2007年12月18日 (火)
銃が問題なのか?
ワイドショーやニュースでは、佐世保での銃乱射事件の詳細が、洪水のように報じられています。たしかに、容疑者がショットガンを利用して、誰もが足を踏み入れる可能性のある場所(スポーツセンター)で起こした殺傷事件だという「派手」さは、ネタ不足に悩むテレビ局が放送時間を稼ぐのには、もってこいの事件なのでしょう。
報じられる内容は、大きく分けて以下の三つ。第一が、犯行の動機や容疑者の性格分析。第二が、殺された方々の葬儀の様子。第三が、民間人が銃を所持することの是非。この手の事件が起きた場合の「定石」ともいえる報じ方です。
この事件は、リアルタイムで報じられているので、ある意味、メディアリテラシーのよい事例になるような気がします。報じられる内容の何を信じ、何を疑ったらいいのか。私なりに考えてみました。
まず、第一の点については、限られた情報を「評論家」や「元警察関係者」らが分析し、毎度ながら勝手気ままな解釈を述べ、テレビはそれを垂れ流しています。マユツバで聞くべきでしょう。とくに性格分析のようなことは、容疑者本人に話を聞かなければ正確なことがわかるはずがないでしょう。
そういったいい加減な分析や解釈を垂れ流すことが、容疑者と似ているタイプの人物像(働いていない、若い、引きこもり、いい人、などなど)への懐疑やバッシングにつながっていくことを、毎度のことながら報道する側はほとんど考えていません。くれぐれも報じられた内容(とくに評論家連中の分析)については、マユにツバをつけて聞くのがよいと思います
次に、第二の点について。今回の事件では、容疑者に殺傷された人がいて、その容疑者が自殺してしまったわけです。この場合、殺害された人(およびその遺族)は、今後、どのようなかたちで事件における責任の所在を追求し、納得するかたちで事をおさめていくのでしょうか。犠牲者の方々のご冥福を祈りつつも、第二の点では、この点が気にかかります。
テレビでは、葬儀の光景や遺族の泣く姿、被害者の家族や知人のコメントなどばかりが報じられています。たしかに、こうした「お涙ちょうだい映像」は視聴率を稼げるのかもしれません。でも、遺族も知りたいし、視聴者にとっても有益な情報は、葬儀現場の映像よりも、こうしたケースの場合に被害者やその遺族たちが、どのようなかたちで身も心も「救済」されるのかということであるような気もします。
私がもっとも注目したいのは、第三の銃の所持に関する問題です。すこし脇道にそれますが、カンボジアを事例に出してみましょう。私が滞在しはじめた1990年から数年間、カンボジアでは銃に関する規制はほとんどありませんでした。内戦中の時期だったので、多くの銃が他国から流入していました。そして、多くの人が、護身用に銃を携帯したり、車に積んだりしていました。
内戦終結後、一応は規制ができて、警察に登録しないと民間人は銃を持つことができなくなりました。しかし、そんな規制はあまり意味がなく、ワイロを渡せば誰でも登録証を発行してもらえるような状態でした。つまり、内戦後も多くの民間人が銃を所持している状況にかわりはありませんでした。
酒に酔った警官や軍人が、ケンカで銃を使用して、殺傷事件になるようなことも多かったです。また、新聞などによれば、銃を使用した強盗や殺人などは、日々、起きていました。しかし、銃を発砲している現場に出くわすことは、ほとんどありませんでした。ほぼ銃規制のないような社会で12年ほど暮らしたのに、です。滞在中、10回くらいでしょうか。そういう現場に居合わせたのは。
治安というのは、その地に長く住めば住むほど、肌で感じられるようになります。言葉ができるようになると、さまざまな情報も入ってきます。とくに、外国人として他国で暮らす場合、安全に関する情報は、まさに命綱といってもいいくらい重要なものとなります。ようするに、銃がそこらじゅうに出回っているわりには、カンボジアの人たちは銃をあまり使っていなかったんじゃないか、というのが長期滞在した私の見立てです。
そうなると、銃を利用した殺傷事件などが起こる理由は、銃がどれだけ出回っているのかという部分にはないのではないか、と思ったりするわけです。つまり、さんざんテレビでいわれているような「民間人が銃を所持する規制を、もっと強化すればいい」という解決策は、本当の解決策にならないような気がするんですね。人は、人を殺傷するための道具があるから、人を殺傷するんじゃないでしょう、という話です。
そもそも銃は、人を殺すため、また威嚇するために作られたものですから、そんなものはないほうがいいに決まっています。とはいえ、銃を製造して儲けている会社はたくさんあるし、その会社で働いている人もたくさんいる。また、紛争や内戦で銃を必要としている人もたくさんいる。このように、銃は世界規模で流通している商品です。それをすぐになくそうなんていうのは、非現実的だといわざるをえません。
いくら規制を強化しても、銃を所持している人は日本にいるでしょうし、海外からの流入は続いていくことでしょう。くれぐれも勘違いしないでくださいね。私は、それがいい状況だといっているわけではありません。でも、ある程度の人が銃を所持しているという前提で、今後も物事を考えていかざるをえないのではないか、と考えているわけです。じゃあ、今後、今回の事件のようなことが起こらないようにするためには、どうすればいいのか?
「容疑者がなぜ人を殺すにいたったのか」を徹底的に調査・分析し(けっして評論家やコメンテーターがテレビで垂れ流しているような印象論ではなく)、その結果をテレビがしっかり報道し、視聴者がそれを参照しつつ、それぞれ「自分はそういう状態にならぬよう、気をつけよう」とか「人間関係の保ち方を考えよう」、「殺傷事件が起きないような社会環境とは何かを考えてみよう」などと、個別具体的に思案するしかないと思います。
あまりに当たり前な解決策の提示に、不満の方もいらっしゃるかもしれません。でも、いくらテレビが銃規制強化キャンペーンをおこない、それを察知した政府が規制を強めたとしても、今後に起こりうる殺傷事件の防止にはあまり関係がない。そんな場当たり的であまり意味のない規制について報じる時間があったら、もっとたいせつなことを報じてほしい。たとえば、この社会に蔓延している怨念やルサンチマン、恨み、怒り、不平、不満などについて報じ、その処方箋を視聴者と考えるようなことはできないのでしょうか。
今回の事件でいえば、「容疑者がなぜ人を殺すにいたったのか」を腰を据えて調査するとか、地域住民の不平不満を警察が聞き流していたこととか、被害者の遺族の怨念はどのように解消されていくのか(いかないのか)などなど……。銃規制の強化をとなえる声によって、もっと大事な論点が覆い隠されてしまうのではないか、とすこし危惧しています。
日乗 | コメント (0)
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