2008年3月10日 (月)
治りました!
墨東病院の東京ERに運び込まれたのが一週間前のこと。その後、抗生剤を飲んで腸の炎症をちらし、現在、ほぼ完治しました。
それにしても、入院するときに看護師から、何度も何度も「保証人は誰ですか?」「ご家族は?」「身内は?」と聞かれて辟易しました。「いません」と答えると、看護師の表情が一瞬、曇るんですよ。入院を申し込む書類にも、保証人を記入する欄があり、「いない場合は、空欄でいいんですか」と私がたずねると、看護師は「ほんとにいらっしゃらないんですか?」なんていうわけです。
だから、はじめの看護師には、これこれこういうわけで「いません」と説明をしました。でも、時間が経つと別の看護師が来て、また同じことを聞いてきます。とにかく腹が痛かったので、このときはあまり腹がたちませんでしたが、あとから考えてみると「?」です。
たとえば、診療費や入院費を払わないで患者が逃げた場合には、保証人に立て替えてもらう。だから保証人が必要なんだという話なんでしょう。それはそうなんですが、保証人がいなくったって、診療費などをしっかりと払う人もいるわけですから、そういう人に対して「保証人、保証人」と騒ぐのは、ちょっと筋違いなのでは。付き添いに来てくれる人がいない、すなわち親類縁者などの「保証人」的な人がいない患者だって、ときにはいるんですよ。
たしかに、いま住んでいる浅草の部屋を借りるときにも、会社の運転資金を借りるときにも、「保証人は誰?」という話は出ました。でも、結局のところ、部屋は保証人システムみたいなもの(お金で保証人を買う、みたいなシステムですが)で何とかなるし、国民生活金融公庫も保証協会も保証人なしで百万単位のお金を貸してくれました。
そういうのはレアなケースなんでしょうか。日本の社会には、「バックボーンがはっきりしていない人はダメ」という伝統があり、その伝統はいまも根強くはびこっているような気がします。人びとの大多数は、親兄弟や配偶者がいたりするので、そうなってしまうのは仕方がないことなのかもしれません。しかし、そろそろ「バックボーン」にこだわらず、「本人」を見て、物事を判断してくださいよと言いたくなります。
まあ、こんなことを書いても、「バックボーン」重視の風潮については、空気のように漂っているので、何も変わらないんでしょうけれど。孤児だったり被災者だったりして、親類縁者などの保証人がいない人が、保証人が必要なアクションを起こしたいときには、行政によるアファーマティブ・アクション(保証人がわりになる、とか)などがかあっても、いいんじゃないのかなあと思ったりします。というのは冗談ですが……(笑)。
さいわい、私の周りには「いざというときには保証人になるから」といってくれるありがたい方が、何人かいらっしゃいます。私には親類縁者はいませんから、もちろんそれ以外の方です。とはいえ、いまはその気持ちだけをありがたく受けとり、基本的には「バックボーン」を重視する人たちや会社に対し、「本人を見てよ」と抗っていきたいところです。限度はあると思いますが。
親類縁者がいるのが当たり前の人があまりにも多いので、あえて抗っていかないと、親類縁者がいない人がいるということ自体に、誰も気づかないような空気が世の中にまん延していますからね~。私が入院した病院は、あきらかにそうでした。そう書いておきながら、困ったときには、「やっぱり保証人になってください」なんて泣きついてしまうかもしれないんですが(笑)。
日乗 | コメント (5)
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保証人制度、保証人制度は他の国と較べてどのようなメリットとデメリットがあるのか。家を借りるにしても敷金、礼金など地域独特の慣習がある。病気になったときも同じような状況 続きを読む
受信: 2008/03/10 13:39:01























コメント
とりあえず退院よかったですね。
ERと聞いて驚きました。どうぞご自愛下さい。
保証人のお話、私見ですが
「「本人」を見て、物事を判断してくださいよ」
というお考えは、全面的に展開されると、この国のことです例の「自己責任」に話がすり替えられてしまいかねない気がします。
立岩真也氏がよく言うように「必要な人に必要なだけ」というニーズの原理に立って、大枠では保証人の制度を維持しつつも、個々具体的なケースによっては、社会福祉法人とか地方自治体とかが保証人となるような制度設計があってもいいと思います。
投稿: ざんじ | 2008/03/10 7:57:21
ざんじさん、コメントありがとうございます!
