双風亭日乗

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2007年1月30日 (火)




本田由紀さんが『多元化する「能力」と日本社会』で第六回大仏次郎論壇賞奨励賞を受賞しました。


で、昨日、同賞の贈呈式が帝国ホテルでおこなわれました。こういう式典関係に参加するのは初めてのことで、よい経験になりました。本田さん、誘ってくれてありがとう。



本当は贈呈式と祝賀パーティーがあるのですが、家事のため贈呈式のみ参加して帰宅しました。最後までいたかったなあ。同時に、朝日賞と大仏次郎賞の贈呈式があり、朝日賞の田辺聖子さんや野村万作さんの肉声を聞けたのだけで、よしとしましょう。村上春樹さんは欠席でした。


あと、朝日新聞の社長が、場慣れしているのか、やけに話が上手だったのが印象に残りました(笑)。



賞というものが、なんぼのものかわかりませんが、地道で着実な本田さんの研究が評価され、それが朝日の誌面で紹介され、世に知らしめられるのは、よいことだと思います。


月並みなコメントですが、本田さんの研究活動が、今後もさらに深化することを心より祈念しております。



本田さん、おめでとう!


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2007年1月25日 (木)



内藤朝雄著『いじめと現代社会』は、ただいま再稿ゲラを印刷所に返した段階でございます。


あとちょっと。



第4巻が出たのを機会に、第3巻まで漫喫で読んだ浦沢直樹作『プルートゥ』を全巻購入しで再読。タイムリーに、浦沢さんがNHKの『プロフェッショナル』に出演。同書第4巻の末尾に掲載された西原理恵子の漫画が秀逸。一方、漫喫では井上雄彦作『リアル』全巻を読んで涙する。



Kさんの紹介で、四月から某大学で「実践メディア産業論(出版)」という講義をやることに。基本的には、ひとり出版社の実状とその周辺事情を語っていくつもり。だが、やはり基礎的なことは押さえておく必要があるので、ゲラを読みながら出版関連の本を読む。横田増生著『アマゾン・ドット・コムの光と影』asin:4795843422をはじめて読んだが、けっこうおもしろい。


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2007年1月18日 (木)



『いじめと現代社会』ですが、ただいま再校ゲラが出たところです。


じつは、刊行時期がすこし遅れる可能性がありましたが、超多忙な宮台さんがスパートをかけてくれたおかげで、どうにかこうにか予定どおりに作業は進んでおります。



ブログで取り上げたいネタがたくさんあるのですが、書く時間がとれなくて残念です。


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2007年1月16日 (火)




以下で読むことができます。



卒論を書く人が落書きして遊ぶ場所(内藤朝雄ブログ)


新しい本を世に出す


http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20070112



MIYADAI.com Blog


内藤朝雄さんと、いじめについて対談しました。宮台発言のごく一部を抜粋します。


http://www.miyadai.com/index.php?itemid=453






いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――

いじめと現代社会――「暴力と憎悪」から「自由ときずな」へ――



  • 作者: 内藤朝雄

  • 出版社/メーカー: 双風舎

  • 発売日: 2007/02/22

  • メディア: 単行本(ソフトカバー)





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2007年1月15日 (月)




『論座』2月号を読みました。


■小林よしのり vs. 『論座』編集長 対談


何よりも、元政治部記者だったと語る編集長が、話の節々で自分の価値観を押しつけているのが気にかかりました。対談だから、それでもいいのかもしれないけれど、一応はゲストを呼んでいるのだから、慇懃無礼な話の聞き方は読んでいてあまり気分がよいものとはいえませんでした。


小林さんの保守に関する発言は、これまでのものとかわりがありません。自衛や核武装については、あいかわらず「どうか」と思います。ある意味ではカメレオンのように変化自在な人だと思うので、理論的には反対側にいる人であっても、彼を説得して味方につけるのは意味のないことではないと思います。


