双風亭日乗

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2006年1月30日 (月)



わが母校の神奈川大学では、年3回ほど「神奈川大学評論」という雑誌を出しています。最新号の特集は「未来アジア論――新世紀の東アジアをめぐって」。弊社の著者である丸川さんや姜さんが執筆し、的場さんが連載しています。本号では東アジア特集ということで、孫歌さんや朱建栄さんも書かれています。中身が濃いですね~。


私もときどき、コラムや随想で参加しているのですが、今回は「アジアとボランティア」という文章を書いてみました。以下、転載しますのでご笑読くださいませ。内容は、10年ほどカンボジアに滞在してみて、強く感じたことです。なお、以下でW大となっているのは早稲田大学のことです。



アジアとボランティア



 いま上智大学の学長をやっている石澤良昭さんと知り合ったのは、一九九〇年あたりでしょうか。私がカンボジアで旅行社を経営しているときに、石澤さんはアンコール遺跡の調査団長として、何度も何度もアンコールの地を訪れていました。


 遺跡調査団の旅行手配をやっているうちに、大学院に通うようになり、また調査・研究の対象をアンコール遺跡周辺の農村に設定したことから、私は遺跡調査団の一員になりました。そして調査団には、修士論文執筆のための調査費用を、支援していただきました。


 九〇年あたりから九五年くらいの、いわば調査団が本格的に現地で活動する時期に、私は石澤さんの現地秘書のような役割を担っていました。ずっと現地に滞在しており、何かと便利なので使っていただけたのだと思いますが。その後も帰国まで、私は一応、調査団の一員でした。つまり、石澤さんの活動を一〇年間、間近で見てきたことになります。


 では、石澤さんが、どんな姿勢でアンコール遺跡と向かい合ってきたのか。紀伊國屋書店の書評空間というwebページに掲載された、早瀬晋三さん(大阪市立大学教授)による石澤良昭著『アンコール・王たちの物語-碑文・発掘成果から読み解く』(NHKブックス)の書評から引用します。



 「今は遺跡どころではない。食糧供給が先だ」と言われた一九八〇年代初期の疲弊したカンボジアで、著者、石澤良昭は「食糧は近隣の米産国からいくらでも手に入るが、アンコール・ワットが崩れ落ちたら二度と元の姿には戻せない」、「遺跡も人も大切だ」と主張しつづけた。「なぜこうまでもアンコールに執着」するのか、よく訊かれる質問に、著者は「なかなか明快にその理由を説明できないが、アンコール・ワットの大伽藍に魅せられて楽しんでいるのではないことだけは確かである」と答えている。その答えの一端は、著者の「カンボジア人による、カンボジアのための、カンボジアの遺跡保存修復」という国際協力の哲学からみえてくる。著者が半世紀にわたって守ろうとしてきたものは、一言で言えば「カンボジアの至宝」だろう。しかし、その「至宝」の意味をほんとうに理解できるのは、カンボジア人以外にいない。そのことがわかっているだけに、カンボジア人ではない著者には「明快にその理由を説明できない」もどかしさがあるのだろう。著者のカンボジア史研究は、カンボジア人のもっている手の届かない尊厳さに一歩でも近づくことではなかったのだろうか。



 たしかに、私が暮らしはじめた九〇年のカンボジアは、ポル・ポト時代からベトナムによる統治の時代に移っていたものの、まだ内戦がおさまらず、何かにつけて文化よりも衣食住への支援の重要性が指摘されつづけていました。まさに「遺跡を修復するカネがあるのなら、俺にくれ」という感じ。そんな状況のなか、社会主義国家にありがちな、役人のやる気のなさが蔓延する文化情報省(のちに文化芸術省)に、石澤さんは根気強く通いつめて、遺跡の調査・研究・修復の許認可をとっていました。「通いつめて」と書きましたが、先生は日本の大学で仕事をしているのですから、「通いつめ」ることは、日本とカンボジアを何度も往復することを意味します。


 はじめは、某国立芸術大学の学長や某大企業のお偉いさんらがコミットしていた調査団も、文化利権(だれがどの遺跡の修復をやり、その研究成果をわがものにして、関連大学や関連企業は儲けるのか、というような)のようなものをめぐって、外務省の全面バックアップを得られることになったW大を中心とする調査団(以下、W隊)と、石澤さんを中心とする調査団(以下、上智隊)とに分裂しました。当然ながら、前者の予算規模は、後者より一桁も二桁も多いのです。こうして、石澤さんが立ちあげた調査団から、立ちあげた本人がパージされるようなかたちになりました。


 私が石澤さんと出会ったのは、分裂前後の時期でした。上智隊の主な活動資金の出所は、文科省の科学研究費です。しかし、その額は海外の遺跡を調査・研究するのには、どう考えても不十分でした。一方のW隊は、つぎつぎと現地に人材を派遣し、ゼネコンを巻き込んだかたちで、大型で最新の機材などを次々と投入する。それを横目で見ながら、石澤さんは地道に資金調達をして、現地に人材を毎年派遣したり、研修所を建設していました。これは憶測ですが、かなりの自己資金も費やしていると思います。


 そんな石澤さんは、ときに旅行客のガイドをやったり、テレビに出演したりするわけですが、その報酬はほとんど、調査団の活動資金にまわされています。学部長や学長を務めながら、年間、何度も現地を訪れるためには、かなり無理をしたスケジュール調整が必要でしょう。みずからが儲かるわけでもないのにガイドやテレビでギャラを稼ぎ、それを調査団につぎ込む。みずからの資金を投入する。多忙な時間を無理に調整してまで、現地を訪れる。さらに、そこまでアンコール遺跡に入れ込むみずからの姿勢を、「なかなか明快にその理由を説明できない」。


 私には、石澤さんのような姿勢で活動することが、まさにボランティアという言葉の本義にかなっているような気がしました。アンコール遺跡の調査・研究・修復を進めることが、石澤さんにとっての究極の自己満足の形態であり、そのためにはガイドもやるし、時間もつくる。石澤さんの大いなる自己満足によって、現地では遺跡が守られ、地元の人材が育っていく。こうした活動を続けていると、石澤さん自身は求めていないものの、結果的に地位や名誉が付随してくる。


