双風亭日乗

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2008年9月24日 (水)

「だめ連」に思う

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「オルタ」2008年9-10月号に、本田由紀著『軋む社会』の書評が掲載されました。ありがとうございます。

同誌の特集は「1995 あの年、何があったのか。」です。小田マサノリさん(イルコモンズ)と松本哉さん(素人の乱)の対談や大澤信亮さん(フリーターズフリー)と湯浅誠さん(反貧困ネットワーク)の対談も掲載されています。あと、「だめ連」の神長恒一さんのインタビューも読めます。

ひさしぶりに「だめ連」関連の記事を読みましたが、私は読みながらこんなことを感じました。「だめでいいじゃないか」とは思います。そう思っている人たちが集まったり、その思いに共感する人たちが集まるのもいいと思います。しかし、世の中の多くの人は、だめだと思いながらも働いて、自分の食い扶持を稼いでいます。

自分で食い扶持を稼がなければいけない、とはけっして思いません。だめなことが「だめ」だとも思いません。しかし、「だめ」なことをネタに「開き直る」ような振る舞うことが、どれだけ意味があるのか、私にはよくわかりません。ていうか、「だめでもいいじゃん」と思っていたとしても、開き直られてしまっては、シラけて共感する気もなくなります。

これは、「だめ」だけにいえることではなく、「貧しさ」とか「格差」をアピールするときにも、いえることだと思います。黙っていてください、とは言いません。でも、過剰に開き直ったり、ポジティブに振る舞うことは、人々やマスコミから興味本位で一時的な注目をあびることはあるにしても、アピールを長期的に継続していくための戦略には向いていないような気がします。

「だめ」や「貧しさ」や「格差」が見えない。見えないから、見えるようにしよう。そういうアクションは、すごくたいせつなことだと思います。問題をおもてに出すためには、見えなければ仕方がないし、忘れられてしまっては仕方がありません。見えるように、忘れられないようにする戦略には、「ユーモア」や「謙虚さ」や「かわいげ」がプラスに働くと思われる一方で、極端な「開き直り」はマイナスにしか作用しないと思うのは私だけでしょうか。

昔の話ですが、ある人(Aさんとしておきます)からこんなことを聞きました。某書店でトークセッションがあった。講師と一部の参加者が、打ち上げで飲みにいった。そのなかには、「だめ連」の方も何人かいた。講師は「だめ連」びいきの方で、精算の際にあたりまえのごとく「だめ連」の人は少額の支払いで、その他の人は多めに支払うべく声をかけた。Aさんは、その「だめ連」の支払いは少額で「あたりまえ」だという講師の態度と、それが「当然だ」という雰囲気の「だめ連」の方々に立腹。飲み代の支払いは、もめにもめてしまった……。

Aさんは、講師や「だめ連」の方々の「あたりまえ」という振る舞いがなければ、多めに払っても問題はなかった、と述懐していました。これって、けっこう重要なポイントだと思います。みずからの存在を指し示すために、多少「開き直る」のはいいんですよ。開き直らなければ、見えないこともあるでしょう。

でも、一方では「謙虚さ」や「かわいげ」が必要なんだと思うんですよね。ただただ開き直られているだけでは、共感したくても、する気がなくなってしまうでしょう。こんなことは言いたくありませんが、それが人間の本性ってものじゃありませんかねぇ。

一発芸のごとく開き直って、一時的にメディアで騒がれて、「終了~」ではさみしいですよね。「だめ連」は終了してしまったようですが、「素人の乱」はだいじょうぶなのかなぁ。「ユーモア」があるから、「だめ連」よりはいいような気もしますが。

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「だめ連」に思う:

