双風亭日乗

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2009年2月26日 (木)

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お待たせしました。
坂東眞砂子著『「子猫殺し」を語る』が本日配本となります。
首都圏の書店では明日から、地方の書店では明後日から順次、棚に並びます。

この本は、すべての猫好きに読んでいただきたいと思っています。そして、猫が好きな人だけでなく、日常的に生き物を飼ったり眺めたり食べたりしているすべての人に、読んでいただきたい。読んだうえで、いったん立ち止まって、人と人以外の生き物との関係について、じっくりと考えていただきたい。

さらに、ちょっとしたスイッチが入るだけで、深い理由も考えず、「不快だ」とか「気持ち悪い」ということで、人はすぐに特定の個人や組織を排除してしまうものだということを、「子猫殺し」騒動を事例に考えていただきたい。

自分が大勢の側に属していれば、特定の個人や組織を排除しても、安全で気持ちがいいものです。それは人の性質として当たり前のことなのですが、その当たり前のことを理解しておくことがたいせつなんだと思います。

その当たり前な人の性質の裏側には、死にたくなるほど迷惑をこうむる人がいる。反論する余地もないくらい、追いつめられる人がいる。まじめな話をしても、まともな反応が返ってこないので、世の中が馬鹿らしく思えてくる人がいる。

当たり前だからこそ、そのアクションの影響や結果を事前に理解し、排除される側に思いをはせることが重要です。そういったことを、『「子猫殺し」を語る』を読んでいただき、読者のみなさんと一緒に考えていければと思っています。

※写真は、『「子猫殺し」を語る』のカバー(裏)に掲載されているものです。

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2009年2月26日 (木)

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今日の日本経済新聞で、紀伊國屋書店さんにトークセッションの告知をしていただきました。

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2009年2月25日 (水)

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今日の朝日新聞で、紀伊國屋書店さんにトークセッションの告知をしていただきました。

基本的に広告をうたない弊社としては、こんなにありがたいことはありません。

まだ残席がありますので、ぜひご参加くださいませ!

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2009年2月24日 (火)

Pochi
『「子猫殺し」を語る』の配本が1日おくれて、2月26日になりました。印刷工程でトラブルがあったようです。刊行を心待ちにしていただいている読者のみなさんに、深くお詫びいたします。

そんなわけで、同書は本来なら2月25日に配本予定だったのですが、じつはその日には、同じ印刷所で刷り、同じ取次から流通させる、別の会社の本がありました。その本の名前は『報道されない警察とマスコミの腐敗――映画「ポチの告白」が暴いたもの』、著者は友人の寺澤有さん(警察ジャーナリスト)、出版社は「インシデンツ」です。

同社は、寺澤が立ちあげた新しい出版社で、この本が第一作目となります。警察とマスコミの腐った実態を描いた映画『ポチの告白」をめぐる多くの関係者に、ディープなインタビューを重ね、それを収録した本です。

超おもしろそうなので、ぜひ読んでみてくださいね!
これで寺澤さんも「ひとり出版社」仲間ですね。どうぞよろしくお願いいたします。

*******************************

『ポチの告白』については、こちらを。
『報道されない警察とマスコミの腐敗』のくわしい情報については、こちらを。

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2009年2月24日 (火)

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浅草のあるバーにて。
30代のマスターに聞いてみました。

「伊武雅刀って、知ってる?」
「知ってますよ、あのシブい俳優ですよね!?」
「そうそう。でさぁ、伊武さんの歌、聞いたことある?」
「えぇぇ、伊武さんは歌手もやってるんですか……」
「1980年代っすけどね。一世を風靡した曲もあるんですよ」
「たぶん、聞いたことないですね~」

というわけで、伊武さんが昨年9月に『伊武のすべて』という2枚組のCDをリリースしたことを知り、さっそく買いました。

すばらしい。

なにがすばらしいのか。それは、「イブのマンボでワン・ツー・スリー」という曲が収録されているからなんです。

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2009年2月23日 (月)

ネットでいろいろ検索していると、ときおり「ここまでやるか?」と思ってしまうようなことが書かれているサイトがあります。2年前の「子猫殺し」騒動のときにも、あきらかに常軌を逸しているサイトがありました。