 アジアには、「貧しい」といわれている国がたくさんあります。とりわけポル・ポト時代以降のカンボジアは、アジアのなかではもっとも「貧しい」といわれていました。「貧しい」国には「援助」をしようということで、ボランティアと称する組織がはびこり、ボランティア・スタッフという人びとが徘徊します。


 現地で感じたのは、英米の組織の場合、個々のスタッフがボランティアを「職業」として意識し、報酬を得るための方策として「援助」をおこなっているように見えたことでした。「援助」を「職業」として遂行することにより、たまたまボランティア的な地位や名誉が付いてくる。


 かたや日本の組織は、援助「活動」をするために現地入りし、「人助けは、いいことだ」と思い込んでいる人が多く、報酬を得るための「職業」だと自覚している人は少ない。ほんとうは、人を助けることによって得られる自己満足を実現するために現地入りするのだし、報酬がなければ食っていけないのだから、あきらかに現地で仕事をしていることになります。とはいえ、日本人のメンタリティだと、「援助」や「奉仕」をすることは、無条件に「いいことだ」となってしまう。そのメンタリティが、ボランティアと称して海外で活動する人びとの意識から自己満足という文字を奪い取り、「いいことをしている」という偽物の地位と名誉を植え付ける。


 はじめからボランティアを名乗って活動できるのは、よほど時間と金に余裕のある人だけでしょう。本来は、自己満足のために何かをしたら、たまたまそれによって対象となる地域や人、モノなどが利益を得たり、助けられたする。それがボランティアの本義なのでは。ボランティアのために働いたり活動したりするのではなく、働いたり活動した結果がボランティアになっていた、というのが本物のボランティアだと私は思うのです。


 以上のような意味で、アンコール遺跡に対する石澤さんの活動は、まさにボランティアといえるものです。石澤さんの提灯を持つわけではありませんが、ボランティアと称して海外で活動する方がたは、本物のボランティアとしての石澤さんの側面から、多くのものを学ぶべきだと強く思います。現地の人びとに喜ばれる活動を続けながら、やってる本人は「なかなか明快にその理由を説明できない」。カッコいいじゃ、ありませんか。



<追記>


ちなみに、私の滞在中にカンボジアで活動していた日本人のボランティアが、何かを勘違いしていたり、偽善の匂いがしたと指摘する理由は、日本のボランティア組織やそのスタッフに元左翼が多いなどという陳腐なものではありません。それは、どうでもいいことです。なかには右系の組織もあったし、宗教がらみの組織もありましたから。


さまざまなボランティア組織の活動を垣間見て、スタッフとふれあった結果、勘違いと偽善の匂いがしたということです。もちろん、すべての組織とスタッフがそうだ、などというつもりは、まったくありません。ちゃんとしている人もいました。少数ですが。


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2006年1月29日 (日)



新刊が出ると送り、新しい号がでると送られる。私とミリオン出版の久田さんは、そんなことをつづけています。会ったのは2回くらいなのですが。私が全面的に信頼している出版人(というかジャーナリストですね)のひとりです。


今月も彼が編集長をやっている、こわい表紙の「月刊実話GON! ナックルズ 参月号」を送っていただいたので、ここに紹介いたします。この系統の雑誌で、いまどき10万部以上も売れているなんて、手品のようなもんじゃありませんか。


遠藤賢司さんにはある歌で、「安直にがんばれというな」(by 不滅の男)と指導されておりますが、ここは素直に「がんばれ!」と久田さんにエールを送ろうと思います。


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2006年1月28日 (土)



昨晩、3年ぶりにジャーナリストの寺澤有さんと飲みました。


寺澤さんのプロフィールは、こんな感じです。



寺澤有 (ジャーナリスト)


てらさわ・ゆう 1967年生まれ。中央大学法学部在学中からジャーナリストとして、警察や検察、裁判所、会計検査院、防衛庁、記者クラブなどの聖域となりがちな組織の腐敗を追及し始める。著書に『警察庁出入り禁止』(風雅書房)、『PL法事始』(三一書房・共著)などがある。



知る人ぞ知る反警察(というか反権力)ジャーナリストなのですが、会って話していると、やさしいおにいさんだったりします。武富士と大げんかしたことでも、有名ですね。もちろん寺澤さんがけんかに勝ちました。


最近は、共謀罪の反対運動の中心人物として活躍しています。活動の詳細は、以下のブログでご覧になってください。


共謀罪反対 http://incidents.cocolog-nifty.com/the_incidents/


また同ブログで「共謀罪に反対する表現者たちの集い」というDVDが発売されています。昨年10月に開催された「集い」の映像記録です。司会は寺澤さんと元「噂の真相」編集部の神林さん。「集い」の様子をうかがっている公安のみなさんなども撮影されていて、なかなか楽しめる内容となっています。予告編もありますので、ぜひ以下をクリックして詳細を確認してみてください。


http://incidents.cocolog-nifty.com/the_incidents/2005/12/2_e79e.html


寺澤さんとは、10年以上の付き合いになりますね。カンボジアに取材で来たときには、なぜか麻雀をやったりもしました。


昨日の話で気になったのは、いま完全原稿が書けるライターが激減していて、仕事が一部の書けるライターに集中している、ということ。執筆を依頼しても、取材メモのようなものや箇条書きで原稿を送ってくる書き手が多いとのこと。


こんな調子では、紙媒体の未来は真っ暗だということで、話がまとまりました。


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2006年1月26日 (木)



ある日、ハワイに本籍があるというホニャララ大学というところからDMが届きました。封を開けると、「『教授』御登録のご案内」という文書が出てきました。「ほほぅ、教授っていうのは、登録できるのか」と思いながら、その文書を読みました。


「本趣旨といたしましては、『教授』としての社会的地位を有効にご活用いただき、経営管理者職にある方々と本学双方との、より一掃の発展を期することに御座居ます」と読みすすめるうち、腹立たしくなる前に、笑ってしまいました。


