双風亭日乗

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2006年12月29日 (金)




昨日が鏡さん絡みの日記だったので、今日も引き続き、鏡さんに関するネタで。


「週刊朝日」の「スピリチュアルブームここがおかしい」という記事で、鏡リュウジさんがスピリチュアルブームを批判しています。その記事に対して、小谷野さんが以下のような批判をしています。



猫を償うに猫をもってせよ(12月28日)


http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20061228



小谷野さんのご指摘については、半分くらいは同意できます。もしこの記事がメディアの罪を問題視しているのだとすれば、全面的に同意いたします。とはいえ、「インチキ」「オカルト」に関する記述については、僭越ながらあまりにも大ざっぱに区分しすぎているような気がいたします。



第一に、「インチキ」のまま垂れ流し、それを生業にし、「インチキ」ぶりを隠蔽する人がいます。第二に、「インチキ」を「インチキ」だと指摘しつつ、「インチキだと思う人がいるかもしれないけれど、そのインチキが役に立ったり、インチキで救われたりするのなら」ということで「インチキ」を生業にする人がいます。



第一については、ニューエイジをはじめとする胡散臭いカルト宗教と同根だと思いますので、徹底的に批判されてしかるべきだと思います。第二は、いうまでもなく鏡さんのような方のことを示します。占いを生業にしていながら、スピリチュアルなものや占いを、「インチキ」なものかもしれないんだよと一般の人びとに対して警鐘を鳴らす。いわば、占いを実践しつつ、占い的なものをアイロニカルに見ていて、なおかつその見方を公言してしまう。



この第一と第二の差は、きっと小谷野さんには五十歩百歩なのかもしれません。しかし、私はこの差が、かなり大きいと思うんですよね。スピリチュアルや占いに対する鏡さんのアイロニカルな発言は、いわば手品師が手品のネタをばらしているようなものです。ふつうは商売になりません。ところが、ネタばらしをしている手品師の手品を見たいという人が、実際にたくさんいます。基本的には、手品師はネタをばらさないからウケるし、商売が成り立つわけですが、ネタをばらしてもウケていて、商売を成立させている手品師がいる。この違いは、大きいと思います。



文章であれ何であれ、メディアに露出することを生業にしている人の命は、とても儚いものです。それは、メディアに露出するためには、メディアの受け手に一定の支持をされている必要があり、その支持を察知したメディアが、その人を起用するからです。人気がなくなればポイッで、人気があれば誰でも起用という世界ですからね。


そういう意味でいえば、本人が文化人面をしているというよりも、メディアがその人に文化人面をさせるように仕込んでいるような形態も多いのではないかと思います。それも、たいていはタイムリーに人気のある人を起用するわけですね。



ここで注目すべきは、文化人面しているかどうかということよりも、その人がタイムリーに人気があるという点です。テレビ番組の編成が一般の人びとの嗜好をモロにあらわすのと同様に、メディアに起用される評論家やコメンテーター、タレント、歌手などは、一時的にであれ、一般の人びとの多くに支持されているという現状があります。


ならば、占いをやりながら占いに懐疑的であるような鏡さんが、多くのメディアに起用され、一般の人びとに支持されているということは、一部の占い一本槍で勝負している人が跋扈するメディア業界において、貴重な現象だと思うんです。



小谷野さんは、上記のような現象を「鏡のような『占星術師』が文化人扱いされていることがいちばんおかしいのだよ。安倍晋三が『自民党政権がこんなに続くのはおかしい』と言っているようなものだ」と指摘されております。このご指摘で、小谷野さんがメディアのおかしさを批判されているのなら、いたってまっとうな見解だと思います。しかしながら、もし「鏡さんがスピリチュアルブームを批判すること」が、「安倍晋三が『自民党政権がこんなに続くのはおかしい』と言っているようなものだ」ということならば、それは批判すべきことではなく、「それでもぜんぜんいいじゃん」と私は思います。



いろいろ書きましたが、鏡さんは自称「インチキ占い師」ですから、小谷野さんのご指摘を、目を細めながら読んでいるかもしれません(笑)。そういえば、宮台さんも自称「インチキ社会学者」でしたね。インチキを自称する人ほど、信用できる人であるような気がするのは、私だけなのでしょうか!?



