双風亭日乗

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2009年1月30日 (金)

問題は、他人に危害をくわえているかどうか

1月28日のエントリー(誰に生け贄をささげるのか)に対して、以下のようなコメントをいただきました。

生贄はオーバーかと。
隣家が赤白だったら落ち着かないですよ。窓からの風景が赤白なんですよ?迷惑以外なにものでもない。
そりゃいらいらしますって。いたってノーマルな反応かと。
プロ市民みたいな人というのもレッテル張りでは?
この件についてほとんどしりませんが、生贄という表現にはひっかかりました。
これからも「限界の思考」みたいにおもしろい本たのしみにしています。

以下、コメントを書いてくれたmさんに対する返信を書いてみます。

mさん、コメントをありがとうございます。おもしろい本をたくさんつくれるように、がんばっていこうと思います。

以下では、コメントの内容について、いくつか感想を述べようと思います。第一に、エントリーに対して批判的な内容のコメントを記す場合は、匿名でなく、記名でお願いします。そうしないと、mさんが発した言葉に責任の所在がなくなってしまいます。

第二に、「この件についてほとんどしりません」というのであれば、まずはこの件について知ってからコメントしていただけますか。過去記事を読むなり、youtubeでニュース画像を見るなど、知る手段はいくらでもあります。それが、エントリーを書いた人に対する最低限の礼儀というものだと思います。

楳図かずお宅の問題は、愚行権(=幸福追求権)の問題だと思います。夜の満員電車で、近くにいる赤鼻のおっさんが酒臭い息を私に吹きかける。私は不快にはなりますが、自分も酒を飲むことがあるし、同じことをしてしまうかもしれないので、そのおっさんの振る舞いを認めます。

浅草国際通りの歩道を自転車がフラフラと走っている。接触しそうになるなど、私は不快になりますが、自分も自転車で歩道を走ることがありえるので、その自転車に乗っている人の振る舞いを認めます。

人が何をもって幸せだと考えるか。それは多種多様です。それが飲酒だったり、自転車乗りだったり、家を建てることであったり、ギターを弾くことであったり。そして、自分が幸せだと感じる行為や振る舞いが、他人から見ると愚かであったり不快であるように思えることも、よくあります。

ならば、自分が愚かな振る舞いをする可能性があるのだから、他人の愚かな振る舞いも、自分に危害がくわえられない範囲であれば許そうではないか。そうやっておたがいに愚かなことをする権利を認め合い、自分の幸せと他人の幸せを、たとえ価値観が異なったとしても認め合う。それが愚行権です。

ここで問題となるのは、何が危害かということです。言葉のうえでの「危害」は、身体や生命、そして物品を損なうような危険を他人からくわえられること、と定義できるでしょう。つまり、楳図かずお宅の問題は、家の壁に塗られた赤白の色が、近隣の人に危害を与えているかどうか、それが危害にあたるかどうか、といったことが問題になろうかと思います。

エントリーに書いたとおり、自分の家の近くに壁を赤白に塗装した家が建てられた場合、そのことによって私は危害をうけないと思われるので、この件について特に問題視することはありません。私が考える愚行権の範囲内のことだ、ということですね。趣味の問題だといってもいいかもしれません。趣味は人それぞれなので、認め合うしかないでしょう。他人の趣味によって、自分が危害をくわえられていないのなら。「どっちの趣味がいいか、白黒はっきり」なんてことにはなりません。

一方、mさんのように「隣家が赤白だったら落ち着かないですよ。窓からの風景が赤白なんですよ? 迷惑以外なにものでもない」と考える方がいるのも、当然だと思います。あとは、mさんが楳図さんに危害をくわえられているかどうか、ということが問題になろうかと思います。

もし、mさんが、危害とまではいえないけれど、迷惑だ考えていらっしゃるのなら、楳図さんの振る舞いを認めるのもひとつの考え方だと思います。mさんが、自分は楽しんだり幸せを求める目的で何かをする。それが、他人に不快だと思われたり、迷惑だと思われたりする。それでも他人がmさんに文句をいわないのは、他人がmさんの愚行権を認めているということなんだと思います。そういう意味で、楳図さんの振る舞いも認めてはどうか、と思うわけです。