指定口座に10万円を振り込むと、「教授」資格証なるものが発行され、それは1年間有効とのこと。で、期限が切れると、またお金を払って「更新」するそうです。


2枚目の文書は「期限付き『教授』登録申請書」。これがまた笑えます。「教授」としての専門分野を、記入者が任意に書き込む欄があります。つまり「10万円払うと、好きな分野の『教授』になれるよ」ということなんですね。


ちょこっと調べてみたところ、このホニャララ大学に所属する教員の方々が、これまた強力なラインアップでした。よくぞこれだけトンデモ系の方がたを集めたなあ、と感慨深いものがありました。かつ、右翼系の新宗教団体との関係が深いようでした。


登録するかしないかは、もちろん自己責任で判断すればいい話しです。とはいえ、これに登録して「教授」になろうとする人なんて、ほんとうにいるのでしょうか。登録して、何のメリットがあるのでしょうか。社会的には、何の意味もなさないと思うのですが。自己満足できるのかなあ?


こういうのをディプロマミル(diploma mill)というんですね。調べてみて、はじめて知りました。世の中には、知らないことがいっぱいあるもんです。


うさんくさい文書でしたが、ちょっとだけ楽しめました。もし八百屋のおっちゃんが専門分野を「八百屋学」で登録して、「教授(八百屋学)」なんて証書を持っていたら、それはそれでおもしろいなあ、などと想像してみたり。キャバクラの常連さんは、「教授(キャバクラ学)」とか。ねえ、渋井さん。(笑)


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2006年1月26日 (木)



弊社刊『冷戦文化論』の著者である丸川哲史さんが、『日中100年史』(光文社新書)を刊行されました。


なぜ日本人は、中国の歴史的な評価について、混乱しつづけてきたのか。そのことを、日本と中国の100年にわたる関係からあきらかにするのが、同書のねらいだと思います。


丸川さんは、いつも悩んでいます。中国、台湾、韓国、沖縄、文学、そして日本について、悩んでいます。


研究者なのだから、研究対象について悩むのは当たり前だ、と思われるかもしれません。でも、そういう悩みを絶えず持つ人は意外に少なくて、学内政治やら就職やらといった、研究とは関係のないところで悩んでいる研究者がけっこう多い。


就職については仕方ないとしても、学内政治に心血を注いでいる研究者(ではなく、ただの教員)の存在を知るたびに、「大学の先生って、何よ?」と私は思ってしまいます。


そんな悩める研究者ぶりに惚れこみ、「早稲田文学」に連載されていた「冷戦文化論」を刊行したいなあと思いました。


あと、現代の日中関係を悩みつつ考える鍵として、竹内好の思想を活用できないかという丸川さんの姿勢にも共鳴しています。


日中関係を悩みぬいた(悩みぬいている)丸川さんだからこそ書ける、日中100年の歴史。ぜひご一読ください。


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2006年1月25日 (水)



写真は、自宅から不忍通りを眺めた風景です。空が綺麗だったので、撮ってみました。


東から西に向かって、つまり谷中方面から白山方面を撮影したものです。手前には低い屋根の家が並び、奥の方に、まるで壁のようにマンションが並んでいます。


マンションの壁の下が、不忍通りです。つまり、不忍通りに沿って、マンションが林立しているんですね~。なんだかなあ。


以下は、不忍通り by はてなキーワードです。



不忍通り


東京に存在する通りの名称。名の由来は起点付近の不忍池(しのばずのいけ)にちなむ。


台東区上野2丁目のABAB前から池之端を通って、都心を大回りに文京区根津・千駄木(団子坂下)・道灌山下・動坂下・駒込警察署前・千石を経て護国寺前までを、弧状に結んでいる道路。


東京都道437号秋葉原雑司ヶ谷線のうち、秋葉原の万世橋交差点から上野のABAB前までの中央通り区間を除いた部分が不忍通りに該当する。かつて都電が通っていたルートで、現在は都バス上58系統上野松坂屋前(上野広小路)~早稲田線が不忍通りをほぼ全線通っている。不忍池付近から道灌山下付近までは直下を東京メトロ千代田線が通っている。


 かつては外苑西通りに接続して環状三号線を形成する計画があったらしいが、高度経済成長期のうちに頓挫している。



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2006年1月24日 (火)



狂うほどに執着はしていないのですが、やはりかわいいですね。家のなかにネコがいるのといないのでは、だいぶ状況が違います。


で、友人より雑誌「ねこのきもち」のバックナンバーをいただきました。さいきん、企画のコンセプトをしぼるだけしぼって、書店で売らず、直販で読者に売る雑誌が増えてきました。兄弟誌「いぬのきもち」もそうですし、「いきいき」もそうですよね。「いきいき」なんて、信じられないくらい売れてます。


これからは、全体を語る雑誌よりも、趣味や嗜好に特化した雑誌のほうが売れるのかもしれません。読者もそれを求めているような雰囲気があります。なおかつ、書店へ買いにいくのではなく、自宅に届けてくれるような雑誌。


さあ、「ねこのきもち」を読むぞー。なんだかウキウキしてきました!