たとえば、「坂東眞砂子 不買」というキーワードでググってみると、以下のようなサイトがあらわれます。

そえじまノブさん
直木賞受賞作家 「坂東眞砂子」氏の本不買運動同盟
http://bandoumasako.moryou.com/ 

作者不明
不買等抗議のお願い
http://28.xmbs.jp/ch.php?ID=forlady&c_num=17753 

きっこさん
きっこの日記 2006年8月23日
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20060823 

この件に関して、『「子猫殺し」を語る』のなかで佐藤優さんが、以下のようにコメントしています。

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2009年2月20日 (金)

1975年4月から79年1月までカンボジアを支配し、百数十万人の国民を死亡させたポル・ポト政権。政権崩壊から30年後の2008年2月17日に、同政権幹部の罪を問う特別法廷が開廷しました。一応、いくつかの大学で「カンボジア社会史」みたいなことを教えているカンボジア専門家もどきとして、この件に関してコメントさせていただきます。

同政権の幹部らの罪を問うことは、暗黒の歴史を忘れたことにしないためにも、必要なことだと思います。しかし、単純な疑問がひとつあります。それは、なぜ政権崩壊から30年も経過しないと、法廷を開けないのか、という点です。

私見を述べれば、大国のご都合主義が原因で、法廷を開けなかったんだと思います。ごく簡単に、その理由を記します。

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2009年2月19日 (木)

今回は、『「子猫殺し」を語る』の著者である坂東眞砂子さんから届いたコメントを掲載します。本を出す理由が明解に記されているので、ぜひご一読ください。

なお、本連載は、いったんこれにて終了します。以降は「『子猫殺し」再考」というテーマで随時、記事を掲載いたします。お読みいただき、ありがとうございました。

この本は自己擁護ではない

坂東眞砂子

「子猫殺し」と題したエッセイを発表したために受けた非難、中傷、そこから起きた騒動に関して、私は別に被害者意識は持っていない。自分が蒔いた種だから、そこから思ってもいなかった芽が芽吹こうとも、まあ、仕方ないか、と捉えている。

とはいえ、私の生業は、ものを書くことだ。書くためには、さまざまな思考をする。その思考の結実としての作品、この場合はエッセイの内容がきちんと読者に伝わったかどうかは気にかかるところだ。

この意味において、「子猫殺し」のエッセイは、騒動の渦中、歪曲され、誤解されてしまったという残念な気持ちは抱いている。

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2009年2月17日 (火)

連載「『子猫殺し』再考」の掲載用として、坂東眞砂子さんと東琢磨さんからコメントが届きました。ご多忙のところ、コメントをお送りいただいたおふたりに感謝いたします。

本日は、東さんから届いたコメントを以下に掲載します。坂東さんからのコメントは、19日の掲載です。

なぜ、この本に参加したか。
取り憑かれたのか、取り憑いたのか。

東琢磨(音楽評論家)

なぜ、この本に参加したのか。単純である。坂東眞砂子さんは、私がファンである作家であり、畏敬する友人であるから。そういう方が窮地に陥っているように見える時に、何もできないままでいて、声をかけられれば歓んで応じるのが人の道である。

と、それだけなのだが、実際のところ、この「猫殺し」バッシングに気持ち悪いものを感じていたのはたしかだ。せっかくの機会なので、その強烈な違和感について、坂東さんとともに考えてみたいと思ったのだ。

坂東さんの「猫殺し」だけではなく、なぜ人はこんなにバッシングに夢中になるのか。私自身も猫、特に野良猫は好きだが、ふだんはいろんなものを平気で殺している人たちが、いざ猫、子猫になるとこれだけ燃える(萌える?)のか。それも不思議だった。

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2009年2月17日 (火)

先日、芸人のスマイリー菊地さんが、ブログの書き込みで中傷されたとして、警視庁が男女18人を名誉棄損容疑で刑事責任の追及をはじめる、と報じられました。

スマイリーさんの場合は、長期にわたって中傷されたとのことですが、短期集中とはいえ、坂東さんへの中傷も猛烈であったことを、けっして忘れてはいけないと思います。

「子猫殺し」に関する連載をはじめた当初は、坂東さんに対して2年前に噴きあがっていた人たちが、何らかの暴力的な言葉のアクションを起こす可能性を想定していました。

しかし、まるで手のひらを返すように、そういう人たちはひっそりと黙りこんでいます。まるで、自分らの暴言を「なかったこと」にしてしまうがごとく……。

そもそも、スマイリーさんの一件であきらかになったように、自分たちが言葉の暴力で人を傷つけていたことに対し、国家の暴力機関である警察が介入しなければ気づかないという時点で、ネットの病理的な部分を感じます。