じつは、私はヘビースモーカーなので、小谷野さんのタバコに関する論調には、ほぼ同意しております。また、歯に衣着せぬ論壇や論壇人、そして大学業界への批評は、その勇気に感動するとともに、読んでいてスカッとすることが多いんですよね。


今回の鏡さんのエントリーについては、すこし引っかかってしまいましたが、小谷野さんには今後も、我が道を邁進していただくことを祈念しております。


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2006年12月28日 (木)




この出会いがきっかけで、本をつくろうという話になるんですから、人の縁とは不思議なものです。


今週と来週の2回。ぜひご一読くださいませ。



ココセレブSpecialインタビュー


鏡リュウジさん(西洋占星術研究家、翻訳家)


挫折してたどりついた占星術の世界


→ http://celeb.cocolog-nifty.com/interview/2006/12/post_b36a.html



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2006年12月28日 (木)




NHKのプレミアム10で「わが愛しのキャンディーズ」という番組を録画しておいたのですが、ようやく見ることができました。映像とともに流した数々の曲は、すべてフルコーラス。圧巻。逆に、キャンディーズのファンでないと、飽きてしまうでしょう、あんなに素晴らしすぎる番組構成では。私は大いに堪能しましたが。



アイドルをテーマにしたNHKの特別番組は、ときどきありえないようなことをやります。よく企画が通ったなとか、よく放送したな、と思うような、「マニアック」であったり「斬新」であるような番組が放送されます。


キャンディーズの番組を見ていて思い出したのは、1979年に放送されたNHK特集「山口百恵 激写/篠山紀信」。篠山さんが撮影した百恵の写真をひたすら映し出し、百恵の歌をひたすら流すだけの番組。テレビなのに静止画しか見せないなんて、あり得ない!?



キャンディーズが活躍した4年半は私の小中学時代にあたります。解散して28年。当時は、山口百恵とならんで、大好きなアイドルでした。あとピンクレディーもいたなあ。歌を聴いていたら、月並みですが当時の状況を思い出しました。小6から高卒までの7年を過ごした横須賀の思い出。そういえば、百恵も横須賀出身なんですよね。たしか不入斗(いりやまず)という変わった名の土地でしたが、当時、百恵が暮らした街として伝説の地になっていました。



いかんいかん、ノスタルジジイモード全開だ……。


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2006年12月28日 (木)




日本国籍を持つ日本の人が、生まれてから死ぬまで日本で暮らしていたら、日本の中で暮らす外国人の様子やその教育に関する問題なんて、あまり感心を持ちませんよね。


それでも、地域によっては日常的に外国人と出会ったり、見かけたり、話したりする機会が増えているのが実状だと思います。私の行動範囲にも、たくさんいます。カレー屋さんのパキスタン人。盛り場で客引きをする中国人・韓国人・タイ人。ちょっと前だと、上野に中東系の人たちがたくさんいました。帰化していない在日の友人も、国籍上は外国人ですね。



外国人が日本で働きながら暮らせば、子どもを同伴する人もいれば、子どもを生む人もいる。その子どもが成長すれば、日本の子どもと同様、学校に通って「当然」……。


いえいえ、けっしてそんなことはありません。学校にいきたくても、いける学校がない子ども。いける学校はあるけれど、その学校は本国がどこかによって、文科省から差別的な待遇をされていたり。



月刊「イオ」編集部からいただいた『日本の中の外国人学校』(同編集部編、明石書店)には、日本で暮らす外国人の子どもらが通う外国人学校についての情報が、くわしく記されています。今後の課題を検討する部分では、同編集部の基盤が「朝鮮新報」なので、朝鮮学校をおもな事例として取り上げています。とはいえ、さまざまな外国人学校に関する情報は、どこに肩入れするのでもなく、まったくフラットに記述されています。




日本の中の外国人学校

日本の中の外国人学校






読んでみて「日本らしいな」と感じたのは、行政が堂々とインターナショナル・スクール(欧米系)を優遇し、アジア系の学校を冷遇している構図です。この差別化には根拠がないと思います。ですから、このところすこしずつ差が解消されているという実状は、当然のことだと思います。


外国で働きながら、「子どもの教育を外国でうけさせる」という状態で暮らす。日本人の場合、そういう経験をした人も、している人も、極端にすくないんでしょうね。日本人である自分が、子育てをしながら外国で長く暮らし、その国で子どもが学校教育をうける。そういう人がたくさんいたら、日本の中の外国人学校をめぐる歴史的な状況も、すこしは違ったのかも知れません。



私の知人の在日カンボジア人は、難民として日本に来て、定住センターでちょろっと日本語を学んだだけで日本の学校に入れられ、たいへん苦労したようです。20年くらい前の話ですが。外国人であるという外見だけでも「いじめ」の対象になるうえに、日本語が不自由な状態で日本の小学校に放り込まれたらどうなるのでしょう。


基本的に、日本の役所は外国人(とりわけアジア系)に対して、かなりいい加減な対応をしてきたと思います。しかし、これだけ世界がグローバル化し、これだけ外国人の労働力に依存しつつある現状からいえば、日本で暮らす外国人への冷遇ぶりは改善せざるをえないことでしょう。



これは、外国人だからといって、日本人よりも優遇せよ、という話ではありません。ある人が日本に住んでいれば、その人の国籍を問わず、巷の日本人と同じような普通の暮らしがおくれるような「基盤」があったらいいのになあ、と思うのです。


そういう意味では、子育てをしたわけではありませんが、カンボジアは暮らしやすい国でした。まあ、すべてが流動的な時期に滞在したので、何でもありだったからかもしれません。でも、滞在当初は公安の監視などにより、外国人ががんじがらめだった状態が、何をやってもとやかくいわれない状態になるまでのスピードが速かったですね。



『日本の中の外国人学校』。いい本です。外国人学校のことを知ると、日本のことが見えてくるから不思議です。


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2006年12月26日 (火)




白田さんの論文がおもしろい!