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2006年1月23日 (月)



時事評論もどきの文章が目立ち、書籍編集に関する情報がほとんどなくなっておりますが、今年の企画は微速前進で進んでおります。作業がある程度すすんだら、また編集実況を再開しますね。


ほんとうは企画の段階を実況できたらおもしろいのですが、それはちょっと書けません。とはいえ、企画の段階から公開することがあっても、いいかと思ってはいます。


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2006年1月23日 (月)



昨日、池袋のサンシャイン国際水族館にいってきました。いろんな魚や動物がいましたが、私がもっとも気に入ったのは、リファー・シードラゴンでした。見れば見るほど不思議で美しい。NHK「地球!ふしぎ大自然」のwebページには、以下のような解説が書かれていました。



オーストラリア南部近海でしか見られないタツノオトシゴに近い仲間(ヨウジウオ科)で、体長40センチ以上になる。海藻そっくりの「皮弁」を体中にまとい、海藻の上を漂うように泳ぐ姿はただの流れ藻、とても魚とは信じられない姿だ。



同番組には、印象深い思い出があります。ベトナム南部からカンボジア北西部にわたるツルを取材したんですよね。ベトナム側でツルに探知機をつけて、その情報をもとに、カンボジア側でツルを探しました。サバンナと森林が入り交じるモンドルキリ州の道なき道を、象にのってえっちらおっちら。探知機の情報はまったくあてにならず、ツルはなかなか見つかりませんでした。


そのうち乗っていた象が疲れ果て、いきなり立ち止まって横転したり……。人が象に乗る場合、けっこうな高さがあるんですよね。下敷きになっていたら、いまごろはこのブログを書くことができなかったかもしれません。笑


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2006年1月22日 (日)



これ、おもしろすぎます!


http://zaraba.livedoor.biz/flash/horienoken.html


※上記のフラッシュは、1月25日に削除されるそうです。


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2006年1月22日 (日)



「ホテル・ルワンダ」という映画を観るための予備知識として、フィリップ・ゴーレイヴッチ著『ジェノサイドの丘』(柳下毅一郎訳、上下巻、WAVE出版、2003年刊)を読んでいます。1994年にルワンダで起きたフツ族によるツチ族への大量虐殺をあつかったルポルタージュなのですが、翻訳がちょっと……。


 歴史上、さまざまな地域で起きている虐殺事件。今後も「虐殺が起こる可能性がない」などと断言することは、どう考えてもできませんね。だから、徹底的に「なぜ虐殺が起こるのか」を分析し、その前兆を予想し、起こる前に防ぐか、起こったとしても被害を最小限に食い止めるような方策を探っていくしかありません。


 この本、私の一応の専門であるカンボジア大虐殺と比較する意味でも、興味深いものがあります。


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2006年1月20日 (金)



『限界の思考』ですが、急激にアマゾンの売上順位が落ちたなあ、と思ったら在庫切れでした。本日、追加分を出荷しました。出荷数は4桁に届く勢いです。4桁になると、発行部数の12%がアマゾンで売れていることになります。いまは10%くらいですが、それでも単店舗では断トツの売上です。


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2006年1月20日 (金)



東浩紀さんが渦状言論の「ライブドアとオウム?」というエントリーで、あくまでも「思いつき」と断りつつ、両者の近さを語っています。結論部分で、大澤さんと宮台さんの言葉を上手に引用されており、技(わざ)を感じる文章となっています。


以下は、私の「思いつき」です。じつは、私もテレビを見ていて、両者が近いと視覚的に感じました。ライブドア強制捜査のために、六本木ヒルズへ続々と入っていく東京地検特捜部とそれを取材するマスコミの人びと。オウム真理教の麻原を逮捕するために、上九一色村のサティアンへ続々と入っていく警察と自衛隊、そしてそれを取材するマスコミの人びと。


この視覚的な近さは、第一次的にはテレビの映像によってもたらされています。つまり、両者に対するテレビ局の取材や撮影の仕方が似ていたんですね。でも、逆に考えると、両者が似ているからこそテレビ局は、六本木ヒルズを取材・撮影する際、上九一色村を取材・撮影するのと同じような気分や雰囲気になってしまい、それを見た私も同じような気分になってしまった、ともいえます。それも無意識のうちに……。


で、なぜテレビ局が六本木ヒルズと上九一色村を同じような気分で伝え、それを見た私は両者の映像が似ていると思ったのか。その理由が、東さんのブログに書かれているような気がするのです。


あくまでも「思いつき」の域を出ない感想ですが。


とりあえず渦状言論をたずねてみてください。文章を読むもよし、東さんのかわいいお子さんに癒されるのもよし。


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2006年1月20日 (金)



童謡歌手(!?)の内藤朝雄さんから、共著本の『ニートって言うな!』をお送りいただきました。この本の著者は全員、私が「いつか一緒に仕事をしたいなあ……」と夢想している方がたです。内藤さん以外は、いまだ片思いですが。本田さん、後藤さん、なにとぞよしなに。


このタイトル、すごいですね。光文社新書といえば、仲正さんの『みんなのバカ!』も強力でしたが、『ニートって言うな!』はさらに強力です。できるだけ短いフレーズで、言いたいことをわかりやすく表現する、という小泉流ワンフレーズ・ポリティクスを逆手にとっているようにも思えます。私もぜひ応用したいなあと思った次第です。


一歩まちがえると、タイトルが本田さんの発言の引用のように間違えられるかもしれませんが、そこがまたいい。たとえば、新聞や雑誌で「本田さんの『ニートって言うな』は……」などと記された場合、本のタイトルではなく、本田さんの叫びのようにも思えるわけです。実際、同書のまえがきで本田さんは叫んでいます。


では、これからゆっくり味読させていただきます。


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2006年1月19日 (木)



これは、ニューズウィーク日本版1/25号の特集タイトルです。


記事では「ハードゲイを演じる芸人が人気になる一方で、カミングアウトする人が増加。推定500万人の『普通』の同性愛者たちの生活」といったことについて触れています。廃刊になった『薔薇族』の元編集長・伊藤文学さんへのインタビュー「田舎のゲイに心の支えを」や「ゲイの友だちがほしい彼女たちの理由」など、おもしろい記事がたくさんあります。


「週刊SPA!」の今週号では、連載対談「これでいいのだ!」で福田和也さんと坪内祐三さんがゲイの文化人について語り、昨日の思想塾新年会でも宮台さんとゲイについて語りました。今週に入ってから3日連続で、ゲイに関することを見聞きしたり議論するとは、思ってもいませんでした。


私自身はストレートですが、同性愛者の方がたの存在については、もっと広く深く開けっぴろげに語られるべきだと考えています。とはいえ、日本にはそうなりにくい土壌が、根深く残っているようにも思えます。