ちゃんちゃらおかしいというか、情けないというか、なんというか……。

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2009年2月15日 (日)

「テレビがつまらなくなった、その理由とは?」という記事が話題になっているようです。

http://news.ameba.jp/cobs/2009/02/33785.html#com 

おなじみの「痛いニュース」でも取りあげていました。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1216852.html 

「つまらないか、おもしろいか」という基準は、とても抽象的かつ人それぞれのものなので、答えようがないと思います。ようするに、「テレビを見るか、見ないか」ということですよね。

しばしばテレビの文句をよくいっている私ですが、じつは、けっこうテレビを見ているほうだと思います。なぜ見ているのかというと、なんとなくテレビの可能性を信じているからなんですよ。では、テレビの可能性とは何かというと、ある情報を一度に多くの人に伝えられるという点です。

これは、ひっくりかえると政治的な煽動や喧伝に使われてしまう可能性がある、ともいえるわけですが、うまく使えばそれなりの意味はあると、私は考えています。で、誰がうまく使うのかというと、それは「人」なんですよね。つまり、誰が番組をつくるのか、ということです。

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2009年2月14日 (土)

■「子猫殺し」に関連するリンク集

今回は、「子猫殺し」騒動の当時に、私がブックマークしておいたwebページやブログを紹介します。「子猫殺し」エッセイが掲載された2006年8月下旬と、関連ニュースが騒がれた同年9月下旬をピークに、ものすごい数の人が同エッセイについて、ウェブ上で言及しました。

言及した内容のほとんどが坂東バッシングだったわけですが、ああなってしまうと坂東さんに対し中立的な意見や擁護する意見を発表しにくくなりますよね。中立・擁護派は、坂東さんと同様に、反対派からバッシングされてしまいますから。

ちなみに、いまでも検索エンジンやブログ検索で、「子猫殺し 坂東」につづけて「バカ」「不快」「キチガイ」「気持ち悪い」と入力して検索すれば、バッシングの痕跡をのぞくことができます。

いずれにしても、あの騒動から2年の時を経て、坂東さんはふたたび、「子猫殺し」というテーマを世に提起します。さらに今回は、東琢磨さんや小林照幸さん、そして佐藤優さんらが坂東さんに協力しています。そういう状況のなかで、騒ぎの当時に坂東さんをバッシングしていた人たち(とりわけ、いまでもウェブ検索に引っかかるような人たち)が、いったいどのような対応を見せるのかを、興味深く見守っています。

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2009年2月13日 (金)

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『「子猫殺し」を語る』のカバー(オビ付き)を公開します。
デザインは、いつもの大竹左紀斗さんです。
写真は、坂東眞砂子さんに提供していただきました。

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2009年2月12日 (木)

『「子猫殺し」を語る』を出す理由④(最終回)

■違和感を持ったときこそ、冷静な対処を

さて、2006年8月19日に日経新聞夕刊プロムナード欄に、坂東眞砂子さんの「子猫殺し」というエッセイが発表されてからの約一カ月のあいだ、なぜネットや週刊誌であれだけ坂東バッシングが加熱し、坂東さんに罵詈雑言や誹謗中傷があびせられたのか。

坂東さんのエッセイは、昔の日本でおこなわれていたこと、また、いまの日本でも田舎ではおこなわれていること、さらに世界の貧しいといわれている地域でおこなわれていることなどを知らない方にとっては、たしかにショッキングな内容かもしれません。知らないこと、それもショッキングなことを、いきなり目前に提示されれば、違和感を持つ人がいてもおかしくはありません。

しかし、だからといってその違和感に対して、感情的に噴きあがったり、情緒的に怒りをぶつけたりする姿勢に対して、私は違和感を持たざるをえませんでした。坂東さんは、エッセイで読者をののしっているわけでもないし、読者を馬鹿にしているわけではないのですから。

