双風亭日乗

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2009年3月 8日 (日)

ネオリベ批判が疑似宗教にならないために

昨日、「フォーラム神保町」主催の勉強会にいってきました。「新自由主義経済は何を壊しているのか!?~今、労働の現場を見る~」と題し、京品ホテル争議で闘っている渡辺秀雄さん(東京ユニオン委員長)、JR東労組の山田知さん(浦和電車区事件被告)らがゲストでいらっしゃっていました。

壇上には他に、司会の二木啓孝さんや佐藤優さんが並び、最前列の席には、宮崎学さんと魚住昭さんが座っていました。すごいメンバーでしたね。100人くらいしか入らない会場で、著名なジャーナリストたちが、こうした勉強会を地道に運営していることに驚きました。

パネラーの方々はそれぞれ、自分がおかれた労働上の不公正な状況に対し、どのように対処しているのかを述べておりました。そして、二木さんや佐藤さんは、その不公正の原因が新自由主義経済にあるのではないか、と解説していました。

それにしても……。労働組合内にも党派みたいなものがあり、やっていることが似ていても、党派が違うと顔も合わせないというのが「常識」になっている(なっていた?)みたいですね。だから、今回のように違った党派の組合が顔を合わせることは、たいへん珍しいとのことでした。

あと、労組の含めた左派陣営の役割が、歴史的に自民党体制を維持するための補完物であった、という点について、ある首相経験者からの発言を元に二木さんが解説していました。たとえば、与党が存続するためには、野党から政策の変更を迫られた二年後に、その政策を実現すれずいい、という事例が、わかりやすかったです。

ところで、いまや新自由主義(ネオリベ)といえば、悪の権化の象徴みたいにいわれることが多いですね。しかし、ただただ悪の権化だと思う前に、まず新自由主義とは何なのかをしっかり理解し、その功罪について検討する姿勢もたいせつだと思います。

弊社の著者でおなじみの仲正昌樹さんは、『<宗教家>する現代思想』(光文社新書)でネオリベ批判派でないと人非人のような扱いをうけるような風潮に対し、「ネオリベ批判の現代思想家たちは、魂が穢れた衆生を覚醒させるために天によって召された選民(エリート)なのか?」(同書、15ページ)と述べたうえで、以下のような警鐘を鳴らしています。

最近の少なくとも口先だけは"ラディカル化"している日本のウヨク、サヨクの言説は、キリスト教=マルクス主義的な善悪闘争史観にだんだん接近して、疑似宗教化しているように思えてしかたがないのである。かつての統一教会の内部の不信仰者として感じた、「本当に現実の世界はそうなっているのか?」という疑問と似たものを、彼らの「陰謀史観+虚偽意識/疎外論」的な世界認識や、「『真実を知った者たち』から成る選ばれし共同体」を志向する態度の内に感じてしまうのである。
(『<宗教家>する現代思想』、24-25ページ)

たしかに、現下の新自由主義的な社会では、政治にしろ経済にしろ労働にしろ、さまざまな矛盾がむき出しのかたちであきらかになってきています。その矛盾を解消するために、気づいたところから、自分がやるべきことをやる。そして、いまよりマシな世の中にしていこうとする姿勢は、必要だと思います。

とはいえ、そんな状況であっても、思考をショートカットするのはよくない、と仲正さんはいっているんだと思います。何か問題が起きた場合、どんな思想家や政治家や著名人の話であれ、人の意見は参考程度にして、自分の頭でその問題についてしっかりと考えたほうがいい、ということなのかもしれません。

このことは、2年前の「子猫殺し」騒動についてもいえます。立松和平が、江川紹子が、湯川れい子が、きっこが、こんなに有名な人たちが坂東さんの「子猫殺し」エッセイに対し文句をいっているし、自分もあれを読んでムカッときたので、ブログで坂東さんを誹謗中傷してやろう……、なんて感じですか。

ようするに、発信する側も自分がグル(導師)になってしまいやすいことに気をつけ、受信する側も誰かをグルに仕立てることにより、思考的に楽をしたいと思ってしまうことに気をつけたほうがいい、なんてことなんですかねぇ。

そろそろ、仲正さんと本がつくりたくなってきました。

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