コメント

去年、某書店のトークセッションの二次会で、僕は講師の前に座ったのですが、講師のお父さんより僕の方が年上っていうのもあるのか、アットホームな雰囲気で酒が強くない僕がビールのジョッキーのお代わりをしたり、某雑誌の編集長が食べているものが欲しくなり、御飯を半分頂戴したり、結局、僕が一番、呑んだり、食ったり、喋ったりしたのです。
講師の先生は若いのにビックリするほど、気配りの出来る人で、
「ユーモア」や「謙虚さ」や「かわいげ」のある人でした。
終わりの精算時に左隣に座っていた店長が一人頭千円と言ったのですが、僕は思わず、二千円を払い、右隣の某さんも二千円払い、まとめた金を某雑誌社のオーナーに渡しました。
余れば、その雑誌に寄附っていうことです。
それで、万々歳でした。
leleleさんの場合の状況がもう一つわからないが、「愛嬌」っていう言葉が若い人達に通じない場合が多いですねぇ。
それほど、余裕がないのかと思ってしまうけれど、
余裕がないからこそ、可愛げ、ユーモアが自然と出ることは大切だと思う。一休さん!
ああいう講師がこちらの首長になればいいなぁと思っているこの頃ですw。
現在の首長と確か同じ高校の出身で、北の方の大学の先生をしていますが、こちらの人ですからねぇ。
先生も就職氷河期世代です。
今の首長も若いですが、「開き直り」の臭みがあるような気がする。でも、住民のスゴイ支持を得ているから、当分突っ走るでしょうねぇ。おかげで、図書館を始めとした文化施設が風前の灯火です。街のイルミネーション計画は進めるとのこと。見えないものにはお金を使いたくないのです。
やはり、政治家には「優しい人」になってもらいたいです。
それは「見えないもの」にどれだけお金を出すかという「強い優しさ」が要請されると思う。
北の先生はあちらでも立ち上がった雑誌を支援して、時々チャリンコに乗って街角に立っている彼らに声をかけているとのことです。

投稿: 葉っぱ64 | 2008/09/24 9:39:20

「素人の乱」は内乱でも起きない限り、生き残るでしょうね。
「自分や家族の利益のために、金銭の再配分は否定したい、でもいい人ヅラしていたい」という左派のニーズに対して、「貧困でもいいじゃないか」という若者がいてくれれば、
「金銭の正当な再配分がなければ生活できない」という若者に対して「素人の乱は貧乏でも生きているのだから、ワガママを言うな」という体のいいモデルケースになってくれますから。

投稿: 赤木智弘 | 2008/09/24 12:23:06

「だめでいいじゃないか」って、バブル時代=上昇志向を下敷きとした(ホントは持つもの持ってる)高学歴のコニュニケーション・スキルのひとつ、フェイク/シャレだったんですけどね。だけど真正ダメが集まりだして底なしベタの食い合いになってフォローバランスが崩れたということです。
自分でいっぱいいっぱいで切羽詰っている人に、「ユーモア」「謙虚さ」「かわいげ」なんて服従を求めるのは、残酷というものです。

投稿: だめ界隈 | 2008/09/24 23:29:33

「だめ界隈」さんへ。
「自分でいっぱいいっぱいで切羽詰まっている人」だからといって、「ユーモアなし」で「高慢」で「ずうずうし」くていいという話ではないと思うのですが。それができないのはできないで仕方がないけれど、そうしたほうが生き残る戦略としては有効なのではないか、と書いただけです。「服従」とか「残酷」と書かれる筋合いは、まったくないと思うのですが。
しかし、これまで何度も書いていますが、人のブログに突然やってきて、「私は何でも知っている」という高飛車なスタンスでコメントを書き、自分の所在もあきらかにしないというのは、ちょっと失礼なんじゃないのかなあ。
何でもありのネットのなかであっても、まともなコミュニケーションを成立させようと思ったら、それこそ最低限の「謙虚さ」や「かわいげ」は必要だと思いますが、いかがなものでしょうか。

投稿: lelele | 2008/09/25 8:35:04

「かわいげ」と言う表現が角の立つものだとするならば、「礼儀
」「マナー」と言ってもいいのかもしれません。多めに出してもらったら「毎度毎度本当にどうもすみません、感謝しております」とか言えば済む話だったのかも。
まあ上から目線で「かわいげを持ちなさい!」とか言われたら腹が立つのも分かるんですけど、今回そうじゃないですしね。

投稿: yamazakura | 2008/09/25 16:24:47

まず、「目の前の人に便宜を図ってもらう」「人間付き合いをする」というのであれば、最低限の可愛げや対人スキルは必須です。
なにも「ダメじゃない側」の人に、ダメな人を受け入れる義務はないのですから。

しかしその一方で、可愛げや対人スキルがない人が、社会からはじき出されることは、正しくありません。そうした人たちには国がちゃんとした福祉対策を行うべきです。

つまり、この話は「対人レイヤー」と「福祉レイヤー」の2つの層をもつ話であって、この2つを明確に区分して話をしないと、「貧乏でも彼女を作って幸せに暮せばいい」とう、対人で福祉の問題から目を背けたり、「貧乏人にセックスを供給しろ」という、対人関係を福祉に持ち込むような、浮世離れした話しになってしまうのではないかと、私は考えています。