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2009年2月11日 (水)

『「子猫殺し」を語る』を出す理由③

■人に猫の気持ちはわからない

ここで私の猫の話に戻します。そもそも、去勢手術をしたことだけでなく、部屋で飼っている時点で、本来は獣である猫の自由をうばっているんですよね。部屋にいたら、いろんな場所を歩きまわることができないし、ほかの猫と関わることもできません。本来、獣としての猫は、広い野山でネズミや鳥などを捕まえ、もてあそび、食し、くわえて異性と交尾する本能をもっていることでしょう。

そして、ここでふたたび、私が飼い猫を去勢した理由を記します。第一に猫のつらそうな姿を見るのがいやだったこと、第二に近所のクレームを避けるため、第三に経済的な余裕がないこと、第四に去勢しないで産まれた子猫を殺すという発想がなかったこと。

すべて私の都合で決めたことあり、猫にとってはいい迷惑なのではないか。ふと、そう思いました。「猫は愛玩動物なのだから、それは仕方のないこと」と思う方がいるかもしれませんが、猫が「愛玩動物」だというのも、人が勝手に決めたことです。「愛玩動物」だと位置づけられたことを、猫が喜んでいるのか悲しんでいるのかなんて、誰にもわかりませんよね。

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2009年2月10日 (火)

南極海で日本の調査捕鯨船団に対して妨害活動をおこなっている米環境保護団体シー・シェパード(SS)。クジラをめぐる問題は複雑で、簡単に「これが答えだ」とはいえません。クジラを食べたり、油をとる国もあれば、まったく捕鯨をしない国もある。捕りすぎるとクジラが絶滅するという人もいるし、クジラが増えるとサンマやイワシが減るという人もいる。

いずれにしても、SSの活動はやりすぎであり、テロといわれても仕方のないような部分もあると私は思います。捕鯨船に体当たりしたり、ロケット弾を打ち込んだり……。でも、ちょっと待ってくださいよ。多くの人が、SSと似たようなことを、殺意と軽蔑のこもった「言葉」という武器をつかってやっていたんじゃありませんか。

攻撃される側と攻撃する側の図式を見てみると、「攻撃される側=捕鯨船=坂東さん」となり、「攻撃する側=SS=坂東さんをバッシングした人々」というかたちに見えて仕方がありません。「クジラ」を殺した捕鯨船と、「子猫」を殺した坂東さん、そして「クジラ」を殺したことに過剰反応しているSSと、「子猫」を殺したことに過剰反応した人々という意味でも、図式が似ています。

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2009年2月10日 (火)

『「子猫殺し」を語る』を出す理由②

■カンボジアの猫

坂東さんのエッセイを読んだあと、よく考えてみれば、カンボジアでは猫を部屋で飼う人などほとんどいなかったし、猫を去勢する人もいなかったことを思い出しました。そうなると子猫がじゃんじゃん産まれる。誰もが、餌をあげられる分の猫は確保し、余分な猫は殺していました。

子猫殺しがカンボジアでOKだから、日本でもOKなどというつもりは、さらさらありません。でも、人が猫と暮らすための道というのはいくつかあって、そのうちのひとつが、カンボジアでとられていた対処であるということに気づきました。だって、そういう道が残されていなければ、獣医がいなかったり、手術費用が出せない人の多い社会で猫を飼うことなどできないじゃありませんか。これは、あくまでも私がカンボジアに滞在した当時の話ですが。

以上のような話を書くと、「だったら猫を飼わなければいいじゃないか」という方もいらっしゃることでしょう。しかし、カンボジアには猫がいて、飼い主がいなければ害獣として殺される可能性が高いわけです。そうなると、猫を飼うことは、猫が殺される可能性を低くすることになり、とりあえず飼っている猫の命を保護することにつながります。

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2009年2月 9日 (月)

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「子猫殺し」騒動とは、いったい何だったのか
――ファシズムへと敷き詰められた道の途中で――

日時: 2009年3月6日(金) 18:30開場/19:00開演
会場: 新宿・紀伊國屋サザンシアター

詳細は「続きを読む」をクリック!

