双風亭日乗

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2008年9月26日 (金)

きほんのき

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9月15日のエントリーですこし触れましたが、敗戦記念日関連の取材をしながら、その取材を元にして書いた記事が掲載された新聞を、取材記者が取材対象者に送ってこない。それは、私だけではなかったのですね。取材対象者に掲載紙を送るのなんて、新聞記者のすべきこととしては、「基本のき」ともいえることです。

赤木さん関連の取材だからということで、2時間ちかくいろいろ話しました。別に謝礼も受けとっていません。喫茶店のコーヒー代を出してもらったくらいです。ですから、掲載紙のひとつくらい送ってくれても、いいんじゃないのかなあ。朝日新聞は一部売りで130円でしょう。

くだんの記者は、なぜそんな常識的かつ簡単なこともできないのか。第一に、掲載紙を送るのは、記事に名前が出た人だけでいいと思っている。第二に、大新聞の取材なのだから、取材したからといって謝礼などしなくてもよいと思っている。第三に、送ろうと思っていたけれど、送るのを忘れてしまった。この三つくらいが考えられますよね。

第一のケース。百人単位で取材をしたうえで、ひとつの記事を書いたというような場合は、仕方がないのかもしれません。それでも、記事の末尾に「取材に答えていただいた方々に感謝します」というような謝辞を掲載するべきなのでは。

第二のケースは、救いようがありません。ただただ自分が新聞社そのものだと勘違いし、新聞社は一般人を取材して「やっている」と考えるアホです。私たちは彼らに取材されて当然の存在であり、当然なんだからいちいち謝礼などする必要はないと思っていたり。

第三のケースは、うっかりミスなのかもしれませんが、状況としては第一ケースや第二ケースだと思われてしまう。謝礼といったって、電話一本でも葉書一通でもメール一本でもいいんですよ。

たいせつなのは、礼節なんですよね。こうした「基本のき」ができていないと、いったいどうなるのか。おそらく、取材対象が、取材を受ける気がしなくなります。だって、取材を受けるときには、すくなくとも取材に要す時間を空けるわけですし、その記者のために情報を提供するわけですから。

もし、取材をされたことによって、自分に大きなメリットがある場合は、そのメリット自体が謝礼になるので、それはそれで互酬が成立しています。内部告発や政治問題の当事者などは、取材内容を記事にするだけで、その当事者や社会にメリットがある場合もあります。

自分は中途採用で記者になり、朝日の体制には疑問を持っていて、いままでの朝日ではできなかったような企画を考えている。大阪朝日の記者さんは、そう言いました。そんな彼の言葉に共鳴して、私は浅草の喫茶店で長々としゃべりました。朝日の記者らしくない彼の姿勢には、関心したものです。とはいえ……。

大新聞に取材「していただき」、著者関連の記事を掲載「していただき」(といっても、現物を見ていないので、掲載されたのかどうかは不明)、「はい、それまでよ~」でもいいのかもしれません。でもねえ、しつこいようですが、130円の新聞を一部送くるとか、メールを送るとか、してくれてもいいと思うのですが……。それはぜいたくな望みなのかなぁ?

と、まあ、このように、けっきょくは前エントリーと同様に「礼節」(=「かわいげ」)の話に還元されてくるわけです。戦前の教育とか「教育勅語」とかを持ちだすような愚かなことはせず、身につけて損をしないスキルとして「礼節」を身につけるような学習は、すくなくとも家庭などではやったほうがいいかもしれませんね。

しかし、実際には、私が住んでるマンションなんかで、エレベーターで「おはようございます」とか「こんにちは」などとあいさつしても、返事がかえってくるのはごく少数。無視する人がほとんどなんです。養護施設にいたときの私は、親がいなくても、貧乏でも、とにかく「あいさつだけはしておけ。そのほうが得だから」と園長から何度もいわれたんですよ(笑)。だから、無視されると悲しかったりもします。

そうなると、「礼節」の前に「あいさつ」なのかもしれないなあ、などと思ったりするわけでして。

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きほんのき:

