双風亭日乗

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2005年8月16日 (火)

敗戦記念日に寄せて



 暑い日がつづき、なんとなく書く気力がおきず、更新をさぼってしまいました。東京の夏は、熱帯モンスーン気候のカンボジアよりも暑いような気がします。日本全国、こんなに暑いんですかね。


 さて、昨日は敗戦記念日。テレビでは「戦後60周年」を掲げた、番組がたくさん放映されています。


 宮台真司さんと宮崎哲弥さんが、TBSラジオの「軍歌も含めた(!?)Jポップ批評」特別編に出演していました。おたがいに、みずからの親から語り継がれた戦争話を紹介しつつ、戦後史における軍歌の位置づけを検討したりして、なかなか面白い構成でした。


 ところで仲正昌樹さんは、著書やトークで戦争責任問題に触れる際、しばしばドイツのヴァイツゼッカー元大統領が敗戦40周年記念日におこなった演説を取りあげます(演説のくわしい内容は、岩波ブックレットの『荒れ野の四十年』を参照してください)。仲正さんの理解によると、ヴァイツゼッカーの姿勢は、「ドイツ連邦共和国の下での経済的繁栄、福祉、教育、安全、自由など」といった遺産を享受しているのであるから、当時は生まれていなかった人であっても「親の遺産を相続する時に、負の遺産(借金)も一緒に相続しなければならないのと同じ理屈」で、過去の帰結に対する政治的責任を負う、というものです。(『日本とドイツ』ちくま新書、42-43p)


 ちょっと横道にそれます。私がカンボジアから帰国してK社の代表になったとき、前社長の残した個人保証の負債をどうするのかという問題が生じました。そして、基本的には故人が負債(借金)を残した場合には、「遺産」として故人の家族が相続する必要のあることを知りました。とはいえ、負の「遺産」を残された家族には、相続放棄という法的手続きをとることにより、その借金を背負わなくてすむようになっています。


 相続放棄というものを知ったときに、ある種の救済システムだということを理解しながらも、すこし違和感を感じました。だって、故人の家族が負の「遺産」を放棄した場合、放棄された側の債権者は法的な貸し倒れになってしまうのですから。K社の場合、私が会社を引き継いだので、借金はそのまま私が背負うことになったのですが。


 この遺産相続および相続放棄の問題は、「遺産」という言葉を「戦争責任」という言葉に入れ替えれば、戦争体験のない世代が、先人による戦争の正の遺産と負の遺産をどのように考えるのか(相続するのか)という問題に、そのまま直結すると思うのです。


 そう考えると、先の戦争において日本が侵略・侵出したからこそ、アジア諸国の近代化などが進んだという議論は、正の遺産の問題となりましょう。単純にうなずける議論ではないものの、ここでは正の遺産を相続するという文脈で「よし」としておきましょう。で、問題は負の遺産です。正の遺産を相続するのであれば、同時に、植民地化や侵略・侵出によってアジア諸国がこうむった負の遺産も、「戦争体験がないから……」といって放棄するのではなく、相続するのが筋だと私は思うわけです。


 遺産を相続する、ということは、すなわち正負の遺産を同時に相続する、ということです。正の遺産だけを相続して、すべてを正当化してしまうのは、あまりにも安直で自分勝手な発想だと思います。8月14日のNHKスペシャルで、姜尚中さんや上坂冬子さんらが靖国問題を討論していましたが、靖国参拝支持派の議論はあからさまに正の遺産だけに注目したものでした。一方、姜さんら参拝反対派は、左翼チックに戦争責任を追及するだけではなく、正負の遺産をバランスよく相続すべきであるという議論に終始していました。議論がまったくかみ合わず、NHKで朝生を見ているような気分になりました。笑


 なぜこの話を出したのかというと、8月13日に日比谷野音でおこなわれたイベントでも、昨日のラジオでも、宮台さんがヴァイツゼッカーの姿勢に注目すべきだという主旨のことをいっていたからです。上記でだらだらと書きましたが、戦争責任という遺産を、戦争体験のない世代がどう相続するのか、という部分において、仲正さんと宮台さんの問題意識がかなり近いところにあるような気が、私にはします。


 単純に、著者のふたりがいっているから「みんなで信じてみようぜ」という気など、さらさらありません。思想的には、かなり離れたところに立つこのふたりが、戦後60年という節目の時期に、戦争責任問題についての見解をほとんど一にしているということについて、私たちは注視してもいいのではないか、と思うわけです。


 「戦争反対!」と「反戦平和」などというスローガンは、ごもっともです。しかしながら、そういうことが説明なしに、するりといえてしまったり、信じられてしまったりすることには、大いなる疑問を感じます。だから、自分の子どもに頭から「戦争は、いけないことなんだよ」なんて教えるつもりは、まったくありません。


 8月13日のNHK教育・ETV特集で「零戦ニ欠陥アリ」という秀逸な番組が放映されていました。内容は、「戦争に勝つという大義」と「よりよい戦闘機をつくろうという良心」で、戦中に零戦を設計した人たちが、海軍幹部による現場を無視した高圧的な指示を受けながらも、ひたすら戦闘機の性能向上を考え続けた、という話です。イデオロギーに支配され、自浄作用のなくなった組織が、いかに矛盾に満ちたものになってしまうのか、という側面を、零戦設計者と海軍上層部の関係からあぶり出したドキュメンタリーです。すこし極端な話かもしれませんが、この番組で「自浄作用を失った組織」の個別具体的な事例を見聞したほうが、「戦争反対!」などと頭ごなしに教え込むよりも、結果的に実りのある結果(戦争がバカらしいと思うような思考)をもたらすような気がしました。


 戦時の悲惨な写真や映像を見せて、「戦争は酷い」と子どもに知らせるのは、ひとつの反戦思想を継承するための手段なのかもしれません。駅前や街頭で、よく見かけますよね。とはいえ、そういうことを知らせるよりも先に、人と人は、集まった瞬間から、排除やいじめが自然発生してしまう可能性があるというシステムを知らせる。そして、人が集まって組織をつくり、その組織が自家撞着したときに、矛盾に満ちた暴走をはじめる可能性があるというシステムを知らせる。そういったことを、個別具体的な事例を取りあげながら検討することが、結果として、戦争のバカらしさを理解する近道であるような気がします。


 道路公団の談合、学校のいじめ、自民党分裂、イラク戦争、パレスチナ問題などなど、身近な事例はいくらでもあります。みずからも直面しそうで、かつ身近なところから入って、すこしずつ過去の歴史をさかのぼるように、私の子どもが反戦平和を学んでくれたらいいなあ。


 人は、ちょっとしたスイッチが入るだけで、いとも簡単に人を殺してしまうし、いじめてしまうし、排除してしまう。それらが拡大再生産していくと、最終的には戦争になってしまったりする。だから、スイッチが入らないように、気をつけるクセをつけようぜ。「みんなで仲良く反戦平和」なんて夢物語は、キッパリと捨て去ろう。そして、自虐史観だ自由史観だと騒いでるオヤジたちなんて、無視していこうぜ。そんな議論のもっともっと手前に、歴史認識を考えるヒントがごろごろしているんだから。


 このスイッチ問題は、私がカンボジアから日本に持ち帰ったお土産のひとつでもあります。そのうちスイッチに関する本でもつくろうと思っています。


 そんなことを、つらつらと考えた敗戦記念日でした。


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