双風亭日乗

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2009年3月31日 (火)

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『「子猫殺し」を語る』の配本と同時に、ヤマトのメール便できっこさんに同書を献本しました。本人の住所は不明なので、『きっこの日記』の版元である白夜書房気付けで。2月26日のことです。

同便は、通常だと翌々日、遅くても出荷から4日後に配達されます。つまり、速ければ2月27日、遅くても3月2日には、白夜書房に届いているはずです。しかし、白夜書房気付けできっこさんに送った同書は、なぜか昨日、返品されてきました。

返品理由は「該当者無しとの事」、返品の日付は3月27日。未開封です。では、遅くても3月2日に届いていたはずの同書が、約1カ月後に返品されたことの意味を考えてみましょう。

第一に、白夜書房に届いた同書は、1カ月ほど寝かされたのち、きっこさんに連絡もしくは転送されることなく、同社の判断で返品された。第二に、1カ月のあいだに同社はきっこさんに連絡もしくは転送したが、きっこさんから受けとり拒否の意思表示があり、同社が弊社に返品した。

第一のケースであれば、白夜書房の対応はマズいような気がします。出版社気付けで著者宛に来た郵便物を著者に転送するのは、出版社の役目のひとつだと思うからです。すくなくとも、弊社に来た著者宛の郵便物は、著者に転送しています。

第二のケースであれば、きっこさんの対応には疑問を抱かざるをえません。もちろん、送られた本を受けとるかどうかは、基本的に受取人の自由でしょう。とはいえ、きっこさんは坂東さんに対し、さんざんひどい言葉を投げかけ、それをいまでもネット上に放置しているわけです。

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2009年3月29日 (日)

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毎年、この時期になると、上野公園の花見がテレビで映し出されます。まあ、私も以前は台東区谷中に住んでいたので、桜の時期になると上野公園にはいきました。ただし、花見ではなくて、人見(花見をやっている人を見る)にいっていたんですね。

地元の人たちとの花見は、谷中霊園でやっていました。地元といっても、娘がいっていた保育園つながりの人くらいしか知り合いはいませんでしたから、数家族があつまる程度の花見です。同霊園は上野公園ほど規模がでかくはありませんが、それはそれは綺麗な桜の咲く場所でした。

家族と別れてから、ひとりで浅草に住むようになり、いま花見といえば隅田公園に足を運びます。同公園は、銀座線浅草駅から徒歩3分くらいのところで、隅田川に沿って細長くのびた長い公園です。花見といっても、缶ビールを片手に、花見をしている人たちを眺めにいくんですけどね。

写真は、隅田公園の桜です(クリックすると、つぼみの様子がよく見えます)。先週、いったときにもつぼみだったのですが、今日もほとんど花が咲いていませんでした。でも、花見客はたくさんいましたよ。楽しそうに、非日常を楽しんでる人たちを見ていると、こちらの気分もすこし楽しくなってきます。来週末あたりには、見ごろになりそうです。

しかし、台東区っていうのは、桜の名所がたくさんあるところなんですなあ。いまさらながら、気付きました。

浅草 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月27日 (金)

以下、「ミクシーの『坂東眞砂子不買運動』というコミュニティについて」というエントリーに対していただいた臥猫亭さんのコメントに応答します。

谷川さまが出版にたずさわる方である以上、「表現の自由」については、もっと真剣に考えておられるものかと思っておりました。

「表現の自由」は、出版にたずさわっていても、たずさわっていなくても、誰もが真剣に考えるべき問題だと思います。ですから、「出版にたずさわる方である以上」というかたちで、「表現の自由」を真剣に考えていないのではないか、というレトリックを使うことは、事の本質とはまったく関係ないと思います。
それなのに、軽いノリでコミュの閉鎖を要望するという行動に出られたことが驚きです。

どんな不快な表現であれ、とりあえずその存在は保証する。

これが「表現の自由」を支える理念ではないのでしょうか。
坂東さんも、その自由があればこそ、大多数の人にとって不快であろう表現をあえてエッセイに書かれ、それが日経新聞に掲載され、今でも読めるわけですよね?

それは本末転倒な考え方だと思います。その理由を簡単に整理すると、第一に坂東さんの日経新聞に書いた「子猫殺し」というエッセイは、誹謗中傷されたり罵詈雑言を書かれるようなものではない。

第二に、にもかかわらず、おもにネット上では坂東さんに対する誹謗中傷や罵詈雑言が飛び交って、その痕跡がいまでも残っている。

第三に、いまも坂東さんを誹謗中傷したくなる気分が、痕跡を残した人たちにあるのなら、しっかりとその気分を維持したうえで、坂東さんの問いかけにもしっかりと応答してほしい。しかし、けっしてそうはなっていない。

