『脳と心』のタイトルについては、いろいろ悩みました。しかし、「これだけは避けよう」と心に決めていたことがあります。それは、第一に脳と心がつながっていることを想起させるようなもの、第二に脳をどうにかすれば何かが簡単によくなると思わせるようなもの、のふたつです。
そういうタイトルの脳がらみの本は、かなりの数で出回っていると思います。ある意味で、「街場」ってつければ中身はなんでもいい、というようなスタンスと似たようなタイトル付けだけは、したくありませんでした。
上記の2パターンに該当する脳の本は、「ゲーム脳」からはじまって、「男脳、女脳」、「なにかをすると脳にいい」などなど、ようは読者が知りたい情報があって、それを還元するかたちで、脳にからめて話を進めていく、というものがほとんどです。
でも、『脳と心』で茂木さんが認めているように、脳科学の最先端であっても、脳は心を記述できるかわかっていない(脳と心がつながっているかどうかわからない)現状で、脳と心がダイレクトにつながっているような表現や、脳をどうにかすれば心がどうにかなるような記述をすることは、大きな問題だと私は考えています。
同書の「まえがき」にあるように、誰にでもあり、重要な身体の部分なんだけど、なんだかよくわからない。それが、脳です。だからこそ、読者には脳を知りたいという欲求があり、その欲求に答えるかたちで出版社が脳の本を出しているわけです。
ただし、読者の欲求に答えるのはいいけれど、内容をしっかりと検証もせずに刊行し、まちがった内容を読者に伝えるのは、不誠実な態度といわざるをえません。そういう傾向の本があふれているから、私は斎藤さんと茂木さんにお願いして、脳と心に関する議論をしていただいたのです。
つまり、『脳と心』という本の使い道のひとつは、そういった脳を扱う凡百の本が、うさんくさいかどうかを見極める際のものさしになる、ということです。この本(プラス山本・吉川著『心脳問題』朝日出版社刊)を読んだうえで、ぜひ脳がどうこうという他の本を読んでみてください。
もちろん、わかってもいないことは禁欲して書かないで、脳について語っているすばらしい本もあります。仮説は仮説だと、しっかり宣言したうえで書かれている良心的な本もあります。でも、わかってもいないことを、わかったようなふりをして書いている脳関係の本が、かなり多く出回っています。
そこで、誠に僭越ながら、ぜひ出版各社の編集者、それも脳関係の本を担当している方々に、『脳と心』を読んでいただきたい。で、著者と打ち合わせるときに、「あの本にはこう書いてありますけど、先生、これ、書いちゃって、だいじょうぶですか?」と著者の勇み足を止める役目になっていただけたら、うれしいですね(笑)
まあ、そんなことをつらつらと考えながら、やはり「脳」の茂木さんと「心」の斎藤さんが対話しているのだから、「脳」と「心」というタイトルがよいのではないか、と思いついたのでした。めでたし、めでたし。
日乗
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