双風亭日乗

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2006年9月30日 (土)




図書新聞10月7日号に『バックラッシュ!』の書評が掲載されました。タイトルは「私たちはどのような社会像をめざすのかを問う『政治』の問題――これまで必ずしもジェンダーの問題にかかわってこなかった人たちにも読んでもらいたい――」、評者は牟田和恵さん(大阪大学大学院教授)です。北原さんの書評と同様に、本書の企画の意図をきっちり評価していただいています。


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2006年9月29日 (金)




韓さんの『チマ・チョゴリ制服の民族誌』ですが、本日発売の「週刊金曜日」の書評欄に、でかでかと書評が掲載されました。評者は、東京経済大の本橋哲也さんです。


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2006年9月28日 (木)




畏れ多くも、尊敬する無頼のコラムニスト・小田嶋隆さんにインタビューをさせていただきました。


私が小田嶋さんを知ったのは「噂の真相」の連載コラムでした。さまざまな技法をつかって、開始行で読者の心をつかみ、そのまま最終行まで読ませる「技」には、いつも敬服しておりました。



ネットと関わるようになったきっかけが、「アル中対策」と「イグアナ飼育」というエピソードには、大笑いしました。その他、謎に満ちていた人間・小田嶋隆の実像が、インタビューでつぎつぎとあきらかになります。(笑)


ご一読いただければ幸いです。


今週は前編で、来週は後編です。



<ココセレブSpecialインタビュー>


無頼のコラムニスト――その奇妙で愉快な素顔――


小田嶋隆さん


http://celeb.cocolog-nifty.com/interview/2006/09/post_e132.html



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2006年9月28日 (木)




風邪でダウン。


ふらふらしながらメールチェックのため、PCのスイッチをいれる。


ついでに、はてなアンテナをチェックしてみる。


おもしろい記事があった。


あの作田さんが、NOVAのCMをしっかりとチェックしているのに感動した。


作田さん、マメなんですね。内容もほぼ共感できた。



激高老人のぶろぐ→ http://gekko.air-nifty.com/bc/2006/09/novacm_48b6.html


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2006年9月26日 (火)




ナッシュビルでの新アルバム制作の様子をロードムービー風に撮影した、清志郎さんファンにはたまらない番組でした。ところどころに挟みこまれた知人のコメントが興味深かったですね。おもしろかったです。



清志郎さんは、ガンと知っててナッシュビルにいったのでしょうか、それともアルバム「夢助」のレコーディングがすんでからガンを知ったのでしょうか?



以前、書いたかもしれませんが、私が提案した書籍企画がボツになった直後、公式サイト「地味変」にライブレポートを書く機会をいただいたりしました。ラフィータフィーの京都・磔磔でのライブでしたね。公式サイトに書かせてもらっただけで、かなり興奮したし、嬉しかったです。「地味変」のリニューアルにともない、レポートが掲載されたページはなくなってしまいましたが……。



同番組でリリー・フランキーさんが、清志郎さんは自分のことよりも他人のことに強い関心を持つ「母性」の人だ、といっていました。ほんとうに、そのとおりだと思います。


そういう人がつくるロックは、ほんもののロックだと思いますし、そういう人がつくるブルースは、ほんもののブルースなんだと思います。



病気と闘っているときに、勝手なことをいうようですが、もっともっと清志郎さんの歌が聴きたいし、つくる曲を聴きたいと強く思っています。




夢助

夢助






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2006年9月23日 (土)




『バックラッシュ!』ですが、共同通信配信の書評が地方紙に掲載されるたび、アマゾンの売上順位があがります。


で、しばらくすると下がります。この2週間は、その繰り返しでした。やはり地方紙とはいえ、新聞書評にはそれなりの力があるんだなあ、と実感しています。もう一度くらい、どこかの地方紙に掲載されたら嬉しいのですが……。それは高望みというものですね。



さて、アマゾン。このところ、各書籍のページを開くと、共著本の場合であってもひとりの著者名しか表示されませんでした。「バグかなあ?」と思っていたところ、さきほど『バックラッシュ!』をのぞいてみたら、登録してある四人の著者名がしっかりと掲載されていました。それまでは、上野さんしか載っていませんでしたし、上野さんの著作リストのページにいっても、同書はなぜか最下位のままでした。



それで、さっそく『バックラッシュ!』のページから、登録した四人の著者名をクリックしてみると……。


なんとなんと、上野さんと宮台さん、斎藤さん、小谷さんのそれぞれの売上順著作リストで、トップに掲載されておりました。そろそろ発売から三カ月が経とうとしています。それでも同書が4人のリストのトップを飾っているということは、とりあえずアマゾン「では」同書が売れている、ということかもしれません。



素直に、嬉しいです。




バックラッシュ!  なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?

バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?






その後、ためしに類書のなかでの売れ行きはどうかと思い、「アマゾン→本→人文・思想→女性学」と検索してみたところ、なんと1001冊のなかで1位でした。


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2006年9月22日 (金)




私がたいへん尊敬している編集者の北村肇さんが編集長をつとめる「週刊金曜日」。


北村さんが同誌9/22号の「編集長後記」で書かれているように、ネット上では「赤雑誌」とかいわれているようです。「権力に楯突く」ことが「赤」ということなのでしょうか。それなら、「権力に媚びを売る」ことや「権力をよいしょする」ことは何色になるのでしょうか。



雑誌というものは、ある程度の色がついているものだとは思います。とはいえ、その色は、編集長によって大きく変わったりするものだとも思います。北村さんが編集長になって、「週刊金曜日」は変わったと思うのですが、その変化に気づかず(というか関心も持たず)に、いまだ同誌は「赤」だと騒いでいるのはどうか、と思ったりします。



それに同誌の編集委員の半分くらいは、すでに「赤」じゃない色のほうに、日和っているじゃありませんか。「赤」の象徴としては、機能しない人がいるではありませんか。ねえ。



で、その「週刊金曜日」に『バックラッシュ!』の著者である小山エミさんの記事が掲載されました。「悲劇の意味をすり替えたジェンダー叩き勢力」というタイトルです。文中の『ブレンダと呼ばれた少年』の著者J・コラピントさんへのインタビューで、小山さんが同氏に同書執筆の本意をたずねています。その本意がいかに日本で曲解されていることか……。



ちなみに、私は同じ号で「読み方注意!」というコラムを書きました。「週刊ダイヤモンド」の「父親力特集」を批判したものです。そんなチカラは、べつに父親が担わなくてもいいじゃん、という話です。そして、「親力」とか「人間力」など、「~力」という胡散臭い言葉には気をつけよう、と。



さらに、同じ号では、宮台さんが著名人にインタビューする「宮台真司インタビュー」というコーナーで、『自殺サークル』などの監督をつとめた園子温さんと宮台さんの対話を読むことができます。これはおもしろかった!



というわけで、よろしければ「週刊金曜日」9/22号をご購入またはお立ち読みくださいませ。


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2006年9月21日 (木)




若杉公徳著『デトロイト・メタル・シティ』(白泉社)というおもしろい漫画があります。


ステージでは泣く子も黙るメタルロックのヴォーカリストだが、ステージを離れると気弱な青年になってしまう……。そんな青年の日々とバンドの成長を描いた作品です。



この漫画のステージシーンには、主人公が熱唱する過激な歌詞の挿入歌(といっても、文字だけですが)がいくつかあります。そして、なんとそれらの挿入歌を作曲・アレンジ・歌唱して、ネットにアップしている方がおりました。


漫画を読みながら聞くと、こたえられないと思います。


ヨハネ・クラウザーⅡ世さん、ありがとう!



ファッキンガム宮殿→ http://dmcopy.seesaa.net/




デトロイト・メタル・シティ 1 (1)

デトロイト・メタル・シティ 1 (1)



  • 作者: 若杉公徳

  • 出版社/メーカー: 白泉社

  • 発売日: 2006/05/29

  • メディア: コミック





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2006年9月21日 (木)




昨日、NHKの「視点・論点」に茂木健一郎さんが出演しました。同番組の内容は、さまざまな問題について専門家が語る、というもの。時事問題がテーマになることが多い10分程度の番組です。



茂木さんがテーマに選んだのは、ギャップ・イヤー。


ギャップ・イヤーの意味は、三省堂の『デイリー新語辞典』によると、以下のとおりです。



ギャップイヤー【gap year】


〔ギャップは隙間(すきま)などの意〕


大学への入学が決まっている学生が,社会的な見聞を広めるために一定期間(通常 1 年程度),入学を遅らせること。また,その期間。イギリスで 1990 年代から普及した制度で,利用する学生はこの間を旅行やボランティア,職業体験などで過ごす。



このような制度がイギリスで普及していること自体、私は知りませんでした。


すばらしい制度だと思います。私自身、働きながらもギャップ・イヤーのような日々を送ることが多く、そうした日々があらたな企画を生み出しているといっても過言ではありません。



