マツケンやヒトシくんレベルの芸能人であれば、「ネタ切れだから、出てください」といわれても、嫌だと思えば断ることができると思われるからです。つまり、ふたりに関しては、製作側や観る側の論理とは関係なく、単純に「面白そうだから、出よう」と考えているように、私には見えたりします。さらに、「これまで築いたイメージはあるけど、そんなのもういいや」という姿勢も見受けられます。


 昨日は「壊れる」という言葉をつかいましたが、ようするに「そんなのもういいや」という人に、どうも私は惹かれてしまうのです。そういう人に、アイロニーを感じてしまう。テレビでは、ふたりはあえて壊れているのだが、観る側にはベタに壊れているように見える。その観る側のベタさを外側から眺めつつ、壊れた振る舞いをつづけていく。面白いじゃ、ありませんか。


 こうして私が惹かれるタイプの人物があきらかになってしまったわけですが、そのことは、双風舎の執筆陣を見ていただいても、すこしわかっていただけるような気がします(「俺は(私は)そうじゃねぇよ、バカヤロー」といわれてしまうかもしれませんが、あえていいましょう)。


 というわけで、マツケンとヒトシくんという愛すべき人たちをテーマに、日記を書いてみた次第です。他意はありませんので、あしからず。


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2005年6月16日 (木)



 会計の方が今日の午前中にくるので、徹夜で伝票整理でした。といっても、5月分の領収書の明細や現金の出入りを現金出納帳に記入し、郵便振替の受払通知書を整理し、請求書をまとめれるだけの作業。それ以降の作業は、会計事務所にお願いしています。


 それくらい自分でやれよ、と思う人もいるでしょう。たしかに自分でもできる範囲の作業ではある。とはいえ、決算のことなどを考えれば、月極でお金を払ってでも、経理は会計事務所に依頼すべきでしょう。なにしろ、ひとり出版社なのですから、自分でできることの範囲を見極め、人に頼むべきものは頼まないと、企画を思案する時間もとれなくなりますから。


 さて、壊れる芸能人。


 何をもって「壊れる」と定義するのでしょう。人それぞれ定義はあるのでしょうが、「何かの拍子に、そんなことをする必要はないのに、これまで長年つづけていた路線以外のことをはじめた人」か、「借金まみれになって、なんでもかんでも仕事を引き受けないと、たちいかなくなった人」を指すことにしましょう。


 何でこんなことを書いているのかというと、最近のマツケンこと松平健とヒトシくんこと草野仁の壊れ方が、尋常ではないような気がするからです。はっきりいって、どうでもいいことなのですが、書かずにはいられない何かが、このふたりにはあります。


 前者の壊れ方をしている芸能人は、民放の通販番組(とりわけテレビ東京)や通販専用チャンネルに出演する人のラインアップで、一目瞭然ですね。つけくわえれば、在籍していたプロダクションから、いきなりヤクザがらみのプロダクションに移籍した人なども、わかりやすい例となります。あるプロダクションなどは、「借金を肩代わりするから、ウチに来てください」というかたちで、大物芸能人をたくさんゲットしたりしています。


 マツケンとヒトシくんの壊れ方は、前者だといえましょう。


 まずマツケン。彼が昨年から、「マツケンサンバ Ⅱ」(以下、サンバ)で大ブレークしているのは、だれもがご存知でしょう。マツケンが舞台のフィナーレでサンバをやっていることは、テレビ朝日の夕方のニュースにより、かなり早い時期から知っていました。はじめて観たときには、腹を抱えて笑いました。そして「マツケン、何でもありなんだなあ」と面白がっていました。サンバのDVDは発売日に買い、すぐに子どもと一緒に踊ったりもしました。


 時代劇とサンバの融合は、おおいにけっこう。後楽園で「踊るコンサート」を開催するのは、かまいません。だがしかし……、『踊る! 親分探偵』は、ちょっとやりすぎなのではありませんか。6月10日にフジテレビで放映された同ドラマでマツケンは、橋健組の元組長で探偵という役割を演じています。元子分が殺人容疑で逮捕され、その子分の無実をはらすために探偵ごっこをして真相を究明する。


 ここまではいいですよ。問題は、事件解決のあとに、200人のエキストラと50人のダンサーとともに浅草公会堂の前でサンバを踊ってしまう、というエンディングです。ヤクザの親分が探偵になり、事件が解決したらサンバを踊る……。ストーリー的には破綻しているのに、視聴者はマツケンの踊りが観たいから、どうしても最後まで観てしまうではありませんか。ちなみに私は、途中から「タイガー&ドラゴン」を観たので、感動のファイナルは見られませんでした。


 ほとんどギャグといっていいドラマに、マツケンは出演してしまいました。いま再放送でやっている「暴れん坊将軍」や大河ドラマ「義経」に主役級で出ている役者が、なぜギャグドラマに出てしまうのか。このマツケンの壊れっぷりに、私は気持ちよさと「せつなさ」を感じました。マツケンは、このまま壊れ路線を邁進していくのでしょうか。


 一方の草野仁といえば、元NHKのアナウンサー。いまは日本テレビのワイドショー「ザ・ワイド」で、硬派な司会ぶりを発揮している方です。TBSの「世界ふしぎ発見」では、ヒトシくんなどと呼ばれたりもしています。そのヒトシくんが、どう考えても「壊れたのかなあ?」と思わざるをえない番組に出演しています。


 それはテレビ朝日の「草野ランド」という番組です。この番組のコンセプトを簡単にいうと、浅草キッドがヒトシくんをイジる、というものです。そのイジりっぷりが、すさまじい。相撲をやったり、ゴルゴ13の物まねをしたり、小学生のコスプレをしたり、杉本彩とSM小説を読んだり……。浅草キッドのイジり方は半端ではなく、「新しい芸風にトライしている」という説明では、ちょっと納得がいきません。観ているぶんには、とても面白く、楽しめるのですが、一方で痛さを感じてしまいます。ヒトシくんの壊れ方が、痛いのです。たしか先週号の「週刊文春」のコラムでも、ヒトシくんの壊れっぷりが紹介されていました。


 ふたりとも、カネに困っているわけではないと思われます。いまさら新しい芸風にトライする必然性も、まったくありません。にもかかわらず、ふたりは、なぜ前述のような企画への出演を引き受けたのか。欲しいモノはすべて手に入れたが、無味乾燥な日常に飽きて、超越を求めはじめたのでしょうか。私には、超越というよりも、「どうにでもなれ」という投げやりな雰囲気が、ふたりに漂っているように感じます。


 投げやりだからこそ、意外で面白いものができあがるのだともいえますね。面白い番組を観られることは、テレビマニアとしては嬉しいかぎりです。とはいえ、私はふたたび問い質したい。


 なぜ、ふたりは、前述のような企画を引き受けたのだろうか……。


 以上、出版には何の関わりもない、どうでもいい話でした。



マツケンサンバII

マツケンサンバII





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2005年6月15日 (水)




 「会社の話 19」で、編集作業がはじまると「時間がない」と書いた。にもかかわらず、私は連日、長文のブログを書いている。なぜ忙しいのに、ブログを書けるのか?


 時間は突然、やってくるからだ。


 著者にわたした(送った)原稿を、いかに早く戻してもらうのかが、編集者の手腕の見せどころだと記した。とはいえ、いくら著者からの原稿の戻りが遅れることを予想して作業計画を立ても、なおかつ遅れることがしばしばある。「まさか、ここまで遅れることはないであろう」などと思っていても、ここまで遅れることがある。


 仕方のないことだ。計画を立てているのは私であって、著者ではない。もちろん著者の事情をかんがみつつ、計画を立てるのだとはいえ、それはあくまでも私の論理である。著者には著者の事情がある。


 八方に手をつくして、連日連夜の催促をつづけ、それでも原稿が戻ってこないと、「このペースだと、数ヶ月後に資金ショートするかもしれんなあ」という不安と、「こんな計画を立てた自分がいけないんだ。著者に申し訳ない」という自己反省と、「刊行が遅れても、死ぬことはないだろう」という開き直りが入り交じった気持ちになる。


 臨界を超えたような気分、とでもいおうか。こうなると、予想外の時間の隙間ができる。時間が突然やってくるわけだ。『限界の思考』の場合、初版部数を確定するために、かなり早くから営業をやっていた。おかげさまで事前注文は4300~4500部、よって初版部数は5000部の線で固まりつつある。装丁などのデザインも、すでに固まっている。その他にも、1冊単位の発送や会計などの実務はあるが、そういう仕事はすぐに飽きる。


 こうして仕事とは関係のない時間がやってくる。自宅で仕事をしているのだから、暇をつぶすおもちゃは何でもそろっている。ギターを弾いたり、テレビやビデオを観たり、雑誌を読んだり、音楽を聴いたり、ブログを書いたりする。


 というわけで、不安と反省と開き直りが混ざった気分になりつつ、サンボマスターの曲を弾いて、「木更津キャッツアイ 日本シリーズ」を観て、このブログを書いている。


 自宅でひとり出版社をやる場合、ある程度の禁欲が必要となる。あまりにもおもちゃが手に取りやすいところにあるので、趣味に走って、仕事がすすまなくなるからである。


 でも、こういうときは、仕方がない。おもちゃで遊びながら、「はやく原稿、こないかなあ」と夢想する日々はつづく……。


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2005年6月14日 (火)



 新聞と出版がらみで、ネタをひとつ。現状で双風舎は新聞広告を出していない(出す資金もないし、必要性も感じない)ので、新聞広告料について書いちゃいましょう。


 新聞の1面下部にある3段8切り広告を、業界では「サンヤツ」と呼びます。出版社が新聞社(または広告代理店)に支払う広告料は、私が知る範囲では、朝日が100万円、読売が20~30万円、毎日が10~20万円といったところですか。


 お気づきでしょうが、不思議なのは朝日の100万円です。他紙は、掲載日の直前まで広告が入らないと、かなりダンピングしてくれますが、朝日はぜったいにしません。


 いまや新聞の書籍広告は、「私の会社、つぶれてませんよ」という出版社の存在証明であるとか、「経費が余ったので」という節税対策などと噂されることが多い。つまり、実質的な広告効果以外の部分の効果を期待して、出版社は新聞広告を打っているのが実情であるような気がします。


 どうなんでしょう? もちろんひとつでも多くの媒体に自社の本を掲載し、露出させ、本の存在を読者に気づかせることは、たいせつかつ重要なことでしょう。しかし、新聞に広告を載せたからといって、本は売れるのでしょうか。売れているのでしょうか。私自身、新聞で本を見かけて、本を買うようなことがほとんどないので、よくわかりません。


 仮に、新聞に広告を載せてもあまり効果がないのに、朝日がサンヤツ100万円をキープしているのは、なぜなのでしょうか。不思議ですね。どなかたご存知でしたら、ご教示いただきたいものです。


