双風亭日乗

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2008年6月 2日 (月)

同志の死

1990年7月。カンボジアに到着した私がすぐに探したのは、当時6人しかいなかった日本人のみなさんでした。

そのなかの一人に、馬清(うま きよし)さんがいたのです。馬さんは、日本国際ボランティアセンターのスタッフとして、首都プノンペンの自動車整備工場で技術指導をしていました。

部屋を訪ねると、いつもニコニコして私たちを出迎え、冷蔵庫からハイネケンビールを取り出してくる、とても気のいいおっちゃんでした。カンボジアの行く末について話すと、「自立してもらうために、何ができるのか」と真剣なまなざしで語っていたのが印象的です。

私が同国に滞在した12年のなかで、何かあれば相談にいったり、議論をかわしたりするような、いわば同志のような存在が馬さんでした。まぁ、馬さんは私のことを、生意気な小僧だと思っていたのかもしれませんが。

私が同国を離れてからも、馬さんが「JHP・学校をつくる会」の現地代表として働いていたことは、風の噂で聞いていました。ところが……。

同国に滞在する友人が送ってくれた5月28日付のメールに、「緊急、馬さん急逝」というタイトルがあり、ぶったまげてしまいました。もう6年くらい会っていなかったものの、私のなかでは同志である馬さんが、急に亡くなってしまった。ショックでしたね、さすがに。

その友人が、葬儀の様子を以下のように伝えてくれました。

馬さん、60才だったそうです。
馬さんの告別式が、31日土曜日午後行われ、ワットランカで荼毘に付されました。
プノンペンの、今にも雨の降りそうな、雨季の蒸し暑い雲の中に、馬さん、煙となって消えていくのをみました。

5月30日の朝日新聞によると、5月26日に「風邪で体長を崩して、休んでいた」とのこと。
カンボジアで学校建設、馬清さん死去 ボランティア20年

 【バンコク=柴田直治】カンボジアで20年以上にわたって職業訓練や学校建設のボランティアに携わってきた「JHP・学校をつくる会(東京)」プノンペン事務所長の馬清(うま・きよし)さん(60)が28日、プノンペン市内の自宅で病死した。

 東京で自動車整備工場長をしていた87年、請われてカンボジアへ渡り、日本国際ボランティアセンター(JVC)の一員として、現地の若者に自動車整備を教えた。01年に同会に転じ、学校を建設して寄付する事業の先頭に立っていた。プノンペン日本人会の初代会長も務めた。

 26日から風邪で体調を崩して、休んでいたという。

 葬儀は31日午後、プノンペン市内で。国内の連絡先は、東京都港区浜松町1の25の11、宮下ビル4階の同会。

(asahi.com 2008年05月30日20時53分)

急に死んじゃうなんて、馬さんらしいなあ、と思いつつ、そんなところで馬さんらしさを発揮しなくてもいいじゃん、なんて思ったりしました。

言葉もわからず復興前のカンボジアに入り、以後、20年間も同国にボランティアを職業として滞在しつづけるなんて、そう簡単にできることではありません。ふつうの日本人は、数年で音を上げて帰国してしまうんですから。

煙になった馬さんは、きっと空のうえでもボランティアをするんじゃないのかなぁ。そんなことを思いつつ、合掌。

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