双風亭日乗

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2009年5月31日 (日)

Hinshi
前エントリーで紹介した忌野清志郎著『瀕死の双六問屋』の小学館文庫版が、現時点(5月31日の22時)でアマゾンドットコムの書籍総合部門で15位と健闘しています。おどろきました。

光進社版の発行が2000年9月で、小学館文庫版の発行が2007年9月。ぶっちゃけ、いま買っている人には、清志郎さんが生きているうちに読んでほしかった。でも、理由は何であれ、埋もれていた良書が注目されるのは、よいことだと思います。

アフェリエイトはあまりやらないのですが、この本はできるだけ多くの人に読んでもらいたいので、以下にリンクを貼ります。560円とお手頃価格なので、940円以上の本と一緒に頼んで、送料無料にしてください。

瀕死の双六問屋 (小学館文庫)

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2009年5月29日 (金)

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いま書店やコンビニで売ってる「テレビブロス」(東京ニュース通信)を君は見たか!
書棚から忌野清志郎さんが、こっちを見てるぜ。
さっそく買って、机の上に置いた。カメラでパチリ。
かっこよすぎるぜ、清志郎さん。

そういや、メジャーで干されてるころの清志郎さんが、「瀕死の双六問屋」というエッセイを連載していたのは「テレビブロス」だった。この連載を読んでるうちに、私は清志郎さんの本をつくりたいと思い、頼みにいったことがある。

我が家の本棚を見まわすと、エッセイをまとめた書籍版「瀕死の双六問屋」(光進社)が見つかった。付箋がびっちり貼ってある。清志郎さんに会うための「予習」のあとが刻まれていた。

ふつうは重要な部分には、付箋を本の上部に貼るのだけれど、より重要な部分にはヨコにも貼っている。この本にも、上部とヨコに付箋が貼ってあるページがあった。「ドブネズミどもに捧ぐ」というエッセイだ。以下、一部を引用する。

 軍隊を持って徴兵制でガキどもを兵隊にして戦争したい政治家が多いみたいだけど、と同時に、事無かれ主義の大人も多いみたいだけどさ、どーだろう? 日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。ねえ、ラジエのディレクターさん、どー思う? HEY! HEY! HEY!キクチ君どーだい? しかし、まあ「カヴァーズ」の時もそうだったけど、よくまあこれだけ無視してくれてうれしいよ。今までへつらってくれてありがとう。もう、こんな世界からは足を洗いたくなった。もう、うんざりだ。俺は歌を作って歌っていくよ。だって、それが好きだから。好きなことをやっていくさ。この資本主義事無かれ主義社会の中でどこまでやれるか、はなはだ疑問だけどね。まあ、いいさ。もう、あいつらの世話にはなりたくねえや。好きなことやって、メシ喰って、歌を歌って死んでいってやるさ。クソみてえなインチキ野郎どもの世話になんかなりたくないぜ。ざまあ見ろ、偉大な才能が君たちの見切りをつける時が来たんだ。ではせいぜいそのドブの中でがんばってくれ、これがお前らに対する最後の挨拶だ。

(『瀕死の双六問屋』、96-97ページ)

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RCサクセションのときには、さんざんもてはやしておきながら、「カヴァーズ」が発売中止になり、メジャーレーベルからアルバムが出せなくなったころから、マスコミの清志郎さんへの無視がはじまった。その後、インディーズで「十字架」シリーズ三部作などを出すも、ほとんどのマスコミが無視しつづけた。

これは、そんな最中に書かれたエッセイの一部。死ぬ間際になって、大手マスコミも清志郎さんに再び注目しはじめたようだが、いま彼らが放送すべきなのは、形式的な追悼番組などではない。まともなことを言いつづけた清志郎さんを、長期にわたって干したことへの謝罪からはじめなければ、彼らがドブのなかから出ることはできない。

都合がいいときや視聴率がとれるときだけ使っているようじゃあ、あの世にいった清志郎さんに叱られちゃうぞ。「お前ら、けっきょくドブの外にはでれねえんだなぁ」って。

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2009年5月29日 (金)

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最近、なぜか警官に職務質問されます。
一昨日には新宿西口で、昨日は浅草で。
黒いリュックを持っているからでしょうか。

彼らも仕事でやっているんでしょうから、別にいいんですけれど、たくさん人が歩いているし、黒いリュックやカバンを持った人も多い。なのに、なぜ私に声をかけるのか、といつも警官に聞きます。新宿の若い警官にその理由をたずねてみました。

「ちょっとカバンの中を見せてもらえますか」
「どうしてですか」
「最近、ナイフを使った犯罪が多発しているんです」
「じゃあ、どうぞ。ところで、なんで私に目をつけたんですか」
「大きめのカバンを持っているからです」
「大きめのカバンなら、ほら、その人も、あの人も、あそこの人も持っているじゃありませんか。なぜ彼らには見せてもらわないんですか」