「私がいま信頼できる10人の学者」のひとりである白田さんが、書き下ろしで「知的財産」に関する論文をアップしております。


それほど長くないし、わかりやすいし、ユーモラスで読みやすい。


たまには「知的財産」について考えてみよう、ということでぜひご一読ください。超おすすめです。



白田秀彰


「ほんとうの知的財産戦略について」


http://orion.mt.tama.hosei.ac.jp/hideaki/pdf/trueheritage.pdf



私は、白田さんの「知的財産」に関する考え方には全面的に賛成しています。


出版社として、白田さんの思考をどのように実践できるのか考え、とりあえずやってみたのがアマゾンドットコムでの「なか見!検索」への参加でした。


また、この論文はいまさっき読了したのですが、昨日にはGoogleの「ブック検索」に参加するためにネット上で登録を済ませ、宅急便で本を送ったところでした。しばらくすると双風舎の本はGoogleで、一カ月のあいだに全体の20%が無料で読めるようになります。



Googleによる「ブック検索」の説明会では、「そんなことをしたら、本が売れなくなるんじゃないか……」というベタな疑問を抱くおっさんがおりましたが、そういうおっさんにこそ、白田さんの論文を読んでもらいたいものです。


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2006年12月25日 (月)




『独白するユニバーサル横メルカトル』。


ずっと「積ん読」だったのですが、読み始めたら止まらなくなりました。


あつかわれているネタは、いじめ・カニバリズム・児童虐待・洗脳・連続殺人・拷問などで、それぞれが短編にまとめられています。全編に流れるのは、グロテスクな空気……。



人は何かの拍子でスイッチが入ると、この小説に書かれているそれぞれの登場人物のような行動・思考をするということは、カンボジアのポル・ポト時代を研究していて感じたことです。つまり、「あの人だから、あんなひどいことをする」のではなくて、状況さえ整えば「私も、ひどいことをするかもしれない」んです。



「いくら綺麗事をいっている人でも、こういう部分はあるんだよね~」と確認できる良書だと思いました。




独白するユニバーサル横メルカトル

独白するユニバーサル横メルカトル






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2006年12月19日 (火)




前評判などをまったく読んだり聞いたりしない状態で、「ユナイテッド93」という映画を観ました。



2001年9月11日。世界貿易センタービルに2機、国防総省に1機の旅客機が突っ込むという、同時多発テロが起きました。テロリスト側は、じつは4機を乗っ取ったうえで、テロを実行しようと考えていたのですが、実際に使用できたのは3機だけでした。残りの1機は、ニューアーク空港発のユナイテッド航空93便サンフランシスコ行きで、この飛行機はペンシルベニア州の森に墜落しました。


いまさら振り返るまでもないかもしれませんね。



「ユナイテッド93」は、ペンシルベニアに墜落した便について、乗員乗客の搭乗前から離陸後、そして墜落の直前までの状況を、ほぼリアルタイム(人気ドラマ「24」のごとく)で追いかけた内容の映画でした。「9.11テロ関連の映画か……」という程度の気分で気楽に観はじめました。とはいえ、結局、はじめからおわりまで、緊張しながらテレビ画面を凝視してしまいました。



興味深い映画でした。おすすめです。では、どんな点がおすすめなのか。


予想もしていなかったような、わけのわからない状況に巻き込まれたときに、人は何を考え、どんな行動をとるのか。そんなことを考えさせられるという点で、私は「ユナイテッド93」がおすすめの映画だと思うのです。



映画では、テロリストはもちろんのこと、乗客や乗員、地上の航空関係者(民間・軍)の表情や行動が、時系列にそって断片的に、まるでドキュメンタリーのように描写されています。状況を説明するコメントがないため、ストーリー性はほとんどなく、人びとが不測の事態に戸惑う様子と、極限状況で事態を収拾しようとする様子が、ハンディーカメラで撮影されたような日常的な映像で映し出されます。



映し出される状況のなかで、「自分が乗客だったらどうするんだろう」とか「自分が管制官だったら……」「自分が軍人だったら……」とすこしだけ考えたりするんですね。もちろん、当時の気分は当事者にしかわからないのですから、無駄といえば無駄なことなのかもしれません。危機感の度合いや悲しみの深さを、当事者と同じくらい共有することなんて、できるわけがありません。それでも、あえて出演者の気分にすこしだけ感情を移入してみる。



