双風亭日乗

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2010年11月22日 (月)

1990年に栃木県足利市で、女児の誘拐殺人事件が起きました。俗に、「足利事件」と呼ばれています。犯人として逮捕された菅家利和さんは、無期懲役で長期にわたって服役。しかし、冤罪の可能性が高まった昨年には釈放され、その後、無罪が確定しました。

逮捕の決め手となったのは、「女児の下着に付着していた体液のDNA型と菅家さんのDNA型とが一致した」ことでした。しかし、1991年の時点でおこなわれていたDND鑑定の精度は、殺人事件の犯人を確定できるようなものであったかが、たいへん疑わしいといわれています。

昨晩、放映された「NNNドキュメント'10」(日本テレビ系)は、「検察…もう一つの疑惑~封印された真犯人~」というタイトルで、足利事件ともうひとつの事件に関する内容でした。

「もうひとつの疑惑」とは、足利事件の証拠として警察に押収された「女児の下着」が、さんざん母親により返還請求されているにもかかわらず、警察がひたすら返還を拒んでいるというものです。これは、たいへんおかしな話で、警察は「時効なので捜査はしない」といっているのに、捜査をしない事件の証拠を親族に返さない、という構図になっています。

ここで、前述の「もうひとつの事件」である「飯塚事件」も紹介しておきます。こちらは、1992年に福岡県飯塚市で起きた、ふたりの女児に対する誘拐殺人事件です。犯人として逮捕された久間三千年さんは、一貫して無罪を主張していたものの、こちらもDNA鑑定が決め手となって、死刑が確定。2008年に刑は執行されました。

ふたつの事件に共通しているのは、「MCT118型検査法」というDNA鑑定法が使われていた、という点です。だからといって、足利事件での同鑑定がまちがいだったから、飯塚事件の鑑定もまちがいである、などと断定するつもりはありません。とはいえ、飯塚事件では、最高裁で同鑑定が証拠として採用されています。足利事件の教訓から警察や検察が学ぶとすれば、飯塚事件の同鑑定の精度も再確認するのは当然だと思います。

さて、警察はなぜ、足利事件の「女児の下着」を親族に返さないのでしょう。それが返却され、付着した体液のDNA鑑定がおこなわれる。すると、事件当時のDND鑑定法の精度に疑いがもたれてしまい、飯塚事件の捜査上の問題点が露呈してしまう可能性があるからだ、と番組では示唆していました。

番組では、足利事件を担当した検事と、同事件および飯塚事件のDNA鑑定を担当した検査技師を追いかけていました。が、ふたりとも取材拒否。そりゃ、自分の不祥事など語りたくないでしょうけれど、彼らが関わった捜査によって、ひとりは冤罪となり、ひとりは死刑が執行されているのです。語る責任は、あるでしょう。

嘘に嘘を上書きしていけば、そのうちほんとになってしまう。警察や検察がものごとを隠蔽する体質の根っ子には、そんな気分があるのだと思います。しかし、そんなことをしていると、同じあやまちを繰り返すことになるに決まっています。

警察は、即時に足利事件の被害者の証拠品を、冷凍保存などせず、母親に返すべきでしょう。そして、その証拠品を元に、当時のDNA鑑定の精度を調べ、飯塚事件の真相を徹底追求すべきです。

それにしても、こういうたいせつな問題をあつかった番組が、日曜の深夜に放映されていることに、「よくやっているあぁ」と感心しつつも、「もっと早い時間にやれよ」と憤りを感じざるをえません。

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2010年11月18日 (木)

朝日新聞の「経済気象台」というコラムは、「第一線で活躍している経済人、学者など社外筆者の執筆による」ものなんだそうです。昨日は、「格差が変革のバネだ」というタイトル。このコラムに対して、赤木智弘さんがツイッターで批判をしています。

「話の理解がまったくむちゃくちゃなクソ記事。進学率が高くなったのは企業が大卒を求めるからだ。中高卒で安心して就職できる社会ではないから『親が』子供を大卒にする。海外と比べて『もっと貧しい国もある』という論理にも辟易」

たしかに。離職率にしろ、進学率にしろ、コラムのようなポジティブな理解をしていていいのだろうか、と思います。能天気というか、なんというか……。

いろいろと言いたいことはあるけれど、とりわけ「若者の半分が大学に行ける国が世界に幾つあるだろう」ということを根拠に、日本がよい国だといっているのにはうなずけません。アホちゃいますか?