なんてったって、『戦争論』シリーズ累計160万部ですからね~。



■特集 コピペ化される教養


これだけパソコンやらインターネットが普及しているのだから、文書作成に際してのコピペをどうこう議論しても仕方がないと思うのですが。「ハイデガーがこういっていました」ということを、自分で考えた文章で表現するのもコピペで表現するのも、表現上はあまりかわりがないでしょう。


あまりかわりがなくても、つまらなかったり、あまりにもあからさまなコピペをしていれば、誰にも読まれないだろうし、論文としても高得点はもらえないと思います。コピペで論文を書いて大学の単位が取れなくなったら、そこで気づきが生まれるんだから、それでいいんじゃないのかな。それでも懲りずにコピペをつづけていたら、あとは好きにやってくださいという感じですか。


教養の問題は、コピペがどうのというよりも、本人が教養を持てるような環境にいるのか(その環境をどう設計するのか)とか、教養を学ぶモチベーションがあるのか(いかにモチベーションを持たせるか)ということなのでは。


そういう環境をつくれていないことや、子どもや学生に教養を学ぶモチベーションを持たせるべく工夫していない側の人たちのほうが、私には問題であるように感じました。



■特集 蔓延するエセ科学


いまさらながら『水からの伝言』(アイ・エイチ・エム)という本の存在を知りました。特集では、ふたりの科学者と教育学者、そして評論家の山形浩生さんが同書やエセ科学を批判しています。


同書は、ようするに「水は言葉を理解する」ということを主張しているとのこと。文字を書いた紙をビンに貼り付け、そのビンに水を入れることにより水に言葉を「見せる」。言葉を「見せた」水をシャーレに落とし、冷凍庫で凍らせたあとで水の結晶をのぞく。すると、美しい言葉を「見せる」と結晶が美しくなり、醜い言葉を「見せる」と結晶も醜くなる、とか。


こういうトンデモ的なことは、誰も知らないような場所でちょこちょこやっているぶんにはよいと思います。勝手にどうぞ。しかし、『水からの伝言』シリーズが(自称)17万部も売れていたり、有名人(オノ・ヨーコ、倖田來未、ユーミン、そして例によって窪塚くんなど)が賞賛していたり、公教育の道徳の授業で同書が教材として使われていたりするのは、ちょっとまずいことだと思います。


科学者がトンデモ的な言説を批判することは、ある意味ではサンドバッグを叩いているような虚無感があるものだと思います。それを覚悟で科学者がきっちりとした批判をはじめるということは、そのトンデモ的な言説が見過ごしておけないような影響力を持ったときなのかもしれません。ゲーム脳しかり、ですね。


魑魅魍魎のごときトンデモ言説に対して、誠実に批判を展開している菊池誠さんと田崎晴明さんというふたりの物理学者の態度には、たいへん好感を持ちました。


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2007年1月11日 (木)





TBSアクセス


「M2のJ-POP批評2006~やっぱりJーPOPは終わってしまったのか?」


 M2スペシャル・宮崎哲弥+宮台真司+渡辺真理・12月29日(金)


→ http://tbs954.cocolog-nifty.com/ac/files/m2sp20061229.mp3



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2007年1月 8日 (月)




アマゾンの『バックラッシュ!』ですが、品切れ状態がつづいております。


とはいえ、昨年末に弊社からアマゾンに50冊を納品しております。


あいだに入っている取次の大阪屋によると、年末年始の混雑で在庫登録が遅れているとのことでした。


しばしお待ちくださいませ。


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2007年1月 8日 (月)




まず「自殺サークル」(園子温、asin:B000066ISW)を観ました。


ずっと自殺には関心があったので、いつか観てみようと思っていたのですが、それがのびのびになっていたのです。



女子高生が集団で自殺する冒頭のシーンは、かなりインパクトがありました。


でも、そのインパクトが強すぎて、それ以降のストーリーがあまり印象に残っていません。


小さな子どもがサークルをつくり、そのサークルが若者をいじり、若者を自殺に導いている。警察も手に負えない。便乗するアホも出てくる。


そのような内容でしたか……。


けっこう内容が複雑で、なかなか理解できませんでした。


ホラー映画だったのかな、なんて思ったりもしました。



直後に『自殺サークル』(古屋兎丸著、ISBN:4901579096)を読みました。


こちらは映画公開と同時(なのかな?)に書かれたマンガで、園子温監督の原案に古屋さんが手を加えた内容となっていました。手を加えたというより、ほとんど別物といった感があります。