その次の段階としては、楳図さん宅が含まれる地域の人たちが、しっかりと話し合ったうえで、壁を赤白にすることの賛否を考えるのがいいと思います。ところが、ワイドショーに映し出されたのは地域で反対する人ばかり。まあ、テレビが恣意的なインタビューをおこなっていた結果だと思いますが、それにしてもひどかった。で、その人たちが小林よしのりさんのいうところのプロ市民「みたい」だったので、そう書いたまでです。

また、mさんが、どうしても楳図さんを許せないのなら、最低限の礼儀をわきまえたうえで、言論上で徹底的に批判するなり、訴訟を起こすなり、納得のいくかたちで振る舞ったらいいと思います。そして、mさんは、楳図さんからどんな危害をくわえられたか、その危害は「危害」といえるものなのかを、公の場(=公共圏)でしっかり説明すればいいと思います。

どうして私がこんなことをしつこく書くのかというと、この愚行権の範囲をせまくすればするほど、自由の範囲もせまくなり、生きづらい世の中になると思うからです。そう考える私にとって、楳図さん宅の色の問題は、愚行権の範囲内でおきた些細なことなんですね。

最後に、mさんが「生け贄」という言葉に反応されていたことについて。ワイドショーで取りあげられていた当時の楳図さんは、あきらかに視聴者や彼を批判する人たちが溜飲を下げるための「生け贄」であったように、私には見えました。まったくオーバーな表現ではありません。

そして、その「生け贄」ぶりが、2年前の「子猫殺し」騒動での坂東眞砂子さんの姿に二重写しになりました。あのときの坂東さんも、あきらかにネットで「生け贄」にされていました。鈴木宗男事件のときの佐藤優さんだって、マスコミの「生け贄」になってました。

「生け贄」を言い換えると、ファシズムの犠牲者ということになります。自分の愚かな振る舞いは棚にあげて、誰かが人の振る舞いを糾弾しはじめ、それに付和雷同する輩が急増し、糾弾が加熱する。人って、ついついそういう糾弾に同調しやすいからこそ、同調しやすいことを自覚している必要がある、と私はつねづね考えています。

同調しやすいことを自覚したうえで、愚行権について考えれば、ムキになって怒るようなことなど、それほどないんじゃないかなあ。べつに、怒ってもいいんですよ。その怒りを、罵詈雑言や誹謗中傷ではなく、相手への最低限の礼儀をもった言論としてぶつけるのであれば。それは愚行権の範囲内のことだから。

日乗 | コメント (15) | トラックバック (1) |

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双風舎さんという出版社の谷川茂さんのブログを読ませていただいています。 今日は、思い切ってこの記事に http://sofusha.moe-nifty.com/blog/2009/01/post-46ec.html トラックバックしてみます。 為末大さんのブログも好きで良く読みます。 為末さんが愚行権について書いたブログはコチラ http://tamesue.cocolog-nifty.com/samurai/2007/12/post_0348.html 谷川さんが書かれたのは... 続きを読む

受信: 2009/01/30 17:43:05

コメント

沢尻エリカ 結婚!! 問題の露天風呂盗 撮動 画【全編40分】
「本物なのか!?」――。
1本の盗 撮ビデオをめぐり、AVマニアが騒然となっている。
あの“エリカ様”こと女優・沢尻エリカにウリ二つの女性の入浴シーンが隠し撮りされ、闇市場に出回っているのだ。


http://sawajirierikaka.blogspot.com/


実際に映像を見てみると、確かに髪形や雰囲気は沢尻にソックリ。ただ、本物と比べて顔がノッペリしているし、胸も小さいような……。しかし、DVDの途中でこんなテロップが流れる。


http://sawajirierikaka.blogspot.com/

投稿: 沢尻エリカ 結婚!! 問題の露天風呂盗 撮動 画【全編40分】 | 2009/01/30 19:40:08

2回、読ませてもらいました。
俺は愚考権という言葉を初めて知りました。ネットでも調べました。
俺は愚考権を認める気にはなれません。そんな机上の権利、ゴミ箱に捨ててください。
昔の人は良いことを言いました。「人のふり見て我がふりなおせ」と。隣に酒臭いヒトが座って不快に感じたら「自分はそんなことしないぞ」と思うべきです。秩序と平和はそうやって保たれてきたし、これからもそうあるべきだと俺は思います。
自由の概念が俺とあなたとでは違うのでしょう。自由は責任とワンセット。赤白の家の主は周囲に対する責任を果たしていません。
危害という言葉の概念も俺とあなたとでは違うようです。あなたのは狭すぎる。
あと、話は簡潔にスマートに記載してください。読むほうの身にもなってください。

