双風亭日乗

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2006年11月30日 (木)




なつかしい記録を見つけました。読み直すと、「あの頃は熱かったなあ……」と思わずノスタルジジイ・モードに入ってしまいます。


上智大学アンコール遺跡国際調査団の一員として、遺跡周辺のむらのフィールドワークを実施したときの記録です。私は日記をつけることができないタチで、毎日の記録をつけたのは、あとにも先にもこのとき以外にありません。


北スラ・スラン村調査日誌


この日誌を元に修士論文を書いて、それを上智大学アジア文化研究所が発行している「上智アジア学」という紀要に掲載してもらいました。これもpdfで読むことができます。世の中、便利になったものです。


カンボジア北西部の集落――北スラ・スラン集落における社会経済基礎調査


カンボジア北西部の集落――北スラ・スラン集落における稲作農家の共同関係


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2006年11月30日 (木)




先週末に、お仕事で鏡リュウジさん(西洋占星術研究家、翻訳家)のお話しを聞きました。


場所は、六本木ヒルズ。すこし早めにいって、周辺をうろうろしたのですが、何度いってもなじめない場所だとつくづく思いました。テレビなどでは華やかさが強調されますが、私には華やかさの裏にある空虚さばかりが感じられるんですよね。とはいえ、ヒルズ22階からの夕景は天下一品でした。私は、高いところから夕景と夜景を見るのが大好きなのです。



さて、鏡リュウジさん。お話しの内容は、来月公開予定のインタビュー記事をご覧になっていただければ幸いです。とても和やかな雰囲気で、お話しを聞くことができました。ひとつだけいえることは、鏡さんが、西洋占星術を専門にしている単なる占い師などではけっしてない、ということです。そのことを裏付けるヒントは、鏡さんのブログにも書かれております。



それで、鏡さんに興味津々の私は、さっそくある事を思いつきました。さらに、思い立ったら吉日ということで、すぐにアクションを起こしました。鏡さんと宮台さんに対話していただき、それを書籍企画にしてみたらどうか、と思ったのです。


さっそく連絡をしてみると、おふたりからOKとの返事をいただきました。そんなこんなで、来年に数回、鏡さんと宮台さんのトークセッションを開催いたします。詳細は決まり次第、当ブログにて告知します。


意外な組み合わせだと思われる方が多いかと思いますが、宮台さん、じつは大の占い好きです。そして、鏡さんは大学院を出た研究肌。このおふたりが相互の知識を補完し合いながら語る世の中の話は、おもしろくないわけがありません。



内藤さんの本は、来週はじめに組版を開始し、ゲラを出す予定です。年内に再校まで出して、一気に進めて1月中の刊行をめざします。


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2006年11月26日 (日)




葉っぱさん、ロブさん、takeshipさん、コメントをありがとうございます。


やはり協力出版については、多くの疑問が残りますね。takeshipがお書きになったとおり、版元が適正な仕事をおこなったうえで、適正な利潤を得るのであれば、何の問題もないでしょう。適正な仕事をおこなっていないのに、過剰な利潤を得ているという疑念が捨てきれないのが、最大の問題だと思います。


おそらく普通の版元を経営している方なら、「何が適正なのか?」という点については、ほぼ共通した答えが返ってくると思われます。


以上の問題について、匿名でもいいので、協力出版を中心に出版活動をおこなう版元の関係者に、ぜひ説明していただきたいものです。説明されて、納得がいけば、それでこの話をこのブログで取り上げることもなくなるのですから。すっきりさせてください。


藤原新也さんのブログで、新風舎の賞に応募した方が藤原さんに送ったメールが読めます。


takeshipのコメントも含めて、なぜか「250万円」がキーワードになっていますね。



Shinya talk 11/25 → http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20061125



あと、昨日のブログで紹介した松田まゆみさんよりメールをいただき、昨日紹介した記事のあとに松田さんがお書きになった記事のurlをご教示いただきました。以下にコピーします。



