双風亭日乗

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2008年11月10日 (月)

ジャーナリストか、電波芸者か?

先日、某有名キャスターが亡くなりました。新聞系雑誌の編集長からニュースキャスターに華やかな転身をとげ、その後もテレビで活躍されていたようです。

私は某キャスターと、カンボジアで一度、お会いしたことがあります。たしか1993年の総選挙の取材で、ほんの一瞬いらっしゃった記憶があります。そういえば、テレビでガンを告知し、生命保険会社のCMにも出演している某ジャーナリストも、選挙の時期に一瞬、カンボジアにいらっしゃいました。

カンボジア帰国した私はマスコミ関係の方から、某キャスターの優雅な生活や振る舞いについて、いろんな話を聞きました。

某キャスターは、収入や生活の面で、どんどん優雅になる一方、まるでその免罪符のように、某船旅団体の広告塔やサヨクの人が好むといわれる某雑誌の編集委員をつづけました。

某キャスターにしろ某ジャーナリストにしろ、昔は気骨のある仕事をしていた尊敬すべきジャーナリストでした。しかし、テレビに出れば出るほど、私には彼らが「ジャーナリスト」とは思えなくなりました。

ジャーナリストがテレビに出はじめると、どうなるのでしょうか。まず、いっていることが一般化します。極端なことをいわなくなる。そりゃそうです。テレビには、どのメディアよりも影響があるし、スポンサーがいるんだから仕方がありません。

で、出れば出るほどお金が入る。生活レベルが高くなる。それを下げられなくなる。維持するために、余計なことをいわなくなる。にもかかわらず、多くの人に顔が知られることにより、社会的な地位が高くなったような気分になる。

でも、そんな自分にすこし引け目がある。だから、儲からないような仕事であっても引き受けたり、続けたりする。引き受けたり続けたりすることにより、多少は自分に色がついてしまうが、余計なことをいわなければテレビの収入で優雅な生活が維持できる。それが、自分を「ジャーナリスト」と名乗ることの証明にもできる。

某キャスターも某ジャーナリストも、直接お会いするといい人なんですよ。ほんとに。しかし、いい人であることと、その人が「ジャーナリスト」であることとは、まったく別の話です。

では、昔は気骨のあるジャーナリストであり、いい人であるが、テレビに出るようになってから、本来のジャーナリスト的な気骨が消え去り、その場の思いつきで、お茶をにごすようなコメントを連発するようになった人のことを、何と呼んだらいいのでしょうか。

電波芸者?

この呼び名がしっくりきます。注意しなければならないのは、電波芸者を自称している人にかぎって、信頼のおける「ジャーナリスト」だったりするということです。ほんとうの電波芸者に成り下がってしまった人ほど、「電波芸者」と呼ばれることを嫌がるということです。

別に給料のいい大手の新聞やら出版社をひがむわけではありませんが、気骨や反骨というものは、収入の増加と名声の獲得によって消え去ってしまうものなのかもしれない、と悲しい気分になってしまう今日この頃です。

議論の対象は違うけれど、そういや赤木さんも同じようなことをいっていたような気がしますね。

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