 前述しましたが、記者クラブ制度により、どの新聞の記事も画一化されています。リクルートで盛り上がって以来、目を引くような調査報道がありません。「ある記者の記事を読みたいから、この新聞を読む」といったスター記者や専門記者は不在。いや、いるのだろうけど表にでてこない。さらに、そういう記者を育てる気が、新聞社にもなさそうです。


 ようするに、いまやどの新聞も内容はたいして変わらないのに、どうして朝日のサンヤツは100万円なのだろう。


 「はてな」で質問してみようかなあ……。


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2005年6月14日 (火)



 本日付の読売新聞27面に、4月に谷根千でおこなわれた「一箱古本市」に関する記事が、かなり大きく掲載されていました。


 見出しのみ取りあげると、「楽しい“古本屋ごっこ”」「素人がイベント」「ネット普及で根付け簡単」といった感じ。当日の様子や南陀楼綾繁さんのコメントなどもあります。


 記事の最後に、「本の世界では、『読むこと』だけにとどまらない楽しみもたくさん見つかりそうだ」とあるが、まったくそのとおりだと思います。


 本とイベントを連動することにより、「こんな本、でていたのか」という未知の本への気づきが生まれます。「こんな著者、いたのか」という未知の著者への気づきもあります。さらには「こうやって売るのか、売れるのか」など、イベントにより、売る側のみならず買う側にも作る側にも、さまざまな気づきを与えてくれますよね。


 気づくことって、楽しいじゃありませんか。とりわけ忙しい日常を送っている人ほど、ちょっとした気づきに胸が弾むことでしょう。私が著者と書店でイベントをやる大きな理由も、このへんにあったりします。


 それにしても、読売新聞の生活面と国際面は、よく取材しているし、興味深い内容の記事が多い。昔は朝日的なものにカブレていましたが、カンボジアで各紙の記者に会い、海外の新聞を読んでいるうちに、記者クラブ制度に支えられている日本の大新聞の論調は、けっきょくどこも変わらないということに「気づき」ました。


 産経が弾けているようですが、論調が好きではない。ほかの大新聞は、記事の内容がほとんど変わらない。もっとも読むのはテレビ番組表なので、あとは生活面と国際面を比較して、他紙よりも充実している新聞をとろう……。そういうことで、読売新聞を購読しています。ときおり読売版憲法改正案などというギャグ記事が掲載されて、けっこう楽しめますし。


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2005年6月14日 (火)



 クドカンこと宮藤官九郎が脚本を担当したドラマ、「木更津キャッツアイ」をDVDで観ました。「池袋ウエストゲートパーク」にはかなわないものの、「野球好きの仲間=泥棒」という物語の奇抜さと、ドラマ1回分を野球にならって表裏に分ける斬新な構成により、全編、飽きずに観ることができました。


 DVDの5巻には、クドカンのインタビューが収録されているのですが、これが面白い!


 基本的には、「誕生秘話」のような企画に関するものや、キャラを演じた役者の印象、印象に残るシーンの解説など、いわゆる「楽屋落ち」を語ります。それだけでも「ああ、そうだったのか」と思いながら、膝をポンとたたくわけですが、何よりもクドカンのネタかベタかわからないような語り口がいい。


 ちなみに、ドラマ1回分を表裏に分けるとは、こういうことです。物語の構成を、メインとなる本編=表と、本編の裏で起きていたことを振り返る副編=裏に分ける。副編とは、本編では一瞬しか写らなかったシーンや人物を取りあげるわけです。本編の終わりのシーンから映像を速まわしで巻き戻して(実際にビデオを速まわしで巻き戻すような映像が流れる!)、本編の特定のシーンを起点に、まったく別の人物の行動を追うことにより、本編の謎解きをします。


 一般のドラマは、一定の時間軸を元に、物語が進行していきます。そうしないと、観ている人が混乱しますからね。ところが、クドカンはそれを無視した。1話のなかで、同じ時間軸を2回、シーンと人物を変えて繰り返すのです。


 で、そのことを語るクドカンの表情が、笑ったり曇ったりします。斬新な構成が、プロデューサーとの雑談のなかで生まれること。はじめは船橋あたりで撮影しようと思っていたが、市街地なので困難だということで、かなり適当なノリで木更津が選ばれたこと。その木更津にクドカンは、2話が放映されるくらいまでいったことがなかったこと。いかに飽きずに観てもらうかを絶えず考えていたこと。いつも脚本の分量が多かったが、とりあえずすべてのシーンを撮影したあと、カットして尺をまとめたこと……。そんなこんなが語られます。


 たしかにカット数は多いですね。「池袋」も多かった。カット数が多いということは、情報量が多いということで、それだけ役者やスタッフはたくさん働いているわけで……。


 インタビューでのクドカンの表情からは、そんな制作者の産みの喜びと子育ての苦悩が、ひしひしと伝わってきます。容姿や発言からは、「軽い」人だと思われがちですが、「それはちょっと違うよ」と思わせるインタビューでした。


 いろいろ考えながらドラマを観ていると、けっこう楽しめます。とはいえ「木更津キャッツアイ」は、余計なことを考えなくても面白いドラマです。


 ぜひご覧になってください!


 さて、これから日本シリーズを観るぞー。


p.s. ちなみに、読売新聞本日付夕刊のテレビ時評にも、クドカンの記事が掲載されていました。




木更津キャッツアイ 5巻BOX

木更津キャッツアイ 5巻BOX






木更津キャッツアイ 日本シリーズ

木更津キャッツアイ 日本シリーズ






p.s. はまぞうで取り込んだリンクの映像を、ヨコにならべたいのですが、どなたかその方法を伝授していただけませんか?


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2005年6月12日 (日)



 マイケル・ムーアの「華氏911」を、ようやく見ることができました。


 ブッシュやネオコンの面々が党派なら、ムーアも党派であるということ。編集された映像は、ムーアが恣意的に選択したものであること。つまり、この映画を持ってブッシュとムーアのどちらが正義だと、簡単に判断することはできないような気がしました。(ブッシュが正義だなどと、私が考えていないことは、いうまでもありません)


 とはいえ、そういったことを差し引いても、アメリカのテレビでは放映されないような、戦死した兵士の姿やその家族の姿、無意味に殺されるイラクの人びとの映像を私たちが見ることには、それなりの意味があると思います。


 もっとも印象に残ったのは、ふたつのシーンです。


 第一は、飛行機がビルに突っ込むシーンを、数分間「音声のみ」で流した部分。これは、テレビでさんざんあのシーンを見ている私たちの記憶に、映像がないことにより、より印象強くあの映像を呼び戻します。効果的なやり方ですね。


 第二は、戦死した兵士の母が、ホワイトハウスを訪ねるシーンです。ホワイトハウス付近で座り込みをする、息子が戦死した女性に、「私の息子も……」とその母は共感します。そこへ、通りがかりの女性が登場し、「あの女はテレビ向けの演技をしている」と指摘します。母は、「そうじゃない、私の息子も……」と繰り返します。すると通りがかりの女性は、「アルカイダがいけないんだ」と一言いって立ち去ります。


 最後に母はこういいます。


「みんな、どうしてこんなに無知なんだろう。私も無知だった」


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2005年6月12日 (日)



 驚きました。昨日、1日で1000ページビューを超えました。これまで600が最高だったのですが、大幅に記録更新です。


 みなさんが何を読みに来ているのか。「本が売れるという幻想について」(6月4日)というページです。それも、嬉しいことに、アキバ系やオタク系のブログやwebページにリングが貼られ、そこから来てくれる方がかなり多い。


 マイナーなネタであると思っていた出版流通の話が、意外に幅広い関心を持たれているということですね。


 来てくれたみなさん、ありがとうございました!


 今後も私がわかる範囲で、出版流通の問題点について、できるだけわかりやすく書こうと思っています。


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2005年6月12日 (日)



 前回、カンボジアの現代史を事例にして、歴史上の出来事(とりわけ戦争)の本義と実践が、いかに乖離しているのかを検討してみました。乖離している、といっても、本義を定めた当初は実践が乖離していなかったが、だんだんと乖離してしまった場合と、本義を定めた時点で戦略的に乖離していた場合とがあることには、注意が必要です。


 いずれの場合も、事態が進行しているときには、一般の人びとは本義と実践の乖離に気づかないことが多い。あとになって検証してみると、「そういえば……」という感じで乖離に気づくわけですね。また、政府が政策ミスに関する都合の悪い文書を燃やしたり紛失したことにすることにより、乖離を隠蔽することも多々あります。


 歴史を検証する際に、もっとも有力となるのが文書です。オーラル・ヒストリー(人の証言)も重要ですが、人間は記憶に何かを付け足したり、差し引いたりするということを熟慮したうえでの資料として扱わざるをえません。


 カンボジアのことでいえば、まずアメリカ傀儡のロンノル時代に関するカンボジア側の文書は皆無に等しいし、アメリカ側でもアメリカに都合の悪い文書は、ほとんど見つかっていません。ポルポト時代になると、カンボジア側の文書が皆無なのは同様で、中国にあるはずの当時のカンボジア政策に関する文書も、中国が一切開示しません。すべて廃棄した可能性もあります。さらに、ベトナム統治以降の文書については、その多くがベトナムにあると思われますが、ベトナムはこれを開示しません。


 こうなってくると、カンボジアの現代史に関する客観的な検討は、人の証言を主にしておこなうほかありません。空爆の被害については、被爆地点の状況を調査し、虐殺については人骨の掘り起こしなどで、かろうじて客観情報が手に入るくらいです。


 ややこしいので論点をしぼります。以上のような前提で考えた場合、ベトナムがポルポト時代のカンボジアに入り、カンボジアの人びとを「解放」したことは、「侵攻」なのでしょうか。それとも「侵略」なのでしょうか。


 日本のマスコミや左翼陣営は、中国の共産主義=ポルポト政権と社会主義=ベトナムが戦闘をしたということで、かなり混乱していました。イデオロギーで考えれば、仲間割れをしているようなものですから。私は、虐殺政権から人びとを救ったという意味では「侵攻」と表現すべきだと思いますが、「侵攻」後の傀儡政権樹立からベトナム軍撤退までの間接統治を考えれば、「侵略」だともいえるような気がします。


 このようにカンボジアの現代史を取りあげたうえで、何がいいたいのか。ある国と国のあいだで戦争や紛争が発生した場合、いずれの当事国も戦うための大義を定めたりします。しかし、その大義と実践は元から乖離していたり、だんだんと乖離してきてしまう。そして、大義から乖離した実践の現場をある場所から見ると「解放」に見え、別の場所から見ると「侵攻」、さらに別の場所からは「侵略」と見えるようなことがありえる、ということをいいたかったのです。カンボジアは悲しいくらい、そういったことを考える際のわかりやすい事例になる国だといえます。


 カンボジアはわかりやすいが、日本における「亜細亜主義」の本義と実践の乖離は、なかなかわかりづらい。そもそも、日本の学校教育では「亜細亜主義」について、高校以前の段階では、ほとんど教えていません。だから、わかりづらいというよりも、わからなくて当然だというのが実情だともいえます。