文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(1)協力・共同型出版への批判と疑問


http://www.janjan.jp/media/0610/0610243334/1.php


文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(2)「契約」締結の重要チェックポイント


http://www.janjan.jp/media/0610/0610243336/1.php


文芸社・新風社の盛衰と自費出版(3)自費出版を装った「協力・共同型出版」に横行する水増し請求http://www.janjan.jp/media/0610/0610243338/1.php


文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(4)騙しの構図


http://www.janjan.jp/media/0610/0610243340/1.php


文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(5)過熱する賞ビジネス


http://www.janjan.jp/media/0610/0610243342/1.php


文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(6)自費出版のあるべき姿


http://www.janjan.jp/media/0610/0610243344/1.php


文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(7)編集の重要性


http://www.janjan.jp/media/0610/0610283615/1.php



こちらのブログも、協力出版を考えるうえで、たいへん参考になります。



自費出版 老師のブログhttp://jihisyuppanmbc21.blog64.fc2.com/



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2006年11月24日 (金)




協力出版や共同出版(自費出版ではないのがミソ)を経営の中心にしている版元のことについては、そのうち書こうと思っていました。名のとおったところ(大新聞に広告をうち、協力出版や共同出版の原稿を募集している版元)では、碧天舎というところが倒産しましたが、まだ文芸社と新風舎という版元が経営を続けています。



藤原新也さんが最新のブログ記事で、新風舎の写真集出版に関して「怪しい話」だと記しています。また、「週刊文春」11月30日号には、「朝日がモテ囃す『詩人経営者』に憤る作家のタマゴたち」という記事を掲載し、やはり新風舎の自費出版の方法に疑問を投げかけています。そんな勢いを借りつつ、ちょっと自費出版について考えてみようかと思います。


碧天舎は弊社と二文字違いの社名ですし、新風舎にいたっては弊社と一文字違いの社名なので、記事で取り上げるのは微妙な気分なのですが。(笑)



Shinya talk 11/23 → http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php



版元が無名の著者(というのが失礼であれば、通常の企画出版として本を出すのが厳しい著者と言い換えます)と契約をして本を出すこと、すなわち自費出版については、さほど問題なかろうと思います。厳しい言い方かもしれませんが、版元が法外な値段をふっかけてきたのかどうかは、相場を調べればわかることでしょう。「相場を調べる」といっても、調べる方法がわからないという著者もいるかもしれません。が、胡散臭い営業マンが提示する見積を見て、「本を出すのに、これほど金がかかるのか……」と思ったらすでに赤信号であり、その時点で誰かに相談すべきことなのだと思います。



そもそも、自費出版の場合は、版元が本をつくり、それをすべて著者に買い取ってもらうことが前提となっているのですから、契約内容はすっきりしており、たとえ相場よりも高い金額で本をつくることになったとしても、著者が満足していればそれほど問題にはならないものだと思います。まあ、もし契約書の内容を理解できないような方に対して、法外な金額で自費出版契約を結んだとしたのなら、それは限りなく詐欺に近いことだと思いますが。



問題は、契約を結んでおきながら、契約内容が履行されなかった場合であり、そうしたケースの多くが協力出版や共同出版(以下、このふたつを協力出版という)という契約形態だということです。


本というモノは、ある程度のノウハウがあれば、誰でもつくれるものだと思います。それは、自分がつくっていて、そう思いますので。とはいえ、第一に本というモノを「商品」として世に流通させること、第二にその「商品」が売れることにより利益をあげること、という二点を加味すると、事情は一変します。当たり前ですね~。



本を商品として流通させるためには、リアル書店(以下、書店という)に積まれ(置かれ)なければなりません(ネット書店については、自費出版本がどう扱われているのかわかりませんので、ここでは触れません)。本が書店に置かれるためには、企画の段階でさまざまなハードルをクリヤーする必要があります。第一に、読者が買ってくれる内容かどうか。第二に、書店人が置いてくれる内容かどうか。第三に、取次が全国の書店に配本してくれるような内容なのかどうか。