ここまで話すと、警官はしばらく黙りました。そして……

「職質する人を決めるのは、警官一人ひとりの直感です。その人が『あやしそうだな』と感じたら、声をかけます」
「つまり、私はあやしそうだったと。それって、ある意味で失礼ですね」
「犯罪防止のためには、仕方がありません」
「そのためなら、人を不快な気分にしてもかまわないと……」

しばしの沈黙のあと、すこし怒った口調で警官はこう言いました。

「私たちは、真実を知るために働いているんです」

おいおい、「真実」って何なんだよ、という感じですね。その若い警官からは、「『真実』のためなら、人を疑ってかかってもいいのだ。俺が正義だ」という雰囲気がプンプンただよっていて、不気味でした。

最後に、時代劇みたく「おぼえてやがれ」(私は悪いことしてませんが)というかわりに、私は警官にこういっておきました。

「『真実』とかいってますが、私は『ポチの告白』って映画で警察の『真実』を観て、警察が信用できなくなりましたよ。おまわりさんは、もう観ましたか?」
「……(無言)」

それにしても、私の「長髪、ヒゲ、メガネ、普段着、黒リュック」というのが、警官が職質でターゲットにする人の記号みたいになっているんでしょうか(笑)

ちなみに、私を職質したのは男性警官ですが、写真は婦人警官のコスプレをしているモデルさんです。このコスチュームの値段は3540円。彼女に着てもらって、「『真実』って何なんだよ~!」なんて言葉責めをしたら、おもしろいかもしれませんね。

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2009年5月25日 (月)

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「週刊SPA!」2009年5月19日号を読んで、ずっと気になっていたのですが、書くのを忘れていました。

同誌では長年、福田和也さん(慶大教授)と坪内祐三さん(文芸評論家)が文壇アウトローズと称し、世相放談をおこなう連載がつづいています。「これでいいのだ!」というやつですね。

たしかに、ふたりとも時事問題について言いたいことをいっており、的を射た発言もけっこうあり、注目している連載ではあります。しかし、ふたりは同号で、見過ごせないような発言をしています。

以下は、SMAPの草なぎさんが酒を飲んで全裸になった事件をネタにしている文脈でのふたりの会話です。

坪内 でもあれ、SMAPに何の興味も持ってなかった新橋のサラリーマンが、急に好意的になったよね。おじさんたちに「あ、これがSMAPの草なぎ[谷川注…原文では「なぎ」は漢字です]か」と、客層を広げたよ。でもさ、最近は、何か事件が起きたときに、紋切り型の報道と解釈しかされなくて、ディティールがわからないじゃない?――というのは、防衛医大で国文学を教えてた先生が、3年もやってた裁判が、この間、最高裁で逆転無罪になったでしょう。
福田 ああ、例の「被害者の女子高生は、ウエスト93㎝」でしょう。
坪内 そう。身長150㎝だよ。身長150でウエスト93ってさ。事件当時は、そんなこと報道されなくって、「成城学園前あたりで女子高生に痴漢を」と。聞いてるほうはイメージで物語をつくるわけじゃん。でも、本当のディティールは、身長150でウエスト93。
福田 裁判でそれが争点になったんでしょ。「下腹部を触られたとしても、そのウエストでは誰の手か見えないのでは?」と。
坪内 こういう裁判は、裁判員制度が始まると、一審で違う結果が出るかもよ。
福田 「よほど特殊な趣味じゃなきゃ、そりゃ触んねえだろう」とかね。市民の良識、っていうやつですよ。

(「週刊SPA!」2009年5月19日号、127ページ)

まあ、痴漢の冤罪被害については、周防監督の『それでもボクはやっていない』という映画を持ちだすまでもなく、実際にある話なので、いうべきことはありません。問題は、ふたりが2ちゃんねるのようなノリで、特定の女性の悪口を平気でいっていることです。

これを読んだ女性読者の方々は、いったいどう思ったのでしょうか。痴漢裁判の話に見せかけて、特定の女性(上記では太った女性)をけなしているだけじゃありませんか。こりゃ、いいすぎですよ。とくに福田さん。

福田さんのいっていることを応用すると、こうなります。ある質素な家に住む人が、実際には泥棒に入られたのに、「質素な家には泥棒なんて入らない」と市民や警察に決めつけられた。結果、警察に捜査をしてもらえなかったし、市民も事件に無関心だった。で、「よほど特殊な趣味じゃなけりゃ、質素な家に住んでいる人の元に泥棒なんて入らんだろう」ということになり、それが「市民の良識」とやらになった……。

福田さん、決めつけすぎですよ。言いすぎ。「こういう奴はこうだから、こうなって当然」って。私は絶対にそう思わない、などとは言い切れません。ですが、そんな薄ら寒い状況になったら嫌じゃありませんか。たとえ日常会話でそういう考えが流通しているのだとしても、形式的には「こういう奴は……、とか決めつけるのは嫌だよね」と思いたい。

なによりも、雑誌でいっちゃってるのが、私には理解できません。この連載には構成を担当している人がいて、担当編集者もいると思われるのに、上記の文章がチェックを通ってしまうのが不思議です。それこそ放談なんだから、太った女性をけなそうが何んだろうがかまわない、というスタンスなのでしょうか。