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イベント |

2009年2月 9日 (月)

『「子猫殺し」を語る』を出す理由①

■刊行の目的

私が坂東眞砂子著『「子猫殺し」を語る』を刊行する理由は、いろいろあります。とはいえ、前提としてみなさんにわかっていてほしいことが、ふたつあります。

ひとつめは、坂東さんが書いた「子猫殺し」エッセイに反発した人たちを単純に批判することが、刊行の目的ではない、ということです。ふたつめは、「子猫殺し」エッセイの内容を過剰に擁護することが、刊行の目的ではない、ということです。

まず、私個人が坂東眞砂子さんの「子猫殺し」というエッセイに出会ったときのことから書きましょう。出会いは、「きっこのブログ」の以下のエントリーがきっかけでした。

「きっこのブログ」 2008年8月21日
猫殺し作家の屁理屈
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2006/08/post_3aec.html

きっこさんの上記エントリーをうけて、私は以下のエントリーをこのブログにアップしました。

双風亭日乗 2006年8月22日
http://sofusha.moe-nifty.com/blog/2006/08/821_e8b2.html

■問題意識

今回、『「子猫殺し」を語る』を刊行する理由は、その延長線上にあります。私の問題意識を整理すると、以下のふたつになります。

第一は、坂東さんのエッセイは、罵詈雑言を浴びせられるような内容のものなのか、ということです。第二は、坂東さんのエッセイは「言論」として発表されていることから、内容に違和感があるのなら、どこに違和感があるのかを表明したうえで、きちんとした「言論」で批判をすればいい。それなのに、「死ね」「本を燃やせ」「バカ」などという、坂東さんへの悪意と殺意のこもった言葉がたくさん出まわりました。それはなぜなのか、ということです。

まず、第一の問題から考えていきましょう。

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2009年2月 9日 (月)

前回のエントリーに対して、以下のようなコメントをいただきました。「子猫殺し」騒動を考える際に、たいへん重要な論点がこのコメントには含まれていると思います。連載を一回やすんで、このコメントについて考えてみようと思います。

「あらゆる生命は無条件に価値がある。」
大人はこの建前を永久に護持すべきであると思います。

「あらゆる生命は無条件に価値がある」という場合、「無条件に」と言い切ってしまえるのかどうか、私には疑問です。まず、人と人以外の生き物を分けたうえで、「あらゆる生命に価値がある。けれども、人以外の生き物について、場合によっては人の都合で殺さざるをえない生命もある」とつづける。さらに、殺さざるをえない生命に対しては、できるだけ感謝したり、哀悼の念を抱いたり、申し訳ないと考えたりする。

そう考えないと、一般の人であれば、動物を殺して食べていることの理由が説明できなくなるでしょう。また、菜食主義者であっても、植物を殺して食べていることの理由が説明できなくなるのではありませんか。

小学校のとき、朝礼のたびに校長が「いのちをたいせつに」といっていました。たしかに、いのちをたいせつにすると考えるのは、いいことだと思います。しかし、問題はその先です。いのちをたいせつにするということは、生き物を殺してはいけないという意味でなく、人が生きるためにやむなく殺さざるをえないいのちもあることを認識すること。さらに、そういういのちに対しては申し訳ないと思い、感謝するということが、「いのちをたいせつに」するということにつながる。

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2009年2月 7日 (土)

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あるスナックにて

深夜3時。浅草のあるスナック。40代前半のママさんは福島県出身。高校卒業後、埼玉に上京し、いまは浅草でスナックを経営。ママさん、犬を飼っているというので、酒飲み話の一環として、坂東さんの「子猫殺し」の感想を聞いてみました。

谷川「犬とか猫とか、飼ってるの?」
ママ「犬、飼っているよ。ミニチュアダックスフンドで、ポチっていう六歳の雄犬」
谷川「避妊手術とか、してるの?」
ママ「してないね」
谷川「なんで? 部屋飼いの犬に避妊手術をしないのって、いまどき珍しいんじゃない」
ママ「ん~、とくに理由はないけど。あえていえば、避妊する必要もないってことかな」
谷川「でも、まわりの犬好きは、みんな避妊しているんじゃないの?」
ママ「だいたい、してるね」
谷川「避妊しないと、はやく死んでしまうとか、盛りがついたときに見てられないって聞くけどね」
ママ「そうね、盛りのときはたいへん。それでも、ときどき同じ犬種で、避妊していない雌犬と交尾させているのよ。子どもができたら、もらい主を見つけるのたいへんだけどね」
谷川「へぇ~、ママにしろ雌犬の飼い主にしろ、いまどきそういう人もいるんだ。ところで、2年くらい前に起きた『子猫殺し』騒動って、知ってる?」