私はカンボジアで、極限状態に近いものを体験したことが何度かあります。鮮明に覚えているのは、取材でタイ国境にあるポル・ポト派幹部の住居に向かうときのことです。知らぬ間に立ち入り禁止区域に車を乗り入れてしまい、警備の兵士に止められ、AK47の銃口を向けられ、兵士が安全装置を「カチャッ」とはずしたとき。また、プノンペン市街へいく際には毎回、公安からの許可が必要だった90年代前半に、300kmくらい陸路で移動したときのこと。国道には5kmおきの間隔で民兵らによる私設検問が設置されており、検問を通過するたびに金品をせびられるのですが、検問に気づかないまま通過しようとしたら、後方からAK47で撃たれました。さいわいにも、彼らの撃った弾丸は車のバンパーを撃ち抜いただけですみ、お金を渡して事なきをえましたが、兵士らはべろべろに酔っぱらっていました。あと、90年代なかばに、プノンペン市内で党派間の内戦が勃発し、自宅から10mくらいの位置に戦車が配備され、戦車が砲弾をじゃんじゃん撃っていたときも、「相手の砲弾が、うちに着弾するかもしれないなあ」なんて思ったりしました(そのとき、私はなぜか、自宅で気の合う仲間と麻雀をやっていました)。



いずれも一瞬であれ、「自分は死んじゃうのかもしれない」とか「殺されてしまうのかもしれない」と思いました。そんな極限状態において、人は何を思い、何をするのか。いくら書いても理解してもらえないと思うので、ここでくわしくは語りません。ただひとつ、いえることは、極端に思考がシンプルになり、些末なトラブルやら苦悩などがどうでもよくなる(というか、そんなことに思い至らない)、ということでしょうか。ただただ、その場をなんとか乗り切ろうとする思いしか抱かない。あくまでも時間的なゆとりがあればの話ですが、自分にとってたいせつな人の声が聞きたくなったりもします。



まあ、9.11のハイジャックテロと私のしょぼい体験を、極限状態というキーワードで同次元にしてしまうのは、あまり適切なことではないのかもしれません。極限状態なんて普段は経験しないし、そんな状態の人の気分に思いをはせる必要など感じないかもしれません。


でも、ちょっと考えてみれば、自分があのユナイテッド93便に乗っていたのかもしれないし、地下鉄サリンの現場に居合わせたかもしれないわけですよね。つまり、どんなに注意したり警戒したとしても、自分が極限状態に巻き込まれる可能性など、いつでも、いくらでもあるということですね。



で、「ユナイテッド93」を観ながら、さまざまな場面で登場する人物の気分を想像する。べつに映画でも本でもいいのですが、当事者たちの気分を想像する「くせ」をつけておく。そうした「くせ」をつけておくと、実際に自分が同じような状態に陥ったときに、合理的な判断ができたり、冷静な態度がとれたり、簡単にあきらめないようになったりすると思うんですよね。ようするに、そういう「くせ」をつけておくと、いざというときにちょっとだけ生き残る可能性が高くなるかもしれない、ということです(笑)。



鑑賞後に映画評などを読んでみると、ラストシーンの乗客の勇気に感動したとか書かれています。また、実際に機内で起きたことなどわからないのに、いかにもドキュメンタリーのように撮影しているのは問題だという指摘があります。


私は、そんなことはどうでもいいことだと思いました。感動する人には「ご自由にどうぞ」と言いたいし、世の中に出回る映像には、編集と称して人の手が加わるかぎりにおいて、ほんものの事実を描写するものなどないと思っていますから。



本エントリーを書くのにあたり、町山智浩さんのブログを参照させていただきました。ありがとうございます。



ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記


「ユナイテッド93」は究極のジェットコースター映画


http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060514




ユナイテッド93

ユナイテッド93





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2006年12月18日 (月)




DMC、サイコー!


http://www.youtube.com/watch?v=McVCfWdj1dc


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2006年12月18日 (月)




たいへんお待たせいたしました。


内藤さんの本ですが、刊行のめどがたってきたので、アマゾンドットコムにて予約受付を開始しました。




いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――

いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――



  • 作者: 内藤朝雄

  • 出版社/メーカー: 双風舎

  • 発売日: 2007/02/22

  • メディア: 単行本(ソフトカバー)






以下に目次の概要をお知らせします。




はじめに


Ⅰ 若者たちの現在(内藤朝雄×本田由紀)


  ――眼差しを上げて生きるために――


Ⅱ 憎悪の連鎖を断ち切るために


  ――若者とおとなの社会学――


Ⅲ 若者をめぐる情報の罠


  ――ほんとうの若者像を考える――


Ⅳ 日本社会の「現在」を読む


  ――憲法、国家、そして天皇――


Ⅴ 精神的売春を強いる社会に抗う(内藤朝雄×宮台真司)


  ――人間関係の政治学――


生活の質をたいせつにする社会とは


  ――あとがきにかえて――




内藤さんのプロフは以下です。



f:id:lelele:20061218145946j:image:small 内藤朝雄 (ナイトウ・アサオ)


