2008年7月16日 (水)
「よい」って、なーに?
今回は、「『小学校でエコ』への疑問」という記事に対していただいたLLさんのコメントに応答します。議論の流れについては、お手数ですが同記事のコメント欄を読んでいただければ幸いです。
まず、何もわからずに人助けをしている子どもがいたら、私は何で人助けをしているのかをわかってもらうように、どうにかしたいと思いますね。無条件にその子どもを肯定することはできません。
その理由は、「人助け」が「人殺し」にもなる可能性があるからです。
正直いってエコとかどうでもいいんですよ。もちろん地球のことを心配する人がいてもいいし、私自身もできる範囲でエコを実践しています。
しかし、ここでの問題は、善意を押しつける側と、押しつけられる側の気分のズレとでもいうものです。LLさんが「よいことだ」と思って誰かにやってあげたことが、誰かにとっては迷惑であったり不必要であったりすることは、実際にありえます。
でも、あくまでもLLさんは善意でやってあげたことですから、やられたほうは文句が言いにくいので、迷惑だけど泣き寝入りする場合があります。また、やられたほうが正直に「それは迷惑だ」といった場合、善意で何かをやった側は「よいことをしてあげたのに、なぜ迷惑なのだ」と怒りだすかもしれません。これは逆ギレといわれるものですね。
だから、善意の押しつけはタチが悪い。押しつけたうえで、文句をいわれると逆ギレですから。カンボジアにボランティアで来ている人には、善意の押しつけ気分で滞在している人がたくさんいました。そうでない人も、少なからずいましたが。
ようするに、自分が「善」だと思っていることほど、他人に施したり教えたり押しつけたりするときには、思慮深くなったほうがいい、と私は思うのです。これは、けっして「善」なるものを否定しているわけではありません。よいことは、進めたほうがいいんでしょう。
ただし、何かが「よい」と考えている人は、その「よい」っていったい何なのかを、よーく考えたうえで「よい」と判断してほしい、ということですね。世の中にはいろんな人がいて、それぞれに「よい」という基準があり、その「よい」の違いをわかることからはじめないと、相互理解なんて無理なんだと思うわけです。
逆に、「人殺し」という、一般的には「悪い」と思われていることも、場合によっては「よい」と解釈されたりするんですから。紛争やテロが絶えないのは、何が「よい」のかという価値を、遠くにいる他者の存在を無視したかたちで押しつけるからなんだと思いませんか?
「エコ」をたとえに使ってしまったことにより、論点がズレてしまったような気がします。わかりにくい展開になってしまい、申し訳ありません、LLさん。
日乗 | コメント (16)
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コメント
それでもなお、なにかを無理やり注入しようというのが白井聡さんの『ミカンのレーニン』および松枝監督の『童貞。をプロヂュース』のテーマなんでしょう
レーニンの力って童プロのカメラのことなんだと気がついた今日この頃。
投稿: 鮭缶 | 2008/07/16 3:45:03
わたしもエコ大合唱の風潮に違和感を感じています。
「地球を守ろう」ということばに絶対善のにおいがあるから。
「環境を守ろう」
すばらしいことばです、考え方です、それはわかる。
わからない人なんていないんじゃないかってくらい、わかる。
わからない人はおかしいんじゃないか、っていうくらい。
でも、だからこそ、
そういっただれもが無条件に承服せざるをえないことばが掲げられ、
行動がうながされるとき、
人はおどろくほど簡単に、
盲目的にも傲慢にも残酷にもなってしまうのではないのでしょうか。
ペットボトルのリサイクルはほんとうに環境のためになっているの?