 大学以降の歴史教育でたまたま教わったり、社会人になってから興味を持って学んだりすることも、すくなからずあることでしょう。とはいえ、すでに書いたように、自主的によほど深く学ばなければ、「亜細亜主義」と書かれていると大東亜共栄圏を連想してしまうでしょう。逆に、「アジア主義」と書かれていれば、戦後の左翼を連想してしまうかもしれません。


 「亜細亜主義」というものは、戦中において軍部に利用され、本義と実践が乖離してしまった。英米に屠られないために、アジアの諸国はお互いのメリットを尊重しつつ、共同体のようなものつくり、地域的な自立を目指そうではないか。こうした「亜細亜主義」の本義は、「盟主が日本である」という点を除外すれば、いまでも有効なツールとして使える可能性がある、と私は考えています。同じようなことは、「東北アジア共同の家」として、姜尚中さんらも提案していますし。


 だがしかし……。いくら本義がいまも参考になるからといって、実践面では軍部によって汚された「亜細亜主義」という「言葉」を、あえてそのまま使うことが、いま「亜細亜主義」をシステムやツールとして使う際に、有効な戦略なのかどうか……。


 この私の疑問に対して、宮台さんは「今後も亜細亜主義という言葉を使っていきます」ときっぱり答えました。そのおもな理由は、第一に、盟主がいないということを明示すれば、「亜細亜主義」の本義はいまでもそのまま有効活用できると考えていること。第二に、新聞などで「亜細亜主義」という言葉をつかっても、ほとんど拒絶反応が返ってこなかったこと。つまり、「亜細亜主義」の本義を理解し、参考にするためには、あくまでも「亜細亜主義」という言葉を使うことが有効であり、もしかしたら拒絶反応があるかと思ったが、それほどなかったので、使ってもよいと判断した。そういったことを宮台さんがいっていたと、私は解釈しました。


 たしかに、40歳以下の人にとっての戦前・戦中・戦後の歴史というものは、ある程度の専門的な教育を受けないかぎりは、かぎりなく白紙に近いものだと思います。だから「亜細亜主義」の本義などといっても、意外にペロッと飲み込んでしまうかもしれません。学習方法さえ間違わなければ、きっとそうなることでしょう。一方で、戦争体験者およびその体験談を繰り返し聞かされてきた世代にとっては、いまも、これからも、「亜細亜主義」という「言葉」がドロドロとした澱のようなものとして、理解されていくような気がします。ようするに宮台さんは、明日の日本を築く世代に、「亜細亜主義」の本義を理解してほしいと思っているようです。


 もう一点、忘れてならないのは、東アジア諸国の受けとり方です。宮台さんは、韓国や中国の人に「亜細亜主義」について説明すると、とくに抵抗もなく受け入れてもらえるといっていました。これも日本と同様に、世代の問題がポイントになろうかと思います。すなわち、戦争体験者は嫌悪感を示し、若い世代はペロッと飲み込む。もちろん国によっては、若い世代にいたるまで体験者による語り継ぎがおこなわれているかもしれません。また、歴史教育で、被害的な側面が強調されつづけている場合もありましょう。


 しかし、こうもいえます。あくまで私見ですが、歴史認識の差異は、第一に、ネット社会が進化したことによる情報の共有化と、第二に、切っても切れぬ東アジア諸国の経済的な利害関係により、乗り越えることが可能なのではないか。自民党の大物議員でさえ、小泉首相に「靖国参拝、やめたほうがいいよ」と助言する昨今の状況を見ると、それが机上の空論ではないともいえそうです。


 と、いろいろ書いてきましたが、いまの私は、ゆずれない前提さえ共有できるのであれば、「亜細亜主義」の顛末に学ぶという宮台さんの持論を支持し、「亜細亜主義」という「言葉」をそのまま使ってもいいのではないか、と思っています。ゆずれない前提とは、第一に、他国のほんとうの姿や考え方をすべて理解するのは、不可能だと自覚することです。第二に、とはいえ理解しようという努力をすることは可能であり、「すべて」は無理であっても、おたがいに最低限の歴史認識を共有できるようにする必要があること。第三に、歴史認識を共有する際に、イデオロギーを排し、不必要だと思われる価値とうまく折り合いをつけることに気を配る、ということです。


 これらの前提がクリヤーになれば、私は宮台さんの「亜細亜主義」を支持します。宮台さんの「亜細亜主義」はきっと、米国にズルズルベッタリの日本の現状に、大いなる刺激を与えてくれることでしょう。


 以上の「亜細亜主義」に関する記述は、文献などをまったく参考にせず、すべて私のあいまいな記憶によって書かれています。また、宮台さんに関する記述は、あくまでも宮台さんの話を聞いたうえで、私個人が「こういっていたのであろう」と理解した部分を書いてみました。


 当たり前のことですが、本ブログ上のすべての文責は私にあるということを、念のため断っておきましょう。私ごときの駄文で宮台さんに迷惑がかかってはいけないので。


 なお、次回の思想塾も、前半は同じテーマで議論する予定です。余力があれば、このつづきは、そのときにでも書いてみます。





竹内好「日本のアジア主義」精読

竹内好「日本のアジア主義」精読






  




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2005年6月11日 (土)



 さて、ウォーターゲート事件の話題の次に、今回のお題であるアジア主義の検討に入りました。


 松本健一さんの本の前半は、竹内好が『現代日本思想大系 第九巻』(筑摩書房)で書いた解説「日本のアジア主義」をそのまま掲載しています。まずは、この前半部分のレジュメ発表と質疑応答がはじまりました。


 こういったゼミ形式の勉強会に出席するのは、修士の単位を取るために半年だけ日本に滞在したとき(一九九五年)以来のことです。すでに4回ほど出席していますが、われながら「よくつづいているなあ」と思ったりします。


 今回、宮台さんに問い質したいことが、私にはありました。それは、「亜細亜主義」という言葉についてです。とりわけ漢字で「亜細亜」と表記することについて、宮台さんの考えを聞こうと思いました。この問題を語るときの語り口については、慎重にならざるをえない部分があります。書き誤ると、とんでもないことになりえます。よって、ある程度、私のスタンスを明示したうえで、議論をすすめることにします。


 私が「亜細亜」という言葉に出会ったのは、夜間大学にかよっているときでした。いまから15年くらい前ですね。すでにブログで触れたかもしれませんが、私は梶村秀樹さん(故人)という朝鮮史のエキスパートが指導教官のゼミに参加していました。アジアの歴史を見つめ直すようなゼミです。梶村さん自身は、あきらかに左派的なスタンスで社会に対して発言をつづけていました。しかし、ゼミの内容はまったく党派性が感じられないようなものでした。


 ゼミでは、おもにアジアの歴史について議論し合うわけですから、必然的に明治以降の日本とアジアとの関係性が話題になります。そんななかで、日本はアジア諸国に「侵略」をつづけ、アジアの人びとをたくさん殺したという歴史を知ることになります。なさけないことに、私は25歳をすぎるまで、日本によるアジア「侵略」の歴史をほとんど知りませんでした。


 以上のような文脈のなかで、「亜細亜主義」や「大東亜共栄圏」などといったものについて、すこしずつ知ることになりました。で、大学を出た時点では、「亜細亜主義」というものは日本によるアジア「侵略」につながる、とんでもない考え方だ、と思っていました。つまり、「亜細亜主義=侵略」という図式が、頭のなかに埋め込まれたわけです。


 とはいえ、カンボジアに長期滞在したことにより、まず「侵略」とは何なのかを再考せざるをえなくなります。


 はしょって書きますが、第二次大戦中のカンボジアは、インドシナの一部としてフランスの植民地となっていました。そして日本は敗戦の直前に、仏印進駐と称してインドシナを一瞬、植民地化します。以下、個別具体的に検証していたらキリがないので、あくまでも私のつたない知識と見聞にもとづき、かなり抽象化したうえで歴史を記述します。


 日本軍は当然、カンボジアを「侵略」したのですが、当時を生きたカンボジア人に話を聞くと、「日本はフランスの植民地化から解放してくれた」などとベタに語る人がかなり多い。敗戦間際で、殺人や強姦などをやっているゆとりがなかった、という実情もあるわけですが……。ここで注目すべきは、「侵略」という日本側の大義と、侵略されたカンボジア側の「フランスからの解放」という大義を実践した結果が、乖離していたということです。


 第二次大戦が終わると、カンボジアはふたたびフランスの統治下におかれます。そしてシアヌークの政治工作により、1950年代なかばになって、ようやく独立することができました。ところが1970年になると、ベトナム戦争の敗戦色が濃くなったアメリカは、ベトナムからの退路の確保に動きます。どうやってベトナムから撤退するか、を考え出したのです。


 カンボジアは、アメリカがベトナムから撤退するための捨て石になりました。世論をベトナムからそらすために、共産ゲリラから守ってあげるという名目で、アメリカは1970年にロンノル政権という傀儡政権を樹立して、事実上カンボジアを「侵略」しました。さらに、共産ゲリラ撲滅という名目で、カンボジアのベトナム国境付近に、空爆で「ベトナム戦争で余りそうな弾薬」を落としまくりました。


 時期によって変動はあるものの、人口の7割前後が農民であるカンボジアでは、もともと資本主義だろうが共産主義だろうが、自分たちが幸せに暮らせればよいと思っている人が大多数でした(いまもそうだと、私は考えています)。そういう意味では、比較的社会が安定していたシアヌークが統治した時代は、いまでも「いい時代だった」とノスタルジーの対象になっています。


 無意味な空爆により、多数の無意味な死者と荒廃する国土を目の当たりにした人びとは、ロンノル政権=アメリカを嫌うようになり、アメリカではない別のもの=ポルポト派に協力的になっていきました。この時点で、別のもの=共産主義ではないことが重要です。


 こうしてカンボジアは、1975年のポルポト時代をむかえます。中国の全面的なバックアップにより生まれたポルポト政権は、まるで文化大革命の縮小版ともいえるような政策をうちだし、かなり幼稚な方法でそれを実践しました。その結果が150万人ともいわれる虐殺につながったわけです。


 ポルポトによる政権奪取が、「侵略」なのかどうかは微妙です。当初、多くのカンボジア人がそれを望んでいたのは事実なのですから。ふたを開けてみたら、とんでもない政権だった、ということです。一方で、ポルポト政権の樹立には、諸外国の利害や思惑が、かなりからんでいたことを押さえる必要があります。


 冷戦期ですから、米ソのいずれも、一国でも見方になる国がほしい。さらに、ソ連との対立が深まっていた中国は、ベトナムとラオスが親ソ化するインドシナにおいて、みずからの共産主義を支持する拠点がほしい。そういう大国の思惑に左右されつづけていたのが、カンボジアの近現代史だともいえます。


 いずれにしても、ポルポトの目指した共産主義という理念や大義(この理念や大義自体は、間違っていると決めつけることはできない)と、大虐殺となってあらわれた実践の結果(この実践は、あきらかに間違っていた)が、どれだけ乖離していたのかを見極めることが、ここでは重要になります。


