双風亭日乗

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2008年10月19日 (日)

人間と動物の関係とは

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「漫画実話ナックルズ」12月号(ミリオン出版)の巻頭グラビアが強烈です。タイトルは「愛犬を殺す飼い主に告ぐ」。沖縄の最新鋭「ペット処分場」に潜入したライターさんが、犬の殺処分の様子をレポートしています。

ガス室に追い込まれる犬たち。ガスを吸い込んで死亡した犬の山。そして、焼却処分された犬たちの死体……。殺処分の状況が、すべて写真付きで紹介されています。沖縄は、人口10万人に対する動物の殺処分件数が日本一なんだそうです。殺される動物は、年間1万頭以上。

この記事で紹介されている「沖縄県動物愛護管理センター」(「ドリームボックス」と同様に、なんと偽善的な名称であることか)で殺処分される動物は、動物と向き合うことを放棄した輩の犠牲となっているわけですね。

一方、いま動物を飼っていて、今後も捨てるつもりはないという方であっても、動物との向き合い方を深く考えていない方も多いのでは。つまり、坂東眞砂子さんが「子猫殺し」の告白で提起した問題をまともに考えず、ただただ「かわいいから」「家族の一員だから」といって動物をかわいがり、人間と動物との関係について真剣に考えようとしない人(考えようとしてない人)が多いのではないか、と私は思うわけです。

坂東さんがタヒチで、親猫の去勢をしないかわりに、生まれた子猫を崖から捨てているという話を日経新聞夕刊のコラムに書いたところ、猛反発した人たちが異常にたくさんいました。じつは、あのコラムは連載であり、前後のコラムを読めば、いかに坂東さんが真剣な姿勢で動物と向き合っているのかがわかるのです。にもかかわらず、「子猫殺し」という言葉につられて、噴きあがった人たちのいかに多かったことか……。

人間は動物を支配しているわけですから、動物を生かすも殺すも人間次第です。このように、人間と動物の関係は一方的であり、そんななかでどの動物を生かしたり殺したりするのかを、人間は勝手に選択しているわけです。

そして、人間が生きるためには、多くの動物を殺さざるをえません。牛、豚、鳥、馬、羊、蛇、鰐……。食肉用や革製品用として、日々、多くの動物が殺されています。まず、この現実を直視する必要があろうかと思います。

犬や猫を殺したというと、大騒ぎをする人がたくさんいます。ここで大きな疑問がわきあがります。そういう人たちは、どうして牛や豚、鳥などを殺していることについては大騒ぎしないのでしょうか。「犬や猫」と「牛や豚」の何が違うのか、きちんと説明できる人がどれだけいるのでしょうか。

けっきょく、どの動物であっても、人間の都合で生かし、人間の都合で殺しているのですから、「犬や猫」だから殺してはならず、「牛や豚」だから殺していい、という理由なんて説明できないのではありませんか。ならば、「自分が飼っている猫はかわいい」からといって、他人に「猫を殺してはならない」という価値を押しつけることなんてできないでしょう。

猫はかわいいから、ついついえこひいきしたくなる気分もわかります。それでも、そんな自分と飼い猫との関係とは、人間と動物の関係の一種にすぎません。さらに、人間と動物の関係とは、前述したとおり一方的で勝手な関係であり、人間は自分の都合によって動物を生かしたり殺したりしています。そういうことに、私たちはたえず思いをはせるべきだと思うのです。

思いをはせれば、人間である私たちを生かすために死んでいく、または殺されていく動物には、感謝をせずにはいられなくなるでしょう。宗教とかは、まったく関係ありません。直接、手を下すかどうかにかかわらず、私たちは日々、動物を殺し、その肉や皮を使っているんですから。そうしなければ、人間は生きるのかむずかしくなるのですから。