子供がそうした疑問を抱いたとき、
はたして大人はきちんと「ほんとうのこと」を答えられるでしょうか。
開発途上国の、
「たとえ環境が悪くなってもいい。
あなたがたと同じレベルの生活をしたい」
こうした希求に、
これまでそうした国の資源と労働力をいいように利用してきた先進国は、
はたしてどう応えることができるでしょうか。
地球を守ろうという絶対善のことばが、
社会保障がずたずたになった格差社会の問題を、
糊塗するのに使われてはいないでしょうか。
昨今の個人レベル地域レベルのエコロジー活動は、
「お金を払ってボランティア」しているように見えます。
そのお金はどこへ流れているのでしょう。
論理ではないかもしれません。
でも、わたしはそう感じます。
嗅覚による直観でしかないのかもしれませんが。
長くなってしまいました。
すみません。
投稿: 猫之助 | 2008/07/16 5:26:28
なるほど。
私に理解力が足りなかったのか、ここまで説明してもらってやっと真意がつかめてきたような気がします。
公衆トイレで、次の人の為にとトイレットペーパーを無駄遣いするのをやめるという行為は単なる自己満足で、更にその行為を人に強要するのは迷惑な話かもしれません。
猫之助さんもおっしゃってるように、今行っているエコ活動が本当に地球のために役立っているかというと、そうでないかもしれません。
私達がしなければならないのは、私達が何をすべきかを皆で考えるということなのでしょうかね。
しかしこれも善意の押し付けになってしまうのでしょうか。
投稿: LL | 2008/07/16 9:28:56
「皆で」考えてどうするんですか。あなたが考えないといけないのに。
「皆が」考えましょう。
投稿: LR | 2008/07/16 9:58:07
後ほど、僕のブログでエントリーしますけれど、
町内で今年の2月からプラスチックの分別を行い、
四市合同の廃プラ工場に処理してもらっているのですが、
最近の毎日新聞の特集記事で、「寝屋川病」という廃プラ処理に起因するかも知れないという問題提議がありましたが、
司法判断は9月18日に下されるらしいが、
リサイクル問題は深入りすればするほどわからなくなる側面がありますねぇ。
僕なんか、素人判断かもしれないが、出来るだけ高い煙突を街のど真ん中に高熱処理する焼却施設を設置して、その熱エネルギーで温泉、温水プール(東京の赤羽にありますよねぇ)を開設して、市民サービスする施設を設けるのがベターだと思うけれど、どうなんだろう。その施設の中に図書館でも設ければ余計、ベターです。焼却施設を郊外ではなく、それこそ、市役所なんかがある中心とか、駅前のモール街に隣接して焼却熱エネルギーを空調に利用するとか、そういう事は出来ないのでしょうかねぇ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080710-00000149-mailo-l27
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080711-00000128-mailo-l27
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080712-00000175-mailo-l27
投稿: 葉っぱ64 | 2008/07/16 11:04:59
>LRさん
もちろん皆が考えるのは必要だと思います。
ただ今回の議論みたいに、何が本当に役立ち、迷惑にならないのかは、皆で考えないと、各個人の考えでは相違が生じてしまうと思います。
今回は皆さんに勉強させてもらいました。
投稿: LL | 2008/07/16 11:08:16
なるほど、モンスターペアレントとかクレーマーとかってのも同じ根っこかもしれないですね(それらが最近本当に増えてるかどうかは別にして)。
「子どものために俺は怒ってるんだ!」というポーズを見ながら、実は子どもにとっては何の役にも立ってないとかいうことがあるのかもしれない。
投稿: yamazakura | 2008/07/16 12:17:03
冷静に読み返してくると、失礼なことをしてしまったと反省しています。
人のブログに土足で立ち入り、自分と意見が違うからといって自分の
主張を押し付けていたことに気付きました。
yamazakuraさんのおっしゃる通り、まるでクレーマーだったと思います。
私はすぐに熱くなってしまい、冷めてから後悔することが多いです。
これからは、自分の主張をする前に、じっくりと相手の主張を理解し
受け入れた上で、謙虚に主張したいと思います。
どうもありがとうございました。
投稿: LL | 2008/07/16 16:47:16
【動 画】人気グループ「KAT-TUN」田中聖、またもやA∨女優との密会!?
某週刊誌が田中の自宅マンションで帰宅を待っていたところ、女連れで帰ってきた。
http://kat-tunav.blogspot.com/
記者が「彼女」が何モノか気づいたのはこのあと。なんと、田中が家に連れて帰ってきたのは超売れっ子女優の○○だったのだ。
http://kat-tunav.blogspot.com/
投稿: 【動 画】「KAT-TUN」田中聖、またもやA∨女優との密会!? | 2008/07/16 18:51:32
LLさま
私もよく失敗するので、自戒を込めて書いております。あまりご自分を責めないよう。
なお「クレーマー」というのは直接的にはお店とかで騒いでる人をそのものズバリ指してるので、LLさまがあまり気にされると私も申し訳ない気がいたしますので(汗
投稿: yamazakura | 2008/07/16 23:32:37