思いこみであれ、夢であれ(笑)、この三つのハードルをクリヤーできるかどうかを、企画の段階で吟味されたものが、商品としての本として制作が可能になるのだと思います。クリヤーする要素として、著者の知名度や内容の充実度、そして「いまなぜその本を刊行するのか」ということなどを、何度も何度も考えるわけです。そして、ハードルがクリヤーできそうにない企画については、ときには断腸の思いで、ときには名残を惜しみながらボツにするのです。



著者は、協力出版というかたちで契約した場合、「商業出版の形態で出版社の本を出版するが、出版に要する費用のうち初版制作費を著作権者に負担してもらうことで著作権者もリスクを負う」ことになります。ようするに、契約上は弊社が宮台さんと企画出版の契約を結ぶのとほとんど同じかたちでありながら、制作費を負担するという部分で著者が「協力」するというのが、協力出版の実態だと思います。ですから、出版に要する費用のうち広告・宣伝・販促費を版元が負担するという点については、弊社が宮台さんの本を出すのとまったくかわらない契約内容なわけです。



以上のことを考えると、協力出版の問題点として議論すべきは、出版に要する費用のうち広告・宣伝・販促費を、ほんとうに版元が負担しているのかどうか、という点に集約されると思われます。だって、弊社であっても上記の三つのハードルを苦悶しながらクリヤーし、そのうえで本を出し、毎回、その本の広告・宣伝・販促には四苦八苦しているのです。もし多くの協力出版契約で、「初版制作費を著者が負担すること」と、企画段階の「三つのハードルをクリヤーするということ」が、バーターになっているのだとすれば、そうやってつくられた本の広告・宣伝・販促をおこなう営業さんは、多くの難問を抱え込むことになることは、簡単に想像がつきます。



読者や書店人が知らない著者の本を、どうやって書店に置くのだろう。


企画出版に必須な三つのハードルとお金とをバーターしてつくった本には、流通・販売のうえで純粋なる企画出版の本と同列に扱ってもらうことには困難がつきまとうと思うが、それをどのように克服しているのだろう。


書店の棚を買い取って、その棚に一定期間だけ本を陳列することが、企画出版と同列の広告・宣伝・販促をしたことになるのであろうか。



これを言い出すと、いくつかの宗教団体の本が大手書店にドカンと積まれていたり、売場の一角を占めていることにも言及せざるをえなくなるかもしれません。書店の棚を買い取るということは、そこに置かれた本の売れ残りを、版元がすべて買い取るということを意味することが多いようですから。この場合、版元としての宗教団体が教祖なり何なりの本を大々的に書店に置くことには「布教」や「宣伝」の意味があり、書店には売場の一角を占めている本が確実に売りさばけるという経営上のメリットがあります。



では、協力出版を中心にしている版元が、書店の棚を買い取ることには、どんな意味があるのか。協力出版でつくられた著者の本を一定期間であれ書店に陳列することにより、版元が各著者に対して「企画出版と同列の広告・宣伝・販促をしている」といえるようにしておく、という意味があるんじゃないかと思うんですよね。売れ残りを版元が買い取るのであれば、宗教団体の本と同様に、この方式は書店にとっては経営上のメリットがあるかもしれません。



こうしたことは、宗教団体と書店の関係性であり、協力出版をやっている版元と書店の関係性の問題です。いずれの関係も、商取引としては非の打ちどころがありません。ですが……。売場で働く書店人には、いずれの関係性も評判があまりよろしくないというのも事実です。某宗教団体の本が山積みされたコーナーを「できれば、撤去したい」という声を、多くの書店人から私は聞きました。協力出版の棚についても、同様です。



以上が、協力出版に対して私が抱いた疑問です。なお、協力出版にまつわる疑問や問題点については、以下の記事にくわしく書かれています。筆者の松田さんは、文芸社と一度は協力出版の契約を結んだが、後に契約を破棄した方です。ぜひご一読いただき、いわゆる協力出版とは何ぞやと考えていただければ幸いです。



文芸社「協力出版」で著者に請求する制作費は正当か?