勉強なんて、したくなったらすればいい。したくないのにしたって、自分の身に付かない。とくに、高校を卒業してからは。社会や親が、まるで義務のように大学進学をうながしていることには、違和感を抱かざるをえない。そんな日本の実状を肯定して、ましてや「良い国」などというのはいかがなものか。

自分の流儀を押しつけるつもりはないけれど、私は学部も大学院も、社会人になってから通いはじめました。いずれも、「やっぱり、もっと勉強したいな」というのが動機です。理解のある職場さえ選べば、働きながら勉強することは十分に可能です。

ようは、「若者の半分が大学に行ける」かどうかなど、二次的な問題であり、一次的に重要なのは、中卒だろうと高卒だろうと大卒だろうと、多くの若者がしっかりと職場で働けるような環境を、国や企業もふくめた社会がどれだけ整備しているのかどうか、ということだと思います。

だって、就業前の若者には、働く環境を整えることなど自力ではできないわけだから、その部分を「格差論」やら「かわいそうな若者」を持ちだして若者のせいにするのは、ただの論理のすり替えでしかありません。

他方、NHKスペシャルのシリーズ企画「アジア灼熱」を見ていると、どれだけ日本の生産現場に未来がないのかが理解できたりもします。農業にしろ、製造業にしろ、生き残るための工夫と努力を続けていかないと、経済的にはASEAN諸国に追い抜かれる可能性が高いのです。

そういった状況のなかで、若者をめぐる就業事情は、より厳しくなることが予想されます。それでも、その厳しさに甘えることなく、若者が働ける職場環境の整備は、続けていかなければならない懸案だと思います。その理由は、ただひとつ。若者の活躍を抜きにして、日本の未来はないと思うからです。

コラムは新聞の記事なので、そのうち消されてしまうことにそなえ、以下に当該記事をコピペしておきます。

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2010年11月17日 (水)

横浜地裁での公判で被告に対して、裁判員裁判では初の死刑判決がくだされました。一方、死刑が求刑されていた「耳かき店員殺人」では、同じく裁判員裁判は無期懲役の判決をくだしました。さらに、12月に入ると、被告には死刑を求刑されている「鹿児島高齢者殺人」の裁判員裁判が、判決公判をむかえます。

死刑か無期懲役かを判断する裁判員裁判が立て続けにおこなわれている現状は、まさに裁判員制度の正念場であるといってもいいかもしれません。

日本に死刑制度がある以上、死刑判決を出すのを躊躇したり、執行しなかったりするのは、ずるい行為だと私は考えています。誰がずるいのか。裁判所と法務大臣がずるいと思うわけです。法律で決められたことをやらないことは、職務怠慢以外のなにものでもありません。

とはいえ、死刑はしばしば「国家による人殺し」といわれますが、そのとおりだとも思います。死刑になるような罪状、おもに複数の人を殺したことについて、死をもって償うことに、どんな意味があるのかわかりません。死をもってしても、償わない可能性もありますし。生かしたほうが、死ぬよりつらいという考え方もありますし。

まあ、死刑については、いずれゆっくり議論するとして。問題は、人の生死を判断するような裁判に、民間人を巻きこむべきかどうかという点です。公判前整理手続きを経て、ほんの数日間、職業裁判官からレクチャーを受けただけの民間人が、死刑が求刑されるような、高度な判断を要求される裁判を担当していいのでしょうか。

そもそも、公判前整理手続きとやらも、結局は整理している側の思惑にそって整理されることでしょう。どこまで、どのように整理されているのか、外部からうかがい知ることもできません。つまり、素人が、限られた情報を元に、被告の生死を分けるような判決をくだせるのだろうか。裁判員裁判については、そういう素朴な疑問があります。

