双風亭日乗

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2010年5月13日 (木)

政治的な役割が期待されていない有名人候補

「Qちゃん民主要請拒否 スポーツ現場主義」(ニッカンスポーツ・コム、2010年5月12日)

ヤワラちゃんだ、中畑だ、堀内だ……。参院選の候補者に有名人の名前があがっているなか、Qちゃんこと高橋尚子さんは「政治の勉強をした人が国民の代表になるべき」といって、各政党からの勧誘を断っています。

この差は、なんなのでしょうか。フツーに考えれば、Qちゃんの選択は、まったくもって常識的であるといえましょう。だって、スポーツや芸能で才能を発揮し、有名になったことと、国の政治に関わることは、まったく別の話といえるからです。

しかし、前者と後者が一緒くたになっているように見える候補者がいる。なぜ一緒くたになってしまうのか。素人の目線で考えると、第一に政党が候補者に対し、「一緒くたでも大丈夫ですよ」といっている可能性が考えられます。第二に、候補者自身が一緒くたでも大丈夫だろうと考えている可能性もある。第三に、政党から「一緒くたでも大丈夫ですよ」といわれているうちに、候補者自身も大丈夫だと思いこんでしまう可能性もあります。

いずれにしても、有名だからといって政治家になって有能な働きができるとはかぎらない、という響きが通奏低音としてある。そんなことは、政党幹部はよくわかっているでしょう。にもかかわらず、有名人に立候補を働きかけるということは、その有名人を自陣営の優位性を確保するためのコマとして利用する、と宣言しているようなものではありませんか。

国会の勢力分布によって国政が左右され、勢力を強めるためには議席の数が必要だというのは、ちょっと考えればわかります。でも、たとえ国会議員になれたとしても、自分には政治的な役割が政党から期待されておらず、ただただ議席の数をかせぐために議員になったとしたら、その議員はいったいどう思うのでしょうか。

社会的地位が高いし、給料もいいし、より有名になれるから、それでもいいやと思うのでしょうか。それとも、いいことはたくさんあるけれど、根本的な問題として、自身に政治的な役割を期待されていないことに気づき、当選してから落胆したりするのでしょうか。

数あわせという政党の利害と、「それでもいいや」という自身の利害が一致しているのなら、その有名人候補者としては、とくに問題なく議員生活を送っていけることでしょう。しかし、そんな利害の一致で候補者を選んでいる政党に対しては、国政に取り組む姿勢に疑念を持たざるをえませんし、当選した議員に対しては、何の期待もできません。

そういうことは、フツーにニュースを読んだり見たりしていれば、なんとなくわかっているでしょう。にもかかわらず、有名人候補者に投票してしまう人がたくさんいるのだとしたら、それはちょっとヤバい状況だと私は思います。繰り返しますが、その有名人候補者には、おそらく政治的な役割が期待されていないんですから。

まったくの予想ですが、Qちゃんは、政治的な役割が期待されていないのに国会議員をやっても、自分のためにも国のためにもならない、と考えているのでしょう。それは、いたって常識的な感覚であり、そうでない有名人がたくさんいることに、私はたいへん驚いています。

政治的な役割を期待されていなくても、たくさんいいことがあるんですかね~、国会議員というのは(笑)

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政治的な役割が期待されていない有名人候補:

コメント

今日の文中に、「通底奏音」とありますが、「通奏低音」が正しい表記です。老婆心ながら、早めに訂正された方がよろしいかと。

投稿: 渡邊徹 | 2010/05/13 20:53:59

ありがとうございました!

投稿: lelele | 2010/05/13 21:03:41

> にもかかわらず、有名人候補者に投票してしまう人がたくさんいるのだとしたら、それはちょっとヤバい状況だと私は思います。

政党政治には何も期待できない、と思っている人が日本にはたくさんいるということなんじゃないかと思います。特に、投票率が低いと言われている若年層は。

でも、そういう不毛さみたいなものを強く感じているからこそ、同じ程度にヒーロー待望論が沸いてくるのでしょうね。

別に小泉みたいなヒーローは要らんので、地域労組の連合体なんかを母体にした、社民党や共産党とは違うオルタナティブな左派政党ができないもんかなあ・・・…とはよく思います。

イギリスでも2大政党制が崩れ出しているそうですが、民主党にも、ましてや自民党にも票を入れたくない、かといって社民や共産も何か違うな、と思っている人はたくさんいるような気がするんですよね。