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2009年2月 6日 (金)

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『「子猫殺し」を語る』の刊行を記念して、トークセッションをおこないます。
「子猫殺し」騒動に興味がある方だけでなく、いま猫を飼っている方や猫以外の動物を飼っている方にも、ぜひいらっしゃっていただければと思います。
以下、詳細をお知らせいたします。

転載大歓迎です。告知にご協力いただきたく存じます!

第52回 紀伊國屋サザンセミナー

佐藤優×坂東眞砂子 トークセッション
「子猫殺し」騒動とは、いったい何だったのか
――ファシズムへと敷き詰められた道の途中で――

2006年8月18日付の日本経済新聞夕刊コラム「プロムナード」に、坂東眞砂子(作家)による衝撃的なコラムが掲載された。タイトルは「子猫殺し」。このコラムをめぐり、おもにネット上では、猫好きの人々による坂東バッシングが一斉に起こった。

「生き物の生死について、真剣に考える契機になれば」という思いで発表したエッセイが糾弾の対象になった坂東は、『「子猫殺し」を語る』を刊行。同書のなかで、猫好きによる自身へのバッシングに、ファシズムの原形を感じた。

『死国』を読んでから坂東の熱烈なファンとなった佐藤優(起訴休職外務事務官、作家)は、同書の坂東との対談で「子猫殺し」論争の本質を語るとともに、猫好きだからこそ、この論争について真剣に考える必要があると述べた。そして、猫をファシズムの記号にしないためにも、「いまこそ真の猫好きが結集すべきとき」と佐藤は考えている。

論争から2年。「子猫殺し」論争とはいったい何だったのかを振り返りつつ、人と動物の関係やその生と死について徹底的に語る。

日時: 2009年3月6日(金) 18:30開場/19:00開演
会場: 新宿・紀伊國屋サザンシアター
料金: 1000円 (全席指定・税込)


電話予約・問い合わせ: 紀伊國屋サザンシアター 電話 03-5361-3321(10:00~18:00)
チケット販売所: キノチケットカウンター(紀伊國屋書店新宿本店5F,10:00~18:30)
           紀伊國屋サザンシアター(紀伊國屋書店新宿南店7F,10:00~18:30)
サイン会参加方法: 当日、会場にて講師の著作をお買い上げの先着150名様に整理券を配布。
共 催: 双風舎、紀伊國屋書店

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2009年2月 5日 (木)

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こんにちは。連載の3回目は、『「子猫殺し」を語る』の概要をお知らせします。

この本の「まえがき」は、坂東さんの希望により私が執筆しました。この「まえがき」を読んでいただければ、同書の概要が理解できると思います。

以下、「まえがき」の全文を公開します。

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坂東眞砂子著『「子猫殺し」を語る』


まえがき


一九九四年四月から七月のあいだに、アフリカのルワンダでフツ族によるツチ族への大量虐殺がおこなわれた。約一〇〇日間ですくなくとも八〇万人のツチ族がフツ族によって殺されたこの事件で、虐殺の煽動をしたのは、フツ族過激派がつくった「千の丘ラジオ」による過激な放送であった。放送内容の一例をあげてみよう。

「ゴキブリどもを血祭りにあげよう。心配いらない、ラジオが味方だ。だから武器を取って家を出よう!」(NHKスペシャル「なぜ隣人を殺したか――ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送――」一九九八年一月一八日放送分より)

テレビも新聞も普及していないルワンダでは、ラジオというメディアが煽ることによって、「なぜ殺すのか」とか「殺される側はどう思うのか」といったことを考えることなく、虐殺する側のフツ族が、昨日まで隣人であったツチ族を殺しつづけたのである。

