2007年10月 4日 (木)
みっともないですよ、過剰に長井さんをネタにするマスコミは
藤原新也さんが元気です。
ミャンマーで死んだジャーナリスト長井健司さんに関連し、以下のエントリーでマスコミに鉄槌(てっつい)をくだしています。
shinya talk
10月1日
長井さんが殺されたシーンを、テレビが何度も繰り返して放送していたことについては、武田徹さんが疑問をていしています(武田徹 オンライン日記 9/28)。私自身は、テレビであのシーンを見かけるにつれて、あることを思い出してしまいました。それは、タイやカンボジアなどのタブロイド新聞が、1面のトップでひんぱんに掲載する、事件や事故などで死んだ人の写真です。
武田さんは、長井さんが映し出された映像について、「この露出量の多さは、ジャーナリストが射殺されるに至った事態の重要性ゆえのものなのか、狙撃の瞬間が記録された映像の刺激性(希少価値)の高さゆえなのかは考えた方がいい」といっています。私は、マスコミにおける後者の「性癖」が剥き出しになったように思えて仕方がありません。
「性癖」だから直しようがないとわかっていても、やっぱり腹は立ちます。大手マスコミの多くは、自社の社員をいかせたくないリスキーな戦地の取材のときだけ、まるで映像便利屋のように長井さん(もしくは、長井さんと立場が似たようなフリージャーナリスト)らを安いお金で使う。で、そういう人が戦地などで死ぬと、「邦人ジャーナリスト、死亡!」などとわざわざ騒ぎ立て、視聴者の欲望を満たしつつ視聴率を稼ぐ。
でも、ネタ元になる人が死んでいるのですから、その人が話題になって視聴率を稼いだ(稼ごうとした)ことに対するその人への報酬は、なし。いくら生きているときの功績を讃えられたって、そんなことは死んだ人自身には意味がありません。藤原さんがいうとおり、死んだ人をネタにして視聴率を稼いだ(稼ごうとした)マスコミは、せいぜい死んだ人の遺族にたっぷりと謝礼を支払うべきですね。
人は誰もが、人が殺される場面や死体の姿などを「見たい」と、潜在的には思っているのでしょう。だから、そういう場面や姿をマスコミがネタにするのは、致し方ないとも思います。でも、そうした人の欲求を利用して、視聴率を稼ぐのにも限度があるでしょう。いまだにワイドショーで、長井さんが殺されるシーンが流れているのを見るにつけ、「みっともないことをやり続けるな!」と思ってしまいます。
そして、私も藤原さんと同様に、ジャーナリストの海外での死亡については、せいぜい「訃報」でよいと思います。
日乗 | コメント (1)
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コメント
私は子供も見る時間帯のニュースで何度も何度もあの方が倒される映像を見て別の意味で疑問に思っていました。そして子供のころ、豊田商事の事件をNHKが放送する際、当時のアナウンサーが「これからの映像にはショッキングな映像が流されます。子供さんがおられる場合はご注意下さい」という様な内容を話されてから映像が流れた事を思い出しました。
態度が悪い女優さんには批判が集中しても、ああいう映像を流す側に批判が集中しないのは何故かと考えていたところでした。
この記事を見てなんとなく理解できた様な気がします。
投稿: 小学生の親 | 2007/10/05 10:11:37