文芸社商法のさらなる疑惑


それでもあなたは契約しますか?


「共同」の意味を履き違えた共同出版


文芸社だけではない、制作費の水増し疑惑


共同・協力出版のシステムと闇に包まれた実態


共同・協力出版問題で問われるメディアの責任


文芸社と闘った人(1)


文芸社と闘った人(2)


騙しの出版商法と闘うために


碧天舎倒産で揺れる共同出版の行方


以上、インターネット新聞『JanJan』より



藤原さんは、新風舎で写真集を出した方の情報を、ウェブ上で募っています。藤原さんがアクションを起こし、文春が記事にしました。新風舎がらみのネタには、今後も関心を持っていこうと思います。



それにしても、新風舎のコンテストで審査員をしている写真家の平間至さんは、新風舎の協力出版体制について疑問を持っていないのでしょうか。まあ、サラ金のCMに桃井かおりさんと竹中直人さんが雁首ならべて出演するなど、有名人とクライアントとのあいだには、自らのイメージがダウンしてでも協力関係でいなければならないというような、不可思議な関係性があるようですけど。


でもね~、もしダーティーな噂がささやかれているのなら、触らぬ神にたたりなしという考え方もありますよね。


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2006年11月20日 (月)




根津交差点にあるスーパーの赤札堂が、新聞にこんなチラシをはさみこんできました。


広告一面「7」で、びっくりしました。


一番安いのが、サイコロステーキ用牛肉1個7円。(笑)


一番高いのが、新潟県産こしひかり2kg777円など。


f:id:lelele:20061120211834j:image


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2006年11月20日 (月)




土曜日に阿佐ヶ谷ザムザで、劇団☆A・P・B-Tokyoの公演「田園に死す」を観てきました。友だちの知り合いである川上史津子さんが客演で出演していたので、たまには舞台でも観ようと思ったのです。



舞台を観るのは昨年の「黒蜥蜴」以来のことでした。普段は、テレビ画面で映画やドラマを観ているので、目の前で生身の人間が劇をやっている状況が新鮮でした。


とても見応えのある舞台だったので、もっと早く告知をすればよかったのですが、残念ながら公演は昨日で終わってしまいました。



少年役の川上さんは、少年になりきって好演していました。また、「黒蜥蜴」に出ていたマメ山田さんが出演していてびっくり。やはり耽美系の舞台には欠かせない俳優であり、ちいさいのに大きな存在感のかる方だとつくづく思いました。



川上史津子さんのブログ「パイロン」→ http://shizukokawakami.cocolog-nifty.com/pylon/


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2006年11月17日 (金)




為末さんは、とても気さくで親しみやすい方でした。


とにかく好奇心が旺盛で、自分が関心を持った事柄があると、徹底的に調べるとのこと。


ちいさいころはジャーナリストにあこがれた時期もあるとのことで、ネットを含めたジャーナリズムに対する関心も高かったです。


競技で世界を旅しているので、社会や政治、そして経済を見つめる眼はワールドワイド。



多様性を認めないような凝り固まった価値観を疑問視し、たえず試行錯誤しながら新たな可能性を模索していく姿勢は、けっして競技に対する分析・研究に留まりません。


あえて崖っぷちに立つことにより、モチベーションをあげようとする生き方には、私もたいへん共感しました。



為末さんのインタビューは、以下で読むことができます。


ぜひご一読くださいませ。



ココセレブSpecialインタビュー


為末大選手


僕にとっての陸上競技、お金、そして幸せ


世界陸上選手権と北京五輪に向けた調整を進める為末選手。最近では、投資関係の本を書いて話題になった。今回は、競技とお金の話を中心に伺った。そこから見える為末選手にとっての「本当の幸せ」とは何なのだろう。


http://celeb.cocolog-nifty.com/interview/2006/11/post_a5fb.html



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2006年11月16日 (木)