1962年東京生まれ。愛知県立東郷高校を中退。山形大学、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。現在、明治大学文学部助教授。専攻は、社会学。著書に『いじめの社会理論』(柏書房)、共著に『学校が自由になる日』(雲母書房)、『「ニート」って言うな』(光文社新書)など。




内藤さんは、私より二歳ほど年上。明大の学生には大人気の教員です。出会ったのは、昨年3月に名古屋で、藤井誠二さんや宮台さん夫妻と「ちんこ祭り」を見物したときでした。キング・クリムゾンの一員のごとく、毛皮のジャンパーであらわれたのにはびっくりしました。出会ったときの内藤さんの写真を掲載します。


このところ新聞やラジオ、雑誌などで引っ張りだこのようですね。



偶然ですが、刊行が遅れたことにより、比較的タイムリーなタイミングで出せることになりました。


本を企画するのにあたり、時代の流れなどについて、あくまでも「ある程度の先読み」はしております。とはいえ、本は企画してから刊行まで半年から1年以上かかったりするので、企画を思いついた時期に流行っていたり話題になっていたことが、刊行時期には「しら~」となっていたりもします。



今年の本でいえば、『チマ・チョゴリ制服の民族誌』を刊行した時期に、たまたま朝鮮半島情勢が注目されましたし、『バックラッシュ!』を出した時期は、ジェンダーフリーの大嫌いな安倍政権誕生の前夜でした。


運がよかったんですね、きっと。出版を稼業にしていると、この「運」がけっこう大事なものだと、つくづく感じたりします。かといって、スピリチュアルなものに対しては、抵抗を感じたりするんですけどね。


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2006年12月17日 (日)




武田徹さんの「オンライン日記」経由で、烏賀陽弘道(ジャーナリスト)さんのメールを転載します。


「これはひどい」と武田さんが書いていますが、私もひどいと思いました。音楽業界がかねてから「物言えばくちびる寒し……」の風潮であることは理解してました。が、雑誌記事に対して、個人を対象に「脅迫的」な金額の訴訟を起こしてくるような姿勢は、烏賀陽さんが指摘しているように武富士がやっていた手法に酷似しています。



私自身は、役立つ知恵を提供できそうにありませんが、武富士と闘った寺澤有さんたちの経験は、こうした「脅迫的」な金額の訴訟を起こされたときの参照になるかもしれませんね。


いずれにしても、「音楽業界だから」とか「個人の問題だから」といって放置してはおけない問題だと思います。拙ブログの読者の方も、ぜひぜひ以下の烏賀陽さんのメールをバシバシとブログに貼り付けていただければ幸いです。



これを機に烏賀陽さんのwebページを訪ねました。朝日新聞を辞めた経緯が詳述してあり、とてもおもしろかった。


社内の実状にふれた部分は、これまで知り合った大手マスコミ(読売、毎日、共同、NHKなど)の良心的な記者やディレクターが語っていたことと、ほとんど一致していました。ということは、どの社でも、烏賀陽さんが書いたような、あきれたことがおこなわれているということなんだと思います。



それにしても、オリコン。雑誌にコメントした一個人に5000万円の損害賠償を起こすなんてこと自体が、どこかから強力な圧力がかかっているんじゃないかと思われてしまうことになるんじゃないかな~。




みなさん 同じ文面を一斉にお送りする失礼をお許しください。


緊急事態が起きました。どうか、みなさんのお知恵、お力を貸してください。


記事にしてください。ブログに書いてください。ウエブサイトに載せてください。メールを転送してください。言いふらしてください。


05年12月13日、月刊誌「サイゾー」編集部に損害賠償訴訟の訴状が送られてきました。


原告は、音楽ヒットチャートでは知らない人のない巨大独占企業「オリコン」。その企業が、烏賀陽弘道という一個人に対して、5000万円という巨額の損害賠償金を支払うよう求める民事訴訟を東京地裁に起こしたのです。


訴訟の対象になったのは、「サイゾー」06年4月号51ページの「ジャニーズは超VIP待遇!?事務所とオリコンの蜜月関係」という1ページの記事に掲載された烏賀陽のわずか20行ほどのコメントです。


これは、サイゾー編集部からの電話取材に対して、烏賀陽が話した内容を同編集部がまとめて文字化したものです(よって、内容は烏賀陽の原義とはかなり隔たっていますが、そのへんはひとまず置きます)。よって、烏賀陽が能動的に寄稿したものでも、執筆したものでもありません。


その中で、烏賀陽はオリコンのヒットチャートのあり方についていくつかの疑問を提示しています。ここにコメントしたことは、烏賀陽の取材経験でも、音楽業界内の複数のソースから何度も出た話で、特に目新しい話や驚くような話はひとつもありません。


