2010年2月24日 (水)
國母さんのこと 2
「國母さんのこと」というエントリーに対して、多くのコメントをいただき、ありがとうございました。
私が気になるのは、國母さんのスタイルや言動が、「日本人」として「恥」なのかどうか、ということ。あと、ちょっと騒ぎすぎじゃないか、ということです。
ならば、問い返しましょう。「日本人」って、どんな人なのでしょうか?
「日本人として恥をかく」って、どういうことなのでしょうか?
手前味噌で申し訳ありませんが、12年ほど外国(カンボジア)で暮らした経験からいうと、「日本人として、現地の人にどう思われているのか」ということよりも、「人として、よそ者として、現地の人にどう思われているのか」を気にしていたように思います。
ですから、「日本人として恥」というのではなく、「人として、よそ者として、恥ずべき振る舞いをしているかどうか」を気にしていました。もちろん、日本で生まれ育ったし、あまり役には立たなかったものの、在カンボジア日本大使館には世話になりましたから、「日本人」であるという自覚はありました。
しかし、基本的には「日本人」というよりも、「ただの人」もしくは「よそ者」であることを自覚していたように思います。そして、現地の人たちも、はじめは「日本から来た人」と認知しているものの、長く暮らしているうちに「ただの人」もしくは「よそ者」と認知するようになっていったように感じます。
そもそも、日本で生まれ育った日本国籍の人が、日本で普通に暮らしていたら、自分が「日本人だ!」なんて思う機会など、そんなにないでしょう。にもかかわらず、マスコミに煽動されるとすぐに、「日本人の恥」とか「日本人なんだから……」などと、思いついたように騒ぎだす人がたくさんいる。
したがって、國母さんがどうのというよりも、そうやって騒ぐ人たちに違和感を感じたから、「國母さんのこと」というエントリーを書いただけの話です。マスコミが騒がなかったら、あんな大ごとになっていなかったかもしれない、と思うのは私だけではないと思いますし。
オリンピックのみならず、ボランティアやら仕事やらで海外へ渡航し、そこで短期や長期で暮らす人たちに、「日本人らしく」とか「日本人として恥じないように」などとお説教をするのは、よけいなお世話だと思います。
もちろん、初対面であれば海外の人たちは、「何々人」という「国籍」などで、なんとなく人物を評価したり判断することもあるでしょう。しかし、最後の最後では、その人が「どんな人なのか」という部分で、その人物を評価したり判断したりする(したほうがいい)ものだと、私は思っています。
そういう私の基準からいえば、國母さんをめぐる騒動など、ちゃんちゃらおかしく思えるわけです。とはいえ、ちゃんちゃらおかしくはないと思う人がいたって、べつにいいと思いますし。問題は、「騒ぎすぎ」だということです。
日乗 | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)