双風亭日乗

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2006年1月30日 (月)

本物のボランティアとは?



わが母校の神奈川大学では、年3回ほど「神奈川大学評論」という雑誌を出しています。最新号の特集は「未来アジア論――新世紀の東アジアをめぐって」。弊社の著者である丸川さんや姜さんが執筆し、的場さんが連載しています。本号では東アジア特集ということで、孫歌さんや朱建栄さんも書かれています。中身が濃いですね~。


私もときどき、コラムや随想で参加しているのですが、今回は「アジアとボランティア」という文章を書いてみました。以下、転載しますのでご笑読くださいませ。内容は、10年ほどカンボジアに滞在してみて、強く感じたことです。なお、以下でW大となっているのは早稲田大学のことです。



アジアとボランティア



 いま上智大学の学長をやっている石澤良昭さんと知り合ったのは、一九九〇年あたりでしょうか。私がカンボジアで旅行社を経営しているときに、石澤さんはアンコール遺跡の調査団長として、何度も何度もアンコールの地を訪れていました。


 遺跡調査団の旅行手配をやっているうちに、大学院に通うようになり、また調査・研究の対象をアンコール遺跡周辺の農村に設定したことから、私は遺跡調査団の一員になりました。そして調査団には、修士論文執筆のための調査費用を、支援していただきました。


 九〇年あたりから九五年くらいの、いわば調査団が本格的に現地で活動する時期に、私は石澤さんの現地秘書のような役割を担っていました。ずっと現地に滞在しており、何かと便利なので使っていただけたのだと思いますが。その後も帰国まで、私は一応、調査団の一員でした。つまり、石澤さんの活動を一〇年間、間近で見てきたことになります。


 では、石澤さんが、どんな姿勢でアンコール遺跡と向かい合ってきたのか。紀伊國屋書店の書評空間というwebページに掲載された、早瀬晋三さん(大阪市立大学教授)による石澤良昭著『アンコール・王たちの物語-碑文・発掘成果から読み解く』(NHKブックス)の書評から引用します。



 「今は遺跡どころではない。食糧供給が先だ」と言われた一九八〇年代初期の疲弊したカンボジアで、著者、石澤良昭は「食糧は近隣の米産国からいくらでも手に入るが、アンコール・ワットが崩れ落ちたら二度と元の姿には戻せない」、「遺跡も人も大切だ」と主張しつづけた。「なぜこうまでもアンコールに執着」するのか、よく訊かれる質問に、著者は「なかなか明快にその理由を説明できないが、アンコール・ワットの大伽藍に魅せられて楽しんでいるのではないことだけは確かである」と答えている。その答えの一端は、著者の「カンボジア人による、カンボジアのための、カンボジアの遺跡保存修復」という国際協力の哲学からみえてくる。著者が半世紀にわたって守ろうとしてきたものは、一言で言えば「カンボジアの至宝」だろう。しかし、その「至宝」の意味をほんとうに理解できるのは、カンボジア人以外にいない。そのことがわかっているだけに、カンボジア人ではない著者には「明快にその理由を説明できない」もどかしさがあるのだろう。著者のカンボジア史研究は、カンボジア人のもっている手の届かない尊厳さに一歩でも近づくことではなかったのだろうか。



 たしかに、私が暮らしはじめた九〇年のカンボジアは、ポル・ポト時代からベトナムによる統治の時代に移っていたものの、まだ内戦がおさまらず、何かにつけて文化よりも衣食住への支援の重要性が指摘されつづけていました。まさに「遺跡を修復するカネがあるのなら、俺にくれ」という感じ。そんな状況のなか、社会主義国家にありがちな、役人のやる気のなさが蔓延する文化情報省(のちに文化芸術省)に、石澤さんは根気強く通いつめて、遺跡の調査・研究・修復の許認可をとっていました。「通いつめて」と書きましたが、先生は日本の大学で仕事をしているのですから、「通いつめ」ることは、日本とカンボジアを何度も往復することを意味します。


 はじめは、某国立芸術大学の学長や某大企業のお偉いさんらがコミットしていた調査団も、文化利権(だれがどの遺跡の修復をやり、その研究成果をわがものにして、関連大学や関連企業は儲けるのか、というような)のようなものをめぐって、外務省の全面バックアップを得られることになったW大を中心とする調査団(以下、W隊)と、石澤さんを中心とする調査団(以下、上智隊)とに分裂しました。当然ながら、前者の予算規模は、後者より一桁も二桁も多いのです。こうして、石澤さんが立ちあげた調査団から、立ちあげた本人がパージされるようなかたちになりました。