で、このようなエントリーを書いたからといって、私は「週刊SPA!」を燃やしたりしませんよ(笑)。「これでいいのだ!」もおもしろければ読みつづけますし。文壇アウトローズが、あまりにも遠くへ行ってしまったら、とりあえず連載を読むのはやめるかもしれませんが。

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2009年5月22日 (金)

宗教団体の「幸福の科学」が「幸福実現党」を設立するそうです。次回の選挙では、「すべての小選挙区に候補者を立てる」んですって。

同団体の広報局は「日本初の本格的な宗教政党です」といっているそうです。さらに、宗教ジャーナリストによると「資金は潤沢ですから、議席獲得もありうるかもしれません」とのこと。

以上のネタ元は「週刊文春」2009年5月28日号の38ページです。

ちゃんとした人が国会議員になるのであれば、ぜんぜん問題ないとは思います。だがしかし、「幸福実現党」という党名を聞いて、ギャグではないかと思いつつも、一抹の不安を感じるのは私だけでしょうか。

だって、ますます『20世紀少年』っぽくなってきたじゃありませんか(笑)

あと、まったく関係ないけれど、同誌の連載「さすらいの女王様」によると、中村うさぎさんが再び税務署と闘っている様子。今後の展開が楽しみ。

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2009年5月21日 (木)

新型インフルエンザについては、感染者が増えないように努力をしたほうがいいと思います。政府も行政も個人も。とはいえ、怒濤のようにつづくメディアの過剰報道と行政の過剰反応には、違和感を持たずにいられません。

メディアは「いいネタだ」と思って食いつき、そのメディアの反応に追随するように、行政が過剰な反応をする。そりゃあ、予防しておいて損はないですよ。しかし、やりすぎはよくありません。

そして、そのやりすぎ=過剰反応が、何かあったときの責任回避のためであり、その責任回避は、感染者の心配をするのではなく、ただただ自分の立場を守るためにおこなわれているのだとしたら、何と情けないことでしょう。

藤原新也さんがブログで、こうした現状を「他者の保護が実は自分の保護であったといういびつなねじれ」と表現し、以下のように述べています。

関西において休校があい続き、さまざまなイベントが中止になるというのも感染を怖れるという以上にこの責任回避と自己保身といういつの頃からか企業人や公務員に蔓延する悪弊が先行しているということだろう。

(Shinya talk、2009年5月20日)

藤原さんは日本を「過保護社会」と呼びます。私はカンボジアにいたとき、日本は「無菌室社会」だと感じました。

カンボジアのように感染症や風土病が蔓延した社会に暮らしていると、いくら予防したって病気に感染するときには感染してしまう。病気の菌がないに越したことはないが、あるんだから仕方がない。

そうなると、いかに病気と共存していくかが問題となります。よって、特定の地域で感染症がはやっても大騒ぎになるようなことはありません。できるだけ予防して、もし病気に感染したら、治せばいいんです。

カンボジアで見られるような感染症は、日本ではすでに撲滅されているものがほとんどです。そして、「無菌室社会」になった。もちろん、感染症や風土病はないほうがいいし、蝿や蚊などの害虫はいないほうがいいのかもしれません。

でも、感染症がなくなり、蝿がいなくなった結果として、たまに感染症が流行ると大騒ぎするというのは、どうでしょう。メディアのバカ騒ぎにも、責任回避&自己保身のために行政がおこなう過剰反応にも、私は付き合う気がしません。

繰りかえしますが、できるだけ予防し、やむなく感染したら治せばいい。それだけの話であるように思えます。

新型インフルエンザで騒ぐのはけっこう。けれど、日本はいまだに、平気で避妊せずにセックスしてしまうような、STD(性感染症)に無自覚な若者が多い社会。ならば、エイズやSTDを予防すべく、ちゃんとした性教育を子どもにおこなって、「感染症」の予防につとめるのも政府や行政の役目なのでは。

ていうか、瞬間最大風速みたいに一瞬だけインフルエンザで大騒ぎするより、日常的にエイズやSTDの予防を徹底したほうがいいと思いますよ、まじで。私が日本は「無菌室社会」だと思っていたのはまちがいで、じつは「無菌室だと思いこんでる社会」なんですね、きっと。

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2009年5月20日 (水)

豚ロース肉をブロックで買いました。半分はソテーにして食べましたが、もう半分が余ってしまったんですよ。

で、サクサクッとネットで豚料理を検索してみました。すると、あるブログに書かれたレシピの前口上で、たいへん違和感のあることが書かれていました。

野菜は有機、出汁は自作、調味料はいいものしか買わず。まあ、お金持ちなんですね、勝手にやってください、という感じなのですが、その押しつけ感がなんともいえませんでした。

その人によると、舌は一度でも妥協してしまうと、堕落してしまうらしい。そういう舌の人が増えるのは、食文化の危機らしい。

これって、「車はやっぱりベンツに乗らなきゃ。一度でもカローラに乗ってしまうと、堕落してしまう。カローラに乗る人が増えるのは、車文化の危機だ」といっているのと、ほとんど同じなんじゃないのかな。