脳科学の見知からいうと、脳は休ませようとしても休むものではなく、つねに働こうとするのだそうです。ですから、いままでとまったく違うことをやったり、まったり休んでいるときにも、脳はたえず働いているということですね。で、これまでやっていたことを、ぱったりやめたりする。それでも脳は働こうとする。そうした瞬間に創造がおとずれるということを、ダーウィンなどの例を引いて、茂木さんは説明していました。



とはいえ茂木さんは、日本のような「どこかの組織」に属していないと人から認められないような社会では、ギャップ・イヤーのような制度は定着しにくいかもしれない、と危惧していました。キャリアに空白が生まれると、それまでの経験や実績が無駄になったり、職場で干されたりするという状況は、たしかに日本ではありがちなことだと思います。



茂木さんは、このギャップ・イヤーを学生時代のみが利用する制度にするのではなく、社会人になってからも利用できるようなものにするのがいい、といってました。さらに、印象的だったのは、フリーターとかニートとかいわれている人たちの状況も、視点を変えればギャップ・イヤーのようなものなのではないか、というようなことを指摘していたことです。この指摘は、ただただ「フリーターはだめだ」「ニートはどうしようもない」と一元的な指摘しかできない論者が多いなかで、とても新鮮に感じました。



ずるずると何年もフリーターやニートを続けている場合は、ギャップ・イヤーの本意が適用できないかもしれません。だって、そうなってくると、フリーターやニートを「やらない時期」こそが、ギャップ・イヤーになるではありませんか。


しかしながら、学生から社会人になる端境期に、それほど長い期間でなくフリーターやニートをやる場合は、フリーターやニートの時期もギャップ・イヤーだといえるのかもしれません。この場合、「期間」の長さが問題になろうかとは思いますが。



いずれにせよ、社会人になってからギャップ・イヤーを実践するとなると、その期間の食い扶持を保証してくれるようなシステムが必要になります。それを実践することにより、多くの人が創造的(クリエイティブ)になり、社会全体に利益をもたらすのであれば、それこそ国や地方自治体などがそのシステムをサポートするのがいいかもしれません。そうなると、どの程度の創造が社会の利益になるのかという、これまた判断がむずかしい問題が浮かびあがります。



現状の日本では、社会人のギャップ・イヤーというのは、夢物語なのかもしれません。しかし、知らなければ夢にも見ないわけですから、やはり茂木さんの提言は重要かつ刺激的なものだと私は思いました。


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2006年9月20日 (水)




同書には、山口智美さんの司会によるジェーン・マーティンさんとバーバラ・ヒューストンさんのインタビューを掲載しました。分量の問題上、一部の掲載を見送ったのですが、その未掲載の原稿を山口さんがブログで発表しています。


内容は、ブッシュ政権の教育政策で、現場の状況を紹介しつつ、その現状と問題点をおふたりが指摘しています。



ふぇみにすとの論考→ http://d.hatena.ne.jp/yamtom/20060916/1158393515


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2006年9月20日 (水)




先日、お伝えした共同通信配信の北原みのりさんによる『バックラッシュ!』書評が、9月17日付の信濃毎日新聞朝刊に掲載されました。



昨日、平安堂書店長野店から『バックラッシュ!』を20冊ほどご注文いただき、「あれっ!?」と思っていました。地方紙の場合は、朝毎読のような事前告知がありません。よって、書評が掲載された場合は、事後的に知ることになります。アマゾンで順位が急上昇したのも、書評のおかげなのだと思います。ありがたや。



昨日、JRCにおじゃましたら、朝日の書評にとりあげられた有志舎さんの三谷博著『明治維新を考える』について、書店からの注文と問い合わせが殺到し、とても忙しそうでした。同社は、元・吉川弘文館の方がやっているひとり出版社とのこと。うらやましいかぎりです。


有志舎→ http://www18.ocn.ne.jp/~yushisha/


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2006年9月19日 (火)




古屋兎丸の『ライチ光クラブ』(太田出版)という漫画が、とてもおもしろかったです。


1980年代なかば、劇団グランギニョルによって公演された演劇が原作とのこと。たしかに、章立てやページ割りは、まるで演劇を見ているような感覚になるべく構成されています。



とか書いていますが、生まれてこのかた、私が演劇なるものを見たのは10回くらいでしょうか。美輪さんの黒蜥蜴(これは最近、公演があるたびに見ています!)とか花園神社の赤テントなどなど。ですから、じつは「演劇を……」とか偉そうなことは書けないんですが……。



愛と血と暴力。『ライチ光クラブ』は、この三つの要素を耽美的にうまくまとめてあり、独裁の強さだけでなく脆弱さも描かれていて、素直におもしろく読めました。


また、ところどころにボーイズ・ラブ(BL)の要素がちりばめられており、BL漫画初心者の私にはちょっとした刺激になりました。


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2006年9月18日 (月)




アップしてみましょうか。


トラが身体で「C」の字を描いています。


まぶしそうですね。


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2006年9月15日 (金)




6月末までに600冊ほど納品しましたが、数日前に完売し、補充しました。


図書館流通センター(TRC)は、図書館分とbk1分を合わせて、現在まで370冊の納品です。


ネットで購入していただいた読者のみなさん、ありがとうございます!