あのマスターが亡くなった……。87歳。有田さんのブログで知りました。


1989年にK社で1年ほど働いたときと、帰国してからK社で代表をやっていた1年ちょっとのあいだで、おそらく通算100回くらいはエリカにいっていると思います。


昼食後がもっとも多く、打ち合わせでもよく使いました。


店の雰囲気がいいし、コーヒーもおいしい。そして、場所がいい。



マスターは、いつもニコニコしていました。


会計のときに、小銭が足りなかったりすると、「次でいいよ」と気軽にいってくれたり。



有田さんが書いているように、あの喫茶店とマスターは、まさに「神保町の文化」だったと思います。


ご冥福を祈ります。



有田芳生の『酔醒漫録』→ http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2006/11/post_c71c.html


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2006年11月16日 (木)




うちの食器棚のうえには、ちいさなカゴが置いてあり、そのカゴに子ども用の布団を敷いて、寅の寝床にしています。


寅は寝相が悪くて、カゴから手を出したり足を出しながら寝ていることもしばしば。



で、あるときカゴから足が出ていたので、「いつものことだろう」と思いつつも、カゴのなかをのぞいてみると……。


なんと、まるでどこぞの会社のお偉いさんが、ソファーにくつろいでいるような姿で寅が座っているではありませんか。手は肘掛けに置き、左足をカゴに投げ出しています。



最近、猫を社長にする会社がけっこうあるようですが、弊社は寅を専務にむかえることにしました。この座りっぷりは、専務と呼ぶにふさわしいものがあるでしょう。


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2006年11月15日 (水)




ある仕事で、憧れの茂木さんに会って、お話しを聞きました。


場所は、渋谷。



こちらが少ない言葉を投げるだけで、欲する言葉がどしどし返ってきました。


頭脳明晰、明朗快活。なおかつ、柔軟な思考。


駆け足のインタビューでしたが、とても刺激を受けました。



写真は、「月並みだけど、これって渋谷じゃん」と思って、携帯で撮ったもの。


スクランブル交差点を歩く人の流れが、アリンコみたいでおもしろかったです。


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2006年11月13日 (月)




すごく長いモラトリアム(おっさんが使う言葉じゃないか!?)を経て、ようやく内藤朝雄さんの本をつくる準備に取りかかりました。なんか、とても忙しくて、疲れちゃったんですよね、『バックラッシュ!』のあと……。



内藤さんの本は、いくつかの対談とさまざまな媒体に掲載された評論、そして書き下ろしで構成します。本日、造本デザインを発注し、印刷屋さんにスケジュールを確認しました。順調にいけば、1月中旬の発売となります。



内容については、いつか改めて書きます。


それにしても、これだけいじめが世間で騒がれているのに、いじめ研究の第一人者である内藤さんを呼ばないメディアの無知ぶりには、あきれ果てています。知ってて呼ばないのなら、なおさらタチが悪い。これまで、丸激だけですから、内藤さんを呼んだメディアは。



ところで、朝からワイドショーを見ていると、各局でコメンテーターや出演者のおっさんやおばさんが「ぜったいに死なないで」という主旨の言葉を、これが正しい答えだといわんばかりに力強く語っています。開いた口がふさがりません。その言葉は、いかにも「普段はどうでもいいけれど、いま自分はいじめについて考えています」と、語り手が自身を免罪するために吐いているように聞こえます。でも、いじめについてちゃんと考えているのなら、「ぜったいに死なないで」などという正義感ぶった言葉が、いじめられている側を追いつめてしまうことに気づくでしょう。いじめられる側は、その言葉を「テレビのおっさんやおばさんは、僕から死という選択肢まで奪ってしまうのか……」と考えるかもしれないわけですから。



