双風亭日乗

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2008年8月30日 (土)

続・志ある青年のアフガニスタンでの死に思うこと

「志ある青年のアフガニスタンでの死に思うこと」というエントリーに、いくつかコメントがつきました。いずれも、私の書いたことは「見誤っている」という主旨のものです。すこし説明不足の部分があったかもしれませんので、コメントに答えるかたちで追記いたします。

戦争も紛争も内戦も、なければいいに決まっています。私もそう思っています。でも、争いごとが起こる原因は複雑怪奇であり、起きてしまうと歯止めがきかなくなる場合が多く、そう簡単にはなくなりません。ですから、まずは「なぜ戦争がなくならないのか」を考えることは、重要なことだと思います。

また、治安が悪い戦争・紛争・内戦地域のことを考えるときに、戦争が悪いとか、戦争をなくそうと考えるのは自由ですし、そう考えたくなる気分もわかります。でも、そういった地域で実際に活動する場合、戦争の複雑さをショートカットしたうえで「戦争が悪い」とか「戦争をなくそう」という飛躍した考えを持つことが、「自分は正しい」という思いこみを抱く契機となり、その思いこみが「死」への第一歩になったりする場合があります。

当該エントリーでは「日本=アメリカ」と書きましたが、これは「日本人=金持ち」とか「外人=治安の認識が甘い人たち」といったものと入れ換えが可能です。当該エントリーでは「反政府勢力」と書きましたが、「強盗」とか「追いはぎ」といったものと入れ替えが可能です。

ようするに、当該エントリーで書いたことは、治安のよしあしに関係なく、どこの国でもありえる話であり、治安が悪い国であれば、より深く考えるべきことなのではないでしょうか。

「自分はよいことをしている」からといって、戦争状態の国で活動しても大丈夫である保証は、どこにもありません。そして、「自分はよいことをしている」と思いこむと、「だから自分は、どんなに治安が悪い地域で活動しても大丈夫だ」と勘違いしてしまう可能性が高くなる、という話です。その本人が、どれだけの善意を持っていても、その善意と現地の治安状況とは、基本的には関係がないものだと思います。党派とかは、どうでもいいんですよ。

ならば、治安が悪い国で活動をする場合に必要なことは、その活動する人が「よい」か「正しい」かということとはまったく別の次元で、現地の治安状況を的確に調査し、認識する。さらに、身の安全が確保できなければ、撤退する。そういう話じゃありませんか?

私たちがここで「戦争が悪い」とか「戦争をなくせ」といったって、そう簡単に現地の治安がよくなるわけではありません。「反政府勢力」であるにしろ「強盗」であるにしろ、相手は言葉も文化も風土も違う外国人なんです。何度も書きますが、私だって戦争なんてないほうがいいと思っているということは大前提です。それでもこんなことを書かざるをえないのは、基本的に私たちは、ほかの国のことはよくわからないという事情があり、ましてやその国の治安が悪ければ、そのわからなさが何倍にもふくれあがるからなんです。

ここでこうやってブログのエントリーとコメントをやりとりしている私たちは、そういった外国人の思いや行動を簡単には理解できないし、変えられない。マスコミに報道されていることなんて、部分的なことだけですし、どこまでほんとうなのかもわからない。私たちは、ほかの国に対して無力なんですよ、結局。繰り返しになりますが、無力である私たちが、治安の悪い地域で活動しようと思ったら、自分の考えや思いといは別に、自分の身を守る情報や手段を客観的に確保する必要があるでしょう。

まあ、これは私が内戦状態の時期を含めたカンボジアに長期滞在した結果、考え至ったことにすぎません。ですから、「見誤った」部分があるかもしれません。しかしながら、まるで流行語大賞の言葉のごとくコメントで「見誤る」という言葉を使われる前に、自分の見解がそんなに正しいものなのかどうかを、十分に検討していただきたいものです。

人に対して「見誤る」と指摘することは、「自分が正しくて、あなたはまちがっている」と指摘することとおんなじですからね。拙ブログで何度も何度も書きつづけていることは、「自分が正しい」と過剰に思いこむことの危険さと、「自分が正しい」と思ったときほど、その「正しさ」を徹底的に疑い、検証することの必要性です。

私が書いているエントリーだって、「これが正しいんだ」なんてぜったいに言いません。エントリーをたたき台にして、けんけんごうごうと議論をすればいいと思っているんです。ですから、できれば「見誤る」なんていうステレオタイプの言葉を簡単に使い、人の見解を「ばっさり」斬るようなやりとりではなく、「あなたはこう書いたが、自分はこう思う。ならば、どうしたらいいのだろう」とおたがいに考えつづけることができるようなやりとりが、このブログでできたらいいなあ、なんて思っています。

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コメント

今回も自己責任論を振り回したクチがmixi日記などに多少いたようで頭を抱えました。もちろんそれに対して反論も多かったのですが、ただ「高遠とかと一緒にするな!」という怒り方には違和感が。どっちも自己責任で片付ける問題ではないでしょうに(それなら伊藤さんも含めすべて自己責任と主張するほうがまだ筋は通ってる)。
ひょっとして谷川さんの主張をマトモに読まずに自己責任論と混同している人も多いのかと危惧する面もあります。海外援助はオールオアナッシングみたいな二元論にはまっているような。

投稿: yamazakura | 2008/08/31 12:55:18