投稿: Lee | 2010/05/14 1:28:17

結局のところ、政党は勝つために票が取れるタレントを望み、タレントはタレントで政党に指名されたことと自らの能力とを考量することもなくただ単純に喜び、国民は国民で選挙に勝つためなら政党はそういうこともやるだろうと諦観する。
振り返れば、自民党がNHKの名物アナだった宮田輝を担いだ昔から、今日ここまでの1本道ですね。特に、小泉某の「劇場なにがし選挙」以来、政党にも受けるタレントにも全く節操というものがなくなりましたね。
晩年の宮田輝が「私は自民党に利用されただけだった」と嘆き失意の裡に亡くなったのは知る人ぞ知るですが、そんなことも読めなかった己を恥じるべきでしょう。
最近の選挙に出るタレントは、利用されることすら嬉々として受け入れているようで、否、利用されるのを承知でそれでも国会議員になることの方が大事と思っているようで情けない限りです。
大体、スポーツ選手をTVタレント扱いして恥じないこの国のマスコミの在り方(スポーツ選手がそのことだけで尊敬を受ける欧米諸国との大変な違い、少なくともスポーツ選手がTVのバカ番組に出る/出すということがない)が問題なのですが、高橋尚子の至極真っ当な判断を知るにつけ、こういう話に乗るスポーツ選手自体がアホなんですね。
「票のために俺を担ぐなんて馬鹿にするなっ!」と言う人間が一人くらい居てもいいのに、ああ何と言う国であることよ。

投稿: 渡邊徹 | 2010/05/14 14:32:49

結局のところ、政党は勝つために票が取れるタレントを望み、タレントはタレントで政党に指名されたことと自らの能力とを考量することもなくただ単純に喜び、国民は国民で選挙に勝つためなら政党はそういうこともやるだろうと諦観する。
振り返れば、自民党がNHKの名物アナだった宮田輝を担いだ昔から、今日ここまでの1本道ですね。特に、小泉某の「劇場なにがし選挙」以来、政党にも受けるタレントにも全く節操というものがなくなりましたね。
晩年の宮田輝が「私は自民党に利用されただけだった」と嘆き失意の裡に亡くなったのは知る人ぞ知るですが、そんなことも読めなかった己を恥じるべきでしょう。
最近の選挙に出るタレントは、利用されることすら嬉々として受け入れているようで、否、利用されるのを承知でそれでも国会議員になることの方が大事と思っているようで情けない限りです。
大体、スポーツ選手をTVタレント扱いして恥じないこの国のマスコミの在り方(スポーツ選手がそのことだけで尊敬を受ける欧米諸国との大変な違い、少なくともスポーツ選手がTVのバカ番組に出る/出すということがない)が問題なのですが、高橋尚子の至極真っ当な判断を知るにつけ、こういう話に乗るスポーツ選手自体がアホなんですね。
「票のために俺を担ぐなんて馬鹿にするなっ!」と言う人間が一人くらい居てもいいのに、ああ何と言う国であることよ。

投稿: 渡邊徹 | 2010/05/14 14:34:59

こんな人こそ

謙虚な人物と思った。こんな人こそ政治家としていいのではないかと思う。

鳩山首相みたいに学者としては、生活できそうにもないから学者を廃業して、政治を目指すなど論外と思う。

首相や政治家、或は幹事長としてもこんなものと、証明してくれたようなものである。

カネで子分を集めて(と思う)、親分となっても無知、無能、無責任は直らない。

カネに釣られて集まるような人間も、集める人間も政治家としては、程度が知れている。

高橋選手のような謙虚な人物こそ、有能なブレーン、アドバイザーを集めて、政治家として活躍して欲しいと思う。

投稿: オーナー | 2010/05/14 20:08:07

思うに、わたしたちは、できればこういう人にこそ政治家になって欲しいと思えるような人が、実際に政治家を目指すことを考えてもらえるような環境を用意できていないのかもしれません。

考えてみれば、今の日本の世の中で公務員と政治家ほど叩かれている存在はないんですよね(その次に叩かれてるのがニート。苦笑)。それはもちろん、彼らの持っている説明責任を欠いた閉鎖的な意思決定方式への反感、責任感や能力に対する不信の積み重ねによってそうなっている部分はあるから、確かに自業自得なんですが。

しかし、そうしているうちに、政治家を自分たちで育てたい、担いでやりたい、と考えることができなくなるほどに、政治そのものに対する不信は深化してしまったんじゃないか、とも思えるのですね。政治という言葉が即座に利権/特権/利益導出という言葉を呼び寄せてしまうような、あるいは、社会集団間の利害調整の過程としてしか意識されないような、そんな部分があるように感ぜられます。

そうなると、政治というものに自分が関わっている、と意識することすら難しくなってきます。ジャーナリストの藤田恵さんが、大分キヤノンで働いていた若年派遣労働者へ取材を試みて書いたレポの中で、若者達が全く政治に関心を示さないことに驚いている一節があります。

そういう土壌から、たとえば労働者の利害について非常によく考えてくれる人が立ち上がったとしても、果たしてその人に票が入っていく可能性はあるのか。むしろ、労働に関する利権を漁る人としてレッテリングされ、揶揄されて終わりになるのではないか、という気がするんですよね。湯浅誠さんが内閣参与になったときのネットの反応を見ていて、その意を強くしましたが……。

不信と不利益の配分ゲームとしてしか意識されない今の日本の「政治」を、信頼と利益の創出ゲームとして共同想像できるか、そういう言葉を言論人が持てるかどうか、そこにひとつのポイントがあるような気がします。

投稿: Lee | 2010/05/17 5:53:14