2007年10月24日 (水)
来年の新卒求人事情。バブル期の轍を踏むのか?
作家の高村薫さん。社会のさまざまな問題を、鋭い視点で見すえ、分析する。そのうえで書かれた硬派な小説に、私は魅せられ続けています。あまり小説を読まない私であっても、「高村さんは、次に何を書くのだろう」と本が出るたびに期待しているんですよね。
じつは、前の出版社にいるとき、畏れ多くも私は高村さんに時評の執筆をお願いしたことがあります。何の面識もない零細出版社が著名な作家さんに、いきなりそんなことをお願いしても、うまくいくわけがありません。たいへんていねいな、お断りの手紙をいただいたのを覚えています。
その高村さんが、「AERA」(朝日新聞社)で「平成雑記帳」という連載をやっています。勝手ながら、高村さんの筆を小説だけで使うのはもったいない、と思っていました。ですから、この時事評論の連載は、毎回とても楽しみにしています。
といっても、「AERA」本紙自体への興味を、私はすでに失っています。なんだか「社会派の女性週刊誌」みたいなお手軽特集が多く、「調査報道はどこにいったんだよ~」とかなわぬ思いを抱いたり。まともに読むのは、高村さんの連載と「現代の肖像」のみ。だから、マンガ喫茶などで読むことが多く、めったに買いません。
さて、本題はここから。「AERA」2007年10月27日号の「平成雑記帳」のタイトルは、「売り手市場で学生が踊る。いつか、同じ光景を見た。私が経営者なら、こう雇う」。来年の新卒者に対する求人数がバブル期を超えた。その現象に対して高村さんが、「来年大学を卒業する学生たちが、少し前の就職氷河期の学生たちに比べてとくに優秀だというわけでもないだろうに、なぜこんな事態になるのだと自問し」つつ、いらだちを表明しています。
米国のサプライム・ローン破綻で世界経済の先行きは不透明。日本では年収二百万円以下の労働人口は一千万人に達した。日本経済に明るい見通しなどないのに、なぜ新卒求人だけがバブル並みなのか。この状況を高村さんは「奇異な光景」と言います。
奇異でありながら、「どこかで見た光景」であるとも彼女は言います。そう、バブル時代の新卒求人です。あの時代に大量雇用された新卒者が、その後の不況でたいへんな目にあったことは、いまさら書く必要もありませんね。企業は同じことを繰り返そうとしています。まさに「不幸なサラリーマンたちの群れを、企業はまた生み出そうとしている」。
そして、高村さんは企業が求める人材の「質」について、かなり強力に企業経営者を批判します。すこし引用が長くなりますが、もうすぐ弊社から発売となる赤木さんの『若者を見殺しにする国』(みなさま、ぜひご一読くだされ!)とリンクした内容であり、とてもたいせつなことが書かれているので、どうかご容赦ください。
人材、人材と言うけれど、経営資源としての人材に、企業は何を求めているのだろう。企画、設計、製造、販売、管理等々、企業活動に必要なさまざまな人材は、どこまでも生産性で評価されるものではないのか。生産性を担保するのは個々の能力、意欲、責任感、そして社会人としての器であるが、大学を出たばかりの若者たちは、それらすべての点で未知数だろう。新卒の採用にこだわる日本の経営者たちの頭は、未だに画一的な大量生産時代から抜け出していないのかもしれない。
私が経営者なら、ほんの少し生まれる時期が早かったために就職氷河期に遭遇し、社会の厳しさを身に染ませながら派遣社員や契約社員として働いている人たちを、真っ先に雇用する。自分の能力の限度を知り、適正を知り、意欲があり、社会人として鍛えられている人材を、採らない理屈はないからである。また、そうした通年採用を増やすことによって、社会で働くことについての学生たちの意識も、より地に足がついたものになるかもしれない。
貧困層が拡大して中産階級が減少した社会では、かつてのような分厚い消費は望めない。中長期的には、経済は間違いなく低空飛行になる。就職活動中の学生さんたちは、頭を冷やして企業の顔をじっと見よ。
(「AERA」2007年10月27日号、88ページ)
この高村さんの発言に、私が付け加えるべき言葉はありません。最近読んだ雨宮処凛さんの『プレカリアート』(洋泉社新書)の座談会に、企業側の論理を象徴するような発言が掲載されています。大企業に勤める女性が、企業がフリーターを正社員として採用しない態度が理解できると言い、それに対して司会者が「それはなぜですか?」とたずねます。すると、その女性はこう答えます。