 1979年になると、ポルポト政権から人びとを解放するという大義で、ベトナムがカンボジアを「侵攻」または「侵略」します。虐殺政権時の苦難の体験と、それから逃れることができたカンボジア人の喜びは、多くの手記に書かれています。このベトナムの行為を、「侵攻」か「侵略」か判断するのも、微妙な問題です。


 しかしながら、カンボジア入りしたベトナムは、すぐにヘン・サムリン政権という傀儡政権をつくり、実質的にカンボジアを統治します。解放というのはあくまでも大義であり、実際には民族自立の国家など、カンボジアにはできませんでした。ソ連にすり寄ったベトナムはこの時期、中国と喧嘩をしており、喧嘩の延長線上にカンボジア「侵出」または「侵略」があったともいえるわけです。いいかえれば、インドシナから中国=ポル・ポト政権を追い出せ、ということになります。


 ここでふたたび、大義(虐殺政権から解放)と実践(傀儡政権樹立による間接統治)の乖離が見られます。そして、この大義と実践の乖離という問題が、「亜細亜主義」とおおきくからんでくることになります。


 つづきは次回に。


 


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2005年6月10日 (金)




 宮台さんは冒頭で、ウォーターゲート事件のときにワシントン・ポストの記者に内部告発をしたFBI副長官の話しをしました。もう新聞で大きく取りあげられたので、ご存知の方も多いかと思います。ディープスロートことマーク・フェルトのことです。かなりくわしい記事が、『ニューズ・ウィーク日本版』2005年6月5日号に、「大統領の陰謀 33年目の真実」として掲載されていますので、興味のある方は読んでみてください。


 同事件の概要を説明した宮台さんは、以下のことを事件の背景として指摘しました。第一に、FBIは絶えず権力者のスキャンダルに関する情報を調査・収集し、ファイリングしている。長期にわたりFBI長官のイスに座りつづけたフーバーは、そのファイルを歴代大統領にチラつかせることにより、地位を確保してきた。第二に、フェルトの内部告発は、本来は自分が昇格すべきFBI長官の地位を、ニクソンにより妨害されたというルサンチマンがある。フーバーが病死したあと、ニクソンはみずからの子飼いの人物を同長官にした。このルサンチマンが、内部告発への契機となった。この視点からは、同事件は政権内部の権力闘争だといえる。第三に、政権の権力闘争であるにもかかわらず、特定の大新聞が事件をスクープするということは、もちろん盗聴という大統領の犯罪を暴くという社会正義の意味もあるが、大新聞が政権内の特定の権力に加担することでもある。


 同事件をスクープしたワシントン・ポストの記者は、当時のアメリカン・ヒーローになりました。しかし、フェルトの告白により、そのヒーローが、一方では政権の権力闘争の道具として機能していたことがあきらかになりました。まあ、フェルトは「頭がはっきりしているときと、そうでないときがある」ような状態であり、家族がカネを目当てにフェルトの告白を「絞り出した」ことも、参考程度には知っておくほうがよいかもしれません。


 以上の点を指摘したうえで、宮台さんは、田中角栄のロッキード事件を取りあげました。この事件も、似たような構造なのではないか、といいます。この事件には確実に、アメリカによる「角栄おろし」の力が作用しており、その力を後ろ盾にして、立花隆さんや『文藝春秋』がキャンペーンを張った。そして角栄は首相の地位を追われた。アメリカが角栄をおろしたがるおもな理由は、中国との国交を日本がアメリカよりも先にむすんでしまったことなのではないか……。


 さらに宮台さんは、こう問いかけます。日本の国益と角栄のスキャンダルを秤にかけた場合、どちらが重いのか。実際に日本の国益を考えて行動していた総理大臣を、アメリカの画策する「角栄おろし」のスキャンダルでつぶしてしまうことが、国民にとっての利益(すなわち国益)にかなったことだといえるのであろうか。(ちなみに宮台さんは、どちらが重いのかについて、明言はしていません。お間違いなきように)


 これは、またまたメディア・リテラシーの問題ですね。進行している表層的な物事の裏で、いったい何が動いているのか。以上のふたつの事例は、いずれも事件が発生して、しばらくたってから、何かが裏で動いていたことがわかってきました。ポイントは、事件が起きているときには、「ニクソンをおろすことが正義だ」とか「角栄をおろすことが正義だ」とマスコミが報じ、私たちもそれを疑いなく信じていたという点です。


 以上の事例から学ぶぺきことは、政治にまつわる事件が起きたときには、まずは報道を疑ってかかれ、ということでしょう。マスコミは一方を正義だといっているが、その正義の裏には権力闘争の影が見え隠れしているのではないか。その影を報じないのは、そのマスコミが一方の権力に協力しているからなのではないか。マスコミのいう正義をベタに信用せず、報道していないことは何なのかを想像してみる。そして、報道されていることに、みずからが想像する報道されていないことを付けたしたうえで、事件を自分なりに再検討してみる。私たちは、そういうクセをつけるようにすべきではないか。


 そういったことを、宮台さんはいっていたように思います。


 さらに最近、警察や検察がやたらと政権内で力をもっていることを、宮台さんは指摘します。三井環事件に見られるように、かなりの無理をしてでも内部告発をつぶそうとするし、実際につぶす力を持っている。それはなぜか。力の源泉は、権力者の秘密ファイルにあるのではないか。権力者のスキャンダルを調査・収集した秘密ファイルがあるからこそ、警察・検察の不祥事は表沙汰にならないし、なっても簡単に処置されて、なかったことになってしまう。なんだ、アメリカの権力闘争と同じじゃないか。


 それで、こうした権力闘争の話は、本義や本質と実態が乖離するという意味で、明治以降の日本の政治思想状況にも、あいつうじるものがある、ということで、本題である竹内好の「アジア主義」の検討がはじまりました。


 ようやく脚注の執筆が終わり、衰弱した身体にワインを流し込みながらこの文章を書いているので、睡魔が襲ってまいりました。


 つづきは次回に。


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2005年6月 8日 (水)




 ブログをやりはじめてから、武田さんの「オンライン日記」を読むようになりました。それ以前は、「週刊SPA!」でときどき見かけた記事を読むくらいでした。


 同日記を読めば読むほど、同世代のジャーナリストで、これだけバランスのとれた「正論」が書ける人がいることを、嬉しく思ったりします。もちろん、バランスのとれた「正論」というのは、私の価値観を元にいっていることです。ようするに、武田さんの思考には、共有できる部分が多い、ということですね。


 以下、武田さんの文章を引用します。この部分は、私がこのブログで編集者の姿勢を問い質した部分と重なると思います。



『ぼくがブランドの確立した大手メディアの著名ジャーナリストが書いたジャーナリズム論に時々鼻白む思いをするのは、ジャーナリズムを支えるインフラのコストに対する問題意識がなくて、それこそ正義を謳ってもそれが机上の空論化しているからである。たとえば人件費についても、あらゆる経験が遊びも含めてジャーナリズムに生きる可能性があるので、相対的に多くのサラリーを得ている大手メディア記者についてあしざまにいうつもりはなく、むしろ恵まれた機会をうらやましく思うが、そのサラリーを未来の自分のジャーナリズムのために再投資する財源として意識している人は多くないし、実際に使えていないのではないか。どうしても浪費が止められずに、人間の俗っぽさを思い知るのであればそれはそれで良い経験になると思うが、そんな自覚もなしにセレブを気取り、一方ではジャーナリズムは社会の木鐸だなどと謳うジャーナリズム論を書くから鼻白むのだ』(武田徹「オンライン日記」2005年6月7日)



 すこし脱線しましょう。私は、カンボジアで暮らしながら、かなり多くのジャーナリストと接することができました。大手新聞社やテレビ局の特派員や中堅ニュース社の特派員、フリージャーナリスト、フリーカメラマン、テレビ番組や雑誌・書籍のプロダクションなどなど……。


 カンボジアが激動期であったこともあり、いろいろなジャーナリストが取材に来ました。それこそレベルや技術、活動資金などもふくめ、ピンからキリまで。そういう人たちと出会ってきたことは、日本のジャーナリズムの実態を理解するうえで、とても役に立っています。


 日本のジャーナリストがもっとも多くカンボジアに来たのは、自衛隊がPKOで派遣されたときでした。まあ、日本がらみということで、大手からフリーまで、有象無象が押しかけてきました。あとは、ポルポト派が政府軍に攻勢をかけたときや、首都プノンペンで大規模なデモが発生したとき、それに政府軍と野党軍が戦闘を開始して内戦の一歩手前になったときくらいでしょうか。


 日本人ジャーナリストによる海外での報道取材なんて、結局は日本の視聴者や読者が求めている(または、求めていると予想される)ものを対象にするのであって、それ以上のものではありません。彼らがいないときに、多くのたいせつな事柄が起きているのに、そんなことはすっ飛ばして、いいとこ取りをするのが海外報道だといえます。


 大手マスコミの海外支局(とくに東南アジア圏などの少数言語が使われる地域)で、支局長を名乗る特派員の方のどれだけが、現地の言葉をマスターしているのでしょうか。ほとんどしていないでしょう(英・独・仏・露・中などの言語は、日本でも習得する機会が多いので、別の話です)。つまり、通訳や現地人の助手を介して、現地とのコミュニケーションをとっています。会話はもちろんのこと、現地の報道も通訳に英訳してもらってから読んだりします。


 そうなると、特派員が取材しているというよりも、通訳や助手が取材しているというケースがかなり多くなる。大手については、とても優秀な人材を雇っているのは確かだが、問題はその優秀な人材が取材したとおりのことを、どこまで特派員の日本人に伝えているのか、ということです。


 私はカンボジアで、そういった優秀な人材が、「この程度、伝えとけばいいだろう」と考え、舌を出して笑いながら通訳をしたり、取材結果を報告している機会に、何度も出くわしました。現地の言葉がわかるので、支局にいたり、一緒に取材をしたりすると、わかりたくなくても私にはわかってしまうのです。


 もし、その特派員が、日本語や英語で読めるデータをしっかりと読み込み、現地に長く暮らす日本人の話をよく聞き、日常的な出来事にも細かく関心をもち、これがもっとも重要ですが現地語を多少でもマスターしていたら、通訳や助手の態度もだいぶ変わってきます。ようするに、ナメられなくなります。


 しかし、そういう特派員は、ごく少数であるのが実情でした。「ほんとうは別の国にいきたかったのに」とふてくされる記者や大使館周辺のセレブとばかり付き合い、ホテルのプールの常連となっているような記者が大多数。だから、通訳や助手にナメられている人がほとんどなのです。


 現地の実情がこんな調子ですから、私は原則的に、日本の新聞における海外報道は、マユツバものだと思って読んでいます。テレビについては、自分が直接関わった作品に関しては、自信をもって薦められますが、それ以外はやはりマユツバです。間違えないでほしいのは、日本のマスコミにおける海外報道を、全否定するのではなく、あくまでもマユツバ的な評価をするということです。それは、まともな取材を経て発表された記事や番組も、少数ですが、ないわけではないからです。