この訴訟には、いくつか露骨なまでの特徴があります。


(1)記事を掲載した「サイゾー」および発行元「インフォバーン」を訴訟対象にしていないこと。つまり烏賀陽個人だけを狙い撃ちしている。烏賀陽は前述の弁護士費用、訴訟準備などをすべて一人で負担しなければならないことになります。これではフリー記者としての活動を停止し、訴訟対策に専念しなくてはなりません。みなさん、ワタクシは生活費は一体どうやって稼げばよいのでしょう(笑)。


(2)この5000万円という金額は、応訴するために弁護士を雇うだけでも着手金が219万円かかるというおそるべき額です(そんな貯金あるわけないですがな=笑)。裁判で負ければ、烏賀陽はジャーナリストとしての信用を失い、職業的生命を抹殺されてしまうばかりか、賠償金を払えず、社会的生命をも抹殺されかねない恐れがあります。


どこかで聞いた覚えはありませんか? そう。これは、ジャーナリストの批判を封じるための恫喝を目的とした、消費者金融・武富士がかつて行ったのと同じ手法の、恫喝訴訟と言えるでしょう(武富士訴訟ではジャーナリスト側が勝訴し、逆に武富士を訴えて勝っています)。


http://www.kinyobi.co.jp/takefuji


(3)しかも、訴状をどうひっくり返して読んでも、なぜ5000万円の損害を受けたのかという計算の合理的根拠はまったくどこにも書いてありません。ずさん、というより、相手が払えない(そしてビビる)高額であればそれでいいという額をテキトーに選んだ印象を受けます。


(4)烏賀陽は一貫して「レコード会社の宣伝・営業担当者にはオリコンの数字を操作しようとする良からぬ輩もいる=オリコンは被害者である」という立場を取っているし、文意からもそれは明らかなのに、なぜかオリコンはそれを無視し(あるいは理解できず)烏賀陽の記事が自社の信用を損なったと主張していること。


(5)裁判の証拠書類として、烏賀陽が「アエラ」03年2月3日号に書いたオリコンの記事が添付されていました。


http://ugaya.com/private/music_jpopcolumn18.html


これはオリコンのデータとPOSデータ(サウンドスキャン社)のデータが乖離しているのはなぜか?という疑問を提示したものです。この記事も当時オリコンの小池恒右社長の憤激を買いました(社長直々にお怒りの電話を頂戴しました)ので、烏賀陽がオリコンの「好ましからざる人物」にリストアップされていたことは間違いありません(取材拒否も数回あり)。


(6)オリコンは「オリジナル・コンフィデンス」はじめ多数の出版物を出す出版社でもあります。ですから、もし「ウガヤのいうことはウソだ」というのなら、そこの紙面上で思う存分「ウガヤの言っていることはウソです、なぜなら××」と意見を述べればいい。ぼくもまたどこかの媒体で反論します。これこそが正統な「言論」でありませんか。それこそが正当な出版社のすべきことではありませんか。意見が違うものは高額の恫喝訴訟で黙らせる、というのは民事司法を使った暴力に近い。


みなさん。ぼくはずぼらなので「運動」とか「闘争」とか「たたかい」とかとは縁遠い人間ですが、この訴訟はいくらなんでもひどすぎる。あまりに露骨な言論妨害だ。言論・表現の自由という基本的人権、フリーランス記者を小馬鹿にしている。


もしこの種の恫喝訴訟がまかり通るようになれば、フリー記者には(いや、あるいは社員記者もできなくなるかも)企業批判はまったくできなくなります。雑誌の求めに応じてコメントひとつしても、5000万円なのですよ。コメントすらできないではありませんか。


そんな時代が来てほしいですか?ぼくはいやです。


これが言論の自由へのテロでなくて何でしょう。民主主義の破壊でなくて何でしょう。これは体を張ってでも阻止せねばなりません。


というわけで、みなさん。長々とすみません。お忙しいところ本当に恐縮ですが、どうかお知恵とお力を貸してください。ご希望の方には訴状そのほか資料をお届けします。


どうか無視しないでください。助けてください。ぼくも2,3日前まではこんな話は(けしからんことに)他人事だと思っていたのです。でも、こんな恐ろしいことが、いつ、どこでみなさんの上に厄災として降りかかるかわからない時代になってきたようです。


長文失礼しました。ご静聴に感謝します。


烏賀陽http://ugaya.com/



以下のブログに、「サイゾー」に掲載された記事とその詳細な分析が書かれており、参考になります。


音楽配信メモ→ http://xtc.bz/index.php?ID=396


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2006年12月16日 (土)




バタバタしているのに、こんなのを買ってしまいました。


飛ばすのが、やけにむずかしい~。


でも、楽しい~。





エアロソアラ バーゴッドブラック(Aバンド)

エアロソアラ バーゴッドブラック(Aバンド)



  • 出版社/メーカー: トミー

  • 発売日: 2006/07/15

  • メディア: おもちゃ&ホビー





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2006年12月15日 (金)




ぎりぎりですが、本日22時からTBSラジオ「アクセス」に内藤さんが出演します。


ぜひ聴いてみてください。



TBSラジオ アクセス


12月15日(金)は関心度第1位になったニュース<いじめ>でバトル。


<いじめ>の問題を二木啓孝さん、麻木久仁子さん、そして「いじめの原因は逃げ場のない学校制度にある」と主張する社会学者の内藤朝雄さん、若者のカウンセリング活動をしている「子ども家庭教育フォーラム」代表の富田富士也さんと一緒に「90分オールバトルトーク」でお送りすることになりました。



どなたか録音していたりしませんよね!?