第四に、痕跡が痕跡のまま放置されており、その痕跡を見たり読んだりして迷惑な人がいる。さらに、この痕跡は、そもそも誹謗中傷されたり罵詈雑言を書かれるような筋合いのないエッセイが起点になっている。よって、痕跡によって迷惑な人がいる以上、放置しておくつもりなのであれば、その痕跡を除去してほしい。

第五に、これはあくまでも痕跡を除去してほしい側の話なので、除去の可能性については、こちらがどんな迷惑をうけているのかを明確にしたうえでミクシーに検討していただく。この場合、ミクシーが放置を妥当と判断すれば、それはそれで仕方のないことである。ようするに、コミュの管理人が私からの連絡を「ネタ」として使うとおっしゃってますように、私も「ネタ」としてミクシーと連絡をとる、という程度の問題です。

上記コミュの閉鎖をミクシーにお願いするかもしれないという話は、こういう流れで進んでいます。最大のポイントは、第一の理由です。この第一の理由が妥当かどうか、多くの人に考えていただくために、『「子猫殺し」を語る』という本を刊行しました。

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2009年3月26日 (木)

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昨日のエントリーでいただいたコメントに応答します。
まずは、渋井哲也さん(ですよね!?)のコメントから。

 こうした議論の場合は、なにをもって「勝ち」「負け」とするんでしょうか。その場の論理性だけをもって「勝ち」「負け」とするのなら、勉強している人や論理性がある人が「勝ち」になってしまいます。

 仮に「勝ち」だとして、それが自分の考えを見直すことや、相手がなぜ主張するのかを考える動機につながるのかな?あるいは、日常の行動を見直したり、考える動機になったりするんでしょうか?

 不快で感情的な反発だけならば、これまでの考えを余計に強化してしまうだけになってしまうかもしれません。議論するというよりは、主張しあうだけになってしまいます。

赤木さんが書いた「勝ち」の意味は、私もわかりませんでした。もし「勝ち」の意味が、「とどめをさす」とか「論破する」ということなら、それはちょっと違うと思いますし、私はそういうことを目指してはいません。 
ただ、結論がすぐに見いだせない問題については、あなたと私は考えが違う。違うけれども、お互い主張を述べ合うことに意味があることに同意することができれば、その後の発展があるかもしれません。

そのとおりです。渋井さんが書かれたことについては、拙ブログで何度も同じ主旨のことを書いていますが、何度書いても、そうなりそうな気配が感じられません。「お前とは違う」→「そして自分のほうが正しい」→「だから、議論する必要なし」(または「相手の主張など聞かず、自分の主張だけを述べる」)という図式が、とりわけ「子猫殺し」騒動に関しては大多数を占めています。

つづいて、macskaさんの以下のコメントに応答します。

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2009年3月25日 (水)

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「ミクシーの『坂東眞砂子不買運動』というコミュニティについて」というエントリーに対し、赤木智弘さんからコメントをいただきました。今回は、このコメントに応答してみようと思います。

まず、赤木さんのコメントを紹介します。

面白いことをしますねー。
まぁ、このコミュがまともに機能していなかったことは、
今回の本の発売すら把握していないことから、あきらかですね。
多分、谷川さんからメールが行って、始めて気付いたのでしょう。
今回のメールでこのコミュの活動が活発になればそれはそれで「批判の場」になる可能性はあるし、谷川さんからのメールを「理不尽」や「ネタ」としてしか扱わないのであれば、またすぐにでも「休眠状態」に移るのでしょうね。そうなれば空しいけれども「谷川さんの勝ち」ということになってしまう。

件のコミュの人たちには、「他人を批判する」ということには、それ相応の説明責任が要求されるということを知って欲しいと思います。
健全な批判が集まるといいですね。

投稿: 赤木智弘 | 2009/03/24 5:26:45

赤木さん、新刊『「当たり前」をひっぱたく』(河出書房新社)の刊行、おめでとうございます。私は、赤木さんの発する「時代の声」がとても重要なものだと思っています。いまは、いろいろと批判や反発があるかもしれませんが、50年とか100年も経てば、その声は貴重な資料として世の役に立つと信じています。

もちろん、いま売れないと生活できないのでしょうから、そんな悠長なことをいってはいられませんが(笑)。

さて、拙ブログへのコメントをありがとうございました。おそらく、赤木さんの言説に対する批判や反発は、「論座」においてサヨクのみなさんがおこなったように、また「子猫殺し」に批判・反発した人たちのように、その根っ子には文章を読んで抱いた読者の「不快」さがあるんだと思います。

ようするに、批判する側からいうと、「理屈じゃないんだよ」っていう話なんですよね。たしかに、私自身にも理屈を抜きにして「不快」になる言説や出来事はけっこうある。でも、そういうふうに感じたときこそ、自分の発言や意見には気をつけなければいけない、と考えています。

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2009年3月23日 (月)

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うめざわしゅん著『ユートピアズ』(小学館)という漫画、めちゃめちゃおもしろいです。「ヤングサンデー」に連載された短編を集めたもので、とりあげるテーマがとても興味深い。

