2010年7月21日 (水)
八ッ場ダム、見えてきた市民団体のエゴ
日曜日に放映された「ザ・ノンフィクション」(フジテレビ)は、かなり見応えがありました。タイトルは、「八ッ場ダム三代 愛するふるさとよ 沈んでくれ!」。いま、ダム建設予定地に暮らす旅館経営者に対し、2年半ほど密着取材して制作された番組でした。
八ッ場ダムの歴史を、ごく簡単にさらっておきます。八ッ場ダムの建設予定地は、群馬県長野原町にあります。1952年に旧建設省がダム建設を計画。住民は猛反対。その後、補償金が欲しい住民は建設賛成派にまわり、1987年には同町が建設の受けいれを表明。
しかし、2009年に政権が民主党になると、いきなりダム建設の中止が宣言されます。「時代に合わない国の大型直轄事業は全面的に見直す」というマニフェストの実行を試みます。番組では、猫の目のように変わる政策に振りまわされる現地の人々の様子を、長期取材によってあぶりだしていました。
さて、長野原町には、「川原湯温泉」という温泉街があります。52年に住民がダム建設を受けいれたときの条件のひとつは、同温泉を丸ごとダム湖畔に移動するというものでした。すくなくとも2008年までは、温泉宿の経営者らは、そういう前提で暮らしてきたはずです。
したがって、ある意味で、現在の宿は次の建設地に宿ができるまでの「敗戦処理」的なものでした。建物が老朽化しても、いずれは移設するのだから、お金はかけられない。あとは、ひたすらダムの完成を待つのみ……。
一方、同町の河原湯地区では、183世帯のうち142世帯が補償金を受けとり、ほかの町へ転出してしまっています。地元住民が激減して活気がなくなり、ダムの底に沈む温泉街に、足を運ぶ観光客は減っていました。
そんなときに、民主党による中止宣言です。不安ながらも、温泉街の代替地で再出発を目指していた人々が受けたショックは、どれほど大きいものだったことでしょう。
番組は、ダム建設をめぐり、祖父(故人)が「反対」し、父(故人)が「受けいれ」、息子(現在の経営者)が「宙づり」になっているという、旅館経営者の親子三代にわたる歴史をていねいに紹介します。
この番組で、私がもっとも注目したのは、ダム建設に反対する市民団体のエゴでした。「八ッ場ダムあしたの会」という市民団体があります。中止宣言後、同会は川原湯温泉をおとずれ、ある旅館で現地の人々との意見交換会をおこなうことになりました。
同会の主要メンバーは、永六輔さんと澤地久枝さん、そして加藤登紀子さんの三人。番組では、主人公の旅館経営者(上記の「息子」)と加藤さんの対話が紹介されていました。一部だけ紹介します。
経営者「それぞれ切羽つまってるんで、疑心暗鬼になっていて、何でもいぶかしがっちゃうんです」
加藤「切羽つまってるって、一番、何に?」
経営者「将来に対してですね。将来、移る場所も見えていない……」
加藤「だけどね、将来ってみんな不安なの。日本中」
それをいったらおしまいでしょう、加藤さん。この短い会話から、強者は大きな状況を語り、弱者は個別具体的なことを語る、という典型的な強者の論理が透けて見えます。ようするに加藤さんは、「みんなたいへんなんだから、あんたもがまんしなさい」といっているわけですから。
市民団体というものは、個々の市民が抱える苦難や絶望をくみ取り、団体として体制の側に、その苦難や絶望をどうにかしろとうったえるものだと思っていました。繰りかえしますが、加藤さんの対応はまったくその逆で、「体制はいいことをしていて、私たちはそれを支持しているんだから、あんたたちもそれを受けいれろ」といっているんですよ。
これでは、単なる政策の押しつけではありませんか。八ッ場ダムの建設により環境が破壊されるなどとエコなことを唱えつつ、現地住民への政策の押しつけというエゴなことをいっていては、団体のスタンスそのものに疑念をもたざるをえません。
加藤さんは、あんなことを平気でいっておきながら、現地の人々の生活になんら責任を持つわけではありません。責任が持てないのなら、持てないなりの発言に留めておくというのが、まともなおとなの対応というものだと思うのですが。
番組を見ていて感じたことは、親子三代にわたってダム建設に翻弄されてきた住民がいまも現地で暮らし、似たような環境におかれた世帯がいくつもある、という現実を直視することからはじめなければ、なにもはじまらないということでした。
ダム建設が環境を破壊するという話もおそらく正論だし、せっせと補償金をもらって町の外で暮らす人が多数いるという現実もある。しかし、それでも現地で悩みを抱えながら生きている人がいるということを、民主党政権もしっかりと把握したうえで、八ッ場ダムに関する今後の予定を考えてほしい。
番組で見るかぎりでは、「八ッ場ダムあしたの会」なる市民団体は、単に民主党の政策にのっかって現地の人を責めるだけの人たちに見えたし、加藤さんにいたっては、著名人が暇つぶしにやっている金持ちの道楽みたいにも見えてしまいました。
日乗 | コメント (10)
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コメント
番組を見逃したので良く分からないのですが、谷川さんが指摘されている加藤さんの会話、ここで加藤さんと話している「旅館経営者」は次のうち、どなたなのでしょうか?
