双風亭日乗

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2010年6月 3日 (木)

母親の「心の闇」と児童虐待

柳美里著『ファミリー・シークレット』(講談社)を読了。はからずも日テレで「MOTHER」という児童虐待をあつかったドラマの放映中であり、いろいろ考えさせられました。親と子どもの関係性は、ここでは簡単に書き尽くすことができないくらい多様ですよね。

また、その関係性は個人的であり、どういう関係性がすばらしいとか優れているとか、そう簡単にいえるものでもありません。同様に、どういう関係性がだめだとか劣っているということも、いえないと思います。

こうして、親子の関係性が多様であり、人それぞれであることを確認したうえで、ほぼ唯一、「でも、これだけはやっちゃマズいでしょう」というのが、児童虐待なのではありませんか。そうなると、まず「虐待」が何なのかをはっきりさせないと話が進みません。

はてなブックマークの記述がシンプルでわかりすいので引用します。「保護者による、児童(子供)への虐待行為。身体的虐待(暴力等)・心理的虐待(言葉の暴力等)・ネグレクト(保護責任遺棄)・性的虐待の4種類に分類される」

『ファミリー・シークレット』では、上記のうち「身体的虐待」と「心理的虐待」を柳さんが息子におこなっている事実が書かれています。あまりにも赤裸々な記述をネット(講談社の「G2」)で公開したため、柳さんのウェブサイトが炎上したことは、ちょっとしたニュースになりました。

とはいえ、本の内容からいうと、子どもへの虐待の様子が書かれた部分はそれほど多くありません。内容の大部分は、「なぜ自分は子どもを虐待するのか」という自分探しです。臨床心理士による6回のカウンセリングにより、虐待の原因がおぼろげながら見えてきます。

読む前は、柳さんがいかに自分の子どもを虐待し、その事実と向き合い、どう対処したのか、ということが書かれていると思っていました。だから、ちょっとがっかりしましたね。有名な作家だとはいえ、みずからの子どもへの虐待は本の枕であり、結局、自分さがしかよ、って。

柳さんが、心に闇を持たざるをえないような生き方をしてきたことは、同書だけでなく、他の著書を読んでもよくわかります。たいへんだったことでしょう。そして、いまもたいへんなのでしょう。しかし、たいへんだからといって、児童虐待が正当化されるわけではありません。

親の心に闇があろうと、叩かれようと、罵られようと、子どもは親についていくしかありません。とりわけ、ちいさいころは、子どもが親に依存するという一方向な関係にならざるをえない現実があると思います。

おたがいの声を聞いたり気持ちを確かめる、いわば双方向の関係性は、はやくても小学高学年くらい(専門家ではないので、その時期を確実に特定できませんが)にならないと確立できないのではありませんか。

そういう意味で、私が同書を読んで気になったのは、柳さん自身がどうこうということなどではなく、虐待の収拾はついたのかということと、彼女の息子がいまなにを思いながら暮らしているのか、という二点につきます。

他人の家庭にものを申すのはどうかと思いますが、家庭の事情を本で公開しているわけですから、ひとこといわせてください。虐待が続いているのなら、無理して一緒に暮らすのではなく、子どもをシェルター(児童相談所や養護施設など)にあずけたほうがいいのでは。

同書には、子どもの虚言癖などについても触れており、虐待の原因を子どもの振るまいに求めているような部分があります。しかし、どんな子どもを育てるにしても、「たいへんだから、虐待していいという話にはならない」という金科玉条を忘れてはいけないと思います。

自分はなぜ子どもを虐待するのか。そんな自分と真剣に向き合い、原因をあきらかにしたい。そういう柳さんの姿勢は、同書で伝わってきます。でも、そっから先はどうなった(どうなる)のでしょうか。原因がわかり、息子への虐待はなくなったのでしょうか。

そのへんが、同書ではよくわからない。だから、「自身の子どもへの虐待を、本で明らかにしてしまうなんて、すごいなぁ」とは思いますが、それより何倍も重要な問題である自身の子どもへの虐待が、カウンセリング後にどうなったのかが書かれていないのはどうなのでしょう。

心に闇を抱えながら子育てをしている母親など、いくらでもいるでしょう。そういう母親の心理を、物書きとしての柳さんが記述する。たしかに、それを記述できない母親からは共感されるかもしれません。「カウンセリングのススメ」にはなるかもしれません。

けれど、そんな母親が本を読むよりも先にすべきことは、自身の心の闇が子どもへの虐待に向かい、歯止めがきかない状態になったとき、どうすればいいのかを考えることであるような気がします。そのためのカウンセリングは、たしかに有効だとも思います。

同書は、子どもの虐待が執筆の契機になっているという部分では、「ファミリー」のシークレットを記述しているといえますが、その実態は「柳美里」のシークレットを記述したものだといえます。そして、申し訳ないけれど、そのシークレットが「言い訳」のように読める。

「言い訳」をいいたくなる気持ちもよくわかりますが、なにより先に解決すべきは、子どもに対する虐待をどう抑えるか、または防ぐか、ということ。繰り返しますが、その「言い訳」によって子どもを虐待してしまうのであれば、落ち着くまで子どもをシェルターに預けてはいかが。


※上記は、ツイッターに記した文章を転載したものです。

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