双風亭日乗

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2008年7月15日 (火)

「小学校でエコ」への疑問

数日前に、ある小学校が「エコ憲章」なるものを制定し、子どもたちに対してエコロジーの思想を啓発している光景をテレビで観ました。いやいや、啓発しているというか、子どもら自身が委員会のようなものをつくり、いかに「エコる」(エコロジーを実践する、という意)かを提案し、それをほかの子どもたちに実践させていました。

皮肉な私は、この映像を観ながら、ポル・ポト時代のカンボジアを思い浮かべてしまいました。国力を上げる(→エコる)。そのためには米を増産する(→ゴミの分別を進める)。オンカーの指示には従う(→上級生の指示には従う)。しかし、末端の人々は国力を上げる理由を知らない(→下級生らはエコることの意味をあまりわかっていない)。そんな構図ですか(笑)。

いまや「エコ」という言葉は、営利企業がそれを広告や宣伝に取り入れるだけで、なんとなくいいことをしているという雰囲気をつくる記号となっているような気がします。エコな車、エコな電車、エコな家、エコな商品……。なんだこりゃ。

ずっと前から節約していた事柄に、わざわざ「エコ」をつけて、企業活動に付加価値がついたような印象を消費者に与えている場合もあります。そういう意味で、「エコ」はマジックワードにもなっています。

たとえば、電力会社に聞いてみたいですね。大口の客に対して、一定の電気代だけ払ってもらえば電気が使い放題といったサービスがあると聞きます。具体的には、基本料が一般より高いが、使用量が格段に安いという感じです。そんなサービスをうけている企業の人びとは、節電なんかする気にはならないでしょう。ガスも水道も同じです。

大口の客とは、いうまでもなく市場で販売する商品をつくっている企業が多いんでしょうね。供給する側は、電気やガスや水を節約する気が起きないようなサービスを提供する。需要する側は、そのサービスを利用して、言い換えれば電気やガスや水をじゃぶじゃぶ使って、商品をつくる。そして、その商品がエコな商品として売られたりしている……。

以上は、あくまでも私の想像で書いてみたものです。とにかく、商品名やサービス名に「エコ」と付ければ好印象となり、売れるという思惑が、最近の企業広告などからひしひしと伝わってきます。なんだか偽善的なんですよね。これだけ世の中に「エコ」の文字が広まっていると、以上のようなことが気になってきます

まあ、「エコロジー」という言葉の定義に、「なんとなく環境に配慮していると思わせる商品につける記号」とか、「製造過程では環境に配慮せず、商品自体は環境に配慮している商品につけてもよい記号」なんていうのを加えればいいのかもしれませんが。

結論をいえば、無理して「エコ」なんて言葉を使わなければいいんだと思います。たしかに、世の中の人が「エコ」を実践し、環境に配慮し、地球の危機を認識するのはたいせつなことでしょう。しかし、ちまたに出回る「エコ」には、上記で書いたような意味も含まれていることや、政府が環境に対する危機意識を煽り、企業が「危機回避のため」と称する「エコ」を商品化していることも事実です。

そういう意味で、「エコ」はよいことだと信じている教師が、その考えを子どもに押しつけ、子どもらが喜々として「エコ」を実践しているという構図に、私は疑問を持たざるをえませんでした。それをよいことだと解釈し、だらだらと報じているテレビにもあきれます。

「エコ」はいいことだ、と教師が思うのは勝手です。でも、それを子どもにも実践させようと思ったときに、「エコ」が教師による子どもへの善意の押しつけになってしまっているのでは。教師が、「エコ」は「エコ」でも、うさんくさい「エコ」もあるんだよと子どもに教えていれば、話は別ですが。

子どもは、おとなの説明を鵜呑みにします。子どもは、おとなの指示にしたがいます。だから、ポル・ポト政権は、子どもの洗脳教育に力を入れました。おとなが指示すれば、子どもはいとも簡単に人を殺すようになります。だから、何かを説明したり指示したりするおとなは、思慮深くならなければなりません。当たり前のことですよね。