> 祖父が「反対」し、父が「受けいれ」、息子が「宙づり」になっているという、旅館経営者の親子三代
投稿: Lee | 2010/07/21 16:40:34
すいません!
わかりにくかったですね。
ご教示ありがとうございます。
書き直しました。
投稿: lelele | 2010/07/21 17:13:03
番組を見逃してしまったのですが、加藤さんたちが川原湯の旅館組合の方々と話し合ったのは、政権交代前で、民主党の政策云々とは関係ないと思います。見た方がそう取られたのでしたら、番組の描き方に問題があるのかもしれませんね。
エゴというのなら、山奥の村々をつぶして水を確保する都市の在り方、今ダムを造るかどうかを地元に決定させている(かのように見せている)都市の在り方に問題があるかと私は思います。
移転された方々が、せっせと補償金もらって、という記述は、地元の方々、移転された方々へ配慮が欠けているかと思います。そのようにするしか道がなかったのではないでしょうか。
投稿: saco | 2010/07/22 14:56:51
八ッ場の水没予定地でのフィールドワークに通っている大学院生です。市民団体の方のお話をうかがったこともあります。
番組を観ていないので分かりかねる部分もありますが、一つの番組を観て市民団体をエゴと決めつけることに大きな疑問を持ちました。
私が知る限り、市民団体の方は現地の方が置かれている情況を理解しようと非常に努力をされています。
八ッ場ダム計画の代替地は宅地指定しかねるほどの耐震性しか持ち得ないことや、事業者である国が提示する生活再建案が地域の歴史的・社会的文脈を全く知らない学者が提案したもので生活再建や地域の持続的発展の見通しがないことを踏まえて、ダムという選択肢が水没予定地も含めて生活破壊をもたらすものではないために、ダム反対とダム計画水没予定地の生活再建を目的として活動をしていました。
番組では「ダム反対派の市民団体」とのみ紹介されていたようですが、そもそも番組制作者が曲解しているし、それを見ただけで「市民団体のエゴ」と判断してしまうのは早計ではないでしょうか。
私は長期化したダム計画が地域社会に及ぼす影響に関心を持って4年ほど調査を続けていますが、マスコミの問題に対する理解の偏りやそれに対する情報消費者の反応にうんざりしています。
自分も知っている事例なので誤解をときたいと思い、初めてコメントさせていただきました。
投稿: 森 | 2010/07/22 20:56:00
当該番組により、「市民団体のエゴ」という誤解を招いたこと、大変残念です。私たちは、市民団体として貴ブログが定義しておられる、「個々の市民が抱える苦難や絶望をくみ取り、団体として体制の側に、その苦難や絶望をどうにかしろとうったえる」活動をしてまいりましたが、なぜか番組はそのことに一切触れませんでした。
ご指摘の場面は、政権交代の前に撮影されたものです。番組でもそのように伝えてはいますが、地元の方々の犠牲の元凶はダム中止方針だという趣旨となっているため、殆どの映像が政権交代前、ダム事業の中で苦しむ人々の状況であるということが理解されにくい構成になっていました。加藤登紀子さんが仰った言葉にしても、それまでどれほど登紀子さんと地元の方々が交流を重ねたかには一切触れず、誤解を与えやすい部分のみを取り出したのは、なぜなのでしょうか? 番組では、登紀子さんの言葉に腹を立てた地元の方が、もう市民団体は相手にしないと発言したような編集がなされていましたが、実際には登紀子さんの言葉に地元の方々は腹を立てませんでした。会話の流れ、背景が番組が伝えたこととはまるで違ったからです。永六輔さんは地元の方々を励ますために、相撲甚句を唄って、みんなが輪になるように、手を取り合うクイズで座を盛り上げてくれました。これまで沢山の悲劇に接してきた澤地久枝さんに思いのたけをを語る住民の方もおられました。
水没予定地には確かに残酷なことが無数に行われてきましたし、今も行われています。けれども、そうした事実はまだ殆ど報道されていません。本当に犠牲になっている人々は、取材には答えられないということが最も大きな要因ですが、誤解をまねく伝え方は問題があると思います。
この番組では、地元から出て行った人は、結構いい思いをしているように描かれていました。出て行った方々の中に沢山の悲劇が生まれていることをどうして伝えないのでしょうか?