マンガのほうは、描かれる世界や人物がしぼられているので、とてもわかりやすかったです。


さすが『ライチ光クラブ』の古屋さん。



いずれにしても、「自殺サークル」という映画を観て、漫画を読んでみた結果、「家族不在に端を発するさみしさ」を抱く思春期の人が、「自傷」とか「自殺」「性依存」といった方向に進む可能性があるんだなあ、と思いました。


また、ある人が弱っているときに「サークル」なるものがあらわれ、その弱っている人をいとも簡単に吸収していき、「サークル」の思うがままに操っていく様子は、宗教のシステムに酷似しているようにも思えました。



マンガでは「家族不在→さみしさ→自傷→サークル→自殺」という道筋をたどる主人公の女子が描かれています。そして「家族不在→さみしさ」までは、かなり普遍的な問題だと思うので、私にもすんなり理解できます。


とはいえ、「さみしさ→自傷」という部分は、どういう経緯で「さみしさ」から「自傷」にたどりつくのか、よくわかりませんでした。ベタな感想ですが、自分の皮膚を切ったり血を見たりするのって、なかなかできないし、勇気がいることじゃありませんか。



「自傷」というのは、「自殺」にいきつく手前の擬似的な行為なのかなあ。


テレビや雑誌で発言する専門家の声は、「自傷」にさまざまな意味を見いだしているみたいだけれど、そんなに深い意味があって「自傷」をするのかなあ。


やったことはないけれど、自分の身体を切ったり血を見たりすることって、意外に自分が求めていることだったりするのかなあ。


あー、わからない!


いつか渋井哲也さんやロブ大月さんとゆっくり話してみましょう。



自分の身体を切ることは、はじめはすごく勇気がいることだけど、そのうち傷口や血を見るのに慣れてしまい、習慣になったりするという感覚は、なんとなくわかります。


次元は違うと思いますが、日本では鉄道会社で飛び込み自殺の死体を片付けたり、カンボジアでは地雷で手足をなくした直後の人と出会ったり、市街で野垂れ死にしている人をたくさん見ていると、悲しいかな死や血に対する畏怖や恐怖の念のようなものが薄らいでいきました。薄らぐというか、慣れてしまうんです。


その慣れが、いいことなのか悪いことなのかはわかりません。



「自傷」したことがない私がいうのも何ですが、「自傷」なんてしないに越したことはないと思います。でも「自傷」をしている人に「自傷をするな」なんてことはいえません。何か原因があって、逃げたいから「自傷」するのであれは、それを「やめろ」ということは、逃げ道をふさぐことになってしまうでしょうから。


逃げ道がなくなったら、それこそ「自傷」から「自殺」への道が待っているような気がします。


しかし同じ論理で、いやなことから逃げたいので「自殺」したい人に対して、「自殺するな」といわないで(逃げ道をふさがないで)自殺をさせないためには、どうしたらいいのでしょう。


逃げ道があるといって放っておけば死んでしまうし、死ぬなといえば道をふさいでしまう。


んー、むずかしい。



「自殺サークル」のおかげで、いままであまり深く考えてこなかった「自傷」や「自殺」について、以前よりも考えるようになりました。興味深いテーマなので、今後も追っかけていこうと思っています。


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2007年1月 5日 (金)





ココセレブSpecialインタビュー


鏡リュウジさん


ブログは「占い師」ではない自分を表現できる場所


http://celeb.cocolog-nifty.com/interview/2007/01/post_abbe.html



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2007年1月 1日 (月)



今年もよろしくお願いいたします!


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