双風亭日乗

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2005年8月 9日 (火)

鬼平犯科帳



 茅ヶ崎で花火を見たら、テレビ版「鬼平犯科帳」のエンディングで、ジプシーキングスの音楽にのって流れる花火の映像を思い出しました。さっそく「鬼平」のDVDを借りて観ました。長谷川平蔵がかいま見せる厳しさとやさしさのバランスは、いつ観ても「すごいなあ」と思います。


 池波正太郎の原作は、もちろん何度読んでも飽きない作品ですし、しばしば我が家付近で事件が起きたりして、とても楽しめます。とはいえ、テレビ版は別個の作品として、これまた楽しめる。中村吉右衛門はあまりにも鬼平の役にどんぴしゃりで、彼を抜擢した人は、これまた「すごいなあ」と思ったりします。また、時代劇のエンディングにジプシーキングスを採用した人も、「すごいなあ」と思います。


 このように、何回も「すごいなあ」と思いながら観るのが鬼平なのでした。


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コメント

多分、leleleさんが市職員の頃には縮小され、二階から上の階に移動して有隣堂と比べるとあまりにも小さい本屋さんになり、今では撤退して跡形もないです。玩具店では名前が知られたキディランドです。1968年頃?関内駅そばに横浜センタービル(現在は名前が変わっています)2階にワンフロアーとしては日本一の坪数(230坪)で出店したのです。
地元の有隣堂は日販、キディランドは東販で二大取次ぎの代理戦争と言われたのです。松信さんは、地元の名士でやはり、飛鳥田さんたちと同級生でしょう、確か…。
当時のキディランドのオーナーは玩具業界のみならず専門店業界でいち早く、スーパーマーケット理論を取り入れた革命児(橋立孝一郎)だったのです。ダイエーの中内さんたちらと同じような流通革命を実践していたのです。それが、ある日突然、イケイケどんどんで、多店舗展開(梅田地下街に出店など)などをしていたのですが、財務上の躓きで、取次ぎ、玩具問屋からハシゴをはずされたのです。1970年後半の話です。
しかし、小売業界では多分始めての事例として会社更生法が適用されたのです。80年代を迎え、財務を圧迫していた梅田店などの玩具店が売上げ好調となり、早期に会社更生法適用が解除になりました。
でも書店の方は撤退が原則だったのです。今では千葉店が残っているぐらいですね。あとは玩具店ばかり。
多分、leleleさんが市役所にいらっしゃた頃には、キディランド関内店は目にとまらなかったかもしれないですね。僕がいた頃は後年推理小説作家で有名になった斎藤栄さんが飛鳥田さんの市長企画室?の秘書をやっており、蝶ネクタイ姿でよく本屋さんに立ち寄ってくれました。NHKの平野次郎さんが横浜支局にいた頃の大昔です。僕のブログで時々この頃の話を書きますよ。いつか…。当時のキディランド関内店について紀田順一郎氏がどこかに書いているはずです。僕がいた頃はあまりにもユニークで飛んだ本屋さんだったのです。今では考えられない本屋さんでした。怪しげな洋書コーナーも、規制前のモデルガンコーナーもありました。でも、人文コーナーは充実していましたよ。ルビコンコーナーなど、アングラコーナもありました。創刊された「ぴあ」は直販でしたが、関内店にはありました。(創業者たちが学生の頃、関東一円の本屋を営業でまわったのです。横浜ではキディランドのみの販売でした。)
リブロ池袋店で人文棚を中心に街のポストモダン風景を演出して専門書を大量に売った(まあ、このあたりのエピソードは現在ジュンク堂池袋店の田口久美子が「書店風雲録」で面白く書いています)今泉正光氏も別の店ですけれど、キャリアスタートはキディランドです。田口久美子氏もそうです。上記の本に書いていることなので公開しました。

投稿: kuriyamakouji | 2005/08/09 16:47:58