投稿: きゃろっとっと | 2009/01/30 21:16:55

愚行権とは、国民の愚かな振舞を国家権力は侵害してはならない
という国民から国家への命令では?
私人と私人の間に愚行権なんてあるのですか?
寛容という道徳によって愚行を認めるべきでは?


投稿: 松村彦 | 2009/01/30 22:06:39

「自由」の悪用誤用は法で締め上げる。
それが為政者の務めだと俺は思いますし、他人の愚行を諭すのが人間としての愛だと俺は思います。

投稿: きゃろっとっと | 2009/01/30 22:40:51

プロ市民という言葉が、市民をバカにしていると思います。
「おかしい」と言っただけで非難する方が愚行でしょうね。

投稿: 梅田一男 | 2009/01/30 23:19:10

不躾なコメントに対し真摯な返信をして下さり感謝します。

>匿名でなく、記名でお願いします。

失礼しました。吉田光宏といいます。
上記の方ではありません。

自分なりに租借してからコメントします。

投稿: mこと吉田光宏 | 2009/01/30 23:31:44

律儀ですねー。mこと吉田光宏さん。と俺は思います。
「ネット上での匿名、記名に何の意味があるのか。きゃろっとっとだと駄目で鈴木太郎がOKであることの境が俺にはよくわからない。」と俺なら答えます。
全国の鈴木太郎さん。ごめんなさい。と俺は謝ります。

投稿: きゃろっとっと | 2009/01/31 0:07:28

権利の内在的制約という言葉ぐらい知ってるでしょう。
たとえば、音楽が好きな人が、音楽を聴くのは自由です。また、水をまくことが好きな人は、自分の庭に水をまくのは自由です。しかし、必要以上に大きな音で音楽をならしたり、他人のうちに水が入り込むような方法で水をまいたり、具体的に他人に迷惑(他人の受忍限度を越える行為)をかけてまで、自由に行っていいものではないのは当たり前です。
その意味で、「赤白の家」は、近隣に具体的な迷惑をかけていないと考えられるから、損害賠償をする必要がないと考えられます。
窓を開ければ、赤白の家だというのは、お互いに狭い敷地に家を建てれば、窓を開ければ家が見えるのは当たり前です。それがいやならば引っ越すしかないでしょう。
窓を開けたら、洗濯物が見える、窓を開けたら整理されていない家が見える、窓を開けたなら趣味の悪い安物の家が見える、窓を開けたなら、趣味の悪い盆栽が見える、みんな同じでしょう。
家の形、色などは、個々人によって受け取り方が違うのが当然で、今回の場合には、その限度を越えるものではないでしょう。
また、そういう主張を安易に認めれば、先に住んでいた者が後から移転してきて家を建てようとする者を選ぶ行為にもなりかねないでしょう。
 先の赤白の家がだめだというのなら、「赤白の家の主は周囲に対する責任を果たしていません。」という愚かな発言は、深いですので書かないでください。という論理も容易に成り立ちます。
ブログをみると、愚かな発言があるのですよと。
最後に疑問なのですが、「周囲に対する責任」とは何でしょうか?たまたま、先に数でいたことの特権なのでしょうか(笑)。