それと、「10年ほど経ってみたら、いまいじめられていることなんて、ほんの些細なことだと思えるから」という主旨のコメントも、最近のワイドショーの定番になりつつあるようです。これなんて、超ウルトラ無責任な言葉であり、いじめられる側の子どもたちに「おとなは僕たちの状態や気持ちがぜんぜんわかっていないんだ」という失望感&絶望感を与えてしまうだけだと思います。そういう正義づらした悪魔の言葉がテレビで大々的に放送されることによって、死のうかどうか迷っている、つまり死のボーダーラインに立つ子どもが、「結局、おとなは僕らのことなんて、わかっちゃくれないんだな。だめだこりゃ……」と絶望し、突発的に死を選ぶ可能性だってあるでしょう。



先日、フジテレビでビートたけしと爆笑問題が教育を考えるという番組を放映していて、それに久米宏が出ていました。久米はみずからの経験にもとづき、「いじめや自殺を報道するのはとてもむずかしい」という主旨のことを力説し、テレビでいじめ自殺を報道すると、すくなからず同様の自殺を誘発してしまう可能性があることを語っていました。事件を報道することはジャーナリズムの責務だが、その報道が巻き起こすであろう誘発現象を考えると、いくら悩んでも解決策が見つからない、と久米は正直にいっていました。



この久米の悩みは、たいへん真っ当なものだと思います。それにくらべて、ワイドショーのコメンテーターや出演者の「ぜったいに死なないで」やら「何年か経てば忘れることだから、いまは我慢しろ」といった超無責任コメントは、それが正義だと勝手に信じている点で、悩みなく吐き出されている言葉です。その言葉によって、いじめられる側の子どもが追いつめられたり、おとなに救いを見いだせなくなったり、突発的に絶望して死に向かわざるをえなくなっているのだとしたら、テレビが(そしてコメンテーターやら出演者やらが)いじめ自殺を誘発する原因になっているということも考えられるわけです。



子どものいじめや自殺について取材をつづけている渋井哲也さんもロブ大月さんも、いじめられる側の子どもに対して「死なないで」なんて言いません。ふたりとも「逃げろ!」といっています。いまいる場所から、学校から、人間関係から、ただちに逃げよう。とりあえず逃げてから、あとのことを考えればいいじゃん。


これが、いじめられる側の子どもに対して、いま、おとながかけられる唯一の声だと私も思うんですよね。


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2006年11月11日 (土)




武富健治著『鈴木先生』(ISBN:4575940232)。


中学の男性教師の物語。


日々、生徒たちが起こす小さな事件を、鈴木先生が解決していきます。


この漫画がおもしろいのは、第一に生徒が起こす小さな事件の質、第二に解決のために悩む鈴木先生の様子だと思いました。



食事をするときの姿勢。給食で酢豚を出すのをやめるかどうか。小学生とセックスしてしまった男子生徒およびその母親への対応。なんだか読んでいて、「このケース、現場の先生方はどう対応するのかな」と思ったり。



事件の質もさることながら、なによりもおもしろいのは鈴木先生が悩み抜く様子です。この右往左往する先鈴木先生の言葉や表情、そして行動にこそ、『鈴木先生』のキモがあると思いました。


漫画のおもしろさは、絵のうまい下手とはあまり関係ないのかもしれないなあ、とも思いました。


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2006年11月10日 (金)




同誌11月10日号の「読み方注意!」という書評コラムで、川北義則著『男の品格』を取り上げました。


この本、ちょっと読んでみると、もっともらしいことがたくさん書かれています。もっともらしい、というよりも、忘れられた常識やごく当たり前のことが書かれているともいえます。


とはいえ、「結局、もっともらしいことを書きながら、日本人の情緒やら精神性といった、どうにでも解釈できて、なおかつ『美しい国』と親和性のある言葉を持ち出していまう」(同誌43ページ)ところが問題なんですね。



書いてあることの八割くらいは、男であれば「だよね、だよね」とうなずかせるようなこと(まあ、うなずくかどうかは人それぞれですが)でありながら、その書かれていることの根本を、日本人の精神性に還元してしまうわけです。万単位で売れている本ですから、内容に共感するかもしれない人が万単位でいるでしょう。その人たちが内容の八割を占める「当たり前のことが書かれている記述」と残り二割の「情緒やら精神性の押しつけ」とを読み分けているのかといえば、おそらくそうでもないのでは。なにしろ書き方が巧妙なので。



