双風亭日乗

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2006年5月17日 (水)

網野善彦特集



『神奈川大学評論』vol.53の特集は、「網野善彦――『網野史学』と日本歴史学」。


寄稿しているのは、中沢新一や赤坂憲雄、川田順造、福田アジオ、鎌田慧など、そうそうたる顔ぶれ。座談会は、安丸良夫・五味文彦・橘川俊忠。


これは「買い」だと思いますね。


前にも書きましたが、網野さんには、院生のときに授業を聞かせていただいたり、カンボジアの農村について書いた修士論文を一方的に「送りつけて」(笑)感想をうかがったり、K社にいたときには企画の相談をさせていただいたりと、いろいろお世話になりました。


企画の相談をしたときに、網野さんは「10年先まで、書く本が決まってるんだよね」と笑いながらおっしゃっていました。けっきょく、具体化する前に亡くなってしまったのですが……。


同誌で毎日新聞の記者が書いているけれど、網野さんは、一般の人びとからは絶大な人気を得ていたが、研究者からは冷たい目で見られていたような気がします。冷たい目というか、ひがまれ、やっかまれていたように思えてなりません。


日本史研究の「業界」というのは、脈々とつづいてきた「理論」や「史実」「認識」などを守る、いわば保守的な体質があったわけですよね(いまも、あるのかな?)。たとえ、マルクス主義系といわれるような研究者であっても、そういった体質にかわりがない。網野さんは、そういった保守的な体質に抗ったため、「業界」の人びとから、ときに干され、ときに冷笑されたのかもしれません。


でも、歴史の教科書だって、歴史研究書だって、どこまでほんとうのことが書かれているのかという疑問は、たえずつきまといます。だから、読者として、「これって、ほんとかよ!?」というスタンスで読む必要があるという点では、既存の歴史書も網野史学の本も、たいしてかわりはありません。


個別具体的な歴史の記述や理論などについては、ここではとりあえず置いておきましょう。そこで、網野さんの功績を考えてみると、やはり前述のごとく保守的であった日本史研究「業界」において、既存の理論や価値観にとらわれず、新たな視点から日本史をながめることの驚きやおもしろさを教えてくれたことだと、私は思っています。


「業界」の体質から考えると、それは勇気のいることです。さらに、自信がなければできないことです。既存のものを疑い、勇気と自信をもってそれに抗う。ここまでは、ある程度の努力があれば、誰もができることかもしれません。そこから先は、凡人にはなかなかできることではありません。


すなわち、その抗った成果を、ダイナミックで説得力のある記述にまとめる力があった、ということですね。権威のある研究者らによる、網野さんへの冷笑やら反発やらは、けっきょくのところ、そういった網野さんの記述の力に対するねたみややっかみであるような気が、私にはするわけでして……。


こんなことを書きながら、いまでもときどき、『日本の歴史を読みなおす』を読み直しています。笑


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