乗り遅れた感ありありで申し訳ありませんが、
「いいこと」といわれれば何でもしてしまうことの問題っていうのは、それが人助けでもエコでも人殺しでも、その善悪にかかわらず「いいことなら何も分からずに何かをする」ことに慣れてしまうと、その「いいこと」がエコから戦争や人殺しに変わっても平気で何でもできてしまう、ということではないでしょうか。
あと、
>皆で考えないと、各個人の考えでは相違が生じてしまうと思います。
という、「相違があってはいけない」というのはとても怖いと思うのですが・・・
相違があっていいじゃないですか、全員が「これが正しい」と思っている方が危険です。
投稿: はる | 2008/07/17 6:18:13
>yamazakuraさま
気にかけて下さってありがとうございます。
今回のことは前向きに捉えることができています。
今までは後輩とかにも頭ごなしに叱り付けていたことがありましたが、相手の主張も十分理解しないといけないことや、人それぞれ考え方があることに気付かされました。
これからの私の人生に大きな影響を与えた出来事だったと思います。ありがとうございました。
leleleさま(管理人さま?何と及びしたらいいのでしょうか)にも感謝しています。
>はるさま
言い方が悪く、誤解を与えてしまったかもしれません。
人それぞれの考え方があるので、相違はあると思います。
私が言いたかったのは、個人がばらばらに考えてそれぞれのやり方で行動を起こすと、自分はいいと思って行っている行動も、実は他の人から見ると善意の押し付けと捉えられるかもしれないので、みんなが納得できる方法をみんなで話し合っては?と言う意味です。
「相違があってはいけない」というと、「他人の思想を否定し自分の思想を強制させる」というような意味になってしまい、私の本意ではなくなってしまっていました。
日本語が下手で誤解を招いてしまい申し訳ないです。
※そもそも日本語がへたな私がこのような場所で
発言したのが間違いでした。以後気をつけます。
投稿: LL | 2008/07/17 9:03:38
LLさま
日本人は日本語が下手な人ばかりです。藤沢周平や福岡伸一のような文章が書ける人は例外でしょう。反省はとても素敵なことですが、発言することは間違いではありません。以後も気をつけないでどんどん発言して、日本語を磨いてください。あなたの文章を読み久しぶりに爽快な気分になりました。
投稿: アーサー | 2008/07/18 10:59:43
>アーサーさま
そうですね。今回勉強させてもらったことを考えると発言は間違いではなかったかもしれません。
ということで、もう少しだけ発言させて下さい。
皆さんのお考えを聞き、理解できたことが多いですが、よくわからなくなってしまったこともあります。
それは学校教育というシステムについてです。
私達は小さい頃から義務教育を受け、何の役に立つかもよく理解できないまま、算数などいろいろな授業を受けてきました。
小学校1年の頃なんて、何の役に立つか説明されたとしても、多分理解できていなかったと思います。
そして私達は教えてもらった知識を活かして今暮らしています。
ありがたみを感じることは少ないですが、教えてもらったことに対して後悔している人はほとんどいないと思います。
しかし学生時代というのは、大抵遊びたい気持ちでいっぱいで、頼んでもいないのにものを教えられるというのはありがた迷惑だと感じたかもしれません。
果たしてこれは、教師(若しくは学校教育という制度を作った人たち)の善意の押し付けということになってしまうのでしょうか?
今までの自分であれば、100%違うと言い切っていたでしょう。
しかし今の自分は、世の中にはいろんな考えの人がいるので、違うとは言い切れないと思っています。
勉強したい子供だけに教えればいいという人もいるでしょう。
それに教育で得た知識を人殺しの兵器を作成するのに利用する人が現れるかもしれない。
良かれと思ってやっていることも、人殺しに繋がる可能性があるということも気付かされました。
一体何がよくて何がいけないのか。
考えれば考えるほどわかりません。
結局は、ある一部の人たちが非難してもやり遂げないといけないことがあるということでしょうか。
一部の反例を恐れ、全てを否定していては、世の中が成り立たないということでしょうか。
これが民主主義の良くもあり悪いところなのでしょうか。
このようなことばかり考え、自問自答し、悶々としています。
また性懲りも無く発言させてもらいましたが、leleleさまに対しての反論とかではないのでご了承下さい。
純粋にこの気持ちを誰かに聞いてもらいたかっただけです。
投稿: LL | 2008/07/18 13:31:25
LLさま
純粋に気持ちを聞いてほしいということですが、よくわかります。私は学校嫌いでしたから、学校は富国強兵の制度だった、学生服は軍服のなごりだというのも納得。強制的でも知識を授けていただいたことには感謝しています。自分ではなかなか進んでは記憶しようとは思わなかったでしょうから。よくわかるともうしあげましたが、理解は誤解の一種に過ぎないといわれています。朝青龍は好きですが、豊ノ島が破ったときは、思わずやったと思った感じ、茂木先生のクオリアに近いかしら、のような共感です。斉藤環先生の茂木先生へのつっこみはおもしろく、返信を楽しみにしています。私はラカンに救われたような気がしますが、クオリアは捨てがたいです。ああいわれればそうかと思い、こういわれればそうかと思う迷い人です。
投稿: アーサー | 2008/07/19 9:13:46
みなさま、貴重なコメントをありがとうございました!
投稿: lelele | 2008/07/20 21:27:41