M系性的困難者のために働く「公認女王様」を一般家庭の子どもが訓練する話。
ある男女が付きあいはじめたが、女性のほうが何から何まで男性に合わせ、最後は死ぬことまで合わせようとする話。
女性専用列車にまちがって乗った男性が、まったく痴漢などしていないのに、「意識の高い」女性たちによって痴漢よばわりされる話。
自衛隊が「平和隊」と呼ばれる時代になり、政府も庶民も健康と身体に関心を集中させるなか、「身体を管理されることは心を管理されること」と気付いた男性が、その雰囲気に抗う話。
憎悪の原因となる「ヘイトウイルス」が発見され、抗ウイルス薬などが開発されるが、じつはそのウイルスはでっちあげであり、にもかかわらず人々はウイルスの存在を信じてしまう話。
ほかにも三つの話が収録されています。

おもに近未来の日本の姿を描写しているのですが、「たしかに、ありえるよなぁ……」という話が多く、読みながらいろいろと考えさせられました。
ぜひご一読を!

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2009年3月23日 (月)

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藤井誠二著『重罰化は悪いことなのか』が「週刊金曜日」2009年3月20日号で紹介されました(42ページ)。有り難きしあわせ。

日乗 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月20日 (金)

UQコミュニケーションズという会社が、すでにのサービスを開始している次世代無線通信サービスの「モバイルWiMAX」。@niftyも同社と提携したうえで、夏頃からモバイルWiMAXのサービスをはじめるとのことです。

モバイルWiMAXは、端末をPCに差し込んで、ごく簡単な準備をすれば、高速通信が使えるようになる、というサービスです。通信速度は、理論的には下り最大40Mbps、上り最大10Mbpsとなっています。

で、たまたま私は@niftyが募集する同サービスのモニターに選ばれまして、昨日からモバイルWiMAXを使っております。とりあえず、東京23区内はほとんど使えるようなので、いろんなところにPCを持っていき、ときどき使用感についてブログに書くことにします。

まだ自宅でしか使っておりませんが、「モバイル通信の技術は、進化しているんだなあ」とつくづく感じました。私の愛機(ThinkPad S30)は、無線LAN用のアンテナが内蔵されていたので、自宅ではケーブルレスでウェブが使えました。しかし、外出すれば、LANケーブルがあるところでないと、ウェブは使えませんでした。

それが、UQ社製の端末をPCのUSBに差し込むだけで、画面を数回クリックすればドライバなどが勝手にインストールされ、再起動すればすぐにウェブが使えるんですから、たまげたものです。私の部屋はマンションの7Fなのですが、とりあえず窓際では快適なネットサーフィンが可能でした。もちろん、有線LAN接続よりスピードは遅くなりますが。

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2009年3月19日 (木)

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SNSのミクシーに「坂東眞砂子不買運動」というコミュニティがあります。2年半前の「子猫殺し」騒動のとき、坂東さんに批判的な方々がつくったものと思われます。

私としては、おもに以下のふたつの理由で、そろそろ閉鎖してもいいのではありませんかと、管理人の方にお願いしてみました。

第一は、「不買運動」と題するコミュニティの存在が、職業作家の坂東さんに対する営業妨害になると思われること。第二は、ミクシーのコミュニティというのは、ひとつのテーマやネタについて、関心のある人たちが議論をする場所だと思うが、議論をしているのは騒動が加熱していた時期に限られていること。

以下、同コミュニティの管理人さんに同意していただいたうえで、そのやりとりを転載します。けっきょく、お願いは聞き入れていただけませんでした。本件について、読者のみなさんはどのようにお考えになりますか。みなさんのご意見を聞かせてください!

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2009年3月19日 (木)

Takanaka
今日は、ちょっとノスタルジックに。
私は、ギターを弾くのが好きです。最近はぼちぼちですが、カンボジアに渡る前は、仲間とスタジオに入って練習してました。「かぐや姫」に夢中となり、中学1年でフォークギターをはじめ、高中正義に夢中となり、中学3年でエレキギターをはじめました。

高中さんは、サディステック・ミカ・バンドやサディステックスを渡り歩いた後、ソロで活動するようになり、パイオニアのCMに出演して大ブレイクしました。1980年代前半の話です。ギタリストが、歌なしのインストロメンタルでアルバムを出し、それがなぜか一般にもヒットしていたんです。

当時の高中さんは、私にとっての神様みたいな存在でした。曲をコピーしまくりましたよ。高校の文化祭では、「BLUE LAGOON」という曲を演奏しました。ヘタでしたが……。

で、なんでこんなノスタルじじい的な文章を書いているのかというと、昨晩、youtubeで見た動画があまりにもおもしろかったからなんです。高中さん、「おれたちひょうきん族」に何度かゲスト出演しているのですが、あまりにもノリがいいんで、動画を観ながら爆笑してしまいました。