よく知らない相手は、神様にも見えるし化け物にも見えます。1970年代のカンボジアでは、得体の知れないポルポト派が人びとにとって、一時期は「解放」のための神様に見え、その後、平気で大量虐殺をおこなう化け物へと変わっていきました。きっと、化け物だと思っていたものが、神様になるケースもありましょう。キーワードは、相手のことが「よくわからない」「得体が知れない」です。


いずれのケースも、相手の詳細がわかれば、おそらく神様にも化け物にも見えなくなります。「なんだ、フツーじゃん」と。フツーの定義はいろいろあると思いますが、とりあえず神様でも化け物でもない存在、ということにしておきましょう。


調べたり見聞きするのがめんどくさくて、相手のことを知ろうとしない、ということもあるでしょう。思考停止となり、わかりやすさに走る状態ですね。そうなると、仲正さんが登場し、「生き生きとしたわかりやすい言説に惑わされるな!」と渇を入れられます。


いろいろ述べましたが、こういうことがいいたかったんですね。つまり、批判するにせよ、尊敬するにせよ、まずはその対象となる人のことをよく知ってから、また知ろうと努力してから、慎重に評価するのがいいんじゃないかなあ、と。


ところで、今週号のニューズウィークには、社会保障の本質を考えさせれる「スウェーデンは理想郷か」やルワンダ大虐殺を映画で表現した監督の記事「『ホテル・ルワンダ』を撮った理由」など、興味深い記事が盛りだくさんです。


ぜひご一読を!


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2006年1月19日 (木)



1月18日付けの読売新聞夕刊4面「水曜時評」に、北田暁大さんが登場しました。「『景気」と『格差』/対立する『正解』」というコラムを執筆されています(写真つき!)。


北田さんや池内恵さん、細谷雄一さんら総勢5人で、各人が月に1度ずつ時評を書かれるようです。


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2006年1月18日 (水)




今朝も「みのもんたの朝ズバッ!」を見ました。


みのさん、やはり怒ってましたね~。


7時と8時をまたぐ時間帯の名物特集「8時またぎ」では、大きなパネルを読み上げながら、こういっていました。



「『証言拒否』28回で紛糾」とパネルを読み上げたうえで……


みのさん「紛糾しますよ、何のための証人喚問なんだ、なめるんじゃねーぞ」


「小島ヒューザー社長 証人喚問後の涙」と読み上げたうえで……


みのさん「何が涙だ!」



それにしても、105回ほど質問されて、28回の回答拒否、39回の補佐人との相談、というのは、いかがなものでしょう。全般的には、腹立たしい思いで証人喚問を見ていましたが、ゆいいつウケたのが、ホサニンの存在と立ち回りでした。


「きっこの日記」に書かれていますが、ホサニンという言葉を流行らせたらおもしろいですね。おそらく、その言葉が出るたびに、それとセットで小島社長の残像が浮かぶような気もしますし。


そうでもしなきゃ、この事件だってすぐに忘れられてしまうでしょう……。きっと。


ちなみに、みのさんを取りあげる機会が多いからといって、私はみのさんの応援団でもファンでもありません。とはいえ、番組の企画に影響力を持つみのさんが、積極的に耐震偽造問題の問題点をあぶり出し、視聴者の声を取り入れながら番組をつくっているという点については、支持しています。


で、つくづく思うのは、何らかの影響力を持った人が、多少は畑違いな場所であっても、その影響力を有効に駆使することの重要さです。もちろん影響力を使う場所が、利権やら権力がうごめくブラックなところだと困ってしまいます。


しかし、芸能番組で名声を得た人が、報道番組でやりたいことをやり、それが社会の生きづらさとか手詰まり感とかを、すこしでも和らげる方向に機能する。だったら、いいじゃありませんか。


影響力を駆使すれば、いい意味でいろんなことができるし、いろんなことを変えられるのに、現状維持と保身と利権確保のためにだんまりを決め込んでいる人って、けっこういると思います。


一生喰える分のカネを稼いでしまったら、あとの余生は好きなことをやって過ごすのは、当然のことでしょう。その「好きなこと」のカテゴリーに、「すこしでも生きやすい世の中にしよう」といったアクションを含める人が、いたらいいなあ。


それが、ほんとうの意味でのボランティアというものだと、思ったりもします。


おそらく自分は、どう転んでもそんなふうにはなれないので、こうして戯れ言を書きつづることしかできませんが……。


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2006年1月17日 (火)




いま耐震偽装問題にからむヒューザー・小島社長の証人喚問をテレビで見ています。


小島さんの「ちょっと相談させてください」と補佐人に相談してから、「刑事訴追の可能性がありますので、回答をひかえさせていただきます」っていう「嗤うべき証言」は、証言しないことによって質問内容を認めているという、興味深い逆説になっているように思えます。


それにしても、国会議員という大人が集まって、証人の「証言拒否」が大部分を占めるような茶番を、なんだかんだいって容認している様子は、じつにシニカルです。小学生のホームルームだって、もっとまともな議論がおこなわれるでしょう。


国会の証人喚問であのような「証言拒否」が成立する、ということは、覚えておいて損はないですね。私も何か困ったことがあったら、回答をひかえさせていただくことにしようかなあ。(笑)


明朝の、みのさんの怒る顔が、いまから目に浮かびます。


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2006年1月17日 (火)




耐震偽造問題の証人喚問がおこなわれ、これが今日のトップニュースになると思っていました。昨日の昼過ぎまでは……。


ところが、昨晩になっていきなりライブドアに強制捜査が入り、今日の新聞のトップ記事はほとんどこのニュースです。


いずれも重要なニュースであることは、いうまでもありません。どちらの動向も注視する必要があります。でも、何か引っかかりませんか?