つまり、カネのある、恵まれた立場にいる強者の戯れ言。安い食材で料理をつくると舌が堕落する(カローラに乗ると堕落する)って勝手にいう分にはいいけれど、それを食文化の危機(車文化の危機)などと普遍化してはいけませんよ。

安心・安全でお値段が高めな食材など買えない人は、私を含めて世の中にごまんといます。そういう人たちは、安くてリスキーな食材であっても、最大限の工夫をして、日々のご飯をおいしく楽しく食べているわけです。

自分の考え方が正しいと信じ、それを人に知らせたいから、ブログに書くまでならいいんです。あとは、読んだ人が勝手に評価します。しかし、それを普遍化したり押しつけたりする姿勢はどうかと思いますね。

そういうことをし始めると、どうしても身勝手になってしまったり、違う立場の他者に対する配慮がなくなったり、逆ギレしやすくなったりするでしょう。いいことありませんよ。

その人のいっていることはわかるし、そうだったらいいとは思う。自分もカネがあったら、同じようなことを考えるかもしれない。食はたいせつですからね。けれど、そうしたくたってできない人のことに、すこしくらい思いをはせてもいいのでは。

そんなことを考えつつ、レモン汁とバジル、オリーブオイル、ニンニク、唐辛子、醤油でマリネ液をつくり、豚肉を漬けこみました。焼いてから漬けるかどうか迷いましたが、たまには焼く前につけるのもよいかと。

あとで焼いて食べよっと!

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2009年5月19日 (火)

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気づいたときには、おどろきました。
そして、笑いました。
だって、指の皮に髪の毛がささっているんだもの。
おそらく、手で髪を整えたときにささったんでしょう。
指の皮って、けっこう厚いじゃありませんか。
その厚い皮に細い髪の毛がささるなんて、いままで考えたこともありません。
あー、びっくりした。

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2009年5月19日 (火)

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三社祭は、無事に終わったようです。とりあえず、はいた足袋は路上ではなく、ゴミ箱に捨てていただければ幸いです。写真の図柄としては、宴のあとを端的にあらわすようなものとなり、いい感じなのですが……。

さて、一昨日の「ザ・ドキュメント」(フジテレビ)で、三社祭が大好きな女性にまつわるエピソードをやっていました。私には、なぜそこまで夢中になるのかわかりません。登場人物がその魅力について、「中にいないとわからない」といっていました。それをいわれちゃ、おしまいよ、って感じもしますが。

ハレとケというものがあり、ごく普通に暮らしたりつらいことに絶えたりしている日常がケで、それを一時であれ忘れたり日常でたまったものを吐きだす一瞬の機会がハレだ、と民俗学の本に書いてあったような気がします。祭りというのは、ハレの機会なんでしょうけれど、やっぱり好き嫌いというのはあると思います。


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2009年5月18日 (月)

「就活中のあなたへ」というエントリーで引用した本田さんの文章に対し、ともさんがコメントしてくれました。

せっかくの機会なので、ともさんのコメントへのレスポンスを本田さんにお願いしたところ、こころよく引き受けていただけました。ご多忙のところ、ありがとうございます。

以下、ともさんから届いたコメントと、本田さんからのレスポンスを掲載します。

まずは、ともさんのコメントです。

私は現在地方大学の3年生で
この記事の中でいう
うまくいっていない者だと思います。
まだ就活はしていませんが
日常生活でなぜ私はうまくいかないことがこんなにあるんだろうと感じることが多いです。
憧れていた大学生活とは全く違う状況です。
自分が悪いのでしょうが、どこを直せばよいのか分からないのです。
毎日悩んで落ち込むの繰り返しです。
自分のことで精一杯で外に目を向けられていない、こんな状態で就活するのが怖くて仕方ありません。

投稿: とも | 2009/05/16 22:37:35

つづいて、本田さんからのレスポンスです。
ともさん、「日常生活でうまくいかないこと」が具体的にどんなことなのかわからないのですが、想像するに、たぶん人間関係をめぐることではないかと思います。たとえば、周囲のノリに合わせられない、会話がうまく流れないなどではないかと。

もしそうなら、ひとつは大学内や学科・コース内、あるいはサークル内だけでなく、その外にあるいろいろな場や機会を、「ダメもと」で覘(のぞ)いてみてはどうかと思います。趣味であれ勉強であれ社会的・政治的な活動であれ、ご自身が漠然とでも関心を持てる何かを手がかりに、比較的心地よい関係性がどこかで得られないか、探索してみてはいかがかと思います。そのような時間や気持ちの余裕がおありならの話になってしまいますが。

また、もうひとつは、自分がどんなことを「うまくいかない」と感じ、それをどのようにしていきたいかを、言葉で表現する、つまりはノートなどに書いてみるという手もあります。ぐちゃぐちゃな殴り書きでもかまわないので、自分と周囲の齟齬(そご)を言葉に直していくことで、何がもつれているのかを少しは整理することにつながるのではないかと思います。私が学生だった頃にも、他の人が読んでも意味が分からないような断片をノートに書き付けていました。

