双風亭日乗

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2006年7月18日 (火)

子どもを殺した母親だけど……



ワイドショーやニュースで一方的な畠山被告バッシングがおこなわれるなか、作家の内藤みかさんが「母親だけが、悪いのか。」というエントリーで、以下のような発言をしています。


→ http://plaza.rakuten.co.jp/micanaitoh/diary/200607160001/


内藤さんは、ただ者ではないと思いました(前からそう思っていたけど、このたび再確認しました)。


畠山被告バッシングの嵐が吹き荒れるこの時期に、子どもを殺した母親をある側面で「かばう」ような発言をするのは、たいへん勇気のいることでしょう。かつ、その発言内容は、母親でない私でも十分共鳴できるものでした。


マスゴミ(とりわけテレビ)は、したり顔でテレビを見つめるハゲタカのような視聴者に対して、特定の個人のみを攻撃するような内容の特集を垂れ流しつづけるんじゃダメでしょう。それこそ、子どもを殺した母親(本人というよりも、似たような環境におかれた女性)にシンパシーをも感じているような、内藤さんのような方のコメントを放送することが重要なのでは。


そうしないと、内藤さんがいうように、畠山被告と同型(「シングルマザー」「生い立ち」などといった、かたちが同じということ)の母親に対する世間の風当たりが冷たくなる一方のような気がします。子どもを殺した母親個人の環境と平行して、その母親を取り巻く社会の環境も取材したり報道する必要があります。次のピック・ニュースが発生すれば、この事件の報道は母親攻撃でおわってしまう可能性があります。そんなことになったら、畠山被告と同型の母親たちはまったく救われないですよね。


もし畠山被告が罪を犯しているのであれば、その犯した罪の内容をあきらかにし、彼女が自分の犯した罪を何らかのかたちで償うのは、当然のことです。しかし、彼女を取り巻く社会の状況をしっかりと取材・報道・分析・研究しなければ、同じようなことが繰り返し起こるだけのように思えます。そのためには、内藤さんのような視点が不可欠になります。


ぜひぜひ、上記の内藤さんの発言を読んでみてください。異論反論のある方もいるとは思います。とはいえ、何度も書きますが、母親が子どもを殺す事件を考えるためには必要不可欠な視点を内藤さんは提供してくれているのです。しつこいようですが、内藤さんのような視点はたいせつなんです、ほんとうに!



追記……「激高老人」こと社会学者の作田啓一さんが、畠山容疑者の振る舞いについて、以下のように分析しています。畠山容疑者の「頭の弱さ」うんぬんという部分以外は、たいへん興味深く読めました。


→ 畠山静香容疑者の自己破壊 http://gekko.air-nifty.com/bc/


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コメント

確かに、畠山容疑者に自分を重ねるのは周囲から批判の的になると思いますが、僕の妻も
「他人事とは思えない」と言っていますが、そういう心情の吐露は保育園のお母さんの前ではできないと言っています。
 畠山容疑者の予備軍は、かなりいます。もちろん、容疑を実行するのと、自分を重ねるだけでは大きな隔たりがあります。ただ、行政の問題として、児童相談所はヘビーな事案、市役所の保健所では、ライトな子育て相談が去年4月から行われるようになったことは余り知られていませんし、やはり、行政に相談するということに抵抗のある母親は多いようです。
メール相談は、休止中ですが、畠山容疑者のような生い立ちで子育て、対人関係等に悩みを抱えている母親は大勢います。だからこそ、ワイドショーや週刊誌のように集団ヒステリーを煽るような報道はいい加減やめにして、多角的な分析が必要だと思いますね。

投稿: ロブ | 2006/07/18 11:12:45

個人の幸せではなく社会の幸せを本当に深く追求するのなら、なぜ不幸な境遇にあるシングルマザーや親子の問題が、他の問題に先立って問題化される必要があるのかが問題になります。つまり問題の優先順位が問題になります。様々な人が別個の問題を色々に取り上げることはできますが、ひとりが全ての問題を担えるわけはなく、何かに先立ってどれかを問題にするという優先順位をつけねばなりません。その場合、どうしてそれがあれに優先されるのか、それが社会の幸福にとってなぜ優先されねばならないのか、という問いには如何に答えることができるでしょうか。私には「社会的な幸福追求」ということが個人的な幸福追求である限りで、個人的な関心に従い優先順位が合理化されるに過ぎないように思われます。それでも結果的に「社会的幸福」に寄与するなら良く、そのようなマインドを教育せねばならぬという向きもあります。しかしそのような場合でも優先順位の指針自体が教育される場合以外は(これは危険ですが)、優先順位は個人の関心に依拠することになるのですから、母親バッシングでさえ「社会的幸福」にとって優先すると考えられれば、これは正当化されることになります。ここで振り出しに戻り、「社会的幸福」が「個人的幸福」に優先するべきとする意見の優先順位の妥当性はどこにあるのか、と問われることになります。内藤さんが提供してくれているところの母親が子どもを殺す事件を考えるためには必要不可欠な視点、とは何のことなのでしょうか。
多角的な分析の必要性と、社会と個人の幸福追求の優先問題とは、社会の存続が第一優先である場合にのみ直接に関連付き、その場合においてさえもシングルマザーや親子問題が他の問題に優先すべきか否かは、社会的文脈に依存するとなると、かかる問題は「取るに足らない問題」であるかもしれません。改めて内藤さんの視点がなぜ大切なのか、社会的幸福追求の観点からは解は得られないように思います。