大きな音で聞いているが、その音で、周りの人の安静が妨げられたり、夜も眠れない状況になっているのに

投稿: | 2009/01/31 10:16:49

おっと
「先に数でいたことの」→「先に住んでいたことの」
ですね。
(笑)以下は、消し忘れですね。失礼しました。

投稿: | 2009/01/31 10:20:15

長文です。ごめんなさい。
実を言うと、景観が悪くなったからと言って裁判所に訴えても仕方が無かろうに、、、周囲の住民の方々も愚かだな、、、と俺は思います。
俺が言う「周囲への責任」とは周囲への配慮、心配りと捉えていただければいいと思います。自分の行動が周りにどんな影響を与えてしまうかという配慮は一般常識として当然あってしかるべきだ。と俺は言います。
自己表現は漫画本の世界だけにしておけば、見たくない人は買わないのだから喧嘩にはならなかったでしょうに。なんで赤白の家を建ててわざわざ周囲に喧嘩を売るような真似をしたのか。家は個人資産で他人がどうこう言う筋合いの無いものだからこそ、見たくない人への配慮は事前に考慮しておくべきだった。それが周囲への責任だ。と俺は答えます。
ごみを集めることに執着する家主さんの「ごみ屋敷」のごみが役所の指導で強制撤去された例もあるではありませんか。実害が無くても周囲が不快に思うような行動は慎むべきでした。
(ブログはいいんですよ。どうせ読みたくない人は読まない自由を選択するだけですから。)
長文、失礼しました。

投稿: きゃろっとっと | 2009/01/31 22:46:23

追伸。

「大きな音で聞いているが、その音で、周りの人の安静が妨げられたり、夜も眠れない状況になっているのに」

最後にいい事書いてるじゃないですか。そのとおりですよ。まさにそれですよ。だから周囲への迷惑を配慮して夜は音を小さくするでしょう。それが大人の判断、周囲への責任ってもんです。と俺は断言します。
音がNGなら、色やデザインがNGだってありえるでしょうに。

投稿: きゃろっとっと | 2009/01/31 22:56:24

きゃろっとさん論は全く筋が通っていないように感じられます。
いつの世の中、平和と秩序がこの世界で保たれていたのか知りたいものです。全体としてせっかく丁寧に誠意ある返信をくれているのにそれ対して話の次元があっていないように思います。

投稿: 岡本英彦 | 2009/02/04 14:00:51

〉また、mさんが、どうしても楳図さんを許せないのなら、最低限の礼儀をわきまえたうえで、言論上で徹底的に批判するなり、訴訟を起こすなり、納得のいくかたちで振る舞ったらいいと思います。そして、mさんは、楳図さんからどんな危害をくわえられたか、その危害は「危害」といえるものなのかを、公の場(=公共圏)でしっかり説明すればいいと思います。

だとするなら、直接「危害」を加えられていな限り他人を非難する権利がない、ということになりはしませんか?

筆者自身が、「ワイドショーで楳図さんを批判していた人」の「愚行権」を、「プロ市民みたいな人」という表現まで使って認めていないとも言えますね。

ついでですが、
〉楳図さん宅が含まれる地域の人たちが、しっかりと話し合ったうえで、壁を赤白にすることの賛否を考えるのがいいと思います。

報道の範囲では、梅図さんは話し合いにまともに応じなかったようですが?

投稿: 志居高志 | 2009/02/06 21:36:37

「だとするなら、直接『危害』を加えられていな限り他人を非難する権利がない、ということになりはしませんか?」

※罵詈雑言をもって非難するのは論外ですが、相手の尊厳をもったうえでの批判であれば可能だと思います。

「筆者自身が、『ワイドショーで楳図さんを批判していた人』の『愚行権』を、『プロ市民みたいな人』という表現まで使って認めていないとも言えますね」

※「プロ市民」と決めつけるのではなく、「みたいな」ということによって、楳図さんに抗議していた人の尊厳を重視したつもりですが。

「報道の範囲では、梅図さんは話し合いにまともに応じなかったようですが?」

※愚行権の範囲内で起きた出来事は、ようするに「それは趣味の違いですね」で話が終わります。そもそも公共圏に持ちだす必要のない問題です。エントリーでは、事例として「話し合い」というケースも書きましたが、話し合う必要のない場合もありうるでしょうし、話し合う気も起きないような場合もありうると思います。

※志居高志さん、このように重箱の隅をつつくのもいいのですが、せっかくですからご自身はこの問題についてどう考えていらっしゃるのかを書いていただけると、ブログ主としては嬉しいのですが。

投稿: lelele | 2009/02/07 4:42:56

楳図かずお宅の近所に馬鹿なクレーマーが住んでただけ。

投稿: 一二の三四郎 | 2009/02/07 8:23:30