双風亭日乗

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2007年2月21日 (水)

ほんとうの和食とは何か 3 ――寿司ポリスを嗤う――




新刊の配本日が変更になったり、原稿を消してしまったりで、ながいあいだ和食の話が中断してしまいました。すみません。


くわえて、上記の混乱のなかで、ニューズウィークの当該号をなくしてしまいました。それを参照しながら、寿司ポリスたる松岡農水相を嗤う予定だったのですが……。


というわけで、うる覚えで恐縮ですが、ニューズウィークの内容を思い出しつつ、寿司ポリス問題の感想を書いてみようと思います。



海外で「ほんとうの和食」でない和食を食べて、松岡さんは寿司ポリス制度を思いついたんですよね。でも、「ほんとうの和食」の定義って、いったい何なのでしょう。私にはわかりません。


カンボジアで和食の店ができたときには、たしかに飛びつくようにかよったりしました。そこで食べたのは、カレーライスやコロッケ定食でしたが、それが「ほんとうの和食」であるのかどうかなんて、関係なかったですね。


ただただ、懐かしい感じがしました。そうなると、日本人が「懐かしさ」を感じるのが「ほんとうの和食」なのか、という問題が生じます。「懐かしさ」=「ほんとう」って、ちょっとヘンだと思います。



ニューズウィークの記事のなかで、日本人が和食の基本だと思っているものや形式は、じつは朝鮮半島から流入したものだ、と書かれていたように思います。これはけっこう象徴的な話だと思いました。


たとえば、「外国人」がカンボジア料理といっているものがあります。一応は、それらしいものがあるものの、タイとベトナムの食堂でご飯を食べれば、「タイ料理+ベトナム料理÷2=カンボジア料理」であることが、なんとなくわかります。


さらに中華料理をくわえて3で割ってもかまいません。タイ国境に近づけば、限りなくタイ料理に近いカンボジア料理が食堂で出されるし、ベトナム国境も同様です。首都プノンペンには華僑がたくさんいるので、限りなく中華料理に近いカンボジア料理が出てきたりもします。



こうしたことから体感的にいえるのは、人が移動すれば料理も移動するということですね。料理が国をまたいで移動しているうちに、混じってしまったりすることもあるでしょう。料理の決め手ともいえる食材や調味料が現地調達できなければ、代用品で対応するしかなくなりますし。


そんなふうに考えてみると、そこに住む人たちが、そこの食材や調味料を使い、そこで食べているのが、「●●料理」と呼ばれたりするものであり、その「●●」にわざわざ国名を入れたうえで、ぎゃーぎゃー騒ぐ必然性はまったくないような気もします。



さらに、これだけ人の流動化が国を渡って盛んになっているんですから、料理だって流動化するのは当然のことだと思います。流動化して、混じり合い、新しいものが生まれたり、古いものがなくなったり……。


海外で「和食」を食べたらまずかった。もし多くの人がまずいと思ったら、その店には客が遠のき、つぶれてしまうでしょう。海外の日本料理店が、松岡さんが「ほんとうの和食」だと思えない商品を「和食」といって売っていても、それがおいしければその店は繁盛するだけのお話し。



以上のことから導き出されるのは、「ほんとうの和食」を世界に認知させるために、日本の政府が旗を振って和食の認定制度をつくるなんて、笑止千万なことだということですね。そんなことを日本が言いだした結果、「それじゃあ、俺の国もその制度をつくろう!」なんて他国がマネをしだしたら、日本の多くの飲食店にその制度のつけがまわってきかねません。


日本で多国籍料理やエスニック料理を売り物にしている店なんて、つぶれるところがけっこう出てくるんじゃないのかな。そうなったら、松岡さんはつぶれた責任をとってくれるのかなあ。



「ほんとうの和食」ってものがあってもいいと思います。でもそれは、「ほんとうの和食」を求めている人が勝手にそういう定義をつくり、勝手にその定義を守っていけばいいこと。その定義を知らない人や定義を流動的に解釈している人に対して、押しつけるようなものではないと私は思うんですよね。



さらにいえば、その「ほんとうの和食」って定義は、他国に日本を紹介するときには都合よく使ってもよいものだといいですね。カンボジア人に「日本料理って何?」と聞かれたときには、「ほんとうの和食」の定義を話したり(笑)。それでいて、海外の日本料理店でヘンな「和食」が出てきたら、ムキになって怒るのではなく、笑って写真撮影をしたり。そんな感じでどうですかね、松岡さん。


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ほんとうの和食とは何か 3 ――寿司ポリスを嗤う――:

コメント

大反対。
鮮魚を扱う寿司は衛生面で他の料理以上に神経質にならなければなりません。中国系韓国系の経営陣やシェフが行う「偽装日本料理」には、そのクオリティコントロールの能力と意欲があるでしょうか?私はギモンですね。
一度でも「寿司で食中毒禍」が起きたら、ダメージを負うのは「日本文化」です。コリアンやチャイニーズではありません。「和食」はハイコストでヘルシーな印象があるので(この好印象を作る努力をしたのは誰でしょう?)彼らはモノマネしているのに過ぎないからです。

投稿: | 2007/06/25 17:42:29

コメントをありがとうございます。
ご指摘の点は、食品の衛生管理の問題なので、各国の当局がきっちり管理すればよいことだと思います。実際、日本以外に店をかまえる日本料理店が、日本文化を守るために衛生管理をきちっとやる、という発想を持っているのか、たいへん疑問です。
だからといって、そういうことを否定しているのではなく、それはそれでいいとも思います。ただし、押しつけるのはどうかということを問題にしています。
いずれにせよ、「●●料理」は「●●国の文化」なので、「●●国」の恥にならぬよう、海外の「●●料理」のクオリティコントロールを「●●国」の主導でおこなうというのは、実現がむずかしいのでは。
たとえば、海外に在住する日本人で、日本料理以外の「▲▲料理店」をやっている人が、自分がつくる料理のクオリティコントロールを「▲▲国」にされるということになったら、どうなるでしょう。フランス料理に生の牛肉を使うタルタルステーキがありますが、それを前提にして、いただいたコメントを変えてみると以下のようになります。これを、海外でフランス料理店をやっている日本人が、フランス人の発言として読んだら、いったいどう思うのでしょうか?

『生牛肉を扱うタルタルステーキは他の料理以上に神経質にならなければなりません。日本系の経営陣やシェフが行う「偽装フランス料理」には、そのクオリティコントロールの能力と意欲があるのでしょうか?私はギモンですね。
一度でも「タルタルステーキで食中毒渦」が起きたら、ダメージを負うのは「フランス文化」です。ジャパニーズではありません。「フランス料理」は高級で繊細な印象があるので、彼らはモノマネしているのに過ぎないからです』

投稿: lelele | 2007/06/26 11:56:46