昨日付けでフジテレビに申し入れ書を送付しました。よかったら、ご覧下さい。
↓
http://yamba-net.org/modules/news/index.php?page=article&storyid=965
「あしたの会の活動を誤解させたフジテレビの番組」
八ッ場あしたの会
http://yamba-net.org/
投稿: dango | 2010/07/23 1:40:51
森さんに質問です。
私の理解が浅いので質問させていただきます。
「八ッ場ダム計画の代替地は宅地指定しかねるほどの耐震性しか持ち得ないことや、事業者である国が提示する生活再建案が地域の歴史的・社会的文脈を全く知らない学者が提案したもので生活再建や地域の持続的発展の見通しがないことを踏まえて、ダムという選択肢が水没予定地も含めて生活破壊をもたらすものではないために、ダム反対とダム計画水没予定地の生活再建を目的として活動をしていました。」という記述について伺います。
①この文章を私は「仮にダムを建設したとしても、地域住民の生活破壊はされない」と解釈しました。
実際のところ、ダムを建設したならば、温泉街もダムの中に沈んでしまうのではないでしょうか?そうなれば、生活は破壊されてしまうと言っていいと私は考えます。
実際どの程度水没するのか事実関係を踏まえて教えていただけませんでしょうか?
②市民団体の方にもお話を聞いたことがるということですが、「森さんが考える市民団体と地域住民がケンカ別れのような形になった理由」は何だと思いますか?
お手数ですが、よろしくお願いいたします。
投稿: 山田 | 2010/07/23 18:57:10
みなさん、コメントをありがとうございます。新刊の準備で、レスが遅れてすみませんでした。
あくまでも番組の感想なので、このエントリーでは、番組内容から見えてきたことについて記しました。ですから、番組の外側に関する情報をいただくことは、たいへんありがたいことです。
たしかに、補償金をもらって町外に出た人には、それなりの事情があるのだと思います。番組を見て感じたとおり、「せっせと」と書いたのは早計でしたね。すみません。
あと、加藤さんらと地元住民との話し合いが、民主党政権に交代する前だということは、私が番組を見た範囲ではわかりませんでした。ですから、もしお書きになったことが事実ならば、政権交代後だという前提にしてしまったことについて訂正します。
いずれにしても、私が示した論点は、市民団体の代表世話人たる加藤さんが、「みんなたいへんなんだから、あんたもがまんしなさい」という主旨の言葉をいってしまうのはマズいのではないか、というものです。
上記で記した加藤さんの発言は、しっかりカメラに収まっています。それを聴いたかぎりでは、「八ッ場ダムあしたの会」という市民団体のエゴにしか見えなかった、ということです。別に、市民団体のすべてがエゴだというつもりは、まったくありません。
たとえば、沖縄の場合、マスコミ報道によれば、県内の世論は基地移設が多数であるように見えますが、実際には基地がらみの経済活動で生計を立ててる人もたくさんいます。県外に基地を移転した場合、そういう人たちの生活を保障するといくら政府がいっても、ほんとうに保障してもらうまで不安で仕方がないでしょう。
そういう人たちに、「みんなたいへんなんだから、あんたもがまんしなさい」なんて、いえません。なぜいえないのか。簡単な話です。それを言いだしたら、きりがないからです。
「あんたは孤児でたいへんだろうけど、エチオピアの子どもは食べ物もなくて餓死しているんだから、苦労が多くてもがまんしなさい」。「あんたは職が見つからないとウダウダいってるけど、ヨーロッパの先進国だって失業者がうじゃうじゃいるんだから、がんばりなさい」。そんな話になるからです。
いただいたコメントを読んで、すこし安心しました。テレビでは映らなかったところで、加藤さんの言葉をフォローするようなことが起きていたんですね。
「市民団体のエゴ」という書き方については、ちょっと書きすぎたと反省しております。
このブログで何度も書いていますが、私が市民団体的なものやNGO的なものに、すくなからぬ不信感を持ちつづけている理由は、活動している人々の言動などから、自分は正しいことをしているという思いこみが垣間見られるからです。