証人喚問によって、ヒューザーの小島社長と伊藤公介議員との関係が明らかになるかもしれず、その翌日に同議員が参考人招致に呼ばれる可能性があるわけです。


そういった事が今朝のトップニュースになるはずだったのが、ライブドアの一件で事態が変わってしまいました。


つまり、この状況をなつゲーのパックマンでたとえれば、「パックマン(大)=ライブドア問題」が「パックマン(小)=耐震偽造問題」を食ってしまった結果、パックマン(大)に関するニュースの印象が、パックマン(小)に関するニュースの印象をかき消してしまった、といえましょう。


過去のニュースを振り返れば、こうしたパックマンの論理は数多く見られます。とりわけニュースに自民党の議員がからんでいる場合に、パックマン(大)が出現することが多いようです。私たちは、こうしたパックマンの論理を、常識だと思いながらニュースを見たり聴いたりしていればいい。ようするに、パックマン(大)にパックマン(小)が食われたとしても、パックマン(小)の重要度を忘れてはいけない、ということです。


「このタイミングでライブドアを強制捜査するかよ、おい?」とか「耐震偽造問題と伊藤議員との関係があきらかにさせない力が働いているのか」などと素朴な疑問が生じます。誰かが強い力を使ってパックマン(大)を召喚したのかなあ、などとも思います。


いまTBS「みのもんたの朝ズバッ!」を見ていますが、この番組のようにライブドア問題も重要だが、耐震偽造問題も重要(というより、こっちの方が重要だ、とみのさんはいってました)と強く報じていればいいんです。でも、新聞もテレビも、紙面や放送時間は限られています。すなわち、パックマン(大)の出現により、パックマン(小)の存在が食われてしまうかもしれません。


そういうことが現在進行形で起きていることを意識しながら、今日はいつもより注意深く新聞を読み、ニュース番組を見たいものです。


みのさんは、怒っています。そして、ズバズバ斬るべきことが多くて、丹下左膳のような気分だ、と心強いことをいっておりました。応援してます。写真のテロップにあるように、11年前の今日は、阪神淡路大震災でした。そんな日に、耐震偽造問題の証人喚問がおこなわれるのも、何かの因縁なのかもしれません。というか、あらかじめバリューの高いニュースがある日に、わざわざ証人喚問を設定したのかもしれませんね。そうならば、なんと姑息な手段がつかわれていることでしょう。


いずれにしても、別にいつ現れてもいいようなパックマン(大)をこのタイミングで召喚したのは、誰なのでしょうか?


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2006年1月16日 (月)



耐震偽造問題。ようやく明日、証人喚問ですね。


それより今日の「きっこの日記」が楽しみです。ブログが疑惑の国会議員をぶっつぶせるのかどうか。お手並み拝見いたします。


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2006年1月15日 (日)



私は、けっこうおもちゃが好きです。


昔は、フィギュア(マジンガーZ、ライディーンなど)やらNゲージ、アメリカン・ヨーヨー、ルービック・キューブなど、いろんなものにハマりました。


さすがに最近、そういうものを買うことはありませんが、おもちゃ屋にいくとけっこうウキウキしてしまいます。


今日、上野のヤマシロヤにいきました。子どもがガチャガチャをやりたいというのでいったのですが、ふと「魔法戦隊マジレンジャーのCMで、おもしろそうなおもちゃの宣伝をしていたなあ」と思い出しました。それで、子どもの世話はそっちのけで、地下1Fにいってみました。


ありましたよー。狙いのおもちゃが。


その名は、ダンスキングハマー&ダンスボーイアフ郎「アフロダンサーズ対戦セット」。


金額は2000円弱。写真にあるような2体の人形(身長15cmくらい)が、逆立ちしたかたちでくるくる回りながら、黒いステージのうえで戦う。そんで、サングラスの部分に触れると、アフロ部分から身体が飛んで負け。アフロの下はつるつる頭で、これがまた笑えます。


このふたりは、「コロコロコミック」に連載されている「舞闘天国アフロダンサーズ」というマンガのキャラらしい。左の赤いほうが、ダンスキングハマーという教師で、青いほうがダンスボーイアフ郎という小6の生徒。ぜんぜん知りませんでした。


とにかくインパクトの強いCMにより、衝動買いをしてしまいましたが、まったく後悔していません。バンダイさん、よくこれを商品化したなあと感心しつつ、よく2000円でこれが作れるなあと思った次第です。


実際に遊んでみると、これがけっこう深いんです。ふたりの身体の関節が、かなり細かく曲がるようにできている。さまざまな体勢をつくり、どうやったら回転が速くなるのかとか、相手に接触するようになるのかとか考えて、勝負にいどむ。ついつい、何度も勝負がしたくなります。


遊ぶためのモノをつくる過程で遊んでいる。メーカーのそんな粋な気分が伝わってくるおもちゃです。


これって遊ぶ「対象年齢6歳以上」になっているけど、おとなが買ってブレイクしちゃいそうな気がします。


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2006年1月15日 (日)



以下、テツ&トモのノリで読んでみてください。笑



なんでだろ~、なんでだろ~、なんでだなんでだろ~


宮台さんの著作が、


amazon.comで64冊も検索できるのに、


双風舎以外の版元が、


「なか見!検索」をやらないのは、


なんでだろ~???



ほんとに不思議です。


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2006年1月14日 (土)



『デリダの遺言』の書評が、「週刊読書人」1月20日号に掲載されました。書評のタイトルは「『死』の時代としての現代――『生き生きとした』死と訣別するために」で、評者は高橋順一さん(早稲田大学教授・思想史専攻)です。


デリダの遺言―「生き生き」とした思想を語る死者へ


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2006年1月13日 (金)



いつのまにか、Amazon.comの「なか見検索!」で検索できるようになっていました。


『挑発する知』以外の弊社の書籍は、すべて同検索機能で中身を見ることができます。


つまり、『デリダの遺言』『限界の思考』『日常・共同体・アイロニー』『レクイエム』『<帝国>を考える』『台湾新潮流』は、カバーから本文まで、アマゾンで見ることができるということですね。


刊行しているすべての本を一度にアマゾンへ送ったのですが、『挑発する知』は後回しにされているようです。それとも、刊行年月日が新しい順にスキャンしているのかな?