 問題は、やはりメディア・リテラシーにいきついてしまいますね。以上のような海外報道の裏事情を知ったうえで、新聞の外報欄を読むのと、何も知らずにベタな感覚で読むのとでは、受けとり方に雲泥の差が生じます。裏事情を知るためには、内部告発が必要です。でも、日本には社会の利益になるような内部告発であっても、それを支持するような風潮は、残念ながらできていません。「なぜあいつは、世話になっている会社(組織、共同体)を裏切るのか……」ということになる。


 そういう日本独自の風潮は、いまや存続させる価値はなく、変えていく必要があると、私は強く考えています。阿部謹也さんの世間論なども、その風潮を変える必要があるという前提で書かれていますね。


 ちなみに、裏も表もしっかりと読者に伝えつつ、みずからの論点を提示しているのが宮台真司さんです。じつは、宮台さんの議論のなかには、私の持論と相容れない部分が少なからずあります。亜細亜主義しかり、改憲議論しかり。とはいえ、裏表なしという姿勢は尊敬に値するものであり、まさにメディア・リテラシーをみずからの存在をもって実践しているようにも思えます。そういう宮台さんの姿勢に影響されて、私はこのブログを書いているのかもしれません。


 議論の明快さや思考の深さもさることながら、裏も表も知らせるから、宮台さんは読者にうけており、信用されているのではないか、と私は思っています。面白いことに、表ばかりを強調する「良識」に満ちた学者ほど、宮台さんのことを黙殺したり毛嫌いしているという事実は、おそらく否定できないことだと思います。ひがんでいるのかもしれませんね。裏表なしという、自分にはできないことを、宮台さんがやっているので。


 別に、すべての学者に対して、宮台さんのごとく裏表なしで勝負しろといっているわけではありません。しかしながら、表の小難しい部分だけを表出させていても、これからの読者はついてこないのではないか、とは思っています。『挑発する知』で姜さんと宮台さんが共有できた部分に、ミドルマンもしくは有機的知識人というものがありました。学者の役割のひとつは、専門知と一般人のあいだに立って、知識の橋渡しをするものだ、という議論です。ミドルマンの役割を担うためには、やはり裏表なしで勝負する必要があります。読者に信用され、支持されなければ、そんな役割を担えるわけがありませんから。


 多くの学者がそのことを知っているし、やろうと思えばできるのに、やっていないのだと私は思っています。なぜやらないのか、というと、ふたたび「阿部謹也さんの世間論」が……、ということになってしまうわけで……。


 象牙の塔なんて、ぶち壊してしまえばいいとは思うのですが、大学院生を8年もやるうちに、塔の構造の複雑怪奇さを深く知るようになり、「一筋縄ではいきませんなあ」と考えるにいたりました。


 だがしかし、どうにかしたいではありませんか。微力ながら、私は本を出すことにより、どうにかする方向へ水路を掘りすすむしかありません。 


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2005年6月 7日 (火)




 『だめんず・うぉ~か~』(「週刊SPA! 連載中)でだめ男に引っかかる女の実態を描きつづける漫画家・倉田真由美さん。『<性の自己決定>原論』や『不純異性交遊マニュアル』などで、男女関係に関する鋭い考察を展開する宮台真司さん。


 このおふたりが、恋愛について徹底討論します。


 この企画は、「対談を本にしたら、売れるかも」という損得勘定よりも、「このふたりが恋愛を語ったら、どうなるのだろう」というまったく個人的な動機によって、発案したものです。


 けっきょく人って、愛だの恋だのといったことに翻弄されながら、生きていくわけですよね。小難しい社会理論や政治談義を交わしていても、その裏では男も女も「合コン」「援交」「純愛」「不倫」「嫉妬」「結婚」「離婚」「フェチ」などといったことと同居しながら暮らしています。


 でも、何らかのしがらみがあって、そういうことと同居していても、そういうことと同居していることを、他人にいうことができないことが多いのでは。また、すこし興味があるけれど、なかなか踏み出せないでいるようなこともありましょう。


 だからこそ、このおふたりに登場してもらい、タブーなしの議論を展開していただくわけです。秘め事の多い「恋愛」というテーマだからこそ、このふたりなのです。倉田さんのストレートな発言は、すでにご存知の方も多いでしょう。一方、「学者」だとカッコつけて、恋愛のことなど語ろうとしないタダノ教授が多いなか、みずからの恋愛体験と実直に向き合いつつ、それを社会理論へと昇華させている(ちょっと、いいすぎかな)数少ない学者である宮台さん。おたがいに隠し事のないストレートな発言で、トークバトルを展開してくれることでしょう。


 7月21日の夕方に、青山ブックセンター本店(ABC)のうえにある、ウイメンズプラザというところで開催します。このトークセッションに関するくわしい内容は、ABCのwebページ(http://www.aoyamabc.co.jp/events.html#ao20050721_1)をご覧になってください。そして、ぜひぜひご参加ください。損はさせません。


 トークのタイトルは、青山BCにいろいろ提案しました。結果、「君の瞳に恋してる?」を選んでいただきました。いまどき、そんな言葉を口説き文句に使う人はいないかもしれませんが……。このおふたりの口からは、おそらく出てくることはないであろうという言葉だからこそ、あえてタイトルに使ってみたのだともいえます。そんなことをいったら、宮台さんに怒られちゃうかな!?



 


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2005年6月 7日 (火)




 いま、宮台真司×北田暁大著『限界の思考』の編集作業をしている。


 どうせなら、作業の進行具合をブログで書いてみようか。いままでの作業を振り返って書くよりも、臨場感があるし、わかりやすいかもしれない。具体的に書ける部分もあるし、ぼやかして書かざるを得ない部分もあるが、あくまでも「書ける範囲で」ということで書いてみよう。


 とはいえ、すでに作業の途中となっているので、これまでの作業を簡単に振り返っておこう。


 『限界の思考』(以下、『限界』)は、対談記録である。だから、企画の仕込みは「だれとだれが、どんなテーマで、いつどこで、何回くらい、対談するのか」を決めることからはじまる。だからまず私は、宮台さんと北田さんが、「現代思想が限界に達しつつあるいま、社会学はその限界を乗り越える何かを提示できるのか」というテーマで、昨年の3月から9月にかけて3回ほど、都内の書店(ABC、リブロ、紀伊國屋)で対談する、ということを決めた。


 すべての対談時には、録音機(オリンパス・ヴォイストレック DM-1を愛用)を2機ほどまわしつつ、司会進行などを担当した。


 ちなみに、『限界』の場合、3回の対談を書店でおこない、最後の1回は本年4月末に、聴衆なしで台東区谷中のあるレンタル・スペースにて語っていただいた(これらは、『限界』の第1章から第4章)。さらに、最終対談がおわってから、近所の酒場で一杯やりながら、おふたりの話を聞いた(これは附録として掲載)。


 この対談記録の起こしをはじめるところから、実務的な編集作業がはじまる。テープ起こしを外注すると、かなり高額なので、『日常・共同体・アイロニー』以降は自分で起こしている。どうやって起こすのかというと、まず上記の録音機にはパソコン用の音声ソフトが付いている。これが、ひじょうに便利なソフトだ。記憶媒体はスマートメディアなので、音声データは簡単にパソコンへ転送できる。転送したデータを、音声ソフトで再生しながら、テキストエディター(秀丸)に文字を打ち込む。


 データの転送は簡単だが、実際に音声を文字に直すのは、とても根気がいる作業である。ただただ、そのまま起こすのなら容易だが、この段階で本に掲載しても恥ずかしくない文章にしておかないと、あとで困る。著者にも申し訳ない。だから、起こしの段階で頭をひねりつつ、話し言葉をうまく利用しながら、本に掲載できるレベルの文章に仕上げる。


 こうして書き上げた原稿を、著者にテキストデータで送信し、加筆や修正、削除などをやってもらう。『限界』の場合は、著者が宮台さんと北田さんのふたりなので、おふたりに同じデータを送り、自分の発言部分を直していただくべくお願いする。


 ここまでは、私のペースで作業ができるからよい。問題はここからである。


 宮台さんも北田さんも、大学で教えながら、テレビに出たりラジオに出たり、雑誌の連載をもっていたりする超多忙な人物だ。かなり早めにデータ原稿を送っているものの、なかなか原稿がかえってこない。かえってこないということ自体は、おふたりとも忙しいのだから、仕方のないこと。私が送った原稿に手をつけていただく順番を、じっと待つしかない。意外にあっさりと、あきらめがつく。


 ここで編集者としての私が頭を捻らなければいけないのは、「いかに既存の仕事をぶっちぎってまで、双風舎の原稿にかかわってもらえるようなモチベーションを、おふたりにもっていただくか」ということである。まあ、当たり前といえば当たり前のこと。


 編集者と著者との関係で、マスコミなどで流布しているイメージは、たとえば編集者が土産をもって著者宅を訪ね、原稿をもらうまでねばるとか、ひんぱんに電話を入れて催促するとか、著者を某ホテルの一室に缶詰(監禁?)してしまう、といったものかもしれない。


 おカネと時間があれば、そういう月並み(定石なのであろうか!?)な手段を使えよう。でも、私にはカネも時間もあまりない。カネがないことについては、すでにこれまでのブログで書いた。時間がないということは、こういうことだ。


 双風舎の場合、ある本の編集がはじまるということは、ある本の営業がはじまることを意味する。編集作業が空いた時間は、ほとんど営業に充当されるようになる。中規模以上の出版社だと、たいてい編集と営業が分離しているので、こういったアクロバティックな編集と営業の同時進行など、する必要がなかろう。


 新刊営業は、新刊のキャッチコピーをつくり、紹介文をつくり、チラシをつくることからはじまる。で、チラシには書影を入れたいので、営業をはじめる前に、デザイナーへ装丁の依頼をする。装丁のラフができたら、それを挿入して、チラシが完成。このチラシをもって、書店をまわることになる。


 書店人の方がたは、休みが不規則なので、かならずアポをとる。こうして「何日の何時に、どこの書店」というスケジュールを組みながら、地方の書店については、力を入れて書いた紹介文とともにチラシをファックスで送信する。私が直接、チラシをもってまわる書店は、都内の大手書店にかぎられている(というか、物理的にそれしかまわれない)。残りの書店については、首都圏はJRCに、関西圏は「るな工房」に、営業代行を依頼している。


 今日は、ここまで書いて力が尽きた。いま『限界』の脚注を作成しているのだが、項目数が316もある。1項目が100文字だとして、400字詰め原稿用紙で80枚分くらいの分量。8割くらいおわったものの、まだ先は長い……。


 「実況!」などと書きながら、ブログの内容はぜんぜん「実況!」でなくなった。タイトルに偽りあり、とお思いの方、申し訳ありません。明日以降、できるだけ早く、ほんとうに実況できるようにしてみます。


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2005年6月 6日 (月)



 一昨日、紀伊國屋書店新宿本店の5Fにいくと、『大航海 No.55』が平積みになっていました。特集は「現代日本思想地図」。小見出しは「現在に向けて発言する論客25人を検証する!」。さらに検証される人と、検証する人を目次で確認してびっくり!