そして、就職活動に怖さや不安を感じるのは、多かれ少なかれ誰しものことです。どうやって採否が判断されるのかよくわかりませんし、採用する側は容赦なく厳しくて恣意的な評価を下してきそうに感じていらっしゃるのだろうと推測します。

怖さのゆえに目を背けていてはいっそう怖くなりますので、むしろ自分の怖さの核をほじってみる、すなわちこれも「ダメもと」でいろいろ調べてみたり、大学内外の就職支援機関に相談してみたりしたほうがいいかと思います。そうしているうちに、これまでの怖さに風穴が開くこともあるかもしれません。

ただ、日本で当然視されている新規学卒一括採用には種々の弊害があり、それがともさんが感じているような怖さを生み出していることは、おそらく確かだと思います。

ここまで、的外れなことしか言っていないような気もします。でも、ともさんのような状態の人々はたくさんいて、ともさんは全然例外などではありません。だから自分を責めすぎないで、日常生活の中にぽつぽつと転がっているほの明るいものや感覚を大事にして、どうであれば自分が穏やかで快い笑顔を持てるかについて考え、苦しい今を何とか切り抜けていただければと祈ります。

本田由紀(自宅より)

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2009年5月16日 (土)

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すっかり忘れていました。昨日から浅草は三社祭です。
写真のお神輿を見て、思い出しました。

浅草のいたるところから、お神輿をかつぐかけ声とお囃子が聞こえてくる。
それが日曜の夕方までつづきます。

中心部では、祭りと競馬と遊園地と繁華街に繰り出す人で、ぐちゃぐちゃになります。
そのぐちゃぐちゃさが、浅草らしさなのかもしれませんね。

来るだけでお祭り気分になれます。ぜひ、いらっしゃってみてください。
しかし、一年が経過するのは早いですなぁ。まったく。

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2009年5月15日 (金)

本田由紀さんが「週刊東京大学新聞」(2009年4月28日付)に読みごたえのある文章を寄稿されています。「大不況下の就活 驕るな/社会と対峙せよ」というタイトルで、「うまくいっているあなた」には「驕るな」、そして「うまくいっていないあなた」には「社会と対峙せよ」というメッセージを送っています。

同紙の読者は基本的に東大生なので、この文章も東大生向けに書かれています。文末の「少なくとも知性という資源は手にしているはずのあなたであれば……」という部分に見られるように。とはいえ、他大学で就活中の若者に対しても、きっと本田さんは、ほぼ同じ内容のメッセージを送ることでしょう。

以下、ご本人の承諾をいただいたうえで、全文を引用します。そして、しばらくのあいだ、拙ブログのトップに掲載います。

大不況下の就活
驕るな/社会と対峙せよ

本田由紀(東京大学大学院教育学研究科教授)

■晴れの日は雨を思え

 うまくいっているあなたへ。あなたは勉学面でも交遊面でも充実した大学生活を送り、世情が厳しい中での就職活動にも順風が吹いているかもしれない。でも、驕(おご)ってはならない。
 今のあなたの状態は、むろんあなた自身の努力や才能によって勝ち取られた部分もあるだろうが、それ以上に、あなたが偶然にも様々に有利な条件に恵まれてきたことが大きく作用していることを忘れてはならない。
 必要な場合には惜しみなく多面的な援助を与えてくれてきたご家族や、それによってあなたが自らを伸ばす機会を享受できてきたという事実を、肝に銘じなくてはならない。
 そして、やはり偶然にもそれらの条件を欠いてきた人々が置かれている客観的な苦境や内面の揺れ動きに対して、可能な限りの理解と想像力を持たなければならない。

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2009年5月15日 (金)

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「週刊新潮」2009年5月12日号を購入。もちろん、「熱海の恋の物語」を読むためです。

鴻池元官房副長官を辞任に追い込んだ記事は特報扱いで、グラビアと本文で計9ページにわたるもの。新型インフルエンザのフェイズが上がりつづけるなか、ホテルでは愛人と同室に泊まり、一緒にゴルフをして、東京との往復は議員パスを利用。たしかに、こりゃまずいでしょう。

証拠写真を見せつけられた鴻池さんが、記事の内容を全面的に認め、誌上で謝っています。しかし、同誌が出回る直前まで、政府は「健康上の理由」で鴻池さんが辞任するなどといっておりました。あれは、政府が演じるブラックユーモア劇場だったのでしょうか。まあ、そんなことはしょっちゅうありますが……。

今回、ひさびさに「週刊新潮」を買ってみたら、新連載がたくさんあってびっくり。川上未映子さんや荻野目慶子さん、赤坂真理さんらが連載陣に加わっていました。そして、最終ページには、なんと佐藤優さんと西原理恵子さんのコラボ企画「まさる&りえこの週刊鳥頭ニュース」。中瀬ゆかりさん、知らぬ間にちゃんと仕事してるなぁ。

