2009年2月15日 (日)
テレビがつまらなくなった理由
「テレビがつまらなくなった、その理由とは?」という記事が話題になっているようです。
http://news.ameba.jp/cobs/2009/02/33785.html#com
おなじみの「痛いニュース」でも取りあげていました。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1216852.html
「つまらないか、おもしろいか」という基準は、とても抽象的かつ人それぞれのものなので、答えようがないと思います。ようするに、「テレビを見るか、見ないか」ということですよね。
しばしばテレビの文句をよくいっている私ですが、じつは、けっこうテレビを見ているほうだと思います。なぜ見ているのかというと、なんとなくテレビの可能性を信じているからなんですよ。では、テレビの可能性とは何かというと、ある情報を一度に多くの人に伝えられるという点です。
これは、ひっくりかえると政治的な煽動や喧伝に使われてしまう可能性がある、ともいえるわけですが、うまく使えばそれなりの意味はあると、私は考えています。で、誰がうまく使うのかというと、それは「人」なんですよね。つまり、誰が番組をつくるのか、ということです。
■ディレクターの質と上司の許容量
カンボジアで、多くのテレビ番組制作に関わりましたが、私が知る範囲では、基本的に番組が成立するまでの過程はこうです。第一に、ディレクターが提案する。第二に、上司が承認する。第三に、番組づくりのメンバーをそろえる。第四に、取材・制作をおこなう。第五に、完成前に上司が番組をチェックする。そして、本放送へ。
とりわけ、第一段階と第二段階が重要です。ディレクターがおもしろい番組を提案しても、上司が却下すれば、それで終了。この段階でいえることは、ディレクターがおもしろい提案をできるかどうかと、そのおもしろさを上司が認めるかどうか、ということになります。
そうなると、この時点で「おもしろい提案をできるディレクターが減っているのではないか」と「スポンサーやら政治やらに配慮して、おもしろい企画をとおさない上司がいるのではないか」という疑念が生じますよね。
対策としては、ディレクターとしてしっかりやれる人材を確保することと、すこしくらいの冒険は認めるような上司を育成することが考えられます。しかし、前者に関しては、ディレクターとしての資質がどうこうよりも、とにかく難関なテストに受からなければディレクターにはなれないことを考えると、改善の余地はあまりないと思います。
難関テストに落ちたけど、ディレクターとしての資質がある人は、プロダクションなどで才能を発揮するわけですが、いくらテレビ局正社員よりも優秀な仕事をしても、ギャラは安いし生活も保障されないんですから、やってられません。
後者に関しては、これだけクレーマーが増えている世の中で、冒険してまで試験的な番組をつくろうとする上司など数少ないと思われ、また長年にわたってつちかわれてきた「クレームのない、わかりやすい番組を」という思想は、そう簡単に変わるものではないでしょう。
■「高給の維持」+「下請けに支払う制作費を安くする」=番組の質の低下
第三段階と第四段階では、いまや下請けにやらせるのが当然となり、テレビ局正社員の方々は制作費を安くあげようと必死ですから、結果として質が落ちるのはしょうがないことだと思います。
スポンサーが集まらないから、番組制作費が減っているというけれど、テレビマンとして良質な番組を世に送り出そうという思いがあるのなら、社長を筆頭に、それぞれの社員が高給の一部を削って、番組制作費にあてればいいのではありませんか。そして、安い金で使っている下請けの人たちのモチベーションを高めるべきなのではありませんか。
まあ、こういった高給にしがみつく姿勢と、媒体の質の低下については、まったく同じことが大手新聞社や大手出版社にもいえるわけですが。媒体の質が落ちれば、誰もが見なくなるし読まなくなり、高給を維持することが、自分で自分の首を絞めることにつながるのではないか、と私には見えてしまいます。
それでも、広い家に住み、おいしいものを食べ、子どもに学費をかけ、いい服を着て、高級車に乗ったりしていると、その生活からすこしでもレベルを落とす気になれないという気分もうなづけます。自分がそうだったら、きっとそう思うかもしれません。実際、マスコミ正社員で高給取りの知り合いに話を聞くと、「生活するの、けっこうたいへんですよ~」なんていってますからね。
■テレビ局は雇用の流動性を高めよ
だがしかし、このままテレビ局正社員の高給を維持していけば、番組の質は落ち続けるでしょうし、その結果としてテレビを見る人は減っていくと思います。べらぼうに給料を下げる必要はないんですよ。「世の中を悪い方向へ煽動してしまうかもしれない」という可能性もある、責任のある仕事なのですから。よい番組、おもしろい番組をつくれるように、それなりに下げればいいんじゃないんですか。
もう一点、高給および難関テストを合格しなければ入れないことの問題点をいうと、一度入ったら、自分にその仕事が向いていなくても、なかなか辞めないというのがあります。ディレクターに向いている人なんて、そうそういるもんではありません。それでも、会社の命令でディレクターをやらされたりする。
うまくいかないんで辞めたいけれど、生活レベルを落としたくない。ディレクターは向いていないとわかっているけど、ごまかしながらやるしかない。そういう人がテレビ局正社員には、けっこういるんじゃないのかなあ。鬱病になった人や、ひどい場合は自殺した人の話も聞きますからね。
そういう意味では、テレビ局はもっと雇用の流動性を高めて、中途だろうが何だろうが、ディレクターに向いている人材を確保すればいいと思います。その手間をはぶいて、下請けにばかり制作をまかせていたら、おもしろい番組なんてできませんよ、そりゃ。
■クレームばかりいっていたら、制作側はおもしろい番組などつくれませんよ
最後に一点だけ付けくわえると、視聴者がアホみたいにクレームをあげるのが、番組づくりに対する作り手の野心や冒険心を奪っているということも、きっとあると思います。ちょっとした暴力シーンがあるとダメ、エッチな表現はダメ、こんな言葉はダメ。こんなにダメダメいってたら、テレビの側も自主規制をするようになってしまい、おもしろい番組が減ってしまうのは当然のことです。
クレームとしてあげられることは、たいてい「大人が子どもに隠蔽したい」と勝手に願っていることが多い。いくら隠蔽したって、暴力があり、エッチがあり、いろんな言葉があるのだから、テレビを媒介にしなくたって子どもには伝わっていくことでしょう。そういった隠蔽に、どれだけ意味があるのか私にはわかりません。
人々がテレビを見なくなった理由は、いろいろなものが複合していると思います。とはいえ、私なりに考えてみると、第一に人材の問題、第二にクレームの問題、この二点がおもな理由になるような気がします。
日乗 | コメント (0)
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