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2006年12月14日 (木)




内藤さんの本ですが、装丁が決まりました。


オビ付きの書影を公開いたします。


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2006年12月11日 (月)




「効率的な市場主義」とか「景気回復が重要」とかいってたどっかの大学の大先生に「喝!」。


大先生の発言を耳にした私は、松田優作ではありませんが、「なんだこりゃー!」とテレビの前でつぶやいてしまいました(古くてわかりませんね、このギャグは)。


前回の放送時には、ごく私的な経験を元に、ワーキング・プアな親を持つ子どもの実態を自分なりに書いてみました。



ワーキング・プアな親を持つ子ども 1


http://d.hatena.ne.jp/lelele/20060726/1153850795


ワーキング・プアな親を持つ子ども 2


http://d.hatena.ne.jp/lelele/20060727/1153928865


「ワーキング・プアな親を持つ子ども」再考


http://d.hatena.ne.jp/lelele/20060729/1154149970



以下、昨日の番組についての感想を、大先生のご意見に抗いつつ、簡単に書いてみようと思います。



ある放送局、A社があります。A社には、バブル期につくった子会社がいくつもあります。


子会社のひとつであるB社には、プロパーの社員がわずかであり、社員のほとんどがA社からの出向者です。B社はカメラや音声など技術部門を中心に、A社の仕事を請け負っています。



A社は、自社にプロデューサーやディレクター、カメラマンなどのスタッフが在籍していますから、自社の番組は自社のスタッフで制作しています。しかし、バブル期に、無茶にチャンネルを増やしたため、番組の枠が多すぎて、ずいぶん前から自社のスタッフだけでは番組がつくれません。だから、A社はB社に技術部門の多くの仕事を依頼せざるを得ない状況になっています。



とはいえ、B社にいる多くの人はA社からの出向者ですから、結局のところA社が雇ったスタッフとわずかなB社のプロパー社員が、A社の番組をつくっていることになります。ここでポイントとなるのは、A社からの出向者もB社のプロパーも、まったく同じ仕事をしている、ということです。



同じ仕事をしているのに、給料はまったく異なります。まず、A社のスタッフの基本給は、同期入社のB社のスタッフの1.5倍から2倍です。B社に出向するA社のスタッフには、さらに出向手当なるものが付加されます。そうなると、同じ会社のなかで、まったく同じ仕事をしているスタッフの給料格差が、2倍から2.5倍くらいになるわけです。



この格差を「A社の試験に受からなかったB社の人が悪い」といって片付けてしまうのは問題だと思いますが、ここでは100歩ゆずって、それもアリとしましょう。このようなふざけた給与体系の元でB社のプロパーが、どんな思いでA社の仕事をしているのかということも、容易に想像できると思いますが、ここでは触れません。



ただし、出向スタッフについては、簡単に触れておきます。A社がB社にスタッフを出向させる理由のひとつは、こういうことです。つまり、古めかしい年功序列&終身雇用システムによって、澱のようにたまっていく使えないスタッフ(老いも若きも)をそのままにして新入社員を入れると、A社の「社員数」がどんどん増えてしまう。それでは公的な「見ばえ」が悪い。そこで、一時的な口減らし対策として、A社のスタッフをB社に出向させ、A社にいられないことの「我慢料」として出向手当を払い、一定の時期を過ぎるとA社に呼び戻すわけです。



さて、A社には独自の年金があるそうです。これまでだと、A社のスタッフが退職すると、一定の年金が毎月もらえていました。ここでは年金額を月15万円としておきましょう。ところが、国民年金と同様にA社の年金も破綻気味であることから、今後は年金額をいままでの半額にするという方針が打ち出されました。そうなると、当然ながらこれから辞める人たちが、「なんで、いきなり半額なんだー」とギャーギャー騒ぐことが予想されます。



騒がれないために、さらにA社はこのような提案をしました。それは、「年金額は半分になるけれど、A社を退職後も働きたい人は、65歳までB社で働いていいよ」というものでした。こうした措置によって、B社にはふたつの大きなデメリットが生じます。第一に、B社は現場仕事が中心なので、現役を引退したおっさんがぞろぞろやってきても、はっきりいって役に立ちません。第二に、上層部の勝手な決定により、B社のプロパーが汗水流して稼いだお金を、A社が年金を払えなくなったという理由で、職務上は役に立たない人たちへ「年金がわり」に提供するのは、B社プロパーの労働意欲を著しく低下させます。