「週刊新潮」、すこしずつ変わっていますね。「『浅草ロック座』元踊り子が語ったストリップ劇場の『荷風先生』」という記事もおもしろかったです。

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2009年5月14日 (木)

最近の連続ドラマは、NHKの大河ドラマをのぞけば、週1回の放送で、3カ月継続するもの(これを1クールと呼ぶ)がほとんどです。そうなると、1年は4クールに分割され、1月、4月、7月、10月のそれぞれが、新しいドラマのスタートする時期になります。

テレビ好きの私は、1クールが終わるごとに、次のクールのドラマを一通りチェックして、ハードディスクレコーダーに録るかどうかを決めています。以下、2009年4月クールのドラマについて、寸評と継続視聴中かどうかを記してみました。

<2009年4月クールのドラマ>

「婚カツ!」
フジテレビ、月曜21時~、出演は中居正広など
あまりにもつまらなく、初回の途中で視聴を終了。

「白い春」
関西テレビ(フジテレビ系)、火曜22時~、出演は阿部寛など
子役と同じ年頃の娘がいるので、状況設定に無理があると思いつつ、どうしても観てしまいます。ぼーっと観ていて、泣ける話、といった感じですか。初回から継続して視聴。

「アイシテル」
日本テレビ、水曜22時~、出演は稲森いずみなど
これも状況設定に無理が感じられますが、少年犯罪の加害者家族と被害者家族の胸のうちを表現する、という困難なテーマに挑戦している気概に一票。継続視聴中。

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2009年5月13日 (水)

さて、昨日のつづきです。

景山さんの『私は如何にして幸福の科学の正会員となったか』(太田出版)は1992年に書かれています。で、現在のテレビを観るかぎり、その時点から現在まで、テレビを制作する側のこうした姿勢(視聴者を見下した姿勢)は、まったく変わっていないと思います。

ていうか、「この程度」という場合の「程度」がどんどん落ちていると思うし、17年前よりも制作側が視聴者をナメてかかっているような気もします。景山さんは、テレビを作る側の姿勢を問いただします。

 いま、テレビの制作サイドの人間で、出演者も含めてだが、いったいどのくらいの人たちが、視聴者に対して、訴えたいものを持ち、人に影響を与えるもっとも効果のある手段としてのテレビを通じてその思いを伝達しているかと考えると、おそらく十五パーセントにも満たないと思う。きちんとした意識を持ち、自分が伝えたいものを明確に把握しないで作っている送り手からの番組というのは、どんな視聴者を作るか? 忌憚なく言えば、「バカ」の量産である。思考停止に加えて、どんどん低次元の情報を送ることによって、社会の知的レベルを加速度的に下げているのだ。

(『私は如何にして幸福の科学の正会員となったか』、58-59ページ)

ここで景山さんが投げかけている問いを、ぜひとも現役のテレビ制作者、とりわけプロパーとして働く人たちに投げかけてみたいですね。景山さんはさらに踏み込んで、「バカ」量産システムの理由を述べます。
 僕がテレビより小説を書くことの方に重点を置き始めたということの裏には、もうひとつ、理由がある。そのころ、テレビ局では局制作番組の本数をどんどん減らして、ほとんどを下請けに出すという状況が始まっていた。回された下請けは、それを自社で作らないで、また孫請に出してしまう。
 要するに、時間を売るんだいう営業サイド重視の考え方が主流となり、その時間の売値は決まっているのだから、利潤を追求するためには制作費を下げるのがベストの経済効率を生むということになってきた。
 そして、商品である放送時間がどんどん延長された。するとその結果として、番組の内容うんぬんよりも、まずその時間をなんとか埋めよう、という気持ちが先に立ってきてしまう。そちらの方に重点が置かれるという状況になってしまった。
 そのために、番組のクオリティ、質は見る見る下がってきていた。その低下ぶりはものすごいものだった。そうしたクオリティの低下に、放送作家として果たして僕は歯止めがかけられるのか?

(同書、63-64ページ)

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2009年5月12日 (火)

カンボジアで一緒に仕事をして以来、お付き合いのあるディレクターの番組が放映されます。

この方は、NHKスペシャルで『なぜ隣人を殺したか~ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送』をつくったり、ハイチの子どもたちを長年にわたって継続取材するなど、景山さんに文句をいわれないような番組を多くつくっています。

今回の番組は、12年前に取材したペルーの少年が、いまどのように暮らしているのかを描いたものです。テレビ業界、それもドキュメンタリー業界に席をおいている方ならば、すごいスタッフをそろえて取材していることがおわかりになるかと思います。

いまや数少なくなった、まともなドキュメンタリーです。お時間がある方は、ぜひご覧になってみてはいかが。明日も仕事の方は、録画を忘れずに!