高中さんのライブに「ひょうきんベストテン」のメンバーが乱入するのがコレ
高中さんが浦辺粂子さんのものまねをするのがコレ
いろんなギタリスト(もどき)と共演するのがコレ

笑いのツボは人それぞれだと思いますが、「そういえば、最近のお笑いを観ても、この動画を観たときほど笑わないなあ」などと、しみじみ感じました。

日乗 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月18日 (水)

昨日、「週刊現代」の「リレー読書日記」に『「子猫殺し」を語る』が紹介されたことをお知らせしました。以下、内澤さんの許可を得たうえで、同日記のなかの『「子猫殺し」を語る』に関する記述を転載いたします。

「子猫殺し」が提起した問題の根本にある「人間のエゴ」や身勝手を考え直させる本の深み

忘れられない事件がある。今から三年前、ちょうど拙著『世界屠畜紀行』の原稿をまとめていた時のこと。作家の坂東眞砂子が生まれたばかりの子猫を殺していると、日本経済新聞のコラムに書いて大騒動となった。ネットにも雑誌にも嫌悪感だけを募らせた批判が相次ぎ、まるで魔女狩りか、集団ヒステリーのような状態になった。

供給過剰とならざるをえなかった愛玩動物を殺処分することは、日本全国津々浦々の地方自治体で行われていることだが、多くの人はその現実を直視することを嫌う。愛玩動物と食肉動物の差こそあれ、屠畜場で行われていることも基本的には動物を殺すことに変わりはないので、自分が本を出しても誰も読みたがらないのでは、と怯えた。

『「子猫殺し」を語る 生き物の生と死を 幻想から現実へ』(坂東眞砂子著・双風舎、1785円)は、坂東眞砂子が当時日本経済新聞に掲載していたエッセイの初回から最終回までの24本と、東琢磨、小林照幸、佐藤優の三人と騒動について話した対談を収録したもの。三人との対話の最後にかならず筆者は問う。「人間が獣の幸せを確定することができるのか、人が他者を殺すことの意味はなにか」と。

著者がエッセイで問いたかったことはまさにこれに尽きる。獣の幸せとは何かなんてだれも決められる訳がない。それを承知の上で、著者はあえて生殖行為を獣から取り上げないことを選んだ。その結果、生まれた子猫を自らの手で始末せざるをえなかった。多くの人が採用する選択肢ではないだろう。私も同じ立場であったら去勢もしくは避妊を選択すると思う。しかしだからといって著者の選択を安易に非難できるだろうか。

愛玩と使役は同義

結局のところ動物を愛玩することも、動物を使役することのバリエーションのひとつにすぎない。現代の人間は、望む望まないに関係なく、意識するしないにも関係なく、ほとんどの動物の生殺を管理する責任を担わされている。保護するにせよ食べるにせよ、無駄に殺すにせよ増やすにせよ、愛玩するにせよ。

その現実を直視した上での議論や騒ぎであったらどんなに興味深かったことだろう。

当時ネット上にヒステリックな書き込みをした人たちは、今やもう書き込んだことすら覚えていないのではないか。

(「週刊現代」2009年3月28日号、126ページ)

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2009年3月17日 (火)

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「週刊現代」3月16日号の「リレー読書日記」で、ルポライターの内澤旬子さんに『「子猫殺し」を語る』を紹介していただきました。内澤さん、ありがとうございます!

内澤さんといえば、誰もまともに取り組んでこなかった「屠畜」というテーマと向き合い、『世界屠畜紀行』(解放出版社)という本を記し、TBS「情熱大陸」に出演するなど、一昨年から昨年まで大ブレークした方ですね。

考えてみれば、「屠畜」で大ブレークというのは、すごいことだと思います。四月からは、子豚と共同生活をすると聞いています。「次は何をやるのかな」とゾクゾク・ワクワクするような書き手でございます。

日乗 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年3月16日 (月)

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「レンタル猫 2」でいただいたコメントに答えます。まずは、ほりーさんのコメントについて。

本当に飼いたい人が、ブリーダーさんと信頼関係のもと譲り受けるように出来ないものでしょうか。どうすれば規制させられるのでしょう?法律の知識が無いので教えてもらいたいです。規制だけで不幸な猫が無くなりはしないでしょうが、まず、ここから減らさない事には、保護して避妊手術をしていても、いたちごっこです。

人と人とが、信頼関係のもとで、猫をゆずり、ゆずり受けられるような仕組みができれば、それが一番いいことだと思います。さらに、猫をゆずり受けるときに、自分がほんとうに死ぬまで猫を飼えるのかどうか、十分に検討する姿勢が必要だと思います。自分が何匹までなら猫を飼えるのか、ということを含めて。