わかりやすいので人間と飼い猫の関係に注目してみましょう。しばしば、去勢をしたほうがよいのか、しないほうがよいのかという話を聞きます。「さかりがついても、交尾できない猫を見ているのはつらい」とか「子どもがたくさん生まれてしまっては困る」などという理由で、去勢をしたほうがよいという意見があるようです。

その対局には、坂東さんのように、飼い猫の去勢をせず、好きなだけ交尾をさせるが、数多く産まれてくる子猫のめんどうは見られないので、苦渋の選択として産まれた子猫は崖に捨てるという意見もあります。親猫を生かすために、たいへん申し訳ないと思いながら子猫には犠牲になってもらう、ということでしょうか。

いままで述べたような人間と動物の関係からいえば、いずれの選択も「あり」だと私は思います。どうすれば猫が幸せになるのかなんて、人間にはわかりません。「猫にとって」去勢したほうがよいのかどうかなど、人間には判断できるわけがありません。それは、飼い猫の去勢が「人間にとって」よいかどうか、また「人間が勝手にイメージした猫にとって」よいかどうか、考えているだけのことです。

重要なのは、自分と飼い猫との関係を「人間と動物の関係」の一種であることを認識しつつ、それぞれの飼い主が個別具体的に飼い猫を去勢すべきか否かを考えぬくことなのではないでしょうか。

去勢をするのが猫にとって幸せなのだと飼い主が勝手に判断するなら、そうすればいい。去勢をしないのが猫にとって幸せなのだと飼い主が勝手に判断するなら、産まれてくる子猫を育ててもよいし、育てられなければ「親猫を生かすために申し訳ない」と最大限の哀悼の意を抱きつつ、子猫を殺してしまうのも仕方がないことだと思います。どんな選択をしてみても、最終的には「人間の勝手」ということにいきつくわけですから。

このように考えてみると、「子猫は殺すべきじゃない」といって、自分と飼い猫との蜜月な関係性を他人に押しつけることが、いかに危うい振る舞いなのかがわかります。「子猫」という文字を牛や豚や鳥に入れ換えても、その人は同じことをいうのだろうか、と思ってしまいます。人間と動物という関係のうえでは、猫も牛も豚もまったく同じ関係なのであって、どれかが特別だという根拠はありません。

繰り返しますが、人間の勝手な判断で動物を生かしたり殺したりしているのですから、とりわけ人間のために殺されていく動物には哀悼し、感謝したいものです。くわえて、犬や猫のような愛玩動物については、それぞれの飼い主がそれぞれの愛玩動物との関係性をよく考え、同時に愛玩動物とほかの動物との関係を考えることが重要だと私は思います。

また、飼い主と愛玩動物の関係はあくまでも「それぞれ」です。ですから、自分と愛玩動物の関係がもっとも正しいなどと思いこみ、それを他人に押しつけるようなことは、してほしくないですね。押しつけるのなら、自分と動物がどういう関係にあるのか、ということをしっかり考えたあとにしていただきたいものです。

以上のような問題意識を持ちつつ、現在、坂東眞砂子さんと『子猫殺し再考』(仮題)という本の企画を進めています。この本を契機に、人間と動物の関係を再考する気運が盛り上げられればと考えているところです。

突っ込まれる可能性があるので書いておきますが、犬や猫をいらなくなったからポイッと捨て、そのあとの処分を行政にまかせることと、坂東さんが子猫を殺したこととは、決定的に違います。なにが違うのでしょうか。

坂東さんは、逡巡し、悩み抜いた末に、親猫を生かすため、飼い主みずからの手で飼い猫(子猫)を殺している。つまり、飼い主が直接、飼い猫と対峙したうえで、飼い猫という動物をどうするか判断しています。一方、捨ててしまう人は、捨てた時点で飼い猫と対峙することを放棄し、その生死について他人まかせにしてしまっています。

しつこいようですが、動物を生かすにしろ殺すにしろ、人間がしっかり動物と対峙したうえで判断することがたいせつだ、と私は思うんですね。

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