 検証される人のなかに、双風舎の著者がふたり(姜さんと宮台さん)。検証する側には著者が3人(丸川さんと仲正さん、そして北田さん)。目次を読んだとき、声を出して笑ってしまいました。1冊の雑誌のなかに、弊社の書き手が5人もからんでいたのが単純に嬉しく、さらに検証する側の3人が「何を書いているのだろう」という期待で面白くなったのです。


 仲正さんは、なんと弊社刊『日常・共同体・アイロニー』の共著者である宮台さん、丸川さんは小熊英二さん、そして北田さんは大澤真幸さんを、それぞれ「検証」しています。元気な仲正さんは、さらに加藤典洋さんと西尾幹二さんを「検証」。


 内容は、いいません。ぜひ買って読んでください。


 そもそも、この特集のコンセプトが面白いではありませんか。それだけでも「買い」だと思います。自分なりに、「誰に誰を検証してもらったら、もっと面白いのになあ……」などと空想するのも一興です。


 DANCE MAGAZIN別冊『大航海』の企画力、恐るべし。以前、「現代暴力論」という特集を組んだときにも、「一本とられた」と思いました。編集長である三浦雅士さんの編集センスは、ほかの総合誌のそれより一歩ぬきんでているような気がします。勉強させていただきます。


 で、書棚をながめていると、また仲正さんと北田さんの名前が出ている雑誌がありました。『InterCommunication No.53』です。仲正さんは「自由の限界」という論文、北田さんは「ディスコース・ネットワーク――2000」という連載で、やはり執筆しているのです。特集は「新教養零年」。巻頭対談が木村尚三郎×村上陽一郎「基礎体力としての教養」。これも買わざるを得ません。


 前者が1500円、後者が1400円。貧乏出版社の経費で、雑誌代2900円は痛い出費ですが、面白そうなのだから「痛い」などといってられず、即購入。とはいえ、買っても読む時間がとれず。いまだに1ページも読んでいない。悲しすぎる……。


 このようにワクワクしながら雑誌を買ったのは、超久々のことです。職業柄、逆の立場で考えてしまいますが、読者がワクワクしながら雑誌や本を買ってくれることほど、つくった側にとって嬉しいことはありません。内容を読んで、満足してもらえれば、至福の喜びになるのでしょう。しかし、それよりも、私は内容を読んでもらう前のワクワク感を、もっともっと読者に味わってもらいたいなあ、と思ったりします。


 いまは微妙で切れ味が悪くなった筑紫哲也さんや亡くなった伊藤正孝さんが編集長をしていた時代の『朝日ジャーナル』には、確実にこのワクワク感がありました。編集長が下村満子さんになり、消化試合になってからは、一気にワクワクしなくなりました。最近ですと、『噂の真相』は、比較的ワクワクして買うことが多かったですね。休刊が残念。


 とにかく、久々に活きのいい雑誌に出会い、嬉しかった。


 ブログだって、更新をワクワクして待ってもらえるようになったら、やはり嬉しいですよね。でも、楽しんでいただけるような一定レベルの文章を、毎回毎回、水準を落とさずに書くことなんて、「ブログ文筆業」(そんなのあるんですかねえ!?)で生計が立てられるような技量がなければ無理ですなあ。


 ブログでワクワクしていただくのは難しそうなので、私は出す本でワクワクしてもらえるように努めます。


 じつは、それもけっこう、至難の業なのですが……。


 


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2005年6月 5日 (日)



 1977年から活動開始した3人バンドで、東京ロッカーズというムーブメントの中心的存在でした。東京ロッカーズは、たしか町田町蔵(町田康)とかも、やってたんですよね。


 フリクションについては、はてなキーワードで検索していただくとして、このたび「FRICTION LIVE '79」というアルバムを買いました。いま聴いても、まったく問題なし。このアルバムにおける彼らの鬼気迫る演奏は、パンクだとかニューウェーブだとかロックだというようなジャンルなど関係なく、素晴らしい。ライナーノーツにも書いてあったが、まさに聴衆へ銃を撃っているようなイメージです。


 私はギターロックが好きなので、あまりパンク系は聴かなかったのですが、カンボジアでのネイチャリングスペシャルのロケでご一緒したり、自伝のゴーストをやったことから、俳優の高嶋政宏さん(高嶋兄)と出会い、彼の猛烈なる薦めにより、フリクションを聴き始めました。彼自身、プロのベーシストでもあります。


 騙されたつもりで、聞いてみてください。このライブから、フリクションと東京ロッカーズの世界が広がっていくかもしれません。




79ライヴ

79ライヴ





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2005年6月 4日 (土)




 今日、電車に乗って、いろんな広告を眺めていて、ふと思いついたことがひとつ。


 食料品は必需品だ。食べなきゃ死んでしまう。だからかならず買う人がいる。下着も必需品だ。下着を着ないでいる人は、そんなにいないだろう。だから誰かがかならず買う。眼鏡やコンタクトレンズも、目が悪い人がいて、矯正手術が流行らないかぎり、買う人がいる。


 では本はどうだろう。読まなければ読まないで日常を過ごせる。ある人Aにとっては必需品だが、ある人Bにとっては無用の長物である。だから、ある人Aに買っていただくべく、出版社は本をつくることになる。とはいえ、ある人Aだって、気に入らなけれその本を買ってくれない。当たり前のことだが、当たり前でもないところが出版界の問題だといえる。


 そういう前提で、昨今の新書乱立を読み解くと、まるで出版社が(編集者が)、「本は必需品なので売れる」という幻想に取り憑かれているように思える。とりあえず出しておけば、誰かが買ってくれる。買ってくれなくて損をしても、読者がたくさん買った本のアガリでペイできればいいじゃん。大書店の新書コーナーに立ち寄ると、出版社がそういいながら笑っているように思える。


 おそらく、各社、厳しい企画会議にかけたうえで、新書の企画をとおしているのであろう。実際、私があいだに入ったある著者の原稿も、厳しい水準ゆえに落選を余儀なくされた。しかし、その「厳しさ」は、いったい何を基準にしているのかが、よくわからない。そのことは、新書コーナーにいけばわかるでしょう。


 まるで本の八百屋さんのようになった新書コーナー。八百屋さんは、野菜や果物といった、ある種の必需品を売っているのだから、品揃えが豊富であってもかまわない。だが、本はそんなこといっていられないでしょう。買ってくれるかどうか、わからない商品なんだから。


 具体的な書名は出さないが、あきらかに数あわせで出しているとしか思えない、低質な新書がたっくさん書店に並んでいる。「●●新書は、月に■点だしまーす」と宣言したから出している、という数あわせ。この数あわせは、思いつくところでは、ふたつの意味でマイナスである。


 ひとつめは、かならず月に何点ださなければならないという意味で、編集者に強迫感をあたえること。強迫的になった編集者に、クリエイティブな思考で企画を練ることができるのかは疑問。ふたつめは、数あわせで鈴なりにならんだ新書から、どの本が買うべきものなのかを、読者が探しにくくなっていること。読者的には、強迫的につくられた数あわせのための低質な本を、「●●新書だから買ってみよう」と信頼して買ってしまう不幸もつきまとう。


 じつは、このへんの話は、出版社と取次の利権にもからんでくる。出版社が取次に本を納品するときには、おもに「注文」と「委託」というかたちがとられることは、すでに説明した。一般的に新刊は、読者や書店の反応などわからない。すなわち売れるかどうかわからないので、「新刊委託」というかたちで、出版社は3カ月から6カ月くらい、本を取次に販売委託する。そして精算は新刊を出してから7カ月から8ヶ月後になる。


 だが、新刊であっても「注文扱い」で出荷することができる。つまり書店が欲しがっているということにして、納品伝票に「注文」と書いてしまうのだ。はっきりいって、注文されていないのに「注文」として扱うのだから、偽注文とでもいっておこう。ほんとうの「注文」であろうと、偽注文であろうと、注文品に関しては翌月か翌々月に、取次は精算してくれる。


 こうして生み出されるのが、出版の自転車操業システムである。本を出して、「注文」扱いで取次に納品すれば、取次はとりあえず納品した分の代金を早めに精算してくれる。返品に関しては、よほど売れない本でないかぎり、2~3カ月のあいだは新刊注文で精算した金額をうわ回ることはない。


 長期的に見れば、けっきょくは売れた分のお金しか入ってこない。とはいえ、新刊を注文で出荷するすると、とりあえず出荷した分の代金が比較的早く取次から入金となるので、売れたような気分になる。一種の錯視のようなものですな。くりかえすが、一時的にお金が入っても、返品があれば、あとで引かれる。


 さらに、新刊を注文で出して、入金が見込めるということは、新刊を出せば業者さんへの支払の計画も立てやすくなることを意味する。いいかえれば、新刊を出して、取次に注文として扱ってもらえば、数ヶ月後の入金が保証され、業者さんへの支払や家賃、給料などの支払いが、とりあえずは可能になる。くりかえすが、この新刊注文で得た入金は、本の実売とは関係のない一時金なのだ。


 こうして新刊注文の一時金を取次からもらうようなサイクルになると、出版社はその一時金に依存するようになってくる。ようするに、一時金によって、様ざまな支払の計画を立ててしまうようになる。実際に本が売れればいいが、出す本がすべて売れるような出版社は数少ない。ならば売れない本ばかり出していたら、出版社がすぐにつぶれてしまうのかといえば、そうでもない。


 だって、とりあえず新刊を出して注文扱いで取次に出荷すれば、とりあえずその分のお金は入ってくるのだから。「とりあえず」が連発しているが、出版社と取次は、「とりあえず」の関係で成り立っているようなものなのだから、仕方がない。そして、この「とりあえず」の関係も、良書刊行の弊害になっていると私は思っている。


 考えてみてほしい。支払を一時金に依存しているのだから、一時金をもらうために出版社は新刊を出し、注文扱いで取次に納品する。出版社は一時金がなければ、支払がパンクしてしまうのだから、質よりも量を重視して新刊を出すようになる。一時金は、質よりも量を重視して、取次から出版社に支払われるのだから。もちろん取次は、発売前に「新刊見本」を提出する際、「この本はどれくらい配ってやろうか」と吟味するわけだが、その結果として取次が出した数字は純粋なる「新刊委託」であり、「注文」はその別枠である。


 こうした構造からいえることは、取次と付き合っている出版社(とりわけ中小出版社)は、資金繰りの都合から、一時金をもらうために新刊を出し続けなければならなくなる、ということだ。くわえて、一時金に依存しているかぎり、出版社は取次に頭があがらない、ということもいえる。したがって、大手出版社は、現状のよい取引条件を継続するために、腫れ物をさわるように取次と付き合う。中小出版社は、いまよりよい取引条件を交渉しようとしても、なかなか強く出ることができない。