責任のない楽なバイト生活を長い間続けてきたわけですからね。そういう就労意欲の低い人間を、人事担当者があえて採用することはないですよ。
(雨宮『プレカリアート』143ページ)
高村さんは、派遣社員や契約社員を取り上げていますが、非正規雇用ということで考えれば、この議論のなかにフリーターも含めてよいかと思います。そういう前提で考えてみると、非正規雇用者には「責任がない」とか、「勤労意欲が低い」ということが、なぜその女性にわかるのかが疑問となります。そういう人もいるのかもしれませんが、そうじゃない人もたくさんいるのですから、実際には。
で、この女性が抱くような非正規雇用の虚像、いわば「想像の非正規雇用」みたいなものが企業経営者の頭の中にはあり、それが非正規雇用の実像とズレているがゆえに、非正規雇用はダメだという風潮が変わることがないように思えます。逆にいうと、非正規雇用の実像が経営者にわかれば、もしかしたら何かが変わる可能性もあるのではないか、とついつい甘いことを考えてしまいます。希望的観測なんですかねぇ、これは。
まあ、会合だゴルフだとお忙しい企業経営者に、労働者事情の現状をしっかりと見てくださいといっても、なかなかむずかしいのかもしれません。経営者が忙しければ、人事担当者が現状をしっかりと……。やっぱり忙しいんでしょうね。でもさあ、忙しいからって、「けっきょく東京六大学ですか」みたいな採用方針を、いまだに続けている企業も多いって聞きますからねぇ。やろうと思えばできることなんでしょうけれど。
企業にとって有用な人材とは、どんな人材なのか。真っ白な人を、個々の企業色に染めていくのもいいけれど、色がついた人のなかにも、企業にとって役立つ人はたくさんいるんじゃないのかなあ、と思ったりする今日この頃です。
日乗 | コメント (4)
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受信: 2007/10/26 11:17:33
コメント
高村さんの発言で「生産性を担保するのは個々の能力、意欲、責任感、そして社会人としての器」、これが備わっている人は新卒に限らずどんな人にもいるのは疑いようが無い。
最近、中小のベンチャーの既卒採用は(人材不足のせいで)増えているが、大手ではまだ少ない。よく「年齢が若い=可能性が無限大、だから弊社では新卒を採用する」といった企業を目にするが、過去の実績、経験は考慮しないのか?単に「既卒は扱いにくい(要はある意味賢いのでコントロールできない)」「既卒は人件費が高い」からではないか。労働生産性を無視し、これらを気にしていてはたとえ大手でも成長は望めないと思う。
投稿: raccy | 2007/10/24 10:54:19
中堅~大手企業の人事責任者にとっては、御身大切であって、
従来の慣行や、手順に従った人事しかできないだろう。
小企業の経営者が直接面接する場合は社長自身が会社の舵取りをするわけであるから、リスクを負うのは承知のうえだ。
中堅以上のひらめ社員では、せいぜい、上司の動向に怯えながら、
砂をかぶって、身を潜めているいるのが、関の山ではないだろうか。
それとも、わたしが思うほど、職場は大きくこの十年ぐらいで、
変化をしたのだろうか。
それぞれに、区切られた狭い世界で働いてきてない私にとっては、
わからないことばかりです。
投稿: MAX 乙訓の里 | 2007/10/24 22:55:51
私も就職氷河期世代です。私はたまたま就職できたけど、私より優秀だった人たち、精神的な器が立派だった人たちが未だフリターを始め、経済的に安定せず、自立も結婚も出来ない状況に甘んじています。そして、もともと低かった再起の可能性は年を追って加速度的に小さくなってゆきます。就職したくて必死に苦労したのに、これは彼らの責任ではありません。
若者に限らず多くの労働者に塗炭の苦しみを強いたあの日々を経てもなお、企業の頭脳は変わっていないのだと憤りを感じます。
投稿: るうるう | 2007/10/24 22:57:40
みなさん、コメントをありがとうございます!
おっしゃるとおりの状況ですね。労働事情については、ほんとに何もいい話がありません。方向としては、貧しい人は貧しい方へ、富む人は富む方ヘ、突き進んでいるような気がします。いい話がない、というのは、もちろん来年の大量な新卒採用も含めての話ですが。
投稿: lelele | 2007/10/25 11:04:40