投稿: 赤木智弘 | 2008/09/25 18:40:02

なるほど、「可愛げ」は「対人レイヤー」の問題で、「福祉レイヤー」の問題ではない。
福祉レイヤーで出来ること、出来ないことをまず仕分けすることは大事かもしれない。
衣食住は福祉レイヤーに馴染むとしても、性を福祉レイヤーからはじき飛ばすのも、果たしてどうなんだろうねぇ。
「性の問題」は時として「衣食住」より大事だからねぇ。
このあたりの問題はもっともっと考えてみてもいいかもしれないねぇ。だからと言って答えを持っていませんがw。
まあ、僕のように「性は遠くなりにけり」の身体なら問題がないが、そうじゃあない人が多数だから、マジに考えるべきでしょう。

投稿: 葉っぱ64 | 2008/09/25 20:24:16

ならばかわいげとか、対人スキルとかを公教育の場で教えるってのも一案ですよね。社会人世代には職業訓練の一環としてやってもいいかもしれない。
コミュニケーション力とかいうと難しく聞こえますけど、要は人の話をちゃんと聞くとか、何か言われたらハイと返事するとかそれだけで全然違いますから、それほど教えるのは大変じゃないのかも。

投稿: yamazakura | 2008/09/25 21:10:03

私が言いたかったことに近いのは、赤木さんの見解でした。そして、赤木さんがいうとおり、問題の片面のみ取りあげたのも事実でして、もう片面からのバックラッシュはあるかもとは思っていました。補足してくれてありがとうございます。
そうなりたくても「なれない人」を、社会がどうにかしなければならないというのは正論で、「素人の乱」などは「なれる人」を対象にした集まりのような気がしていて、ところがメディアは「なれない人」の拠り所でもあるように「素人の乱」などをあげつらっているのが気になるわけです。はい。

投稿: lelele | 2008/09/25 22:13:53

社会スキルあるあなた方には通りいっぺんの普通でまっとうな説教をしたつもりなのでしょうが、それをやられて自己存在脅威に感じてしまう名もなき者がここにも確実に居ることぐらいは、認知してください。勇気をふりしぼって意見をいおうとしたら、その内容でなくまずその形式・ふるまい=マナーにおいて断罪され排除される…。そんな目に幾度となくあって居場所すらない者が、だめからはじめようという意味もこめて、だめでいいじゃないかという最低限の自己肯定をしようとしてるのです。
ただ単にご自分自身が共感できないというのならともかく、Aさんからの伝聞にすぎないのに打ち上げでの一部のふるまいや、「自分の所在もあきらかにしないで「私は何でも知っている」という高飛車なスタンス」(ブログもやってないし姓名を書いても面識ないですから「だめ界隈」と所属は明示したのですが)をからめ手でもって、「謙虚さ」や「かわいげ」がないと誘導するだめ連全体に対する印象批評を展開されたことには、私自身はともかく、だめ連に対する悪意すら感じます。
素人の乱にもだめ界隈は参加してますが、あそこは運動言説・パフォーマンス強者の集いですから、そこからこぼれおちる弱者は運動界隈でも多数います。だめ連界隈は、日常重視したもっと緩やかでささやかな繋がりです。

投稿: だめ界隈 | 2008/09/27 9:21:33

だめ連界隈さん、いろいろ事情があるのに、所在をあきらかにせよと強要したことについては謝ります。すみませんでした。
とはいえ、「何でも知っている」とか「高飛車なスタンス」というのは、別に「だめ連」に対して指摘しているのではなく、あなた個人に対して指摘していることは、記事を読み直していただけれはわかると思います。
また、これまでの記事を読んでいただければわかると思いますが、私自身は「だめ連」に好意をもっておりません。これは、エントリーで取りあげた事例のみを元にいっているのではなく、マスコミにおける「だめ連」関連の言説などを読み込んだうえで、好意をもっていないのだと解釈していただいてかまいません。悪意とまでは、いきませんが。
「緩やかでささやかな繋がり」は多いにけっこうだと思います。でも、その繋がりが存在証明をしなければ、ただの自己満足になってしまうでしょう。自己満足で終わらないためには、人々に認知してもらい、協力を得られるような戦略も必要だと私は思うわけです。
基本的に私は、ありふれた言葉でいうところの「そのままの君でいいんだよ」という意見には賛成です。しかし、困難におかれた自分の状況を「そのままでいい」と思っていてはまずいと思いますし、そのまずい自分をどうにかするという目的で人々から協力を得る方便として、「俺たち、このままでいいんだ」というのは、単なる開き直りにしか思えず、人々の共感も得られないのではないか、と思うんですよ。

投稿: lelele | 2008/09/29 11:48:12