シリーズ この世界で大人になった
「瓦と砂金 ~働く子供たちの13年後~」

5月12日(火) NHK総合 深夜(13日午前)2:05~2:55

貧困の中、児童労働が絶えないペルー。12年前、アンデスの山村で屋根瓦を作って働く2人の少年がいた。家族のいないウィルベルと、家族を支えるため、働いていたサントス。
29歳になったサントスは今も瓦作りで生計を立てている。一方、ウィルベルはサントスの前から姿を消した。ウィルベルの行方を探すサントスに同行し、それぞれの人生の選択を見つめる。

撮影/山崎裕、録音/森英司、ディレクター/五十嵐久美子、
プロデューサー/久保田直

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2009年5月12日 (火)

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いま宗教がらみの本をつくっています。その流れで、景山民夫さんの『私は如何にして幸福の科学の正会員となったか』(太田出版)という本を読む機会がありました。

景山さんといえば、放送作家としてバラエティー番組の創生期を支え、その後は直木賞を受賞するなど作家として活躍。そして、「幸福の科学」の正会員になった1991年からは、歌手の小川知子さんらとともに教団の広告塔ともいえる立場となり、98年に不審なかたちで亡くなりました。

同書は、前半の四つの章が生い立ちと仕事に関する記述で、後半の五つの章はみずからの宗教体験に関する記述となっています。したがって、『反転』と同様に、前半は熟読で後半は速読ということになりました。

亡くなる前に入った「幸福の科学」のイメージが強いため、距離を置かれて語られることの多かった景山さん。最近など、その名前を聞くことがほとんどなくなりました。とはいえ、テレビの創生期に関わった景山さんのテレビ論は、いまでも傾聴にあたいするのではないか。

同書の前半を読んでいて、強くそう思いました。たとえば、景山さんはこんなことをいっています。「オールナイト・ニッポン」(ニッポン放送)や「クイズ・ダービー」などの構成を手がけていたころの発言です。

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2009年5月10日 (日)

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田中森一著『反転』(幻冬舎アウトロー文庫)を読了しました。検察の実態が赤裸々に記されていて、おもしろかったです。

検察官には、東大や京大を出たエリート組と世襲または縁故組、そしてたたき上げ組の三つがあること。田中さんは、貧しい家庭で育ち、苦学して検察官になったたたき上げであること。そして、検察の世界に嫌気がさしで弁護士になったこと。このへんまでが、本の前半で書かれます。

後半では、弁護士になってからのことが書かれており、裏社会の人々の交遊などは興味深く読めました。田中さんが優秀な人であり、いい人であったことも、読んでいてよくわかります。しかし、どうしても言い訳をしているように読めてしまうのは私だけでしょうか。ヤメ検弁護士として多くの顧客と顧問料を得て、裏社会との接点が増え、その結果として犯罪に巻きこまれてしまった、と。

そんなわけで、この本については、前半は熟読し、後半は速読することになりました。前半を読んでいて、裁判に国民を参加させる前にやることがあるんじゃないのかなあ、と思ってしまった部分がありました。平和相互銀行事件や三菱重工CB事件などが、東京地検特捜部によってつぶされていく理由を述べた部分です。以下、引用します。

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2009年5月 8日 (金)

5月2日にバンドマンの忌野清志郎さんが亡くなってから、テレビでは小特集を組んだりしてるし、新聞では音楽評論家らのコメントなどを含めた記事を掲載しています。

ネット界隈でも、ニュースサイトでは生前の功績を讃えるものがあったり、ミュージシャンのブログを引用して特集記事にしたりというものが、けっこうあります。

当然ながら、ブログを書いている多くの人たちも、それぞれの思いを文章に込めて、清志郎さんの死を悼んでいます。

清志郎さんの死をどう思うのか。生前の仕事をどう受けとめるのか。どんな曲にどのような思い出があるのか。人それぞれで、いいじゃないですか。

テレビや新聞の報道も含めて、ネガティブキャンペーンみたいなものでなければ、清志郎さんの死についてどのように報じたり書いたりしても、べつにいいじゃないか、と私は思います。

しかし、清志郎さんの死について書かれたブログのなかには、あの報道はだめだとか、あのコメントはだめだとか、うだうだ書いている人がいます。そういうのを読むと、ついついこう思ってしまいます。

「お前が世界一、清志郎さんが好きなのかよ?」
「お前が世界一、清志郎さんのことを知っているのかよ?」

まあ、思い入れがあればあるほど、他人のぬるい発言が気になるのかもしれません。でも、清志郎さんの歌を聴いていた世代も性別も多様でしょう。ならば、自分の物差しだけ正しいなどと考え、他人が報じたことや書いたことに文句をいうのは、傲慢であるような気がします。

清志郎さんの死をどう受けとめるのか。そのことに、きまった形式はないし、ましてや正しい死の受けとめ方などありません。

人それぞれで、いいじゃん。
ねぇ。

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2009年5月 7日 (木)

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以前、こちらで紹介した浅草のバー「DORAS」ですが、同店のバーテンダーである中森さんがテレビに出演するとのこと。5月8日の22時から放送される「美の壺」(NHK教育)で、ワイングラスについて語るそうです。楽しみですね!