たとえ自分がいま、多くの人が支持してくれるような、正しそうなことをしているにせよ、たえず「ほんとうに自分は正しいことをしているのかどうか」と懐疑する姿勢を持ったほうがいい。そう考えているんですね。そう思っていないと、正しいことをしている自分に反対する人を、ついつい排除してしまってもいいような気分になってしまいます。
投稿: lelele | 2010/07/23 22:12:56
たびたび申し訳ありませんが、訂正させていただきます。
八ッ場ダムあしたの会ではなく、八ッ場あしたの会、というのが市民団体の名称です。水没予定地の人々が未来に希望がもてるようになる状況が生み出されることを願ってつけました。
また、加藤登紀子さんの名誉のためにお伝えします。番組の中で登紀子さんは「、「みんなたいへんなんだから、あんたもがまんしなさい」とは言っていません。でも、確かに映像を見ていると、そのように感じられます。加藤さんは、「生きていくっていうことは、みんな大変なのよ」と言いました。地元の方々が、「私たちは大変な思いをしている」と仰った後にこのセリフが出てきたので、そのように取れるのでしょう。でも、その前後を聞けば、加藤さんが、私達もあなたたちも共に悩み苦しみながら生きている仲間だ、自分たちだけが孤立していると思わないでほしい、私はあなた方の苦しみを他人事とは思わない、という趣旨がわかるはずです。
加藤さんは、八ッ場ダム予定地の人々と出会ってから、単純に環境のためにダム反対とは言えなくなったと仰っていました。地元の人々の苦しみや悩みが、二項対立では解決できない様々な問題を抱えていることを知らされたからだと思います。
私たちは正しいことをしているわけではありません。正義を主張する市民運動は旧来型といわれます。黒と白に分けて、一方が正しく一方が悪い、対立の図式では、本当のことは見えてきません。群馬県内では、ダム推進が正義であるという主張がまかり通っています。水没予定地では、さらにその傾向が強まります。排除され、蹂躙されている声があることを知っていただければと思います。
投稿: dango | 2010/07/23 23:36:10
>山田さま
ご質問ありがとうございます。わかる範囲でお答えできればと思います。
①について
山田さまにご指摘をいただき、私のコメントに重大な間違いがあることに気付きました。
「・・・もたらすものではないために」ではなく、「・・・もたらすものであるため」の間違いです。
何度か文章を書き直していたため、削るべき箇所を間違えておりました。
申し上げたかったことは、「ダムという選択肢が水没予定地も含めて生活破壊をもたらすものであるため、ダム反対とダム計画水没予定地の生活再建を目的として活動をしています」
ということです。
時制も、肝心の表現も、間違っております。深くお詫び申し上げます。
なお、ダム建設に伴い水没する戸数については、八ッ場あしたの会のサイト内「用地取得・移転状況」に詳しく掲載されております。下記がそのページです
http://yamba-net.org/modules/process/
②非常に言葉足らずでしたが、個人的にあしたの会の目的や運動には共感を抱き、関わりを持ち続けさせていただいています。
とはいえ「ケンカ別れのような形になった理由」については、番組を観ておらず、詳しい経緯も存じ上げないので、山田さまの質問にお答えすることができない、というのが正直なところです。
ただ、どちらかが一方的に悪い、ということではなかったのでは、と直感的には思います。
>ブログ主さま
上述の通り、先のコメントで大変な間違いを犯しておりました。
もし訂正できるようであれば、「ない」の上から二重線をひいての横に「ある」と書くことができればと思うのですが、難しいでしょうか。
間違いを掲載したままにしておくのは、自分の言葉の間違いが独り歩きしていろんな方にご迷惑をかけたり傷つけることにつながる恐れがあると考えておりますので、訂正をお願いできればと存じます。
どうぞ宜しくお願いします。
ところで、市民団体的なもの、NGO的なものに見受けられる正当性の押し付けについて、私も似たような感覚を抱いている節はあります。
が、私はいくつかの事例を通して、この論理は個別具体的な問題に対して(活動の担い手が)生活をかけて活動している市民団体には当てはまらない、と思い至っています。
市民団体やNGOは個別具体的に見なければ、それが正当性を押し付け意見の違う人を排除する団体なのか、そうではなく問題を理解してもらえるよう努力し問題解決の方法を模索している団体なのか、わからないのではないでしょうか。