基本的に裁判官は、死刑判決を出すことを嫌います。前述の話でいえば、間接的とはいえ、国家による人殺しに加担することになってしまうからです。かといって、民間人の裁判員が参加し、「民意を反映した」というラベルを得ることによって、人殺しの責任リスクを分散するというのもどうかと思います。

繰り返しますが、死刑が求刑されるような裁判は、高度な判断が要求される。職業裁判官であっても、死刑判決を出すことに躊躇するような現状がある。そんな場面に、民間人の裁判員を投入して、どんなメリットがあるのでしょうか。私には、よくわかりません。

さらに、「民意」を入れるといいますが、じつは民意っていうのは怖いものだったりします。なんでもかんでも民意を入れれば、いいってものではない。ミヒャエル・ハネケ監督の映画「ファニーゲーム」のキャッチフレーズは、「人間が一番怖い」。反対に、あらゆることがトップダウンで決められる社会も、遠慮したいところですが。

これはもう、「いい加減」(よい加減の意。「適当」ではありません)な落としどころを見つけて、バランスよく政策などには民意を反映し、その行き過ぎをガバナンスでカバーするしかないような気もします。

いずれにしても、裁判員制度については、時期尚早のような気がしてなりません。

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2010年11月16日 (火)

■大相撲の衰退

昨日からはじまった大相撲九州場所。不祥事やらなんやらで、国民の大相撲ばなれが進むなか、ゆいいつ、希望の光をともしていたのが白鵬の連勝記録更新でした。

ところが……。昨日、ついに負けてしまい、連勝記録はストップ。これで、国民の大相撲への関心もストップしてしまうのではないか、などと思っているのは、私だけではないでしょう。

いやいや、国民の大相撲ばなれは、すでにはじまっているのかもしれません。白鵬の連勝記録がかかった取組があるというのに、NHKの画面に映し出された福岡国際センターの客入りは、おそらく3~4割くらいだったように見えました。

私は、輪島と北の湖が横綱として活躍していた時代からの大相撲ファンです。とはいえ、あの観客の少なさを見せつけられてしまっては、その衰退をあらためて感じざるをえません。なにができるわけでもありませんが、なんとか大相撲人気が復活してもらうことを祈っております。

■タクシーの規制

もう、あほらしいとしかいいようがありません。大胆な規制緩和をおこない、首都圏をタクシーだらけにした小泉政権。そして、こんどは規制強化をおこない、首都圏のタクシーの台数を現状の3割減にすることを決めたとか。

タクシーの台数が減れば、同じ数(いや、一昼夜交代勤務の場合、1台につきふたり)の運転手さんの仕事がなくなる。タクシー会社は、運転手さんはリストラすることなく、残った台数のタクシーにうまく割り振るようなことをいっていますが、台数が減れば確実に仕事は減り、減った仕事を以前より多い運転手で分け合うことになります。

規制緩和の直後から、まちがった政策だというタクシー運転手さんが多かった。一瞬、あたらしい雇用を作り出したのかもしれないけれど、ひとつの街に必要なタクシーの台数など、長年勤務している人には一目瞭然。規制緩和で増えすぎたタクシーについて、「そのうち必ず規制強化され、台数が減る。人は簡単に減らせないから、少ないパイ(タクシー)のなかで、仕事の取り合いになる」という話も、数年前から聞いていました。

極端な話、将来の展望もなく規制緩和をおこなった人たちは、今回の規制強化で減収になったり、リストラになった運転手さんの生活のめんどうを見るべきでしょう。でも……、すでに何度も政策責任者は代わり、政権交代にもなり、責任の所在があいまいなまま、運転手さんたちは現状に泣き寝入りするしかないのでしょうか。

ああ、理不尽。

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2010年11月11日 (木)