法で規制するのであっても、あまい規制であれば、猫の市場での流通は止まらないと思います。そうなると、猫の売買を「禁止」するしかない。しかし、法で規制されなければ、まともな猫のやりとりができないというのは情けないし、法で規制しても、抜け道はいくらでもあるような気がします。考えてみてください。日本は、検察が独自に「国策捜査」をしてしまう国なんですから(笑)。

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2009年3月15日 (日)

高橋和巳著『邪宗門』を読み終わりました。上下巻で900ページ。ひさしぶりに、ちゃんと本を読んだ気分になりました。

図書館に返さなければならないので、心に残る部分をいくつかメモしておきました。もっとも印象深いのは、「被害の側からだけ糾弾しても、それは人間が何であるかの認識にはほとんど資するところはない」という部分です。カンボジアでポル・ポト時代の虐殺を研究しているときに、私も同じことを考えていました。

以下、その一文が含まれる文章を引用しておきます。せっかくメモをとったので。かなり長い引用なので、興味がある方や時間のある方のみ、読んでみてください。千葉潔という青年が戦場から帰り、新興宗教の教主に指名され、前教主の書いたものを整理している最中の回想です。

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2009年3月14日 (土)

バーで飲んでいると、ときどき「感謝」という言葉を連発している人がいます。
つらいことがある。でも、そのつらさを与えてもらっていることに感謝。そうおっしゃるのはいいんですよ。気になるのは、じゃあ誰がそのつらさを与えているのか、ということです。神様? 会社? 社会?

つらいことがあって、そのつらさから気をそらしたり、つらさを忘れるための方便として、「感謝」って思っても、べつにいいんです。私は、つらいときはつらい。そんなときは、それを他の人に話したり相談したりして、解決しますから。

しかし、その「感謝」の精神を人に押しつけてはいけませんよ。押しつけなくとも、「感謝、感謝」って感謝の大安売りをしていたら、「この人はほんとうに感謝しているのか」という疑念を持たざるをえなくなります。「感謝」の大安売りをするのは、自己啓発とかニューエイジの影響なのでしょうか?

感謝といえば、これまたバーで飲んでいたときの話。女性連れのある年配のおじさまが、私に話しかけてきました。私はひとりでゆっくり飲みたい性分なので、会話するのがめんどうですと正直に答えました。

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2009年3月13日 (金)

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今後の仕事のために、高橋和巳著『邪宗門』を読もうと思い、ネットで探してみました。宮台真司さんがしばしば言及される本ですね。ずっと読んでみたかったのですが、テーマが重いので延ばしのばしになっていました。

ところが、ネットで買おうと思っても、朝日文芸文庫の中古しか売ってない。中古の割りには、けっこう高い。そこで、超ひさびさに図書館で借りて、読むことにしました。

私は基本的に、本は買うようにしています。図書館で借りると、尻を叩かれて読まねばならないような気がするからです。

かっぱ橋にある台東区中央図書館で見つけました。『高橋和巳全集』(河出書房新社)の七巻が「邪宗門・上」、八巻が「邪宗門・下」でした。太平洋戦争前後におこなわれた新興宗教への弾圧が、当時の社会情勢や思想、政治、経済などとからめて記述されていて、読み始めたら止まらなくなりました。

いろんな本がありますが、一生のうちに一度は読んでおいたほうがいい本というのがあるのだとすれば、この本はそれに該当すると思います。もちろん「私が」そう思うだけなのですが。

しかし、中学生のときにこれを読んで、刺激をうけたという宮台さん。早熟な青年だったのですね。

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2009年3月11日 (水)

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昨晩、いきつけのバーでバーテンさんと話していたら、レンタル猫の話題になりました。
「茅ヶ崎のほうで、猫のレンタルをやる猫カフェがあって、愛猫家が猛反発しているらしいよ」と私が問いかけると……。

「私は犬猫を買ってないから、あまり無責任なことをいえないけど……。貸し出す条件がしっかりしていれば、別にいいんじゃないの。犬なんかだと、すでにレンタルやってるでしょう」

「へぇ、そうなんだ」

「身よりのないお年寄りとか、しつけの仕方がわからない人なんかには、レンタルっていうのは便利でいいんじゃない。レンタルとはちょっと違うかもしれないけど、アニマルセラピーとして派遣されている犬猫もいて、医療面でも役に立っているらしいよ」

「しつけの仕方がわからない人は、猫を飼っちゃいけませんよ(笑)」

「セラピーのほうで使われているのは、保健所で殺処分される予定の犬猫が多いんだって。動物愛護のNPOとかがやっているって、テレビで見たような気がする」

「たしかに、殺処分されそうな犬猫をセラピーに使うのは、いいかもしれないね。でもさあ、考えてみれば、犬猫が商品になっているから、平気で捨てる奴がいるわけでしょ。捨てる奴がいなければ、殺処分される犬猫もすくなくなる」