投稿: Trickystar | 2006/07/19 0:06:43

>Trickstarさん
HNのようにあなたのコメントがトリック仕掛けだらけに見えるのは僕だけでしょうか?社会的幸福をもちろん、考える余裕のある人は考えればいい。ただ、畠山容疑者のような、うつ病の視野狭窄のような状態になると、「個人的幸福」が自動的に最優先になります。これは、認知心理学でも認められていることです。ただ、こういう理論的言説が、この事件から何かを導き出せるとは思いません。さらに、畠山容疑者の心理状態を予測した精神科医たちは、その分析が外れて、テレビには出られなくなっています。犯罪に手を染めるのはいけないことです。ただ、その加害者の状況に気持ちを重ねてしまうのはいけなことでしょうか?重ねてしまうのは、人間の感情ですからどうしようもないことだと思うのです。
 しかし、そういう加害者に感情を重ねる発言をすると、「お前も、殺人者予備軍か」と言われてしまうことに恐れて、同じ境遇の女性たちは、余計に殻に籠もって気持ちを押さえ込んでしまう。そういう事態を壊滅させることは無理ですが、畠山容疑者批判だけでなく、
「気持ちはわかる」という発言も出てきて、そこで色々とシングルマザー問題だけでなく
様々な問題に波及する事件だと思います。
確かに、この事件を「統計学的に考えれば、数が少なく希な事件だから」と言ってしまえば
簡単ですが、それだけで良いとは思えません。もちろん分析は、専門家の領域かも知れませんが、門外漢の意見も含めた議論が起こる方が健全だと僕は思うのです。
まず、一般の母親は、個人的視点から見るでしょう。そう考えた場合に、内藤さんの意見というのは重要な意味を持つと思いますよ。

投稿: ロブ | 2006/07/19 1:06:54

>leleleさん
私には一般的なコメントなのですが。理論的云々というよりはロジカルにこうではないかと言っております。とはいえ、努めて平易を心がけることにします。小難しいようなので補足再述しますが、当事者に思いを馳せる余裕も必要も大いに議論し喚起すれば良く、これに意義はありません。ただし、それが万人が共有すべき何某かである必要は無いし、そのようには言えないということを示しました。社会的幸福追求の観点からの解はなかろうと。だから、個人的幸福追求の観点からでしか、leleleさんが擁護したいことは擁護できないし、それでよくそれ以上であり得ないので、さも「社会的」な問題であるかのように語るのはロジカルに無理であると言っております。そうしたことが社会的問題とし理解されるようにすべく教育がなされる事をむしろ懸念します。理由は繰り返しですが、問題化には必ず優先順位が伴うからです。順位が一般化されるよりは個人的幸福追求である方がマシだと思うのです。内藤さんに全く共鳴できないのは、個人的なコミットメントを社会的幸福追求に全て還元してしまいかねないからです。個人的な関心から当事者に思い入れようがいまいが、それは開かれているべきだと私は思います。
ロブさん>
トリックではないのですよ。むしろこのようにも言える事が見えないような言説が私には詐術的に見えます。人間の感情を指針にするなら、気持ちを重ねるのも、重ねないのも感情ですからどうしようもないですよね。議論が起こることが健全だということについて個人的に大いに賛同します。そうであるために社会的幸福が個人的幸福に優先するか否かに意義を申し立てております。内藤さんやleleleさんに意義を申し立てているのは、議論が惹起されることを目指しながら、ロジカルにそうならないような優先順位問題という問題を含んでいる、ということを示すためでもあります。それゆえに、「内藤さんが提供してくれているところの母親が子どもを殺す事件を考えるためには必要不可欠な視点、とは何のことなのか」と議論を喚起しているのですよ。

投稿: Trickystar | 2006/07/19 1:57:46

あー、うーむ。そうですか、いけませんね。もっともっと分かりやすく書く、というのが私の課題でありタスクのようですね、反省。一般読者向けの本を書くのが最良のプラクティスのようですから、双風舎でガンバリます(笑)。

投稿: Trickystar | 2006/07/19 2:19:50

>Trickstarさん
まず、ロジカルに書くことは、抽象的な言語で語ることが全てではないですよね?この事件を考えるときに、一般人レベルからすると、分析などから還元される先は、まず個人の幸福追求になってしまうと思うんです。しかし、今のマスコミ報道はただ新しいネタをいかに早く仕入れるかになってしまっていて、これだけの時間を割きながら、視聴者の中の意見を取り入れるとかそういう視点が全くないのが気になるんです。特に、シングルマザーや子どもを持つ母親の声が聞こえてきません。実際は、この事件によって、「だから、片親は…」なんて偏見が噴出してしまうのも怖いと思います。もちろん、それは一時的なものかもしれませんが、言われた本人には、一生忘れられない、個人的不幸になりかねません。leleleさんもおっしゃるように、庶民は、個人的幸福を最優先順位において生きてしまうんです。もちろん、それは社会幸福を無視するという意味ではありません。また、家庭を持つ身としては、個人の実感としてどう思うかしか書けないんです。また、畠山予備軍みたいな、母親たちの存在を知っている身としては、社会的幸福はout of 眼中って感じなんです。ロジカルに物事を語るのは大切ですが、空気読んで言葉を選ぶのは大切だと思いますよ。

投稿: ロブ | 2006/07/19 11:23:56