A社のスタッフの生涯賃金は、B社のスタッフの2倍くらいなわけですよ。何度も書きますが、A社とB社の同一業務をしているスタッフは、会社が違ってもまったく同じ内容の仕事をしているのに。それでもって、A社の年金の後始末まで押しつけられてしまうB社のスタッフには、A社のスタッフのような「年金がわり」のシステムはありません。まさに「これって、どうよ?」の世界ですね。よほどの放蕩生活を送らぬかぎり、退職したA社のスタッフがワーキング・プアなぞになるわけがない。一方、B社のスタッフは終身ワーキング・プア……。



このようなことを長々と書いたのは、「効率的な市場主義」を目指すとかいう問題の、もっと手前に、一流と呼ばれている企業内で、外から見れば誰もがアホらしいと思えるような、ワーキング・プアの再生産がおこなわれていることを指摘したかったからです。一流と呼ばれる企業が、その場しのぎの経営方針を打ち出すことにより、みずからワーキング・プアを再生産しようとしている実状と、番組で取り上げられていた人たちの実状とは、けっして遠くはない共通点があるような気がしました。



番組で「効率的な市場主義」と「景気回復」を提唱する大先生も、高齢者の生活維持とかセーフティネットといったことを免罪符的にいっておりました。しかし、いくら景気が回復したとしても、企業の利益がけっしてスタッフには還元されず、A社のような腐ったシステムにより、一流企業が率先してワーキング・プアを生み出しているようでは、何の解決にもならないなあ、とつくづく感じました。逆に、大先生以外のふたりのコメンテーターの発言には、うなずける部分が多かったです。



最後にお断りしておきますが、A社とB社の話は、あくまでも現実の話を元にしたフィクションです。あしからず。


この原稿を書いているときに、なぜか弊社の寅専務が、じっと手を見ておりました(写真参照)。


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2006年12月10日 (日)



『宮台真司ダイアローグズ 1』がイプシロン出版企画より発売になりました。


キャンペーンブログは以下です。


http://d.hatena.ne.jp/miyadialogues/


がんばれ~!


同書をちらっと読みましたが、つくづく宮台さんは潔い方だと思いました。


文章になったものは、すべてさらけ出す。それも、発言内容がブレていようが何だろうが、発言の時期はそのまま出す。そして、全部出す。普通は、内容を修正したり、都合の悪いものを削除したりするじゃないですか。そうしないで、すべてをさらけ出したうえで、すべての内容の判断については、読んだ者の判断にゆだねる。なかなかできることではありません。


けっして著者だからというのではなく、こうした宮台さんの姿勢を私は尊敬しております。



ブログやミクシーで人目につかないように、些末なことをごちゃごちゃ言うような人たちに、ぜひこの本を読んでもらいたいし、この本をとおして宮台さんの姿勢を感じてほしいです。


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2006年12月10日 (日)




いつだか忘れましたが、娘といってきました。


スペースマウンテンが休止中で、ムッとしました。


夕方から雨が降ってきて、エレクトリカル・パレードも中止でした。


唯一、いろんな味のポップコーンを食べることができたのがよかったです。


とくに、カレー味が美味でした。


さすがに夜の電飾はキレイでしたね。


写真はアーケードのツリーです。



内藤さんの本は、すこしずつ進んでおります。


宮台さんと鏡さんのトークセッションは、日付が確定しました。


追って、場所と時間をお知らせします。


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2006年12月 6日 (水)




歌人の枡野浩一さんが、期間限定でカフェの店長をやっております。



離婚して子どもと会えずにもがき苦しむ枡野さんとは、どんな方なのか。


そんな気持ちに胸をワクワクさせながら、カフェを訪ねてみました。


原宿駅竹下口から歩いて5分のところにリトルモアのビルがあり、その地下がカフェますの原宿店です。



カフェでは荒井由美のCDがかかり、テンピュールのマットレスが階段状に重ねられ、壁に沿って多くの本が並べられ、ロデオボーイが置かれています。



運良く、枡野店長はいらっしゃいました。


気軽に写真撮影にも応じていただけました(本エントリーの写真参照)。


みずからの著書で、これでもかと思うくらい離婚話を書かれる枡野さん。


お会いしてみたら、温厚で、気さくで、本から感じるイメージとはちょっと違う方でした。



お時間がある方は、ぜひ訪ねてみてください。


生枡野さんに会えるかもしれませんよ。



カフェますの原宿店の詳細は、以下のページで。


http://www.littlemore.co.jp/chika.html



閉店日の12月10日には、19時30分からトークイベントがおこなわれるそうです。ゲストはマンガ家の内田かずひろさん。



また、12月23日には、ジュンク堂書店池袋本店にて、枡野さんと河井克夫さんとのトークセッションが開催されます。詳細は、以下のページで。


http://www.junkudo.co.jp/event2.html


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2006年12月 5日 (火)



今日はこれでご勘弁を。


上野公園が赤くなっていました。


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