いま、刊行から何年か経過した本については、著者と相談したうえで、全文をwebに公開することを考えています。せっかくの貴重な情報ですから、できるだけ広く活用されたほうがいいと思いますので。


そうしたからといって、本が売れなくなるとは思っていません。


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2006年1月12日 (木)



まだ飼いはじめて半月くらいですが、ネコは見てて飽きないですね。思うとおりにならないのが、これまたおもしろい。昼間にたくさん眠って、わたしたちが寝静まってからバタバタと走り回ります。下の階の人からクレームがくるのではないか、とビビりつつも、仕方がないのかなあとも思っています。


エサ代やトイレまわりで、けっこうお金がかかることがわかってきました。でも、遊んでもらったり癒されたりしているわけですから、多少の出費はやむなし。


ネコ、かなり魅力があります。


※諸事情により、ネコの写真は削除しました。


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2006年1月11日 (水)



12月末から、子ネコを飼いはじめました。


動物病院の紹介で、生まれて数カ月のネコをいただきました。


けっこうかわいくて、毎日あそんでいます。


で、他人のブログなどでネコ写真などがあると、「よくやるなあ……」などと私は偉そうにため息をついていたのです。ところが……。


いざ子ネコを目前にしてみると、「うちのネコ、見て、見て!」となってしまう気持ちがすこしわかりはじめました。ネコ好きのブロガーのみなさま、「よくやるなあ……」などとため息をついてしまい、もうしわけありませんでした。


ネコには魔力がありますなあ。


そんなわけで、オスネコのトラを紹介いたします。ヨコ写真の貼り付け方がわからず、すごい体勢になっておりますが(いつのまにか、ちゃんとヨコになっていました)、どうか、お見知りおきのほどを。


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2006年1月 9日 (月)




伝統のある街の嫁がたいへんだという事例のバラエティーは、けっして多彩ではありません。単調です。あくまでも作り話だという前提で、代表的な事例を紹介してみましょう。


舞台は、東京の山手線の内側にある、伝統のある街。そこに、とある古くから脈々と暮らしている家族が住んでいます。その夫婦には、男の子がいます。夫婦は、家の存続のためにも、ぜひ息子に嫁をもらって同居してもらいたい。家を継いでもらうのだから、息子が結婚しても、近隣で別居という形態はゆるさない。あくまでも同居が基本。


息子とある女性が出会う。この女性をAさんとしましょう。恋愛関係になる。Aさんは、家屋の立地がいいし、子どもができても義父や義母が面倒を見てくれて自分は働けるし、財産もそこそこありそう、と思い、ふと「義父や義母と同居してもいいかな……」と思う。ふたりは結婚する。同居がはじまる。


Aさんは、当初は義父や義母のペースに合わせて、二世帯同居生活を送る。町会に顔を出し、伝統文化の保存などに熱心な地域だと感動したりもする。夫の知り合いは、ほとんど幼なじみ。彼らは、息子の家のことから昔の彼女のことまで、何でも知っている。息子の知り合い筋に何かしらの変化があると、すぐに噂になる。当事者不在で、ご近所の悪口をいう。


息子夫婦に、子どもが生まれる。義母と義父は、とてもよろこぶ。男の子であれば、「跡継ぎができた」となおさらよろこぶ。生まれた直後から、子どもの面倒を見るのは義母の役目になる。Aさんの子どもは、子どもとして生まれたというよりも、孫として生まれたようにAさんには見える。


Aさんは、とにかく家にはいたくない。家事のことにしろ、子育てのことにしろ、すぐ義母と言い合いになってしまう。だから、産休が終わると仕事に復帰する。そのほうが義母にとって、孫とのディープな時間を過ごせるのだからいいのかと、Aさんは思っていた。ところが、家を空ければあけたで、義母は「家事をやらない」とか「子育てをやらない」と近所の人たちに愚痴をこぼしている。


こぼされた愚痴は、「Aさんの義母」→「話を聞いた近所の人」→「Aさんの幼稚園や保育園、学校のお母さん仲間」という経路をとおり、「●●って噂を聞いたけど、ほんとなの……」といったかたちでAさんに伝わることが多い。愚痴のみならず、伝統のある街の噂話はやっかいだ。Aさんも日常的に、近所の人、それも古くからこの地域に住む人の噂や悪口を、義父や義母からいやというほど聞かされてきた。脈々と同じ土地に住む人が集まっていると、基本的には近所のことを何から何まで知っているので、ちょっとした変化があっただけでも、話のネタにされてしまう。


ある日、そんな日常に不満を抱いたAさんは、義父や義母と別居しようと夫に相談した。夫は、一応は相談してみるが、たぶん無理だという。案の定、翌日に義母から信じられない言葉をいわれた。「別居したいなら、あなただけ出ていってください」、「子どもは、私の家でしっかりと育てるから」、「養育費が必要だから、あなたの持っているお金は置いていってね」などなど。その家に夫の姉妹がいると、彼女らも義母と一緒に「子どもは、母と私たちが育てますから」などと援軍を出す。


結局、夫の家族との関係にほとほと嫌気がさしたAさんは、後ろ髪をひかれる思いで夫に離婚を申し出た。とにかく、この家にいたらダメになってしまう、とAさんは考えたのだった。離婚の条件は、いつか義母から宣告されたとおりのものになった。親権については、裁判で争ってもいいかと思ったが、行動にうつす前に法的な外堀は、すべて夫の家族により埋められていた。


こうしてAさんは、子どもを引き取ることができず、お金も持ち出せず、まさに身ひとつで夫と離婚することになってしまった……。


以上は、私が知っている事例を元にしてつくった話です。このような基本形に、さまざまなオプションがつくわけです。たとえば、夫の家に入ったら、いつのまにか嫁の預金通帳が夫の家に取りあげられたり……。


こうした状況を見聞きするにつけ、驚き、不思議に思い、不可解だと私は思うのです。そして、伝統のある街に嫁いだ女性は、たいへんだなあと思うわけです。


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2006年1月 8日 (日)



私の住む街は、鬼平犯科帳に登場したり、落語の舞台になったり、寺がやたらとたくさんあったり、有名な商店街があったり、古い民家があったりということで、休日になると多くの人が散策をしています。