バックラッシュ!  なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?

バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?






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2006年9月11日 (月)




朝、テレビをつけたら、みのさんが「公務員は、けしからん」と怒っていました。


で、午前中のワイドショーを見ても、夕方のワイドショー的ニュースを見ても、公務員が起こした事件や事故をあげつらい、「けしからん」モードで報道していました。



一連の報道を見ていて、気づいたことがあります。


そういえば、少年犯罪が集中的に報道されたときも、こんな感じだったなあ、と。


マスコミは、まったく懲りずに同じことをやっているんだなあ、と。



目印になる(ネタになる)ような事件・事故が起こると、事件・事故の重大さや凶悪さよりも、誰がそれを起こしたかを意図的に拡大して取りあげる。1社がそれをやると、次から次へと他社も同調し、メディアスクラムになる。



少年犯罪のときには、少年たちの誰もが、凶悪事件を起こす予備軍であるような雰囲気に、世の中が包まれてしまいました。今度は公務員かよ……。何でもいいんだな、きっと。必要なんだな、きっと。



何でもいいけど、必要なのは、身代わりの山羊。


少年でもいいし、公務員でもいい。一点集中で叩けて、いじめる(いじる)ための対象があればいいんですね、マスコミには。



マスコミがやるってことは、視聴者や読者がそれを求めているってことなんですね。


「視聴者や読者が求めるネタ→そのネタをマスコミが報道→スポンサーが資金を提供→視聴者がスポンサーの商品を購入」という図式で考えると、この身代わりの山羊システムはいつまでも続くことになりますね。商業マスコミが生き残るためには、必須のシステムなんですね。



それはそれで仕方がありません。私たちが求めているものを、マスコミが提供しているんですから。私たちは、自分が安心するために、自分よりも何かが下(収入、学歴、地位、容姿など、いろいろ)の人の存在を確認したり、気にしたりするのは、いくらきれい事をいったところで、やめられないことだと思います。



でも、公務員だからという理由でその人が事件・事故を起こした可能性は低く、少年だからという理由でその子どもが事件・事故を起こした可能性は低いでしょう。ならば、事件や事故の報道解説にいちいち「公務員が……」とか「少年が……」という言葉をつけて、すべての公務員や少年が事件・事故の予備軍であるようなイメージをつくるのは、ほんとうはやっちゃいけないことなのだとも思います。



たしかに、他人の不幸は自分の幸せだったりするわけです。とはいえ、そんなふうに思いながら、「少年が……」「公務員が……」と連呼するマスコミの愚かな構造を嗤ったりするっていうのも、なかなか味があっていいんじゃないかなあ、と思ったりする今日この頃です。



こんなことは、どこぞの誰かがさんざん指摘してきたことなのですが、ついつい愚痴ってしまいました。


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2006年9月11日 (月)



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北原みのりさんによる『バックラッシュ!』の書評が、共同通信の配信で全国の地方紙向けに提供されたようです。とりあえず、2006年9月11日付け北日本新聞には掲載されました。斉藤正美さん、情報をありがとうございました!



記事の内容については、斎藤さんのブログをお読みください。


http://d.hatena.ne.jp/discour/20060910


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2006年9月10日 (日)




なぜか真っ白でした。



f:id:lelele:20060910135534j:image


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2006年9月10日 (日)




「STUDIO VOICE」10号の110ページに『バックラッシュ!』の書評(by 水越真紀さん)が掲載されました。


予想外の雑誌に書評を掲載していただき、とても嬉しく思っています。


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2006年9月 8日 (金)




どうでもいい話というのは、紀子さんが男子を出産したという話です。


もちろん、ある夫婦に子どもができた、産まれた、という話自体は、もしその夫婦が子どもの誕生を歓迎しているのであれば、誠によろこばしい話だといえましょう。



とはいえ、皇族の子どもだから、男子だからということで、マスコミがこぞってバカ騒ぎをするのは、どうかと思います。


藤原新也さんが9月6日付のブログで書かれていますが、バカ騒ぎするマスコミなど無視をして、私たちが直視すべきは雅子さんの症状であり、笑わない愛子さんの表情なのだと思います。