 ちなみに、双風舎は現在、直販とJRC経由での取次扱いの2ルートで本を流している。7割は直販で、3割は取次。直販分については、ぜったいに実売分しか請求できないし、入金もない。逆に、売れれば、すぐに支払ってくれる書店が多い。JRC経由の分についても、新刊は4ヶ月後の締めで5ヶ月後の入金。一時金は、ありえない。


 しかしながら、一時金がないからこそ、企画には気合いが入る。売れない本を出したら、すぐにつぶれるという危機感もある。実際に売れなければ、ほんとうにつぶれてしまうのだから。売れない本を出しても、どうせ新刊注文で入れればカネになる、というのでは、どう考えても気合いや危機感は望めない。こうして、気合いも危機感もない、数あわせのための本が、書店にたくさん並ぶことになるわけだ。


 この構造は、何よりも読者にとって悲劇的であろう。数あわせの本がたくさんあるので、良書を選ぶのが困難になる。そして、1カ月後には次の数あわせの本が書棚に並び、もしかしたらあったであろう数少ない良書も、書棚から消えてしまう……。


 一時金に依存している出版社には申し訳ないが、気合いと危機感をもって本をつくるためには、一時金への依存を断ち切るしかないのではないか。売れない本ばかり出せば、断ち切った瞬間につぶれてしまうところもあろう。でも、つぶれたら、また一からやりなおして、「今度は一時金に依存しない出版社にしよう」と再建に励めばよいのではないか。


 「生活がかかっているんだから」とか、「背に腹はかえられない」という反論も聞こえそうだ。たしかに、その点では同情の余地はある。余地はあるが、読者にはそんなことは関係ない。読者は良書を求めている。


 良書を出すためには、出版社が取次に依存しないための構造改革が必要だ。読者本意に物事を考えるのならば、やはり一時金依存を断ち切ることは必要なのではないか。せめて「一時金を断ち切ろう」という意志は、もってもらいたいものである。


 以上、かなり挑発的に書いてみたが、もし出版社の方で異論反論があれば、ぜひともお聞かせ願いたい。なにしろ私は、たった4年ちょっとの出版界での経験で、こんなことを書いているのだから。きっと、私の論点には問題点が多いと思う。実際、一時金システムに依存してしまっていれば、そこから抜け出すのはたいへん(というか、ほぼ不可能)だと思うし……。


 K社で、この一時金システムを学習した結果、一時金に依存しない方向性(逆にいえば、ひじょうにリスキーで実力本位の方向性)を双風舎は選択した、ということになる。


 いろいろ書いたが、ようするに出版社や編集者の「本が売れる」「本が売れてる」という幻想は、この一時金システムからもたらされているのではないか、と私は考えている。そして、この幻想も一時金システムも、読者本意で考えれば、何のメリットもないということを、ここではあきらかにしておきたかった。


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2005年6月 3日 (金)



 いろいろ変えて、プレビューで見てみたが、けっきょく「はてな」のデザインがいいと思って、変えてみました。


 今日は「タイガー&ドラゴン」の日。楽しみだなあ。


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2005年6月 3日 (金)



 話は前後するが、そんなこんなで、2003年9月16日に創業することができた。


 会社をはじめよう、というのだから、「事務機器、備品、消耗品……。何を買ったらいいのかなあ」などと、すこしはワクワクするのかと思った。だが実際には、まったくワクワクしなかった。


 事務所は、2Kの自宅の1室。6畳の部屋の半分が事務所のスペース。この狭さは、かなり笑えるでしょう。そこに1畳くらいの机とイスを置く。イスのうしろに大きめの書棚。いま測ってみたが、机と書棚の隙間は73cm。机のうえには、デスクトップパソコン(DELL)とノートパソコン(ThinkPad S30。ちょっと古いけど、使いやすいし、カッチョいいマシンです)、キャノンの複合機MP730(これは、かなり便利)、電話などが置いてある。机のヨコには書類入れがあり、そのうえにCDラジカセ(もっぱらラジオ視聴用)。あと、発送用のバブルラップ(通称ポチポチ)がかなりのスペースを占拠し、さらには来客用の折りたたみイスもある。


 先日、S文化社のOさんが「いかに狭いか」を見にきたのだが、ふたりがイスに座ると、ほとんど膝と膝が付くような距離感となる。男同士が座るべき適正距離とは、ほど遠い「近さ」であった。通常は、来客があれば千駄木駅付近の喫茶店で会うことにしているので、けっして「そんな狭いところは、ごめんだ」とは思わないでほしい。


 しかし、この狭さを、私はけっこう気に入っている。すべてのモノが、手に届く範囲にあるということは、なかなか便利なものである。歩かなくなるので、健康にはよくないのかもしれないが……。


 複合機以外は、ほとんど創業前からもっていたモノであった。細かいモノで新規購入したのは、判子のたぐい(実印、角印、社判など)と封筒類(もちろん社名なし)、ミニ金庫(いまは使っていない)、クリアファイル、A4の紙、IP電話用の電話機……、それくらいかな。


 細かい買い物で、もっとも印象に残っているのは、会社のネームプレートである。東急ハンズにいって、緑の文字で「双風舎」と書かれたプレートを2枚ほど作ってもらった。1枚は、ちょっと大きめ(15cmX7cmくらいかな)で、アパートのドアに貼り付けるためのもの。もう1枚はちいさめで、ポストに貼り付けるもの。自宅のドアに会社のプレートを貼ることには、すこし気が引けたが、貼ってみると「いよいよ、はじまるぞ」などと気合いが入ったりした。


 本を出しはじめたら、こんな狭いスペースでは足りなくなるのではないか。当初は、そう思っていた。ところが、意外なことに、いまでもこのスペースで何とかなっている。最大の理由は、事務所にはおもに発送用として、最低限の在庫しか置く必要がない、という点につきる。


 倉庫業務やほとんどの発送業務は、創業時からJRCに委託している。返品の受けとり先もJRCだ。ときどき間違って、事務所に返品が届くこともあるが、それはごく少数である(といいつつ、アパートの玄関先には、ダンボールが10箱くらい積んであったりする)。双風舎も手探りであったが、ある意味でJRCにとっての倉庫業務や発送業務は「副業」であり、やはり手探りの状態であった。手探り同志でよくやっているなあ、などと思いつつも、お互いに、いまのところ大きなトラブルもなく、作業をこなしている。


 こうした事務所の省スペース化は、ひとり出版社をやる際に、かなり重要なポイントだと思う。もしJRCの誠意ある協力体制がなければ、省スペース化は実現しなかっただろうし、いまの双風舎はなかったかもしれない。


 考えてみれば、上記の業務のほかにも、JRCには取引契約の出先をやってもらい、営業代行をやってもらい、返品整理までやってもらい、出版業に関する相談相手にもなってもらっている。とりわけ、ときに暴走したがる私に冷や水をかけてくれるJRC代表のGさんには、足を向けて寝られないくらい感謝している。


 あと、準備したものといえば、宅急便との契約があげられる。料金を比較検討した結果、一般の荷物は福山通運と契約し、メール便はヤマト運輸と契約した。直販の場合、すべての本を書店に郵送しなければならないことから、宅急便との料金交渉はとても重要になってくる。数冊だと数十円の差が、新刊配本のときには数万円の差になったりするのだから。


 いまこうして振り返ってみると、子どものころに偽金を交換して遊んだ「おもちゃ銀行」ならぬ「おもちゃ出版社」のようで、自分でも愉快になる。だがしかし、あまり内情を暴露すると、書店や業者の方がたに「そんなちゃちな出版社と取引していて、大丈夫なのか」と思われるかもしれないので、このへんでやめておこう。


 ある書店人によると、哲学書の出版で有名なJ出版が少人数(たしか、ひとり)でやっていることを、最近まで誰も知らなかったという。知らなかったというか、巧妙に「知らせなかった」らしい。これはひとつの見識である。少人数で小規模の会社だと、悲しいかな、やはり世間的には好印象をあたえられないということなのだろうか。たしかに、そうなのかもしれない。


 とはいえ、双風舎の場合は、いまさら何を隠しても仕方がない。こうして連日、ブログで自爆しているのだから。ただ単に「開き直っている」のだともいえよう。まあ、安易に「ひとり出版社をやろう」などと考える方に、地雷を仕掛けているのかもしれない。小声で「踏んだらオシマイだよ」とささやきながら……。一方で、巧妙に地雷を避けながら前進すれば、ひとりであっても出版社の経営は可能なのかもしれない、というメッセージを発しているつもりでもある。


 念のためいっておけば、「ボロは着てても、心は錦」であり、今年に入ってから経営は安定化へ向かっているので、心配はご無用である。企画も、来年のいまごろまでの分は、すでに決まっている。


 いずれも売れ筋の企画(ホントかよ!?)……、だと思います。


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2005年6月 2日 (木)




 会社の話は、書くのに気合いが必要なので、今日はおやすみです。かわりに、芸能ネタをひとつ。


 大手芸能プロであるジャニーズに関する記事が、ニューズウィーク誌に掲載されました。ちょうちん記事以外でジャニーズがらみの記事が一般雑誌に掲載されるのは、久々のことなのではないでしょうか。


 記事は、同誌の記者が取材を申請したが、返事がないのでアポなしで事務所やジャニー喜多川さんの自宅を訪ねたところからはじまる。もちろん会えない。そして、ジャニーズ事務所の40年の歴史を振り返り、いかに同事務所がスキャンダルのもみ消しに長けているのかを説明し、どれだけテレビ局を中心とするマスコミと癒着しているのかを解き明かす。


 中居正広がある女性を妊娠させたという『噂の真相』でスクープ記事や、『週刊文春』によるジャニー喜多川の性的虐待疑惑追求キャンペーンについても触れている。そして最後に、業界内の癒着システムのなかでしか動きがとれない日本のタレントは、おそらく世界では通用しない、としめくくる。


 たぶん、この記事を掲載すること自体、かなり勇気のいることなのだと思います。芸能プロダクションは、マジで恐いところですから。外資系の雑誌だとはいえ、敬意を表します。まあ、私が敬意を表してもあまり意味がありませんが。


 おかしいと思いませんが? 女性週刊誌を中心に、テレビのワイドショーなども含め、これだけ芸能人のスキャンダルとちょうちん記事が取りあげられるなか、ジャニーズがらみのスキャンダルに関しては、一向に表沙汰にはなりません。


 ある芸能人が売れれば売れるほど、一般の人たちにはその人のスキャンダルが気にかかる(というか、スキャンダルを求めている)わけです。森進一・昌子夫婦の離婚は大々的に報道され、スマップのスキャンダルははまったく報道されない。おかしいですねえ、どうなっているのでしょう。


 ジャニーズのことはよく知りませんが、私は以前、『サンデー毎日』の方がたと「バーニング・プロダクションの暗闇を徹底的に暴く」という内容の本を出そうと考えていました。同誌で連載された記事を元に、同ブロとは何なのか、芸能界とは何なのか、ということを見つめ直してみたいと思ったのです。


