双風亭日乗

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2009年7月29日 (水)

想田和弘×森 達也トーク

昨日は、想田和弘×森 達也トークショー「映画『精神』から考えるこの国のメディア」@青山ブックセンター本店にいってきました。一流のドキュメンタリー監督であるおふたりの話で、もっとも興味深かったのは、過剰な予防線をはったうえでの映像編集と取材対象者の肖像権問題でした。

前者は、過剰にモザイクをかけてしまったり、録音した人の声を消して別の人の声をかぶせたり、他社と横並びにするというくだらない理由で字幕をつけたりしていることについて。おふたりとも、いまの日本のテレビは、モザイクもアフレコも字幕も過剰だという点では一致していました。

後者は、取材対象に断らないで取材し、映画なりテレビなりでその対象がうつっていると、アメリカではすぐにクレームをつけられると想田さん。だから、映像に映りこむ取材対象には、書面で許可をもらうようにしているとのこと。一方、そんなことをしていたら取材にならない、と森さん。ちゃんとしたドキュメンタリーを撮るのなら、人権とか肖像権とかは無視するといってました(冗談かどうかは不明)。

肖像権の問題は、むずかしいですね。猫も杓子も肖像権になってしまったら、カメラを使用した取材がどんどんできなくなってしまいます。かといって、カンボジアで大量に見かけた日本人観光客のごとく、現地の人たちに「撮らせて」の一言もなく、バチバチと人物の写真を撮っているのも、なかなか見苦しい光景です。

取材される側は、取材活動によって誰もがメリットをうける可能性があるという前提に立ち、肖像権を過剰に主張しない(もちろん、相手がひどいときには主張する)。そして、取材する側は、だからといって、それにつけこんでリテラシーもなく映像や画像を撮るのではなく、十分に相手の気持ちを察したうえで取材する。

これは理想ですが、けっきょくは取材される側とする側の両者にメリットがあるよう、ラウンドテーブルを囲んで話し合うなり調整するなりして、落としどころを見つけていくしかない、と思います。

ちなみに、カンボジアで日本人観光客を相手に12年ほど商売をした私は、現地にいたときも、いまも、人物の写真はほとんど撮らなくなってしまいました。現地の子どもは目がきれい、などといって、キャアキャア言いながら写真を撮りまくってる日本人観光客には、「カンボジアの子どもは、動物園の檻のなかにいる動物じゃないんだよ」とだけいっておきましょう。

まあ、こういう輩がいるから、肖像権というものをちゃんと考えなきゃなあ、と思うわけですが。

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想田和弘×森 達也トーク:

コメント

通りすがりで失礼します。
私も昨日おなじく拝聴しておりました。
ただ、同じ印象はうけませんでした。
まったく違ったものを見たのではないかと思うほどです。
これも、両監督のおっしゃっていた、主観のなせるところではないでしょうか。

少なくとも「肖像権は無視する」と簡単にまとめられるものではなく、もっといろんな状況がその当時、あって出てきた言葉だったし、
「字幕もアフレコもモザイクも過剰という点では一緒」というより、「描きたいものがあれば、どんどんいらないものはなくなってゆくはず。」とあとに話していらしたし。

両者のメリットのため、落としどころをみつけていくしかないって、それは撮影後のことでしょうか?
もし、事前であれば、それこそダメなメディアと同じ気もします。

メリットという言葉に異和感をかんじました。そんなことを一流の表現者が考えるのでしょうか。その言葉が出てくること自体、利益追求の組織の考えではないでしょうか。

投稿: なおころ | 2009/07/29 22:47:26

leleleさん、あの場にいらっしゃったんですね。
僕もおりまして。ご挨拶できればよかったです。
森さんの人権・肖像権無視の発言は、半分は挑発でしょうね。半分は本気でしょうけれど(笑)。
個人の権利と公共の利益(「公共の福祉」)のどちらが優越するかは、それぞれの場面でプラグマティックに判断し「落としどころを見つけていくしかない」とは思いますが、そこに「暴力性」を完全に排除することもまた難しいと思っています。

投稿: ざんじ | 2009/07/29 22:47:49

なおころさん、コメントをありがとうございます。おふたりの話を全部再現しても仕方がないので、あくまでも私がのなかで興味深いと思った点を記しました。

取材される側としては、紹介されたり金品がもらえたり、また社会的な意味があるなど、何らかのメリット(利益)があるから取材をうけることが多いと思います。もちろん、奉仕の感覚で取材させることもあるでしょうけれど、自分が取材されることにより、取材する側に何らかの利益があると思ったときから、その感覚はすくなくなっていくと思います。

一方、取材する側としては、いくら「いい作品」や「社会的に意味のある作品」をつくるといっても、給料や売上がなければ次の仕事につづきません。だから、企画の主旨としては、利益がどうのというのは考えないかもしれませんが、作品として発表するためには、ある程度は利益を考えなければ、一流だろうと二流だろうと、仕事が成立しないと思います。

本の企画もまったく同じです。いくら世に認められるようないい本をつくり、書評が載りまくったとしても、実際にその本がたくさん買われなければ、著者も出版社も次の仕事にはつながりません。

私は、テレビドキュメンタリーの作り手をたくさん知っていますが、NHKにしろ民放にしろプロダクションにしろ、関わっている人の誰もが、報酬をもらって仕事をするのですから、どんなネタであろうと、利益を考えながら作品をつくるのは当然のことだと思います。

利益の有無を気にしないでドキュメンタリーをつくれるのは、よほどのお金持ちしかいないのではありませんか、たぶん。

ざんじさん、お会いしたかったです。いずれお会いしましょう!

投稿: lelele | 2009/07/30 16:46:23