新型インフルエンザについては、感染者が増えないように努力をしたほうがいいと思います。政府も行政も個人も。とはいえ、怒濤のようにつづくメディアの過剰報道と行政の過剰反応には、違和感を持たずにいられません。
メディアは「いいネタだ」と思って食いつき、そのメディアの反応に追随するように、行政が過剰な反応をする。そりゃあ、予防しておいて損はないですよ。しかし、やりすぎはよくありません。
そして、そのやりすぎ=過剰反応が、何かあったときの責任回避のためであり、その責任回避は、感染者の心配をするのではなく、ただただ自分の立場を守るためにおこなわれているのだとしたら、何と情けないことでしょう。
藤原新也さんがブログで、こうした現状を「他者の保護が実は自分の保護であったといういびつなねじれ」と表現し、以下のように述べています。
関西において休校があい続き、さまざまなイベントが中止になるというのも感染を怖れるという以上にこの責任回避と自己保身といういつの頃からか企業人や公務員に蔓延する悪弊が先行しているということだろう。
(Shinya talk、2009年5月20日)
藤原さんは日本を「過保護社会」と呼びます。私はカンボジアにいたとき、日本は「無菌室社会」だと感じました。
カンボジアのように感染症や風土病が蔓延した社会に暮らしていると、いくら予防したって病気に感染するときには感染してしまう。病気の菌がないに越したことはないが、あるんだから仕方がない。
そうなると、いかに病気と共存していくかが問題となります。よって、特定の地域で感染症がはやっても大騒ぎになるようなことはありません。できるだけ予防して、もし病気に感染したら、治せばいいんです。
カンボジアで見られるような感染症は、日本ではすでに撲滅されているものがほとんどです。そして、「無菌室社会」になった。もちろん、感染症や風土病はないほうがいいし、蝿や蚊などの害虫はいないほうがいいのかもしれません。
でも、感染症がなくなり、蝿がいなくなった結果として、たまに感染症が流行ると大騒ぎするというのは、どうでしょう。メディアのバカ騒ぎにも、責任回避&自己保身のために行政がおこなう過剰反応にも、私は付き合う気がしません。
繰りかえしますが、できるだけ予防し、やむなく感染したら治せばいい。それだけの話であるように思えます。
新型インフルエンザで騒ぐのはけっこう。けれど、日本はいまだに、平気で避妊せずにセックスしてしまうような、STD(性感染症)に無自覚な若者が多い社会。ならば、エイズやSTDを予防すべく、ちゃんとした性教育を子どもにおこなって、「感染症」の予防につとめるのも政府や行政の役目なのでは。
ていうか、瞬間最大風速みたいに一瞬だけインフルエンザで大騒ぎするより、日常的にエイズやSTDの予防を徹底したほうがいいと思いますよ、まじで。私が日本は「無菌室社会」だと思っていたのはまちがいで、じつは「無菌室だと思いこんでる社会」なんですね、きっと。
日乗
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