 私が石澤さんと出会ったのは、分裂前後の時期でした。上智隊の主な活動資金の出所は、文科省の科学研究費です。しかし、その額は海外の遺跡を調査・研究するのには、どう考えても不十分でした。一方のW隊は、つぎつぎと現地に人材を派遣し、ゼネコンを巻き込んだかたちで、大型で最新の機材などを次々と投入する。それを横目で見ながら、石澤さんは地道に資金調達をして、現地に人材を毎年派遣したり、研修所を建設していました。これは憶測ですが、かなりの自己資金も費やしていると思います。


 そんな石澤さんは、ときに旅行客のガイドをやったり、テレビに出演したりするわけですが、その報酬はほとんど、調査団の活動資金にまわされています。学部長や学長を務めながら、年間、何度も現地を訪れるためには、かなり無理をしたスケジュール調整が必要でしょう。みずからが儲かるわけでもないのにガイドやテレビでギャラを稼ぎ、それを調査団につぎ込む。みずからの資金を投入する。多忙な時間を無理に調整してまで、現地を訪れる。さらに、そこまでアンコール遺跡に入れ込むみずからの姿勢を、「なかなか明快にその理由を説明できない」。


 私には、石澤さんのような姿勢で活動することが、まさにボランティアという言葉の本義にかなっているような気がしました。アンコール遺跡の調査・研究・修復を進めることが、石澤さんにとっての究極の自己満足の形態であり、そのためにはガイドもやるし、時間もつくる。石澤さんの大いなる自己満足によって、現地では遺跡が守られ、地元の人材が育っていく。こうした活動を続けていると、石澤さん自身は求めていないものの、結果的に地位や名誉が付随してくる。


 アジアには、「貧しい」といわれている国がたくさんあります。とりわけポル・ポト時代以降のカンボジアは、アジアのなかではもっとも「貧しい」といわれていました。「貧しい」国には「援助」をしようということで、ボランティアと称する組織がはびこり、ボランティア・スタッフという人びとが徘徊します。


 現地で感じたのは、英米の組織の場合、個々のスタッフがボランティアを「職業」として意識し、報酬を得るための方策として「援助」をおこなっているように見えたことでした。「援助」を「職業」として遂行することにより、たまたまボランティア的な地位や名誉が付いてくる。


 かたや日本の組織は、援助「活動」をするために現地入りし、「人助けは、いいことだ」と思い込んでいる人が多く、報酬を得るための「職業」だと自覚している人は少ない。ほんとうは、人を助けることによって得られる自己満足を実現するために現地入りするのだし、報酬がなければ食っていけないのだから、あきらかに現地で仕事をしていることになります。とはいえ、日本人のメンタリティだと、「援助」や「奉仕」をすることは、無条件に「いいことだ」となってしまう。そのメンタリティが、ボランティアと称して海外で活動する人びとの意識から自己満足という文字を奪い取り、「いいことをしている」という偽物の地位と名誉を植え付ける。


 はじめからボランティアを名乗って活動できるのは、よほど時間と金に余裕のある人だけでしょう。本来は、自己満足のために何かをしたら、たまたまそれによって対象となる地域や人、モノなどが利益を得たり、助けられたする。それがボランティアの本義なのでは。ボランティアのために働いたり活動したりするのではなく、働いたり活動した結果がボランティアになっていた、というのが本物のボランティアだと私は思うのです。


 以上のような意味で、アンコール遺跡に対する石澤さんの活動は、まさにボランティアといえるものです。石澤さんの提灯を持つわけではありませんが、ボランティアと称して海外で活動する方がたは、本物のボランティアとしての石澤さんの側面から、多くのものを学ぶべきだと強く思います。現地の人びとに喜ばれる活動を続けながら、やってる本人は「なかなか明快にその理由を説明できない」。カッコいいじゃ、ありませんか。



<追記>


ちなみに、私の滞在中にカンボジアで活動していた日本人のボランティアが、何かを勘違いしていたり、偽善の匂いがしたと指摘する理由は、日本のボランティア組織やそのスタッフに元左翼が多いなどという陳腐なものではありません。それは、どうでもいいことです。なかには右系の組織もあったし、宗教がらみの組織もありましたから。


さまざまなボランティア組織の活動を垣間見て、スタッフとふれあった結果、勘違いと偽善の匂いがしたということです。もちろん、すべての組織とスタッフがそうだ、などというつもりは、まったくありません。ちゃんとしている人もいました。少数ですが。


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