「それはそうだ」

「問題は、殺処分される犬猫を減らすことなんだから、やっぱり犬猫の商品化に歯止めをかけることが重要なんじゃないかな。殺処分されそうな犬猫を医療目的で有効利用するというのは、本末転倒のような気がする」

「でもね、現状では何十万匹もの犬猫が捨てられ、殺処分されているわけでしょう。それに、資本主義社会なんだから、犬猫を商品にする人がいても、それを買う人がいても、文句はいえないと思うよ」

「そうなると、犬猫が商品として売られるのも買われるのも黙認しつつ、真の犬好きや猫好きが、犬猫を商品として買わないようにする。または、犬猫の商品化について、反対の姿勢をアピールするしかないってことなのかな。あとは、お金を介在させないかたちで、犬猫をあげたりもらったりするネットワークを、しっかり築けばいいのかもね」

「それでも、そのネットワークのことを知らない人は、犬猫をペットショップで買っちゃうと思うよ」

「だよね……。ところで、猫カフェについて、どう思う?」

「猫を限られたスペースのなかに閉じこめるタイプのカフェは、よくないでしょう。場所はせまいわ、不特定多数の客が来くるわで、猫のストレスもたまるでしょうし」

「俺は、いったことないからわからないんだけどね」

「台東区・谷中にある『ねんねこ家』っていう猫カフェは、いい感じだよ。一軒家の1階が猫グッズ売場と猫カフェになっているんだけど、そこの猫は自由に動きまわれる。人と遊びたければ1階にいて、人と戯れるのに飽きれば外に出ていったり2階に登ったり」

「電信柱に『ねこ注意』って紙が貼ってあるとこだよね」

「そうそう」

「通りかかったことはあるけど、中に入ったことはなかった」

「今度いってみてよ」

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2009年3月10日 (火)

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神奈川県茅ヶ崎市の猫カフェ「ねこのすみか」が猫のレンタルを開始するということに対して、愛猫家からの批判が噴出しているとのこと。

批判する人のなかには、「猫をモノのように貸し借りするのはとんでもない」という意見があるようです。しかし、ペットショップで猫を買っている人だって、猫をモノのように購入しているというわけで。

つまり、猫のレンタルも猫の購入も、「猫が商品化されている」という点ではまったく同根の問題です。だから、猫をペットショップで買った人がレンタル猫業者を批判するのであれば、まず自分が猫を商品として買ったことについて、考えたほうがいいような気がします。

私見では、レンタルにしろ、売買にしろ、猫は商品として市場に流通させないほうがいいと思います。基本的には、猫好きのネットワークのなかで、お金を介在させない状態で猫をやりとりすべきではありませんか。

「商品=モノ」として扱われているうちは、猫好きではなく、お金を増やすことを目的する人たちが、猫の「消費者」に向けた商品を「生産」しつづけるでしょう。あまった「商品」としての猫や「不良品」としての猫は、殺されつづけることでしょう。

さらに、「消費者」として猫を買った人のなかには、自分が買ったのは「商品=モノ」としての猫なのだから、飽きたり、いらなくなったら捨てればいいと考える人がいてもおかしくはありません。捨てられた猫の多くは、動物愛護センターで殺処分されます。

繰り返しますが、レンタル猫の問題は、猫をレンタルすることに問題があるのではなく、猫を商品化していることに問題があるということを確認しておきます。

すでに猫を買ってしまった人を、現時点でどうこういうつもりはありませんが、そういう人にもせめて猫を商品として購入したという自覚は持ってもらいたいし、次に飼うときには猫好きネットワークからもらったほうがいいかも、などと考えていただければいいんですけどね。

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2009年3月 8日 (日)

前エントリーで書き忘れました。
「フォーラム神保町」が以下のような緊急シンポジウムを開催します。テーマは、検察の暴走について。田原さんとか鈴木さんとか、ぜひ一度ご本人を見てみたいと思っていたので、私は足を運ぼうと思います。
タイムリーなネタなので、みなさんもぜひ!

フォーラム神保町 緊急シンポジウム

「青年将校化する東京地検特捜部~小沢第一秘書逮捕にみる検察の暴走~」

■講師:
魚住昭(ジャーナリスト)
佐藤優(起訴休職外務事務官/作家)
鈴木宗男(衆議院議員/新党大地代表)
田原総一朗(ジャーナリスト)
永野義一(弁護士/元東京地検特捜部副部長・元最高検検事)
平野貞夫 (元参議院議員)
宮崎学(作家)

■コーディネーター: 二木啓孝
■主催: フォーラム神保町
■会場:
毎日ホール(毎日新聞東京本社 地下1階)
(東京都千代田区一ツ橋1-1-1、地下鉄東西線・竹橋駅)
■申し込みは、以下のwebページから
http://www.forum-j.com/

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2009年3月 8日 (日)

