双風亭日乗

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2006年7月27日 (木)

ワーキング・プアな親を持つ子ども 2



前回は、私が養護施設に入ったというところまで書きました。ワーキング・プアとからめていえば、そもそも母子家庭という状況自体が、いくら働いても豊かにならないという可能性を秘めていたのだともいえましょう。現在のような母子家庭に対する行政の保護措置が、当時(33年前)はほとんどありませんでしたし。


いまはどうなのでしょう。母子家庭だからといって、ワーキング・プアになるとはけっしてかぎらないということを、多くのシングル・マザーが証明してくれているような気がします。私の知人でいえば、内藤みかさんもそうだし、くらたまさんだってそうですよね。


とはいえ、そういうパワフルなシングル・マザーばかりがいるわけでなく、自分の能力を発揮できない場所で働いていたり、思うように稼げなかったり、子育てと仕事の両立に疲れているシングル・マザーもたくさんいるのだと思います。そういう方は、やはりワーキング・プアそのものか、その予備軍になってしまうのでしょうか。


さて、話をワーキング・プアな親を持つ子どもにもどしましょう。


ワーキング・プアな親を持つ子どもが成長すると、やはりワーキング・プアな大人になってしまうのでしょうか。たしか番組では、そうならざるをえないと結論づけていたような気がします。親に教育費を出すお金がなければ、子どもの教育はおろそかになり、結果として進学も就職もうまくいかない、という構造ですね。


番組のこの部分は、どうかなあと思いました。前回、施設というのは、ワーキング・プア現象によって出てきた澱の溜まる場所なのではないか、と書きました。ようするに、働いても豊かになれない家族が、最終的に壊れてバラバラになってしまい、バラバラになった部品のひとつがたどりつく場所が施設だ、とでもいいましょうか。


もしワーキング・プアが親から子どもへと引き継がれ、再生産されていくものなのだとしたら、ワーキング・プアが壊れた結果として施設に送られた子どもは、ワーキング・プア以下のところから出発せざるをえない状況に置かれるわけです。


たしかに、施設に入れば、生活環境のすべてが「最低限の水準」に近いものになります。食事も服も学用品も、基本的には配給されます。自由に使えるお金は、中学生で月に1000円程度、高校生でも3000円くらいでした。登下校以外の外出は制限され、月に1度、日曜日に数時間だけ。当然、塾などに通えるはずもなく、集団生活なので就寝時間が早いため、勉強ができる時間も限られていました。


そのような環境に子どもが置かれると、ある程度は自助の努力をしないと、勉強はつまづきがちになってしまいます。勉強がついていけなくなったら、それをフォローする人はほとんどいませんから、どんどんついていけなくなります。おまけに、施設にいられるのは高校卒業までなのですが、「公立高校」に入れないと中卒で施設を出させるをえません。私立は受けられないので、まさにギャンブルのような受験をしました。落ちたときのことを考えて、受験勉強をしながら寿司屋に面接にいったりもしました。高校進学か寿司屋か。中学3年にして、そういった重大な選択を迫られるわけですね。(笑)


その施設には、私と同学年の子どもが8人くらいいたのですが、高校に進学できたのは私を含めた半分で、のこりの半分は中卒で就職しました。就職先は、板金工や縫製業、寿司屋などだったと思います。親がいるのに、引き取ってもらえなかったり、親がいなくて寮のある会社に入ったり。けっきょく、その4人とも就職先をやめてしまい、ある人はヤクザになり(いまは某組の幹部をやっているらしい)、ある人は右翼に入り(もう辞めて、いまは行方不明)、ある人は自殺し、ある人は風俗でシャブ漬けにされたあげく行方不明になりました。


施設を中卒で出ていった友の生き様を見ると、たしかにワーキング・プアは家族内で再生産される、といってもいいかもしれません。ある意味では、現在、ワーキング・プアである家族の行く末を例示しているようにも思えます。最近は、上記のような流れのほかにも、ホームレスという選択肢があるようなので、一概にどうだとはいえませんが。


では、高卒で施設を出た友の行く末はどうなったのか。工業高校を出た3人のうち、ひとりは某大手自動車会社の工場でいまも働き、ひとりは某宅急便会社の職員をいまも務め、ひとりは某ミシン会社の営業を辞めて行方不明になりました。私は普通高校を出て、鉄道会社や公務員、出版社を経てカンボジアで12年ほど暮らし、帰国してからは出版社をやっています。


