双風亭日乗

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2008年8月31日 (日)

続続・志ある青年のアフガニスタンでの死に思うこと

前エントリーのyamazakuraさんのコメントを受けて。

突き詰めたら、何をするにせよ自己責任になってしまうのは仕方がありません。だからこそ、それは前提なのだから、あえて「自己責任だ」などというのは愚の骨頂です。

私が言いたいのは第一に、海外で活動をする場合、日本に国籍があるという限りにおいて、日本国外務省はその国に滞在する日本人を保護するという「義務」があるということです。これは、国税を払っている日本人が受けるべき、当然の便宜です。

しかしながら第二に、海外でもとくに治安の悪い国では、思うように情報収集ができず、また現地の無頼な政治家や軍人と渡りあうこともできない結果、日本国外務省が日本人を守ってくれる状況にはないという現実があります。また、いった先の国で、大麻を吸ったり、自傷行為をするなど、逸脱した行動を起こす輩もいます。日本国外務省が保護する対象として、そういう日本人も含めるのかどうかは、疑問が残るところですし。

つまり、治安の悪い国では、日本国外務省の法人保護という活動を過剰に期待することは困難だ、ということを「承知」したうえで、日本人は滞在する必要があります。だからといって、日本国外務省の「義務」が免除されるわけでは、けっしてありません。

他国の人たちが、外国人を殺したり襲ったりすることは、たしかに許しがたいことです。とはいえ、その他国の人たちに「殺すな」とか「襲うな」と外国人がいったところで、簡単に状況が変わるわけではないという現実があります。日本人同士であっても、相手のことをわかったり、こちらのことをわかってもらうことなど、簡単なことではありません。相手が外国人であれば、なおさらです。

日本国外務省が当てにならず、外国人の言葉がどこまで現地の人たちにつうじるのかわからないのであれば、あとは自分の身は自分で守るしかありません。現地とのコネクションをつくり、情報のネットワークをつくり、行く先々が安全であるかどうかを確認し、リスクはなるべく回避する。こうした姿勢は、自分の(活動の)正当性などとは、まったく関係がないところで持つべき最低限のものだと思います。

「海外援助」は、どしどしすべきだと思います。他国に滞在すれば、自国がよく見えるということもあります。異文化とふれあうことにより、カルチャーショックを受け、よい意味でも悪い意味でも刺激を吸収することができます。滞在した結果、その国が好きになったり嫌いになったりすることがあってもいいと思います。

ただし、「海外援助」にたずさわる人が、「助けてあげている」とか「援助してあげている」という姿勢を持つことには、疑問を持たざるをえません。自分のやっている活動が、その国の人たちの役に立っているのかどうかを、たえず検証する必要があります。こちらが「役立つ」と思っていることは、そのとおり相手に役立つこともあるし、迷惑であることもあるからです。

そして、「助けてあげている」という思いこみを持つ人が、現地の人による「役に立っていない」というリアクションに出会うと、「助けてやっているのに」とか「現地の人がバカなんだ」という逆ギレや思い違いが生じてきます。そうならないための第一歩として、「援助」という言葉ではなく、「協力」とか「支援」いう言葉を使ったほうがいいような気もします。

いずれにしても、海外における「援助」であろうが「協力」であろうが、現地で困っている人が救われるようなことは、どしどし進めるべきです。しかし、そうした活動を進めるためには、身の安全が保証されていなければなりません。そして、日本人である自分の身の安全は、第一に日本国外務省の「義務」をあてにして、それがだめなら第二に自分が属する組織にをあてにして、それでもだめなら第三に自分のネットワークを使ったうえで、保証していくしかない。

そういう、ごくごくあたりまえのことが言いたかったわけなんですよ。

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コメント

お話よく分かりました。さきの自分のコメントはズレた話だったかもしれない(汗

投稿: yamazakura | 2008/08/31 22:27:09

けっしてズレてなんかいませんよ!
お書きになったような気持ち悪さは、私も感じています。

投稿: lelele | 2008/08/31 23:05:10