昨日、「フォーラム神保町」主催の勉強会にいってきました。「新自由主義経済は何を壊しているのか!?~今、労働の現場を見る~」と題し、京品ホテル争議で闘っている渡辺秀雄さん(東京ユニオン委員長)、JR東労組の山田知さん(浦和電車区事件被告)らがゲストでいらっしゃっていました。

壇上には他に、司会の二木啓孝さんや佐藤優さんが並び、最前列の席には、宮崎学さんと魚住昭さんが座っていました。すごいメンバーでしたね。100人くらいしか入らない会場で、著名なジャーナリストたちが、こうした勉強会を地道に運営していることに驚きました。

パネラーの方々はそれぞれ、自分がおかれた労働上の不公正な状況に対し、どのように対処しているのかを述べておりました。そして、二木さんや佐藤さんは、その不公正の原因が新自由主義経済にあるのではないか、と解説していました。

それにしても……。労働組合内にも党派みたいなものがあり、やっていることが似ていても、党派が違うと顔も合わせないというのが「常識」になっている(なっていた?)みたいですね。だから、今回のように違った党派の組合が顔を合わせることは、たいへん珍しいとのことでした。

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2009年3月 5日 (木)

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佐藤優さんと坂東眞砂子さんのトークセッションが、明日、新宿・紀伊國屋サザンシアターにて開催されます。

トークの内容ですが、具体的には以下のような流れで進行する予定です。

・「子猫」で騒ぎ、「牛、豚、鶏」では騒がないのはなぜか
・「子猫殺し」がバッシングされた理由は何か
・「子猫殺し」と叩く側の殺意について
・バーチャルな暴力がリアルな暴力に化すとき
・生き物とどう向きあっていくべきか


残席はまだありますので、当日券でも入場できます。みなさまのお越しを心より待っています。
では、会場でお会いできることを楽しみにしております!

第52回 紀伊國屋サザンセミナー
『「子猫殺し」を語る』刊行記念
佐藤優×坂東眞砂子 トークセッション

「子猫殺し」騒動とは、いったい何だったのか
――ファシズムへと敷き詰められた道の途中で――

日時: 2009年3月6日(金) 18:30開場/19:00開演
会場: 新宿・紀伊國屋サザンシアター

料金: 1000円 (全席指定・税込)


電話予約・問い合わせ:
紀伊國屋サザンシアター 電話 03-5361-3321(10:00~18:00)

チケット販売所:
キノチケットカウンター(紀伊國屋書店新宿本店5F,10:00~18:30)
紀伊國屋サザンシアター(紀伊國屋書店新宿南店7F,10:00~18:30)

サイン会参加方法: 当日、会場にて講師の著作をお買い上げの先着150名様に整理券を配布。

共 催: 双風舎、紀伊國屋書店

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2009年3月 4日 (水)

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小沢一郎・民主党代表の第一秘書である大久保隆規さんが、政治資金規正法違反容疑で逮捕されました。「なぜこのタイミングで……」とか「自民党議員も西松からトンネル献金をうけていると思われるのに、なぜ小沢氏なのか……」など、テレビでいろいろ指摘されています。

一方、こういう不可解な事件だからこそ、マスコミが騒ぐのとは別に、こんなこともありえるという可能性を想定しておくことが重要なんだと思います。こんなこと、というのは、国策捜査で逮捕・起訴された佐藤優さんの体験、そしてその発言です。

エントリーの表題は、佐藤優著『テロリズムの罠 左巻』 (角川oneテーマ21)、119ページからの引用です。佐藤さんの国策捜査に関する体験については、『国家の罠』(新潮文庫)を読んでいただくとよくわかります。ここでは、『テロリズムの罠 左巻』からいくつか引用してみます。

朝日新聞の「鈴木議員、世論にらみ『国策捜査』批判」という記事の「旧住宅金融専門会社(住専)の不正融資をめぐる事件のように、国民が受けた大きな負担に対する責任追及としての事件を『国策捜査』と位置づけ」という部分に関して、佐藤さんは以下のように記しています。

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2009年3月 3日 (火)

多くの雑誌で連載を持ち、このところ新刊ラッシュがつづいている佐藤優さん。じつは佐藤さん、家で三匹の猫を飼い、二匹の地域猫を育てている大の猫好きです。

3月6日の坂東眞砂子さんとのトークセッションでは、佐藤さんがいかに猫を溺愛しているかというエピソードだけでなく、猫から考える日本社会論なども聴くことができます。

まだ残席がありますので、みなさまのご予約をお待ちしております。

紀伊國屋サザンシアター 電話 03-5361-3321(10:00~18:00)

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2009年3月 3日 (火)

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弊社の本は、基本的にすべて、ウェブ上で読めるように調整すべく努力しております。理由は、ふたつあります。

第一に、できるだけ多くの読者に弊社の本を活用していただきたい、という思いがあります。参考文献やデータとして引用するのもよし。立ち読み気分でのぞいてみるのもよし。近くに書店がない方や、手持ちがなくて現物を買えない方などにも、利用していただきたい。