番組に触発されたからといって、全国の統計データなど入手できず、こうして身近な事例を示すことしかできませんが、とりあえずワーキング・プア以下の状態であった施設の8人の子どものうち、現在、3人はワーキング・プアな状況ではないわけですね。この状況を見るときに、5人を見て「悲惨だ」と思うか、3人を見て「救いはある」と思うか。3人のうちのひとりである私は、5人の友のような悲惨な状況もありえるとわかっていながら、どうしても「救いがある」と思ってしまうんですよね。


番組の取材班は、かぎられた時間のなかで取材をし、撮影をしています。限られた情報のなかで判断した場合、ワーキング・プアは社会の構造的な問題であり、なかなか解決が困難であり、ワーキング・プアな親を持つ子どもは、やはりワーキング・プアになってしまう実状がある、という話はほんとうのことだと思われます。だがしかし、そういう悲惨な事例ばかりを取りあげて、いかにも未来がないように報道するのは、どうかと思ったんですね。


それでは、ワーキング・プアな親を持つ子どもが、いかにしてみずからがワーキング・プアにならぬようにすればいいのか。子どものうちから「未来がない」などと考えずにすむようになるのか。この点は、そう簡単には提案することができません。それは、各家庭によって、あまりにも社会に置かれた状況が違いすぎるからです。


とはいえ、そういう子どもが「未来があるかもしれない」と思えるようなポイントは、いままで書いてきたなかでも散見されます。私自身が「未来があるかもしれない」と思ったポイントは、「高校に入れた」という部分でした。中学のときに、ボランティアで勉強の指導をしてくれていた歯科大生に、「施設にいるからといって、将来を悲観する必要はない。高校を出て、ちゃんと就職すれば、施設の外にいる人たちと何らかわりのない生活ができるんだよ」という、しごく当たり前の言葉をかけられました。けっきょく施設を出るまで、私はその言葉をリフレインのように繰り返し思い浮かべることになったのです。


歯科大生からその言葉を聞いて以来、中学生のときから「高校を出たら公務員になる」と心に決めて、公務員になるためにはどこの高校に入ったらいいのかとか、何の勉強をしたらいいのかということを考えつつ、施設ライフを送ったのでした。結果として、公務員に準ずるような安定度のある私鉄に入ることができました。


悲惨な状況にある人たちに、あなたは悲惨ですねと再確認をするということは、悲惨な状況にある人たちのことを、何らかのかたちで(たとえば番組というかたちで)悲惨でない人たちに伝えることと似ていますね。悲惨な人にとっては、そう確認されたり報道されたりすれば、「この人(テレビ局や番組を観た人)は、私たちのことをわかってくれている」というシンパシーが、テレビ局や番組を観た人にわくかもしれません。とはいえ、テレビ局や番組を観た人たちが、悲惨な人たちに、いったい何をしてくれるというのでしょうか。即効力のある処方箋は提供できませんね。


何もできないのがわかっているのならば、せめて悲惨な状況にある人の「未来がない」部分を表現するだけなく、そういう状況に置かれても「救いはあるかもしれない」という部分も指し示すくらいのことはしてほしかったなあ、と思いました。取材の結果として、現在、ワーキング・プアな親には未来がないことがわかったとしても、その子どもの未来がないとは、テレビ局の人にはいえないんですから。番組中に放映された施設の子どもの映像が、いかにも「この子どもたちにも未来がない」という文脈で使われていたのが気になって、ここまでつらつらと書いてしまいました。


ちなみに、こうしてみずからの体験にもとずく事例を示してみましたが、ワーキング・プアがいいとか悪いとか、どうすればなくなるといったような「価値判断」は排除してあります。実際、どうすれば悲惨な状況から脱却できるのかとか、どうすれば働いたらそれなりに豊かになるのかと聞かれれば、私には「わかりません」としか答えようがありません。


ただただ、「ワーキング・プアな親を持つ子どもの未来まで、勝手に番組で暗示するなよ~」ということが言いたかったのです。


つまらぬ体験談を書き連ねてしまい、すこし反省しております。



※ぜんぜん関係ありませんが、写真はうちの寅です。子猫だったのに、すぐ大きくなるんですね。


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