私には、『男の品格』が巧妙に唱える情緒と精神性が、教育基本法改正や安倍政権のキャッチフレーズ「美しい国」とセットになっているように見えて仕方がありません。


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2006年11月10日 (金)




昨日、後編がアップされたのでお知らせいたします。


ぜひご一読くださいませ。



ココセレブSpecialインタビュー


水中写真家の大御所が考えるブログの存在


中村征夫さん(後編)


http://celeb.cocolog-nifty.com/interview/2006/11/post_e391.html



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2006年11月 8日 (水)




そうですか。小泉さんのときのTMも「やらせ」の可能性があるんですか。せっかくばれていなかったのに、今回の騒動でばれてしまうかもしれませんね。


以下の記事で塩崎官房長官が「大変遺憾だ。今後、誤解を招くようなことは一切やめる」と火消しをしておりますが、ではいったい火をつけたのは誰なのでしょう。まさに茶番劇。


内容を精査したうえで、その内容に多くの人が納得し、同意するのであれば、教育基本法は改正してもいいと思います。しかし、政府が興行主の茶番劇を根拠に、「なんとなく」とか「いつの間」に改正してもらっては困ります。


さて「他にも同様のケースがあった可能性がある」とのことなので、調査結果がどうなることやら。



「やらせ質問」常態化?八戸では10人中6人に依頼


 内閣府は7日午後、9月に青森県八戸市で開かれた「教育改革タウンミーティング」での質問依頼問題で、当日の質問者10人中6人に質問を依頼していたと発表した。


 小泉内閣では174回のタウンミーティングが実施されたが、他にも同様のケースがあった可能性があるとしており、今後調査を検討する。教育改革に関する過去7回分に関しては、9日の衆院教育基本法特別委員会理事会に調査結果を報告する。


 塩崎官房長官は7日夕の記者会見で、「大変遺憾だ。今後、誤解を招くようなことは一切やめる」と述べ、運営を一新する考えを示した。


 内閣府の説明によると、タウンミーティングでの質問依頼は「円滑に対話を進める」などの名目でしばしば行われ、内部ではこうした質問者を「依頼発言者」と呼んでいた。


 八戸市のケースでは、内閣府は当初4人に質問を依頼したが、4人は教育基本法改正案に直接関係する質問を予定していなかった。このため、文部科学省が用意した同法改正に賛成する質問案に沿った質問をするよう、改めて3人に依頼した。当日は3人のうち1人が欠席したことから、依頼を受けた質問者は6人だった。内閣府は全員に「(質問を)依頼されたことは言わないように」などと伝えていたという。


 内閣府の担当者は教育基本法改正に賛成する質問依頼について、「やらせ質問と見られても仕方がない」と陳謝した。質問内容を指定しない依頼に関しては、「これまでは許容できると考えていた」と説明した。


(2006年11月8日0時32分 読売新聞)



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2006年11月 7日 (火)




某MLのように、重要な情報交換をしつつも、一方で反対側の意見を持つ人びとの行動や情報を、重箱の隅をつつくような勢いでチクって、まるで逆バックラッシュをしている(ように見える)のは変だと思いますが、この政府ぐるみの「やらせ」はひどすぎますね。新聞社やテレビの「やらせ」が発覚すると、「きっと他の記事や番組でもやっているのだろう」という疑いが出てくるわけですが、内閣府がやっていても「きっと他のタウンミーティングでもやっているのだろう」と思われるのでしょう。



『バックラッシュ!』の版元がこんなことをいうのも変ですが、やるならもっとうまくやれないのかなあ、と思います。バレないように。なんてったって、「やらせ」の主は天下の内閣府ですからねぇ。まあ、バレなきゃいいってもんではありませんが。小泉政権のときにも「やらせ」をやっていたのかどうかは知りませんが、やっていたとしても、こんなに表面化して騒がれるほど、脇が甘かったようには思えません。


安倍ちゃん、この調子で大丈夫なのかな?