コメント

>7月あたりに大阪朝日の記者から取材をうけました。戦争特集で赤木さんの論考を取りあげるので、裏話を聞きたいとのこと。
>(といっても、現物を見ていないので、掲載されたのかどうかは不明)、
大阪版でしょう。今度、図書館に行ったら調べてあげます。
朝日ではなく、別の全国紙で僕と関係の深いある記事が大阪版に掲載されることになったという情報を聞いて、新聞を見たら掲載されていない。念のため、ネットで検索したらアップされていた。だから、○○コムと紙媒体の紙面が違うこともあるんだとビックリしました。
ひょっとしてその記事は紙面には掲載されていないけれど、ネットにアップされていることも考えられる。
(1)取材のみで、ネットでも紙面でも掲載されていない。
(2)ネットのみ又は紙面のみ
(3)両方共にアップ
だけど、文化欄は特に保留ということで、(1)ということも考えられるわけでしょう。記事が掲載されたことは間違いないのですか?
>あいさつ
まあ、これは当然で、町内会なんかで、「あいさつ運動」なんかをわざわざ広報して、他方で「見知らぬ人に声をかけられたら気をつけましょう」なんても言う。回覧板に書いて言うべきことではないんだけれど、そんな風に「運動」というカタチにやるから余計おかしくなる。
自然体で出来るような「礼」は気持ちのいいことだと思う。
理屈ではないんだよねぇ。

投稿: 葉っぱ64 | 2008/09/26 9:57:23

記事は掲載されてます。

8月15日前後に赤木ブログに馬鹿みたいなアクセスが着てますよ。


下のだめ連とあわせて考えると「賢さ」なんでしょうね。おごってもらうためのかしこさw取材対象に悪い気をさせない賢さw

師匠に怒られない賢さw

投稿: 鮭缶 | 2008/09/26 14:16:19

記事を読んだ気もするんだよねぇ、
8月15日前後の新聞を調べます。
ありがとう!
鮭缶さんも、素直に「賢さ」を身につけましょう。
単なる礼だけど、結構、身に付いているような気もする。
何か衒い、照れがあるみたいw。
自然に挨拶するノリでいいと思う。

投稿: 葉っぱ64 | 2008/09/26 16:12:24

そうそう、葉っぱさんのいうように、「自然に」というのがポイントなんですよね。作り込んでも、たいてい相手にはバレてしまうし。
でも、「自然に」振る舞うためには、ちいさいころから「自然に」振る舞うように意識したり、まわりがうながしたりしないと、なかなか「自然」にはならないっすよね。
たとえ、ちいさいころにそういう機会がなかったとしても、おとなになってから「あいさつ」をはじめれば、そのうち「自然」な感じになるんじゃないのかなあ。
とにかく、施設の園長がいっていたとおり、あいさつして損することはない、というのはほんとうのことだと思います。まあ、地域社会でよくやっている「あいさつ運動」みたく、無理強いするのはよくないと思います。とはいえ、あいさつしたほうが得だし、自分も他人も気分がよくなるかもしれないんだから、しないよりしたほうがいいんじゃないか、と思うんですよね。

投稿: lelele | 2008/09/26 16:38:02

噂の記事は8・17朝日新聞「二つの戦後」ですね。

しかしですね・・・賢くなりたいですよ賢く・・・

投稿: 鮭缶 | 2008/09/26 22:16:05

なんか、賢いとか自然とか挨拶とか、ちょっと気持ち悪いです。

投稿: | 2008/09/26 23:50:32

ん~、あいさつにしろ何にしろ、「うさんくさい輩」と混同されないよう、注意深く書いているつもりなのですが、それでも「気持ち悪い」と指摘されてしまうとは。とほほ、です。

まっ、いずれにしてもネガティブなコメントや感想を書くときには、ちゃんと所在をあきらかにしてくださいねー。それがブログ主に対する「礼儀」っていうものです。このブログは、そういう方針なので。

ブログは双方向のコミュニケーションが成立する、とてもよいツールだと思います。しかし、それはおたがいの「礼儀」があるから「よい」ツールなわけでして。

一方、ブログの悪い点は、ネガティブなことを書きっぱなしにできる、ということです。文面をちょこっと読んで、むかっときて、脊髄反射的にコメントする。ブログ主が不快になろうがなるまいが、それでおしまい。

その悪い点をなくすためには、ネガティブなコメントを書く側が自分の発言に責任を持ち、みずからの所在を明らかにするか、ブログ主がコメント欄を閉鎖するしかありません。そんなわけで、コメント欄を閉鎖したらブログのよい部分がなくなるので、いまのところ閉鎖はしておりません。

ネガティブなコメントをしてもいいんですよ、べつに。そのかわり、みずからの所在をあきらかにすることにより、ブログ主と議論するなり論争するなりの覚悟を決めてくださいな、ということです。

しかし、まあ、そういうことを何度書いても、おもしろいくらい状況に進展がありませんなあ(笑)

投稿: lelele | 2008/09/27 5:07:53