「本人を見て」の論理は、自己責任論と親和性があるというのは、おっしゃるとおりです。でも、そういうことをいっていられるのは、保証人がいて、安心できる人の論理でもあります。
おそらく、ざんじさんも世の多くの人も、保証人がいなくて困るという経験がないのでは。いなくて困っている側から見ると、他人に保証人となってもらうのはたいへんですし、それをケアするような制度はありませんから、まずは「本人を見て」の論理になってしまいます。
赤木さんの「希望は戦争」とほぼ同じ意味で、「本人を見て」というのは物のたとえとして記しました。しかし、赤木さんにしろ私にしろ、そんな反感を買う可能性のある物のたとえを「せざるをえない」ところに、問題の根深さがあるんだと私は思っています。
立岩さんの「ニーズの原理」は、たいへん立派な提案だと思います。でも、いくら立派で優れた提案であっても、「いまここ」で困っている人にとっては、単なる机上の空論でしかありません。それでも、立岩さんが目指すような社会になったらいいなあ、と私は心の中で思っているのですが……。
番組情報、教えてくださいね~!
投稿: lelele | 2008/03/10 9:35:44
退院おめでとう、まずは、御自愛下さい、
保証人制度もメリットがあるわけで、
「「本人」を見て、物事を判断してくださいよ」=自己責任=国民総背番号制(住基カード)とかそちらの制度設計に重心を移すかどうかになるでしょう。
そもそも、「「本人」を見て、物事を判断してくださいよ」いう断念から近代の制度設計はスタートしたわけで、その地点からの装置・制度で最適化を考える。
僕の老母が正月倒れたのですが地域の民生委員がすぐに飛んできてくれました。民生委員の身分はわかりにくいところがありますが、救急車を呼んだ時点で地域の民生委員は状況をある程度状況を把握しているかもしれません。個人情報の問題もあるけれど、情報をある程度公開することによって、出来る限り行政のサービスを効率的に引き出す。僕は住民から評判の悪い住基ICカードをいち早く作ってもらいましたよ。年金問題も結局情報公開と個人情報の問題がからんでいる。
そのような<関係性>があっても自恃として、思想として、利用しないのもわかるけれど、僕だったら殆ど確実に友達に保証人を頼むでしょうね。それか民生委員に相談する。
とにかく、一人で問題解決しようとしない。僕は東京時代も救急車を呼んだことがありますが、色んなところに電話をしましたよ。
投稿: 葉っぱ64 | 2008/03/10 9:58:33
leleleさんの書き込みと後先になってしまい、
上のコメントに少し付記します。
そのような<関係性>から断念しているなら、
僕もそんな視点があったから、むしろ、結果として国が保証する国民総背番号制(住基カード)を積極的に推進することで、
従来型の保証人制度の代わりになるんではないかということがあります。
だから、赤木さんや、leleleさんが、住基カードを推進するのならわかるのですが、そういう人たちにとっても評判が悪い。
投稿: 葉っぱ64 | 2008/03/10 10:08:21
まずは退院おめでとうございます。
自分の、交通事故→救急病院→足縫合→車椅子上に放置という経験を思い出してしまいました。
「保証人」以前に、引き取って介護してくれる家族がいないって事が「想定外」みたいでした。
件の看護師さんも「保証人の欄が記入もれだ~」ぐらいの感覚だったのかも?でもそれって自分の信用を否定されてるように感じますよね。
保証人紹介所という商売が成り立つ現在、保証人制度自体が形骸化してる?リスクを適切に評価して、対応できれば良いのでしょうが…
投稿: ぼう | 2008/03/11 2:57:32