二〇〇六年八月一八日の日本経済新聞夕刊に、坂東眞砂子さんによる「子猫殺し」というエッセイが掲載された。このエッセイをめぐり、おもにネット上では、愛猫家と思われる人々によって、徹底的な坂東バッシングがおこなわれた。

「坂東眞砂子を血祭りにあげよう。心配いらない、ネットが味方だ。だからブログを使ってみんなで叩こう!」

このような雰囲気でネットというメディアが煽ることによって、「坂東さんがなぜ『子猫殺し』というエッセイを世に発表したのか」ということや、「人は動物とどう向きあっていけばいいのか」というエッセイの主題がほとんど議論されないまま、圧倒的多数の人々(それも、ほとんど匿名)から、坂東さんは叩かれつづけた。

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2009年2月 3日 (火)

連載の第2回は、目次の公開です。私が『「子猫殺し」を語る』を出す理由についても、ちらっと触れておきます。

目次をごらんになると、全体の流れがわかると思います。第一部は、坂東さんが日経新聞夕刊に2006年7月から12月まで連載したエッセイの全文です。第二部は、東琢磨さんと小林照幸さん、そして佐藤優さんのそれぞれと坂東さんがおこなった、「子猫殺し」騒動に関する徹底討論を掲載しました。どの対談も、「子猫殺し」騒動の枠を超え、日本社会の現状を分析・検討する内容となっています。手前味噌ですが、おもしろいですよ~!

■「子猫殺し」は、連載エッセイの文脈のなかで読み込んでほしい

「子猫殺し」騒動の当時は、「子猫殺し」というエッセイのみを対象にして騒がれました。しかし、連載エッセイ(全24回)は、当時、暮らしていたタヒチ(フランス領ポリネシア)での見聞をもとに、坂東さんが生き物や自然と人との関係や、外国に住む日本人から見た日本の姿をテーマにして書いたものです。そして、その一部が「子猫殺し」なのでした。

ですから、連載エッセイの全体に流れる文脈のなかに、「子猫殺し」も位置づけていただくことが重要だと強く考えています。人と人以外の生き物との関係は、国や地域、そして宗教などによって、微妙に異なるものだと思います。そして、坂東さんは「子猫殺し」にも、タヒチでの出来事であることは明記していました。にもかかわらず、日本のペット事情を基準にして、坂東さんを批判・糾弾している人が多かったのが、私には気にかかりました。

いったことがない場所であれば、想像がおよばないのは仕方がありません。でも、想像がおよばないからといって、日本の基準や自分の基準を、何の検討もせずに絶対視するのも、どうかと思います。私がこの本を出す理由は、後日お知らせしますが、ここで簡単に触れておきます。

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2009年2月 2日 (月)

連載の第1回は、書誌データの公開です。

ちなみに、書誌とは、第一に書籍そのものという意味、第二に「特定の人あるいは題目についての文献の目録」、第三に「書物の体裁・内容・成立の事情など。また、それらについての記述」という意味があります。

今回、公開するのは三つ目の意味での書誌ですね。このデータが、ISBN(国際標準図書番号)を日本で仕切っている日本書籍協会のデータベースに登録され、いろんなところで利用されることになります。

■タイトル: 『「子猫殺し」を語る』
■サブタイトル: 生き物の生と死を、幻想から現実へ
■著者: 坂東眞砂子
      対談者: 佐藤優、小林照幸、東琢磨
■判型: 46版、並製、アジロ綴じ
■ISBN: 978-4-902465-15-0
■頁数: 288ページ
■予価 本体1700円
■刊行時期: 2009年2月25日刊行予定

『「子猫殺し」を語る』の第二部は、三つの対談で構成されます。いろんな角度から「子猫殺し」騒ぎを分析・検討するということで、どなたと対談するのかについては、坂東さんと私とでかなり話し合いました。

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2009年2月 1日 (日)

今月末に刊行を予定している坂東眞砂子著『「子猫殺し」を語る』について、明日から刊行直前にわたって、当ブログにて同書の内容に関する連載を開始いたします。連載タイトルは『「子猫殺し」再考』です。

内容は、目次や装丁の公開、同書を刊行する理由、そして同書に参加していただいた方々からのコメントなどを紹介できればと考えております。

ご期待ください。


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