双風亭日乗

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2008年11月 1日 (土)

「犯罪と社会の明日を考える」 第4回

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「少年犯罪」(その2)

少年法の詳細については、ネットで「少年法」を検索すればかなりのことがわかりますので、ここではくわしく触れません。以下で、ごく簡単な説明だけしておきますね。

少年法は、成人(「心身が発達して一人前になった人」 by 大辞泉)と見なされる年齢(民法では満20歳)に達しない「少年」が犯罪を犯した場合、成人と同じ刑事処分をくだすのではなく、家庭裁判所が更正処置をくだすことを規定した法律です。

また、死刑や懲役、禁錮などにあたる凶悪犯罪を犯した「少年」については、家庭裁判所の判断のもとに、検察に身柄を引き渡し(逆送致)て刑事処分をくだすことが規定されています。しかし、たとえば「少年」が死刑相当の犯罪を犯した場合、実刑が無期懲役になるなど、「少年」の実刑は成人にくだるそれよりも一等が減じられるといった配慮も規定されています。

そして、この法律のなかで、昨年の改正により「重罰化」したといわるポイントが、何歳の「少年」を刑事処分の対象とするか、ということだと思います。つまり、何歳以上の「少年」を、少年院への送致が可能にするのかが問題になったんですね。そして、昨年の少年法改正により、その対象年齢が「14歳以上」から「おおむね12歳以上」(「おおむね」の意味は、11歳以上でも送致可能ということ)になった。こうしてあきらかに「重罰化」はされているわけですが、この「重罰化」をどう評価するのか。それが問題なのだと思います。

被害者または被害者遺族の側からいえば、犯人の年齢がいくつであろうと、できるだけ犯人に重い罪を科すべきだという話に、基本的にはなりましょう。殺人犯が「少年」であろうとなかろうと、その犯人には死をもって償わせたくなるのは、いたしかたないことだと思います(例外もあろうとは思いますが)。

一方、「少年」の側からいうと、未熟かつ世間知らずな状態で起こした犯罪について、成人と同じような刑罰を科された場合、更正の期間が長期になります。さらに、「懲役」とそのことにより、社会復帰が遅れてしまいます。また、少年法により保護処分になるのか、逆送されて懲役になるのかでは、処遇に大きな違いがあるし、社会復帰してからの他人の眼も違ってくるでしょう。

これまでの少年法は、被害者的な言い分をとりあえず棚にあげたうえで、上記の「少年」的な言い分を重視していた。言い換えれば、「少年」という未熟な人が犯罪を犯したのだから、成人と同等に罰するのはおかしいし、社会復帰しやすいかたちで罪を償ってもらおうという姿勢だったわけです。くわえて、そのような少年法の姿勢を世の中が支持していたからこそ、同法は何十年も改正されることがありませんでした。

ところが、いつからか世の中は、少年法に対して「それでは甘い」と考えはじめ、そういった世の中の雰囲気を察知した司法や立法が、何十年も改正されなかった少年法を改正したわけです。そうなると、ここで注意すべきは、世の中の雰囲気がどのようにして変わっていったのか、ということになろうかと思います。

『重罰化は悪いことなのか』でも、以上のような問題が集中的に議論されています。少年犯罪は増えていない。にもかかわらず、少年による凶悪犯罪が多発しているように報じるマスコミの影響。ないがしろにされてきた被害者を、マスコミがある時期から「発見」した……。さまざまな論点が、同書であぶりだされています。

私自身は、少年法の重罰化について、どう評価してよいのかわかりません。被害者の視点に立てば、重罰化はいたしかたないと思えます。しかし、「少年」の定義、すなわち「心身が発達して一人前になっ」ていない状態の定義や、「少年」の何をもって「未熟」とするのかという部分には、きっちりと決めることのできない「あいまい」さがあると思います。ですから、「あいまい」なものを、無理矢理きっちり決める必要があるのか、とも思います。

「重罰化」されると、警察権力が社会に介入する幅も増えて危険だ、といった議論があります。とはいえ、それが危険かどうかを判断することが、憲法によって国家権力へ命令を出す側の私たち(=世の中)の手に委ねられているのだとすれば、世の中が重罰化を求めていたり容認していることを、簡単に否定することはできません。

マイケル・ムーア監督の『シッコ』で、国民皆保健を実践しているある国(たしかフランスだったような気が……)の元議員が、「民主主義が機能しているこの国では、国民皆保健をやめるなんて無茶なことだ。革命が起きてしまう」というような発言をしていました。一応、日本も民主主義ですから、もし重罰化に問題があるのだとすれば、「重罰化を進めることなんて無茶なことだ」ということになりそうなものです(と書きつつ、「きっと日本では、民主主義はそんなふうに機能しないよなあ」と思ったり)。

少年法については、『重罰化は悪いことなのか』のなかでは、藤井誠二さんと芹沢一也さん、そして藤井さんと宮台真司さんの両対談で、かなり突っ込んだ議論がなされています。

「少年」はどの時代のどんな場所にも存在し、今後も「少年」の何人かは犯罪を犯すわけですから、この少年法の問題は私たちが避けてとおれない問題であることは確実です。これを機に、同書を読んでいただき、「少年」と社会の関係について考えてみてはいかがでしょうか。

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