第二に、ウェブ上で活字を読むのと、本として紙に印刷された活字を読むのとは、次元が異なる行為だと考えているからです。ですから、弊社の本をどれだけウェブ上で公開しても、「もの」としての本が売れなくなるという心配は、あまりしていません。

本や雑誌のような「もの」としての活字媒体が、以前よりも売れなくなっているという話は事実ですが、そのこととウェブ上でデータを公開することとの関連性は、そんなにないのではないかと考えています。

一冊の本には、著者の思考からはじまり、デザイナーの技術、用紙、印刷、編集、そして流通といった、さまざまなものが詰め込まれています。それらは、本を手に取った瞬間に、「感触」として読者に伝わるものでしょう。この「感触」は、ウェブ上では伝えようがありません。

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2009年3月 2日 (月)

おはようございます。
今日の浅草は、とてもいい天気。
あったかくなるといいですね。

さて、長期にわたって「たなざらし」にしてしまったふたつの連載について、お知らせします。

まず仲正昌樹さんの連載「思想の死相」ですが、連載の更新ペースが遅れ、終了する前に本が出てしまったことから、更新を中断しておりました。同書はすでに「Googleブック検索」で、ウェブ上にて全文が読めます。よって、連載を中止することにしました。

つづいて連載「斎藤環さんと茂木健一郎さんの往復書簡 脳は心を記述できるか」については、すでにお知らせしておりますが、斎藤さんの往信を掲載したあと、茂木さんからの復信が届きません。したがって、いつか復信が来ることを信じつつ、連載は中断いたします。

斎藤さんから茂木さんへの手紙については、中段ツールバーにある「脳は心を記述できるか」というカテゴリーをクリックしていただければ、読めるようにしておきます。

しかし、斎藤さんがしっかりとした往信を書いたのに、「長考中」という茂木さんは、わけのわからぬバラエティーに出演したり、オペラか何かのCMで脳がどうのとおっしゃっていたり……。茂木さんにかぎらず、なんだか「脳」という記号が日本のマスコミでは、儲けのマジックワードみたいになっているような気がしています。

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2009年3月 2日 (月)

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ただいま、紀伊國屋書店新宿南店で『「子猫殺し」を語る』の刊行を記念するフェアが開催されています。フェアのタイトルは、「生き物の生と死――坂東眞砂子 子猫殺しを語る――」。担当者の方には、看板をつくっていただきました。

ありがたきしあわせ。

同フェアは、同店5階の社会科学売場にて、3月25日までの開催です。ぜひ一度、足を運んでいただければ幸いです。

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2009年3月 1日 (日)

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見にくいかもしれませんが、車のフロントガラスに「ヨロシク、シクヨロ」って書いてあります。素朴な落書きって、なんだかいいっすよね。

ぜんぜん関係ないっすけど、大麻で逮捕された鈴木茂の『BAND WAGON』というアルバムを、いま聴いてます。名作ですよ、これは。一曲目から「砂の女」ですからね。

なんで逮捕されたとたんに、作品が発売中止や配信中止になるのか、ぜんぜんわかりません。殺人者の親が、世間から殺人者みたいな目で見られるような、くだらない風潮を、CDの版元も気にしているのかな。

そんなの関係なく、いい音楽はいいし、いい絵はいいし、いい文章はいいわけでして。

日乗 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 1日 (日)

犬猫の生命倫理の問題は、こういう場所(以下で引用する2ちゃんねるのスレッド)で議論しても収拾がつかなくなる、という端的な事例だと思います。

連載でも書きましたが、犬や猫を去勢するか、それとも産まれた子どもを間引くか、という問題は、どちらが絶対に正しいということがいえない微妙な問題です。正しいといえば、どっちも正しいし、正しくないといえば、どっちも正しくないのですから。

だから、両者の言い分は平行線にならざるをえないことが、議論する前からわかっているんですよ。落としどころとしては、両者が「それは気にくわないけど、それもありかもしれないね」というふうに理解するしかないでしょう。

にもかかわらず、過剰に自分の言い分が正しいと思ってしまい、その正しさを強調したり、正当化したり、他者に同意を求めるために、「坂東眞砂子は死刑」といって殺意を表明したり、坂東さんを「キチガイ」と罵っているのは、いったいどういうことなのでしょうか?

まあ、『「子猫殺し」を語る』では、なぜそういうことになるのかを検証しているわけですが、いずれにしても殺したいほど文句があるのなら、陰でこそこそやらないで、正面きって批判してくればいいのになあ、と思います。もちろん「2ちゃん文法」ではなく、ちゃんとした批判であれば、同書の著者や対談者の回答や意見をいただく努力はしますので。

そんなわけで、以下、2ちゃんねるの関連スレッドをコピペします。

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