双風亭日乗

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2008年11月13日 (木)

警察=暴力団!?(映画『ポチの告白』を観て)

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昨日、『ポチの告白』(高橋玄監督)の試写を観ました。とてもおもしろく、みごたえのある映画です。来年1月24日から新宿ケイズシネマにて公開されるので、このブログの読者にはぜひ観ていただきたいと思っています。この映画のスーパーバイザーは、私の友人で、警察問題ジャーナリストの寺澤有さんです。

では、何がおもしろく、みごたえがあるのか。その第一は、警察の「人を管理する仕組み」も「カネを集める仕組み」も、その構造は暴力団と同じであることが、映画の全編をとおして表現されている点です。この映画には多くの警察官が登場するのですが、そのすべてが「悪い奴」なんですよ(笑)。

第二は、記者クラブへの痛烈な批判です。警察署で広報担当が配るプレスリリースを、新聞各社の記者たちがわれ先にと奪い取ります。その様子は、まるで「餌に群がる犬」か「残飯にたかる銀蝿」のようでした。「社会の木鐸」を名乗りながら、餌をもらえないと飢えてしまうので、飼い主(警察)の言いなりになる犬(記者)たち。

タイトルの「ポチ」は犬を示しています。たたき上げで組織犯罪対策課長にまで昇進した主人公が、いきなり組織的に犯した警察の罪をでっちあげられ、自滅していく。そして、自分の意思では何もできず、上司の命令のみにしたがって振る舞う警察官を、主人公は「ポチ」と名付ける。

一方、自分の意思では何もできず、警察や上司の命令のみにしたがって振る舞う記者の姿が、私には「ポチ」に見えました。ようするに、警察組織は、組織の内部に「ポチ」を産みだし、組織の外部にも「ポチ」を産みだしているという構図になります。

また、この「ポチ生産システム」ともいうべき構図は、暴力団の組織でもまったく同じように機能しています。さらに、警察の「しのぎ」をもたらすのは、暴力団と同じく「ヤク」や「売春」「銃器」「恐喝」などであることが、映画では示唆されます。

警察=暴力団。

この映画を観ると、そんな連想をしてしまいます。

そして、警察の「ポチ」である記者クラブの記者は、「ポチ」であるかぎり警察の腐った実状を報じません。では、誰がそれを報じるのか。けっきょく、記者クラブから排除されているフリーのジャーナリストや、みずから「ポチ」状態を離脱した元記者が、極端にすくない情報を元に報じるしかなくなります。

この映画を観ると、大新聞の記者などにあこがれるのはいいけれど、くれぐれも「ポチ」の「ポチ」にはならないでね、なんて忠告を新卒の人たちにしたくなったりします。警察にあこがれる人には、せめて「ポチ」にはならないでね、と。

まあ、ここまでシリアスな感じで内容紹介をしてきましたが、映画自体はユーモアたっぷり。上映中には、何度も笑いました。3時間15分という長い上映時間ではありますが、まったく飽きることなく楽しむことができます。

かなり記者クラブをコケにしている(実際に起きていることを描写しているわけですが)ことから、日本新聞協会に加盟しているマスコミ各社の人たちが、どれだけこの映画をみずからの媒体で取りあげるのか、じっくり拝見させていただきましょう。きっと、この映画を取りあげること自体が、取りあげた人を「ポチ」からの脱出につなげていくのかもしれないのですから。

あらら、こんなことを書いていると、ウチの本が日本新聞協会に加盟しているマスコミ各社に取りあげられなくなってしまうかもしれませんね。しかしながら、マスコミ各社のなかにも、「ポチ」じゃない方が少なからずいらっしゃるのも確か。「ポチ」に干されても、そういう方々とお付き合いしていけば、まいっか。

なお、以下のページに映画の情報が掲載されています。
http://www.grandcafepictures.com/pochi/

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コメント

絶対にみたいです。警察もので、主人公が苦悩する映画がすきです。スリルかんが。

投稿: 口臭の原因発見隊 | 2008/11/13 10:47:27