 ところが、知り合いの芸能プロダクションの方に相談したところ、「殺されるから、絶対にやめておけ」といわれてしまいました。本の企画を相談して、「殺される」という言葉が出てきてしまうところが、なんともバーニングがらみの話といえます。詳細は書けませんが、芸能界というところは、政界や財界、そしてヤクザまでが関わる、一大シンジケートであることは確かです。そういうことがわかってきて、とりあえず時期尚早だと思って企画は保留にしました。


 テレビでは清純そうに振る舞うお姉さんが、大の男好きであったり、男らしい俳優がホモであったりするのは、日常茶飯事です。人間なんですから、いろいろあって当たり前。それはそれでいいのです。


 私が興味をもつのは、以下のようなシステムです。芸能界といえば、いろいろな人が関わっているわけです。芸能人本人からはじまり、プロダクション、テレビなどの映像系マスコミ、新聞・雑誌などの活字系マスコミ、劇場、企業、広告代理店、家族、友人などなど。これだけ膨大な人がその芸能人に関わっているのにもかかわらず、ジャニーズのスキャンダルは、まったく「表に出ない」。


 逆にいえば、スキャンダルを「表に出さない」システムがあるわけですね。膨大な人びとに対する、口止めとか口封じのシステムがあります。お金なのか暴力なのか。はたまた別のものなのか……。単なる興味本位なのですが、知りたいですね。このへんの感覚は、『実話ナックルズ GON』編集長の久田さんと相つうじるものがあります。


 けっきょく私たち一般人は、芸能人がマスコミのなかで表出している部分のみを凝視し、その人の私生活なんて知ったり想像したりしてはいけないんですよね。だって、私生活を知ってしまえば、「なんだ、俺たちと同じじゃん」ということになってしまい、芸能人としての高尚さが失われてしまいますから。


 ただし、それとは別の話として、私たちは、芸能人と芸能プロダクション、そしてマスコミ業界を取り巻くシステムを理解しておいて、損はないと思います。日々、テレビで見ているドラマの出演者を決めるために、どのような手続きがあり、どのような圧力が働き、どれだけお金が動いているのか。そんなことを漠然とでもいいから、知っておくのがいいでしょう。ドラマの質が落ち、つまらないバラエティー番組ばかりが増えている原因は、そのへんの仕組みに問題があるわけですから。


 「このドラマ、どうせあのプロダクションが裏で圧力かけて、出演者を決めたんでしょう。つまらねえや」と思いながらアイロニカルにドラマを観るのと、単に「つまらねえや」と思ってみるのでは、表面的には同じことですが、放映する側のテレビ局への「面白いドラマ、つくってくれ」という圧力の度合いは、まったく異なります。メディアを疑ってかかる、すなわちメディア・リテラシーの問題ですね。


 多くの人がメディアリテラシーを身につければ、メデイアもプロダクションも変わらざるを得なくなります。それらに影響力を持ち、相互依存関係にある政界や財界、やくざも変わらざるを得ない。いまの日本で、芸能人に関する以上のような状況がまったく改善されず、つまらない番組がたくさん垂れ流されているのは、ある意味で日本人のメディア・リテラシーの低さをあらわしているのかもしれません。


 いつになるのかはわかりませんが、私もメディア・リテラシーの普及を補助するような本を出したいなあ、と考えています。


 もちろん、殺されない程度の内容で。


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2005年6月 1日 (水)



 ここで、いまでも忘れられないエピソードをひとつ。はじめての本が出るちょっと前に、あるライターさんが海外にいくとのことで、その歓送会に参加した席でのこと……。


 私が雑談のなかで、前日の日記で書いたような経緯があって、書店人とともに宮台さんを囲む会をやった、と発言したところ、どこからか罵声がとんできた。「そんなことをやっていたら、大手出版社と同じじゃないか。宴会やって、書店人を招待して、著者に酒をつがせる。とんでもないことだ」とP出版のSさんに罵倒されたのだ。さらに「そんなことができるのは、首都圏の書店に対してだけだ。地方の書店の人は、いつになってもそんな会には参加できない。著者だって、地方にまわってくれる人などいない」云々……。


 初対面のおっさんからの筋違いの罵倒には腹がたったが、反論する気も起きず、ただ呆れるばかりであった。まだ本を出していない出版社に、大手出版社と同じことができるはずもない。話しの次元が違いすぎる。著者・書店・出版社という「大手宴会接待」の形式が似ているのと、大手に対する反体制的な意味合い(笑)で、Sさんは罵倒されたのでしょう、きっと。私は、囲む会をやった時点で、大手がそのような宴会をやっていることは知らなかった。だから、それを真似たものではないのだが、Sさんは私が大手の猿まねをしているように思ったのかもしれない。これも勘違い。


 反論ではないが、結果として、書店人のみなさんが宮台さんと交流できたことを喜び、そういう場を設定した弊社が各書店との直販契約をスムーズにむすべた。宮台さんも書店人と話しができたことを喜んでいた。大手がやっているから宴会は駄目だ、と切り捨てる前に、Sさんはみずからも著者と書店人との接点をつくるべく動くべきなのではないか。著者も書店人も喜びますよ。けっして接待ではないかたちで、場を設定すればいいんですから。


 あと、首都圏の書店人しか集まれないから駄目だ、というのにも無理がある。あの時点での私の願いは、できるだけ多くの書店と直販契約をむすぶことなのであり、財力もコネクションも限られている私にできることは、新宿の酒場で交流会を開催することくらいだったのだから。


 それに、「地方の書店は……」という点は、確かにそのとおりなのだが、それをいったキリがないでしょう。「著者と書店人の交流会」を全国で公平に開催する(「交流会」の社会主義的展開!?)なんてことは、それこそ大手しかできない。本も出していない出版社には、限られた条件で身近なところからはじめていくしかない。


 もう一点、「そんなの有名な著者だからやれることであって、すべての著者ができることではない」とSさん。またまた社会主義的平等とか公平への夢物語を語りたいのであろうか。それは当たり前のことです。双風舎はこれから本を出すのだから、できるだけ読者や書店の関心を得られるような著者の本を出さなければならない。そうしなければ、つぶれてしまうという強大な危機感がある。だから、著名な著者にお願いして、対談本の企画をたてた。


 有名な著者だから、書店人が集まるというのは、ごもっともでしょう。とはいえ、そういったことも折り込み済みで、第一弾の企画を決めているわけだ。私だって、カネが余るほどあったら、無名だが可能性を秘めた新人の本をたくさんつくりたい。P出版さんのようにね。でも創業時はそんな余裕はない。どうにかして、第一弾を売って、次の本につなげることが至上命題である。いずれにせよ、『挑発する知』が売れなかったら、会社をたたむつもりだった。


 有名な著者の本を出そうが、無名の著者の本を出そうが、それはそれぞれの出版社が決めること。無名の著者の本を出して討ち死にすることに価値を見いだすか、有名な著者の本を出して、まずは生き残ることに価値を見いだすか。それも、各出版社が決めること。たまたま創業時であり、たまたま有名な著者の本を出すことになり、たまたま思いつきで交流会をやっただけなのに、Sさんはなぜ、あんなに突っかかってきたのだろう。


 Sさんの言動には、「平等」とか「公平」とか「草の根」というような、昔の左翼的なものをそこはかとなく感じた。そのうち「主体」とか言い出しそうな雰囲気であった。つまり党派の匂いがした。ある党派にとっては、おそらく有名人の本を出したり、有名人と宴会をやったりすることは、どんな理由があれ、信条的に許されないことなのかもしれない。でも、そんな党派性にこだわる時代は、とっくに過ぎ去っている。本人もわかっているのでしょうが、酒が入ったりすると、ついつい若い衆に説教したくなるんでしょう。


 私は、カンボジアで暮らしているときに、かなり多くの似たようなタイプの人と出会った。NGOとかフリージャーナリストとか、いろいろいたなあ。「正義」「平等」「庶民」「草の根」「開発」なんて言葉を、無責任に使う人たち。そういう人の多くが、ベタにその言葉をいい、ベタにそれを実践しようとする。それで、たちいかなくなると、カンボジアの人や社会が悪いといいだす。私が学んだことは、平気で「正義」や「平等」を振りかざす人ほど、距離をおいて付き合った方がいい、ということだった。


 以上のようなかたちでSさんに罵倒されたことは、いま考えてみると、よかったことなのかもしれない。これから出版をやっていくときに、新興の出版社の人に対して、Sさんのようには振る舞わないようにしようと思ったし(いきなり、あんなこといわれたら、「なんだ、この人は?」と思ってしまうし、弱気な人だったらやる気をなくしますよ~)、自分のやり方でも間違ってはいないということを、経営を軌道に乗せることでSさんに証明しようとも思ったのだから。


 この思いは、ルサンチマンなのだろうか? 何なのだろうか??


 偉そうなことを書いてしまったが、現状では残念ながら「経営を軌道に乗せ」られているとは、けっしていえない。だから「自分のやり方が間違ってはいない」と、いいきることができない。道は険しいものの、日々、出版道に精進するのみ。


 というわけで、以上、若輩者の戯れ言ということで、ご容赦くださいませ、Sさん。


 もっと本を出して、たくさん売って、経営が安定してきたら、Sさんに会いにいくことにしよう!


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2005年6月 1日 (水)



 すごいコンサートでした。なにがすごいって? 小椋佳と薩摩琵琶と演歌が夢のコラボレーションだったのです。だからすごい。小椋さん自身も、今日のコンサートは、数日前に九重親方の家で食べた「ちゃんこ鍋」みたいだ、といってました。


 二部制で、第一部が薩摩琵琶の実演と演歌(30分)。これは眠かった……。そして第二部が、「歌談の会」と称する小椋さんのコンサート。これは最高でした。「白い一日」や「俺たちの旅」、「愛しき日々」など、古めの曲を数曲やったあと、歌劇から演技を抜いたような物語がはじまった。


 ミュージシャンも含めたステージの全員が、劇中の役柄を担当し、セリフをしゃべる。ときどき、歌が入る。1時間くらいやっていたでしょうか。とても面白かったです。劇中に歌われた「愛燦々」で感動は絶頂に……。この歌、美空ひばりもいいけど、小椋佳のも深みがあっていいです。


 場所は、渋谷公会堂。途中、2回の地震を感じたものの、ステージ上は何事もなかったかのように、粛々と演奏がつづいていました。主催が「渋谷・鹿児島文化等交流促進協議会」というNPOで、鹿児島の人がたくさんきていたようです。


 観客の多くは、50歳以上の方でした。私の座席のうしろに座ったふたりのおばちゃんが、「親類が亡くなってねえ」「私なんて、もう友だち3人、死んでいるからね」と、ひたすら死人の話をしていました。サンボマスターのライブとは、客層が100%異なっていて、何ともいえませんでした。


 小椋さんは歌もうまいし、しゃべりもうまい。MCで「人間は記憶する動物なんですよね」とか「自己同一性」という言葉が出てきたりするのも、いい感じでした。


 若い人にも、小椋さんの歌を聴いてもらいたいなあ。


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