指導要領がころころ変わったり、モンスター・ペアレントが急増するなど、教師を取り巻く環境は厳しくなる一方のようです。でも、だからといって善意の押しつけをしていいという話ではありません。ぜひ押しつける前に、その善意がほんとうに「善」なのかどうか検討してもらいたいものです。

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「小学校でエコ」への疑問:

コメント

今日はじめて読ませていただきました。

「エコ」という言葉にはなんとなく、そ背後にあるものを深く考えることを忘れさせちゃう効果がありますよね。
政府からメディアから教師から親から子供までみんなが「エコ=正義」の図式の元に行動するようになっているような。
「エコ」に疑問を唱えただけで、「お前は反エコだ!」と言われるようなことにはなってほしくないなぁと思っています。

投稿: はるみす | 2008/07/15 8:13:46

「エコ」という言葉は広い意味で使われているようですね。企業が乱用して悪いイメージがついているかもしれませんが、本来前向きな言葉であると思っています。

小学生が何のことかわからずに実践することは問題かもしれませんが、実際のところは先生がちゃんと説明しているのかもしれません。
また金儲けが目的ではないので、企業が行う「エコ」とは別の目で見てやらないと、行動を起こしている人たちに失礼だと思います。

私にも子どもがいますが、彼らが大人になった時の地球のことを考えると、何か少しでも環境にやさしいことをしてあげたくなります。

もしこのコラムを文中の小学生たちが読んだらどうでしょうか。

何もわからずに「エコ」を実践している人より、「エコ」を実践している人を否定している人の方が問題だと思います。

投稿: LL | 2008/07/15 13:14:53

では、言葉を入れ替えて考えてみましょう。

「何もわからずに『人殺し』を実践している人」がいます。実際、ポル・ポト時代のカンボジアには、そういう人がたくさんいました。これはLLさんがお書きになった子どもの立場ですね。
そして「『人殺し』を実践している人を否定している人」がいます。これはLLさんがお書きになった私の立場ですね。

「エコ」と「人殺し」は違うと思われるかもしれませんが、私が重視しているのは「何もわからずに」という部分ですから、その意味では言葉を「エコ」にしても「人殺し」にしても同じです。

たしかに、教師が子どもに「エコ」の汚点を説明している可能性はありますが、「わざわざそんなこと説明しているのかなあ」という思いが私には強いんですよ。

あと、このコラムについては、小学5年生でも読めるようなものにしたうえで、ぜひ小学生たちに読んでいただきたいと思っています。

投稿: lelele | 2008/07/15 15:15:49

>「エコ」と「人殺し」は違うと思われるかもしれませんが、私が重視しているのは「何もわからずに」という部分ですから、その意味では言葉を「エコ」にしても「人殺し」にしても同じです。

では「エコ」を「人助け」に置き換えてみてはどうでしょうか。
何もわからずに人助けをしている子どもたちを否定しているということではないですか?

そもそもleleleさんが「エコ」をそこまで憎む理由がわからないのです。確かに企業の金儲けの道具に使われているのは否定しませんが、今みんなが実践していかなければいけない事のように思えるのです。

エコ商品が売れるのは、地球のことを考えている人が多いからかと言うと決してそうではなく、電気代が安くなったり、ガソリン代が安くなったりと、個人レベルでの利益しか考えてない人たちが買うのでしょう。私もその一人かもしれません。
しかしそれが地球環境保護につながるのならいいことだと思いませんか?

企業がエコ商品を作るのに資源を湯水のように使うと言いますが、エコ商品を作らなくてもそれは同じだと思うし、ISO取得の絡みで何かしら資源の無駄遣いは避けるようにしているはずです。


ちょっとleleleさんの例えを変えて表現してみます。
お金は世の中に必要なものだと思いますが、お金が原因でトラブルが起こってしまうこともあるでしょう。
ただそのことだけを強調して、「お金は悪い、お金は悪い。
何もわからない子供達にお金の使い方を教えるなんて。」
って言う人はいないと思うのです。

地球のことを心配するのがそんなに悪いことなのでしょうか。

投稿: | 2008/07/15 16:26:02