以下、DORASのブログから引用します。

明日8日(金)夜10時よりNHK教育テレビ『美の壺』に個人として出ます。
今回の放送の「ワイングラス」にあたり、ベネチアやパリの骨董市などで仕入れてきたグラスにワインを注ぎ、そのグラスとの出逢いや想いなどを話しました。

http://doras.exblog.jp/9694644/

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2009年5月 4日 (月)

古本のフェアをやるわけではありません。古本ウェアと書いて、「ふるほんうぇあ」と読みます。ネットの検索で「ウェア」を見てみると、いろんなウェアが見つかります。ゴルフウェア、ヨガウェア、自転車ウェア、などなど。おもにスポーツ関連が多いようです。

さて、昨日と本日、東京都台東区&文京区の不忍ブックストリートでおこなわれている一箱古本市にいってきました。元もと、カンボジアから帰国して6年ほど住んだ地域なので、散歩がてらに一箱古本屋をまわっていると、いろんな思い出が頭のなかをかけめぐりました。

しかし、そんなことはどうでもよくて、古本市をまわっているうち、私はあることに気づいてしまいました。それが古本ウェアです。古本市をまわる男性たちが着ているものに、ある種の共通性があるんです。以下、その特徴を記します。

帽子 … ハンチングが多い
めがね … フレームは、ボストンかロイドが多い
ヒゲ … ストレート、もしくはストレートとエプロンのミックスが多い
Tシャツ … 白色、またはシンプルなプリントが入った中間色が多い
シャツ … ネルシャツが多い。フロントのボタンは閉めない
パンツ … ブルージーンズ、または地味な色のジーンズが多い
靴 … スニーカー、茶系のウォーキングシューズが多い
カバン … ちいさめで、デザインの凝ったものが多い


まとめてみると、テレビのアウトドア番組で男性芸能人が着ているようなものを、高橋源一郎さんっぽい人が着ているような感じになりましょうか。

そんなわけで、一箱古本市をまわりながら、古本を探すよりも、そのことが気になって仕方ありませんでした(笑)。おぉ、古本ウェアっていうのが、あるのかもしれないなぁ、と。

どーでもいいことなんですけどね。


と、これを書きながら「桑田佳祐の音楽寅さん」(フジテレビ)を見ていたら、ビートルズの「アビーロード」というアルバムの全曲を完全コピーしたうえ、歌詞をソラミミで歌い、政治を批判するというすばらしい企画をやっていました。自民・公明・民主・共産の各党がまんべんなく批判されていて、超おもしろかったです。

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2009年5月 3日 (日)

さきほど、時事ドットコムの「忌野清志郎さん死去=RCサクセション率いた『ロックの神様』」という記事を読みました。そして、これを書いているいま、iTUNEをシャッフルでかけていたら、清志郎さんの「善良な市民」という曲が流れました。

RCサクセションの結成は1968年。バンドマンとして世の中に認知されてから、今年で40周年でした。清志郎さんは、ストレートなラブソングだけでなく、反体制ソングもつくりつづけました。反原発がらみで大手レコード会社から干されたときも、インディーズで何枚もアルバムを出しつづけました。

人生そのものがロックだった、数少ないバンドマンでした。

怒るときには怒る。愛すときには愛す。ただし、怒るときにも愛すときにも、ユーモアは忘れずに。そんなことを、私は清志郎さんから教わり、いまも実践しているつもりです。

清志郎さんにロックと社会批評に関する本をつくりたいと申し込み、ニコニコ笑いながら「そのうちやろうね」といわれたのが2001年のことでした。

実現したかったなぁ。

悲しすぎます。

でも、清志郎さんの歌はずっと残る。サンボマスターの山口さんが書いているとおりです。私はその歌をずっと聴いてきたし、これからも聴いていきます。

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2009年5月 2日 (土)

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桐野夏生さんの『残虐記』(新潮文庫)を読みました。主人公は、10歳のときに1年にわたって、ある男性に監禁された経験を持つ女性の小説家です。この主人公が失踪したところから、物語は始まります。

小説の冒頭とおわりに、主人公の夫が編集者に書いた手紙が配置され、手紙にはさまれるかたちで、主人公が書きのこした「残虐記」という小説が配置されています。あまり見たことのない構成で、新鮮に感じました。

ある男が小学生だった主人公を監禁したこと自体が、たしかに残虐といえば残虐な話です。しかし、私はこの本を読んでいて、監禁から救出された主人公をとりまく地域の住民や警察、検察、教師、友人らの振る舞いの残虐さが、強く印象に残りました。

桐野さんは作中で、主人公に「与えられた傷が深ければ深いほど、善意と同情でさえも更に傷を抉る」と語らせていますが、まったくそのとおりだと思いました(『残虐記』、127ページ)。

主人公が指摘するような目線は、犯罪被害者やその家族だけでなく、「貧しい」とか「かわいそう」などと思われている人々(国内、国外を問わず)に、しばしば向けられます。この目線には、けっして悪気がないのかもしれませんが、目線を受けとる側からすれば、その目線は好奇と悪意のレーザービームと感じられることが多々あると思います。

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