皇室の皇位継承問題は、テレビドラマにでもなりそうなネタになっているような気がします。伝統を重んじる商家などで、商家の主に子どもが三人いる。長男と長女には女児ができず、主がもやもやしているときに、次男の嫁に男児が産まれる。主は、「これで直径の跡継ぎができた」とほっと一息……。



そう考えてみると、じつにどうでもいい話ではありませんか。そもそも、商家の主とは違い、天皇が本当に世継ぎとしての直系男子を求めているのかどうかもわかりません。直系男子がどうのというよりも、自分の子どもたちが悩むことなく日々を送ることを、天皇は求めているのかもしれません。騒いでいるのは、周辺の省庁や政治家、一部の右翼だけなのかもしれません。



さて、上記の藤原さんは、9月8日付のブログで板東さんの「子猫殺し」問題にも言及しています。


発言の核心部分を引用します。



 それはかりに動物の殺生にやむなく手を染めたその罪や苦しみや悲しみというものは軽々しく他言すべき種類のものではないということだ。それは自分一人の胸の内に秘め、ひとり罪の苦しみを背負ったまま墓場まで持って行くべきものである。ましてやそれを不特定多数の人々の前で軽々しく公言するということは殺した命をさらに晒しものにするに等しく、あってはならないことである。妙な言い方になるが、殺した命を愛していなかったからこそ軽々しく他言できるということだ。


 この人間としてあるべき基本感情が板東さんにはお分かりになっていないようだ。


 「それを言っちゃぁ、おしまいよ」


 ということである。



これは、紀子さんの男子出産などと異なり、たいせつな問題です。


私は、上記の発言におおむね同意します。しかし、「かりに動物の殺生にやむなく手を染めたその罪や苦しみや悲しみというものは軽々しく他言すべき種類のものではない」という部分には、思うところがあります。



「週刊文春」の今週号には、東野圭吾さんによる板東さん擁護の記事が掲載されています。板東さんの友人によるその記事を読めば、板東さんがけっして「軽々しく他言」しているわけではない、ということがわかるかと思います。



藤原さんは「それを不特定多数の人々の前で軽々しく公言するということは殺した命をさらに晒しものにするに等しく、あってはならないことである」と言いますが、誰かがいわなければ、「無意識に動物の殺生に手を染めている」ような人に気づきを与えることもできない、とも思います。だから私には、板東さんがやっているようなことを「あってはならない」と断言してしまっていいのか、という疑問があります。



基本的には、私も藤原さんと同様に、そういう話は軽々しく公言してはならないとは思います。が、公言することの意味と目的をしっかりと見極めたうえであれば、公言してもいいのではないかと思うのです。たくさんの犬猫が日々、殺処分されている事実を記した『ドリームボックス』の内容と板東さんの発言は、直結しているように思えてなりません。



藤原新也さんのブログ → http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php


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2006年9月 5日 (火)



前から読みたくて、文庫になったら読もうと思っていたのですが、この装丁には「やられた」って感じです。


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2006年9月 2日 (土)




Z会という塾(?)が通信教育受講生向けに発行している『Azest』という雑誌に、『チマ・チョゴリ制服の民族誌』の書評が掲載されました。読者は、高校一年から三年生、そして高卒生とのこと。



ありがたきしあわせ。


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2006年9月 1日 (金)




いやいや朝日新聞もやってくれます。


私の友人で、夫婦仲と性の相談所を主宰する二松まゆみさんが、なんと本日付朝日新聞の「ひと」欄に紹介されております。一行紹介には「セックスレス解消に奮闘するネット主催者」とあります。ご本人によれば、セックスがらみのテーマをあつかっている人物が、朝日の「ひと」欄に紹介されるのは初めてとのこと。



セックスの問題は、理論だなんだというよりも、やはり即戦力になる実践面での知識が重要でしょう。二松さんのような人がどんどん世に出ていくことは、とてもよいことだと私は思います。このところ女性誌からテレビまで、さまざまな媒体で二松さんが取りあげられています。



まあ、そのうち有名になりすぎて、私のような小物は相手にされなくなることでしょう。(笑)


今後の活躍に期待しております。



 となりの寝室事情 うちの寝室事情(サイト)→ http://www.suzune.net/contents/


 となりの寝室事情 うちの寝室事情(ブログ)→ http://www.suzune.net/blog/



※上記のブログのよれば、いま売っている「プレジデント」にも登場しているようです。すごいぞ!


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