双風亭日乗

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2005年9月19日 (月)

編集実況



 土日は、近所の根津神社の祭だったが、来年が大祭とのことで、いまひとつ盛り上がりに欠けていた。


 『限界の思考』。届いた原稿のチェックを済ませ、印刷屋に送る。のこりはMさんの「あとがき」のみ。これは、最悪の場合でも、入稿の直前に入れればどうにかなる。とにかく本文のすべてをゲラにすることができて一安心。ここ数ヶ月で、Mさんには80枚くらいファックスを送ってしまった。ファックスの内容は、催促がメインなのだが、身辺雑記を記したり、フォントやデザインを変えてみたり、けっこうバラエティに富んでいる。もし連日、似たような内容とデザインのフィックスが送られてきたら、自分だったら嫌になってしまう。それにしても、7月刊行予定の期日をしっかりと守ってくれたKさんには、刊行が遅れてしまい、ほんとうに申し訳ないことをしてしまった。今度、谷中で一杯おごりますので、お許しくだされ。両筆者による怒濤の加筆のため、頁数が400を超える見とおし。原価が増えてしまうが、いろいろ調整して定価は税込み1995円に抑えるつもり(どうしても無理だったら、100円くらい上がってしまうかもしれません)。構成もすこしかわりました。以下、最終稿の目次を貼り付けておきます。目次だけで、こんなにたくさんあるんですよー。



宮台真司・北田暁大著


『限界の思考』


目次


まえがき  北田暁大


第一章 空虚な時代を生きる


 一 保守思想を考える


  あえてするコミットメントと保守主義の台頭


  崩壊するコミュニケーションの地平


  ホンモノの右翼と保守


  左派によるロマン主義への繊細な考察


  人間の理性は世界を覆えるのか


  私たちが物事をまじめに考える動機


 二 アイロニー、ロマン主義、そして社会学


  思考のパッケージとしてのハーバーマス=ルーマン論争


  社会学とロマン派とアイロニーの結節点


  天皇論を持ち出すことの本意


  ロマン主義とは何か


  「超越系」と「内在系」


  認識上の転向、実在上の非転向


  形式を反復するロマン主義の罠


  アイロニカルな社会学が立ちあがる土壌としての日本


  この空虚な時代を、どう色づけしていくのか


第二章 文化を記述する方法


 一 「価値自由」とは何か


  あえてウェーバーの価値自由を提唱する


  理論家/実践家としての廣松渉


  上野千鶴子という非還元主義者


  私が社会学者になった理由


  「理論家」宮台と「文化社会学者」宮台は断絶しているのか?


  日本のカルチュラル・スタディーズの問題点


  いまなぜ「政治の季節」を語るのか


  人はなぜ全体性に惹かれるのか


  政治への意志を社会と接続していく


 二 文化を研究することの意味


  流動性への抵抗力を供給するサブカルチャー


  認識は脱政治的に、実践は政治的に


  カルチュラル・スタディーズのあるべき姿とは


  非還元論的な文化研究をめざす


  文化を記述することの難しさ


  社会学的な想像力を磨く


  モードの変化に気づく力を養う


  反省を分析する手法の開発が求められている


  限界の思考


第三章 社会学はどこへ向かっていくのか


 一 「意味なき世界」とロマン主義


  人間であり続けることは、どういうことなのか


  ロマン的なものと動物的なものが反復する社会


  近代システムの特徴としての再帰性


  ロマン主義再考


  日本は思想の全体構造を見わたしづらい?


  かつて想像された全体性がよみがえる


  「意味なき世界」を肯定するような習慣


 二 「脱呪術化という呪術」の支配に抗う


  人間は壊れているという自覚


  乾いた語り口が切り開く思考空間を求めて


  ローティの「反思想という思想」


  虚構のうえに成り立つ近代社会という前提


  社会学者はいま、何をすべきなのか


  保守主義と構築主義というふたつの武器


  超越への断念と批判への意志を貫く 


第四章 アイロニーと社会学


 一 戦略的アイロニズムは有効なのか?


  時代とともに変化するアイロニーの構造


  ポスト八〇年代をどう見るのか


  日本には「消去しきれない理念」がない


  オブセッションが人をどう駆動するのか


  大澤真幸の単純さ


  アイロニーがオブセッションへと頽落する戦後サブカル史


  戦略的アイロニズムはオブセッションへの処方箋


  オブセッシブな後続世代は、先行世代の餌食


 二 楽になるための歴史と教養


  若い世代は軽いようで重い


  教養という旅をした世代、旅ができなかった世代


  八〇年代を退落の時代と位置づけてよいのか


  視界の透明性が存在しない後続世代


  歴史地図のなかに価値を滑り込ませたくない


  七〇年代的アイロニーを再評価することの危うさ


  歴史をとおして自分の位置を確認する


  強迫性を解除するための方策とは


第五章 限界の思考


 一 全体性への思考と専門知


  治療としての歴史記述


  奇妙なかたちで流用される専門知


  何が道具で何が知識なのかを考える


  教養主義者としての蓮實重彦


  依拠すべき参照項の消えた時代


 二 社会の操舵が困難な時代 


  いまこそギリシャ哲学に学べ


  分析哲学を見直す


  オースティン、サール、そしてデリダ


  何を意図しているのか、はじめに話してしまったほうがよい


  宮台アイロニーへの思い違い


  『歴史の終焉』という終焉を生きる


  啓蒙の対象はエリートなのか大衆なのか


  合理性のない欲望が肥大化する日本社会


  国粋はかならずしも、愛国の体をなさず


  公共的であることの困難


あとがき  宮台真司



 『デリダの遺言』。初校の直しは終了。印刷屋に送る。Nさんは、マジで仕事が速い! 助かります。


 来週なかばから再来週はじめにかけて、ふたつの本のゲラ(合わせて約700頁分!)が届く。届いたら、また寝られなくなる。とはいえ、ゲラが来るまでは、営業をちょこちょこやって、デザインまわりを確認するくらいの作業量(あっ、11月12月の仲正×北田トークの構成も考えねば)。というわけで、今日から2泊、家族で軽井沢にいってきます。おそい夏休みということで。


 中秋の名月。美しかったなあ。


 


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