双風亭日乗

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2010年3月30日 (火)

書店の社会的責任ってなに?

インターネット新聞「日刊ベリダ」に、「売れるならそれでいいのか 排外主義を煽る本で書棚は満杯、書店の社会的責任はどこに」(2010年03月29日)という記事が掲載されました。内容は、タイトルを読めば想像がつくと思います。一応、以下を読む前に、目を通してもらえるとうれしいです。

たしかに、書店の棚、それも目立つ場所にその手の本が並んでいるのは事実です。そして、同記事では、記者が書店に取材をしたところ、「『売れているから置いている』としか答えようがないので、取材に応じることはできない」といわれたとのこと。

さらに、某書店からそのような答えが返ってきたことについて、記者は「同時に上の書店の認識(谷川注…「売れているから置いている」)は、同店の書店としての社会的責任の希薄さを露にした」と断じています。ちょっと、ちょっと。これはいいすぎでしょう。

そもそも、「書店としての社会的責任」っていうのは、なんなのでしょう。本が売れてなんぼの商売をしている書店に対して、自分が気に入らない本が置いてあるからといって、「社会的責任が希薄」だなどと、なぜ平気でいえてしまうのでしょうか。

そういった状況に対して文句をいうなら、書店ではなくて、出版社にいうべきです。文句があるなら、「排外主義を煽る本」に対抗するような本を出している出版社に対し、書店の棚で大々的に展開できるような本を出さなきゃだめじゃないか、負けちゃってるよ君たち、ってね。

書店に対して、特定の思想信条の本に関して「こんな本は売っちゃだめだ」なんていいだしたら、おそらくそれをいっている自分たちにも同じことがはね返ってくるでしょう。どんな本を売るのかは、他人がとやかくいわず、書店が判断すればいいことだと思います。

そんなことをいいだしたら、どの書店にもたいてい並んでいる池田大作さんの本はどうなるのでしょうか。いい加減な内容の脳科学の本はどうなるのでしょうか。あまり意味のない自己啓発の本はどうなるのでしょうか。

記者さんのご注進を受けいれて、売れ筋である「排外主義を煽る本」を売るのをやめたら、記者さんはその分の売上を書店に保証してくれるのでしょうか。または、それにかわるような、売れ筋の本を提供してくれるのでしょうか。

「書店としての社会的責任の希薄さ」とかいう前に、書店ではたくさんの人が働き、書店の周辺では流通や取次、そして出版社など、多くの人が関わっていることを再認識してほしいですね。

私だって、「排外主義を煽る本」の存在自体は、気に入りません。でも、それに抗うためには、相手の手の内を知るためにもそういう本を読むべきです。くわえて、出版社の立場からいえば、そういう本を読んで腹が立ったなら、それに抗う本を出せばいいだけの話です。もちろん、ちゃんと売れるような本じゃなければ、話になりません。

多くの書店は、政治結社でもなければ宗教団体でもありません。だから、その抗う本が売れれば長期にわたりたくさん置いてくれるし、売れなければ置いてくれません。至極、当たり前の話。商売なのですから、ただそれだけです。ちなみに、弊社は『バックラッシュ!』という本で、それを実践したことがあります。

なんだか、「排外主義を煽る本」を置く書店を批判している記者さんの文章や論点自体が、排外主義っぽく見えてしまうのは私だけでしょうか。

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書店の社会的責任ってなに?:

コメント

> 出版社の立場からいえば、そういう本を読んで腹が立ったなら、それに抗う本を出せばいいだけの話です。もちろん、ちゃんと売れるような本じゃなければ、話になりません。

『バックラッシュ』や『若者を見殺しにする国』といった、まさに世の潮流に対して対抗的な言説をつむぐ本を企画・編集されてきた谷川さんがおっしゃると、実に説得力がありますね。表現には表現で返す、というのが自由を守る唯一のやり方じゃないかと私も思います。

近頃危ういな、と思うのは、ある一定の歴史認識を明らかにすることを法律で禁止せよ、という類の主張が運動をやっている人の中からよく寄せられるようになってきたことです。これは、在特会がカルデロンのり子ちゃん一家の事件を起こしてから強くなってきた傾向です(c.f http://www.youtube.com/watch?v=2oafXv0Qnfs)。

また、表現に対する規制ということですと、児童ポルノ法に対する反対運動―ユネスコや、公安OBが加入しているNGOなどが継続的に活動を行い、東京都では先日問題になった単純所持規制込みの条例が上程されましたね。

どっちもそう言いたくなる気持ちは分からんでもない。しかし、一度でも表現内容に立ち入って物事を禁止するような取り決めが通ると、世論の風向き次第で、違ったものが禁止されることにも道を開きかねません。そのとき、表現規制の違法性を説くことはもはや説得力のないものになってしまうでしょう。

そういう怖さを真剣に省みているのだろうか、と私は時々あやうく思うのです。こうして左の側からも表現規制
に合意するような動きが出てきて、したりとばかりと右の側が表現規制を言い出して「左右合作」で表現の自由が後退させられる、という具合にならなければ良いな、とハラハラしながら世の成り行きを見守っています。

投稿: Lee | 2010/03/30 13:21:15

訂正。

×児童ポルノ法に対する反対運動―ユネスコや

○児童ポルノ法に対する反対運動―ユニセフや

いけませんな、こういう間違いは・・・(苦笑)。関係者の方、ごめんなさい。

投稿: Lee | 2010/03/30 13:24:57

逆に、「べリタ」で「社会的意識が濃厚な(笑)」書店を紹介してあげればいいのに。

投稿: 小笠原功雄 | 2010/03/30 22:31:25

そのとおりです!

投稿: lelele | 2010/03/30 22:53:49

この記事に触発されて僕なりにアップしたら、
leleleさんの冒頭では「日韓ベリタ」になっている。
僕もそのように紹介したのですが、「日韓」って何か出来過ぎだなぁと思っていたら「日刊ベリタ」が正解でした。
急遽、修正しましたよw。

>逆に、「べリタ」で「社会的意識が濃厚な(笑)」書店を紹介してあげればいいのに。

模索舎とか…。

投稿: 葉っぱ64 | 2010/03/31 0:37:38

葉っぱさん、すいません!
単純ミスです。修正しました。

投稿: lelele | 2010/03/31 1:26:04