自分の経験から、このように思います。
投稿: 森 | 2010/07/26 0:00:00
leleleさま、いろいろの訂正、ありがとうございます。
その番組を、私もまだ見ることができていないので、確かではないのですが、気になる個所があり、しつこいようですが、再びコメントさせていただきます。
実は私は、この加藤さん、澤地さん、永さんの川原湯来訪の時の様子を、過去に別の映像で見たことがあり、それは初めに日乗さんのお名前でお書きになった様子から、おそらくほぼ同じ場面であったと思います。
そして、そのときは、おっしゃるような、雰囲気を私は受け取りませんでした。それが不思議で前回コメントを書いたのですが、
「みんな大変なんだから、あなたもがまんしなさい」
と、加藤さんが温泉街の方に言ったと再び書いておられますね。
その場面は、訂正していただきました通り、お三方の川原湯訪問が政権交代以後だったという認識のもとで記憶されたのではないでしょうか。
しかし、お伝えした通り、加藤さんたちが訪ねた時は自民党政権下でした。60年ほど前にたてられた八ッ場ダムを、計画を見直すことなく建設しよううとしていました。
政権交代前は、ダムを計画してきた人たちはもちろん、地元の方々もダム計画が中止になろうなどとは考えなかっただろうと思います。
市民運動のメンバーも、同じく針の穴にラクダを通すくらい、難しい中で活動をしていたのではないでしょうか。
ですので、政権交代前の時点で、加藤さんが、ダムが中止になって途方に暮れた温泉街の人に、「みんな大変なんだから、あなたもがまんしなさい」という場面は、加藤さんたちの訪問の意図を考えるとありえないです。
そして、番組でも紹介されていたと思いますが、ダムが止まる可能性のない中で、代替地などの工事遅れに遅れ、本当に完成するのかというほど工期の延長が続いていました。
八ッ場ダムの工事では、ダムの水をせき止める壁を作る前に、現在の渓谷に沿って通っている鉄道、道路を廃し、ダム湖畔両側に沿うように新しく道路や鉄道を通し、橋を渡します。
水没予定地での民家、温泉や神社、墓地も山の上の方へ移転します。
トンネルを掘り、山を切り、斜面に土を盛り、沢も埋めて平らにする、地面からつくりあげる大変な作業です。
その代替地は、提示された値段が異常に高いと聞いていますので、代替地を買ってその地に住み続けることより、よその土地へ移ることを選択した人、移らざるをえなかった人もいたのではないでしょうか。
残った旅館もそのうち移転するのだからとメンテナンスはできず、景気の低迷などでただでさえ従来の営業をしていくのが困難なであったのに、ダム工事は客足にも響いたでしょう。
加藤さんたちが訪ねて行ったのはそんな時ではないでしょうか。
今が「進むも地獄、退くも地獄」であるなら、国に選ばされてきたダム中心の未来設計図以外のものも片一方で視野に入れておいてよいのではないか。人工的な造成地より、今の魅力のある温泉街でなんとか旅館を続けていくことはできないだろうか。下流に住む私たちは、どのように支えることができるだろうか。
私の印象では、加藤さん、澤地さん、永さんの問いかけはそのなような内容でありました。
加藤さんたちの行動は、少なくとも大勢の人が支持してくれていることではなく、大きな力でもって排他的な主張をするのでもなく、もちろん温泉街を攻撃しに行っているわけでもありません。
しかし、leleleさんがそう受け取られたというのは、やはり今回のテレビ番組の編集姿勢が気になります。
どうにか、私も見てみたいと思います。
それから、沖縄のことでいえば、基地で生計を立てている人が、基地がすべてなくなったら、確かに不安だと思います。転換するならば、そのサポートが求められます。
八ッ場でも、ダム中止後の生活再建に関する法整備を市民団体や都県議員たちは政府に求めています。
しかし、もし、沖縄は基地がないと生きていけないと単に決めつけるとすれば、それは優しさや配慮ではなく、抜けだすことのできない檻にとじこめていることにはなります。
そして自分たちが沖縄に基地を置くことの正当化をしているのかもしれません。
基地を置く必要がないときに、その土地の人の生活のために、お金を出してよりによって基地を置きつづけるということはまずないでしょう。
人さまのページに細かい点についてこんなに脱線しつつ長々と書いて、本当に申しわけないと思います。ありがとうございました。
投稿: saco | 2010/07/26 3:48:59