「やらせ」タウンミーティング、内閣府が依頼認め陳謝



内閣府は7日午前、青森県八戸市で9月に開かれた政府の「教育改革タウンミーティング」で教育基本法改正案に賛成の立場で質問するよう参加者に依頼していた問題の調査結果を、衆院教育基本法特別委員会の理事会に報告した。


内閣府側は、質問依頼をしていた事実を認め、陳謝した。


理事会に出席した内閣府の山本信一郎官房長は、「政府寄りの意見を参加者に押しつけるつもりはなかった」と説明した上で、「今後、こういうことのないようにしたい」と陳謝した。


内閣府の調査によると、タウンミーティングの発言希望者やその発言趣旨について、八戸市教委から内閣府経由で連絡を受けた文部科学省が「教育基本法改正案についての議論があった方がいい」と、質問項目案を作成。青森県教育庁が「教育基本法の改正を一つのきっかけとして、もう一度教育のあり方を見直すべきだ」などとする意見に賛同する3人を選び、質問項目案も事前に送付していた。


この際、内閣府は県教育庁に「依頼されたということは言わないように」などとする留意点を連絡し、県と市教委の双方が発言予定者にこれを伝えていた。内閣府は、他のタウンミーティングについても調査を行っており、9日の同特別委理事会で報告する予定。


(2006年11月7日12時59分 読売新聞)



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2006年11月 6日 (月)




その昔、B&Bというお笑いコンビがいました。1980年代初頭の漫才ブームで頭角をあらわし、一時はツービートよりも人気があったものの、いつの間にか解散してしまったコンビです。



一方のA&Bは、精神論で政策を立てる為政者という点と、どちらも国を代表する人物であるという点が一致して、結成されたコンビです。たとえば、A(安倍首相)が「憎いし苦痛」な政策で「美しい国」をつくろうと精神論を振りかざす今日この頃、アメリカではB(ブッシュ大統領)がイラクに「われわれは勝利しつつある」と精神論を振りかざしたりします。



「ニューズウィーク日本版 11/8」号でファリード・ザカリア氏(同誌国際版編集長)が「内戦イラク、和解の蜃気楼」という記事を書いています。以下の一文を読んで、「こりゃ、A&Bだな」と思ってしまいました。




「われわれは勝利しつつある」。ジョージ・W・ブッシュ米大統領は先週、そう宣言した。そう豪語できる根拠は何か? 大統領によれば、「イラクでわれわれが負けるのは、任務を成し遂げずに撤退するときだけ」だからだ。


撤退なくして敗北はなく、占領継続は勝利への道。このむなしい論法は、イラクの現実からかたくなに目を背けてきたブッシュ政権の従来の姿勢を踏襲している。そこにあるのは現実認識ではなく、ただの精神論だ。しかし信念だけでイラクの現実を変えることはできない。(同誌、26ページ)




この一文を読んだ私は、超めずらしく、雑誌に付箋など貼ってしまいました。(笑)


A&Bの今後の動向を知るためには、まずBさんによるアメリカのイラク政策を注視するのがよいかもしれません。精神論をもって、どこまで現実の問題を処理できるのか、できないのか。処理しようとすると、どうなるのか。


仮に精神論がもたなくなり、政策に失敗したBさんがこけたとき、コンビは解散になるわけですが、解散してからもAさんは精神論で勝負するのでしょうか。相方であるBさんの失政を参照せずして。


そうだったら、「気づき」がなさすぎるといわざるをえませんね。



とりあえず、Bさんの動向に注目してみましょ。


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2006年11月 2日 (木)




書きました。以下で読むことができます。


ユーモアと厳しさをバランスよく備えた、サイコーにカッコいいおじさんでした。


ぜひご一読くださいませ。



ココセレブSpecialインタビュー


中村征夫さん


厳しさを乗り越えて出会った水中写真家という天職


http://celeb.cocolog-nifty.com/interview/2006/11/post_8e58.html



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