双風亭日乗

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2008年11月18日 (火)

虐待の公式

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昨日、NHKスペシャルで『微笑と虐待』という番組が放送されました。2003年にイラクのアブグレイブ刑務所で起きた虐待事件について、内部告発した元憲兵や虐待をおこなった元上等兵、そして刑務所の最高責任者であった元准将らの証言を元に、その真相を探ったものです。久々にみごたえのあるドキュメンタリーを観ました。

さて、私がこの番組を観ながら思ったのは、カンボジアのポルポト時代にも似たような話があったなあ、ということです。善意にもとづく理想や大義名分があって、それが実現できそうにない状況に追い込まれる。すると、元の大義名分を守るため、苦しまぎれに別の大義名分を持ちだす。

現場は混乱し、何でもありの状況になる。普段は隠れている人の暴力性や残虐性がおもてに出やすくなり、非日常的な状態が日常となる。その結果、虐待や殺人があたりまえになり、誰もそれに疑問を持たなくなってくる。後日、その虐待や殺人が発覚したときには、末端の関係者のみが裁かれ、上級幹部らは裁かれない。

以上の構図をごく簡単に整理すると、以下のようになります。「=」の左がアメリカ、右がカンボジアとなります。

アメリカ=カンボジア・ポルポト政権
イラク戦争=CIAやKGB、ベトナム人など、敵をつくりだす戦略
大義名分は、イラクの民主化=大義名分は、政権の安定
あるはずの大量破壊兵器がない。ほかの成果が必要=政権基盤が危うい。人々の気をそらす必要あり
捕虜を捕まえる=適当な国民を捕まえる
捕虜を虐待=国民を虐待、殺人
刑務所はやりたい放題=同じくやりたい放題
でっちあげの濡れ衣が多発=同じく多発
虐待が発覚=同じく
指示した上級幹部はおとがめなし=同じく
末端の職員だけが裁かれる=同じく

「捕虜を捕まえる」あたりから、両者ともまったく同じような状況です。このことが意味するのは、戦時や異常時の虐待や殺人は、あるスイッチが入ってしまうと、それが発覚するまでのあいだは、どんな国であれ、どんな地域であれ、どんな組織であれ、ほとんど同じようなかたちで事が進んでいく、ということです。

あるスイッチ、というのは、いうまでもなく「正義」や「善意」、そして「大義名分」というやつで、それを声高に言い出した瞬間から、その国や人は「正義でないもの」や「悪意」、そして「大義に反するもの」をつくり出さなければならなくなります。でも、相手が善と悪のグレーゾーンである場合もあるし、じつは相手が正しいと思われる場合もある。

そういうことがあきらかになってくると、大義を掲げた側は引っ込みがつかなくなるので、別の大義を掲げて保身に走ったり、でっちあげやごまかし、捏造などをおこなうようになる。大義を掲げるのはエラい人たちであり、末端の人たちはころころ変わる大義に右往左往し、混乱する……。そのあとどうなるのかは、同番組のとおり。そのうち再放送されると思いますので、ぜひそれを観てください。

こうした状態は、いうなれば公式のようなものなので、パターンにはまってしまうと避けることができません。予防はできるかもしれませんが。では、予防するためには、どうすればいいのか。それは、とても簡単なことです。

「正義」とか「善意」、そして「大義名分」を発する為政者の言葉に対して、たえず「ほんとかよ?」と疑問を抱く。いや、為政者だけでなく、一般の人であっても、そんな言葉を簡単に、声高に、「これが絶対だ!」みたいな勢いで語る人に対しては、疑ってかかるということです。そういう言葉こそが、虐待の入り口になりえるということですね。

「正義」「善意」「大義名分」を言い出すと、どうしても二項対立になりやすいし、ほかの価値を排除しやすくなってしまいます。Nスペ『微笑と虐待』では、大統領や長官といった幹部から末端の兵士まで、多くの人の発言や証言を明るみにだし、虐待の入り口は何なのかを明らかにしていました。

じつは、この番組から映画『ポチの告白』を連想してしまいました。虐待や排除への入り口やその仕組みというのは、アメリカという国家も日本の警察も、あまり変わらないんですね。

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