2008年4月22日 (火)
本日のつれづれ
■携帯電話を床に置いて充電していました。ちょっとしたはずみで、折りたたみ椅子が床に倒れ、携帯電話を直撃……。電源は入るものの、液晶が壊れ、画面にはインクをこぼしたような図柄が表示されるのみ。そのとき、電話がかかってきたので、「入」ボタンを押してみたら、普通に通話できました。でも、これじゃあ使えませんなぁ。今回、壊れてしまったドコモのF902iは、愛着のある機種でした。いちど702シリーズに機種変してるんですが、それを人にゆずり、F902iを使い続けていました。ワンセグも音楽もいりません。カメラと電話とiモードが使えるような安い携帯って、あるんですかね。探してみよ。
■日曜日の真っ昼間に、フジテレビが「ザ・ノンフィクション」という良質のドキュメンタリーを放映しています。先々週と先週の2回は、韓国人男性と結婚した(結婚する)日本人妻の話でした。国際結婚というのは、定住する国の側の親族が、よほど他国から来た側の妻(または夫)を気づかわないと、なかなかうまくいかないものなんだなあ、と思いました。カンボジアにいたときも、日本人とカンボジア人が結婚する姿をよく見ましたが、カンボジアで暮らす場合は日本人がたいへんそうでした。まあ、国によって多少の違いはあるんでしょうけれど。
■でも、「ザ・ノンフィクション」という番組名はいかがなものでしょう。たしか先月、「週刊金曜日」の書評で石井光太著『物乞う仏陀』(文藝春秋)を取り上げましたが、同書のオビに「衝撃のノンフィクション」とか書いてありました。だから、書評では本の内容を高く評価したうえで、「書いたものであれ撮影したものであれ、人が編集したものは全部フィクションじゃん」という主旨の文章を書きました。つまり、「ノンフィクション」だということをうたい文句にするのは、愚の骨頂だと思うわけです。本がよいかどうか、また番組がよいかどうかを評価するときに、フィクションかどうかなんて、ぜんぜん関係ないっすよ。
■最近、発売になった雨宮処凛・佐高信著『貧困と愛国』(毎日新聞社)ですが、冒頭から赤木さんの話題で盛り上がっていると聞きました。はやく読まなければ!
■いやまあ、校正してるとブログの更新が進みますなあ(笑)。
日乗 | コメント (1)
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コメント
ノンフィクションかフィクションか。
編集という「主観」が入った時点でフィクションであるだろうけど、それは、取材時点でも、感じます。誰かに話を聞いた時点で、語り手の「主観」が入り込み、どこまでが事実で、どこまでが事実でないのかわかりません。語り手が語ったことは事実と確認できますが。
また、執筆する際にも、すべてを書くわけではありません。書かなくてもよいと判断したら、その部分は書きません。しかし、別の人にとっては、その部分が重要なのかもしれない。その判断の正しさは誰にも証明できないだろうって思います。
新人記者時代、同じものを取材した他社の記者の記事を読むのを日課としていましたが、「あ、この記者は、このコメントを使ったか。こっちのがいいか」と思うこともしばしば。今でも、同じものを書くときに、他の人の記事は読んだりしますが、新人のときと同じように、何が一番よい選択なのかはわからないだろうな。
投稿 渋井 | 2008/04/22 1:37:00