いくつもの町会があり、祭りになると各町会が中心となって、神輿や盆踊りなどが準備されます。祭りや行事の数は、「またお祭りだ」と驚いてしまうくらい多く、そのたびに町会を中心とする地域の組織が大活躍しています。


町会のみならず、町会をまとめる組織などもしっかりしており、だからこそ伝統行事がすたれずに、脈々とつづいているのだと思います。つまり、ここは、伝統のある街。


さて、伝統のある街には、行事が脈々と引き継がれるように、脈々とつづいている地元に根差した家族も多いようです。そうした古くからこの地域に住む人びとによって、伝統と呼ばれるようなものが保存・維持・継承されているといってもいいでしょう。


さまざまな技術がすすみ、古いものが忘れられ、ヴァーチャルなものがリアルに転じることが当然のことになった現在。よき伝統なるものをいかに残していくのかを考えることは、最先端でヴァーチャルな世界から一歩、身をひいて世間をながめるのに、たいせつな問題だと思います。


つまり、こうした伝統の保存・維持・継承といったことは、伝統のある街のよい面だといえるのではないでしょうか。


だがしかし……。流動性が高くなる一方の現代社会で、伝統の保存・維持・継承といったよい面を発揮する伝統のある街が、ある側面ではたいへんなことになっているようです。その問題は、おそらく都市と地方の差異とか、田舎町の人間関係の特徴といったかたちで、さまざまな場面で紹介されていることかもしれません。とはいえ、東京都の山手線の内側で、そういった事態がリアルタイムで進行していることを知るにつけ、私は驚きを隠しきれない気分です。


その問題とは何か?


それは、伝統のある街で古くから暮らす家族に嫁入りした嫁の苦難です。フジテレビ「こたえてちょーだい」の世界ですね。次回に紹介する事例は、あくまでも噂話で聞いたことなのですが、あまりにも同じような事例を噂で聞くことが多いのです。


夫の家に嫁入りした女性の苦難については、かなり普遍的な問題だといってもいいかと思います。カンボジアでは、嫁姑の確執を避けるがごとく、婚姻の基本形態は婿入り婚となっていました。


で、長年の経験と知識をもとに、嫁入り婚というもの自体が減っていて、親夫婦と子どもの夫婦が別居するというのが、いまの日本ではかなりスタンダードな姿なのだと私は勝手に考えていました。だかしかし、そうではなかった……。


幼稚園や保育園、学校などで毎日会っていたお母さんが、いきなり来なくなって、代わりにお父さんやその父母、兄弟が子どもの送り迎えをするようになる。いつも子どもと散歩していたのはお母さんだったのに、いつのまにかお父さんと散歩する姿しか見かけなくなった。身近な人が、こうして目に見えるかたちで変化していることに驚きつつ、なにかがおかしいなあと思ったりしています。


次回、紹介するのは、東北の山村で進行している話ではなく、東京の山手線の内側で起きていることです。


あと、この話は内藤さんの画像とは、一切関係のない話です。あしからず。


つづく


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2006年1月 8日 (日)



ケータイ写真家・藤井誠二さんの激写作品を、もう一枚だけ貼り付けますね。


写真は「きよしこの夜」を歌いつつ、「ウィズ」の太朗ママと戯れる内藤さんです。


今年は、歌のレパートリーを増やしましょうね、内藤さん!


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2006年1月 7日 (土)



ノンフィックス・ナックルズは、ザ・ハードコア・ナックルズに誌名が変わったようです。編集後記の久田編集長によるコメントでは、「文字通り、事件やスキャンダルを核にハードに切り込んでいける雑誌になれば」とのこと。久田さん、期待してます!


注目の記事は、以下のとおり;


・小池百合子大臣に不倫の過去


・安倍晋三がマルチの広告塔に!


・巻頭グラビア「これが、あの大ベストセラーの産みの親『生協の白石さん』だ!!


・「総研」内河の裏にいる政治家


・コラム 豊崎由美「晴れときどき雷」…島田雅彦問題が書かれています


・コラム 大塚英志「<反日>評論」…選挙と「低IQ者」の問題が書かれています


利権保持と売上保持のために、あらゆるマスコミ情報が記者クラブ的な談合にもとづいて流通しています。そんななかで、それに真っ向から抗い、偏った党派性を持たずに社会問題を取りあげていた雑誌は、『噂の真相』だけであったと私は思っています。そういう姿勢が、この雑誌にも貫かれているように思います。


出会い系サイトや精力剤の広告ばかり掲載されているからといって、中身も読まずに「くだらない雑誌だ」と決めつけてしまう。そんな愚かな評価は、しないほうがいいと思います。


ぜひぜひご購読のほどを。


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2006年1月 7日 (土)



昨年12月29日に内藤×宮台トーク@ジュンク堂が実施され、打ち上げの二次会で新宿二丁目のゲイバー「ウィズ」にいったことは、すでにお知らせしました。


そのときに激写された内藤さんの写真が、ケータイ写真家・藤井誠二さんより届いたので、内藤さんの承諾を得た(笑)うえで掲載いたします。


写真は、「どんぐりころころ」を熱唱する内藤さんです。


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2006年1月 3日 (火)



昨年九月末に、ひとり出版社の経営は、三年目に突入しました。誇張ではなく、まさに「来月の支払い、大丈夫かな」とヒヤヒヤし、「今年は何冊、本が出せるのかな」とドキドキしながらの経営でした。年末になって、つくづく感じるのは、今年も生き残れたなあという実感です。


振り返ってみれば、今年刊行できた本は、『冷戦文化論』『限界の思考』『デリダの遺言』の3冊でした。そして、3冊で十分だったと思います。会社が倒れない程度に、急がず、あわてず、じっくりと本を出す。それでいいのかもしれません。すこし突っ走りすぎました。来年も何卒よろしくお願い申し上げます。


以上、双風舎が発送した年賀状の文面でした。今年もよろしくお願いいたします。


※はてな、急に文字がちいさくなりましたね~


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