Ud


多くの人にとって、読みやすい文字。それがユニバーサル・デザイン(UD)のフォントと呼ばれているものです。

『脳と心』では、デジタル・フォントで有名なイワタのUDフォントを使ってみました。以下、イワタによる同フォントの説明です。

「UDとは年齢・性別や障害に関係なく、あらゆる人が商品・サービス・住居・施設を快適に利用できるように配慮されたデザインのことです。イワタではUDの視点にもとづいた文字デザインを詳細に調査・検討し、より幅広い用途で、正確な情報の伝達に対応しています。」

書籍の本文で、どんなフォントを使うのか。UDフォントを使っているというと、「読みやすければいいってものじゃない」という反論も、とりわけデザイナー筋から聞こえてきそうです。本を広げてみてもらえればわかると思いますが、たしかにフォントによって本の印象は大きく変わります。

『脳と心』については、将来のデジタル配信にも配慮する意味で、本文の版下をすべてpdfファイルで作成してみました。はじめての試みで、すこし不安がありましたが、なんの問題もなく印刷することができました。

そして、紙に印刷した場合だけでなく、デジタルデータとしてパソコンなどで読むことを想定すると、読みやすいフォントを使うに越したことはない、という結論に達しました。で、本の現物ができあがって、読んでみると、たしかに読みやすい!

今後の本にも同フォントを使うかどうかは未定です。デザイナーさんと相談しながら、決めていこうと思っています。

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2010年11月 7日 (日)

■尖閣諸島のビデオ流出。ツイッターに書いたが、あきらかに中国船が突っ込んできている。私は、4年ほど船に乗って仕事をしていた。だから、船の軌跡などを追えば、なにが起きていたのかは、なんとなくわかる(もちろん100%の確証はないし、画像が偽造なら、また別の話)。問題は、メディアが騒ぎすぎていること。「なぜ流出したのか」なんてことは、流出させた人が判明するまで絶対にわからない。にもかかわらず勝手に予想して、どんな意味があるのだろうか。陰謀論と同じで、意味はない。注目されているネタを伝えるだけで、ただのニュース枠の時間つぶしにほかならない。あほらし(笑)

■NHK総合のドラマ「大阪ラブ&ソウル」がおもしろい。大阪・鶴橋を舞台にした在日三世の男とミャンマー難民の女の、恋の物語。役柄のほとんどが外国人(在日韓国人、韓国人、ミャンマー人)という異色のドラマ。鈴木京香主演の「セカンドラブ」も興味深い内容になっている(出版社が舞台だし)。民放のドラマが劣化しているなか、単発ものも含めて、NHKドラマのクオリティー向上がめざましい。

■ご近所では、0時から酉の市。今年は二の酉で、11月7日と19日。いずれも0時から24時間やっている。熊手を買って、商売繁盛、家内安全(ほんとかよ!?)。ある意味、お祭りのようなもので、屋台もたくさん出ているので、時間がある方はぜひ起こしを。

■そして、酉の市の帰りには、ぜひ「スパゲティーストア カルボ」にお寄りを。2.2mmの太麺を炒めるという、めずらしいタイプのスパゲティーを食しては。地図は、食べログ参照。この店については、後日、特集記事を書くので、乞うご期待。

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2010年11月 3日 (水)

統一教会を追い続けて数十年。いまは参議院議員の有田芳生さんが、検察審査会についての疑問をブログに書いています。

検察審査会の奇々怪々

たとえ非公開であるにせよ、「実際にこういうことが話し合われた」ということを担保するためにも、「議事録」はきちんと記録し、保存しておくべきだと思います。そして、いざというとき(たとえば、起訴された当事者やその代理人が閲覧したいときなど)には、特例としてそれを閲覧できるような制度にしたほうがいいかもしれません。そうでないと、まるで闇の中で「起訴」という重大な処分がなされることになってしまいます。

ほとんど同じことは、裁判員制度にもいえることです。大きな問題は、裁判員裁判にしろ検察審査会にしろ、市民が参加していることはわかりますが、誰がどのように参加しているのかがよく見えない点です。もちろん、いずれもくじでたまたま当たってしまい、なおかつ「守秘義務」を課されているわけですから、人前に出るのは気が引けるかもしれません。でも、参加の部分では「市民」に開かれているけれど、情報の部分では市民に閉ざされているというのは、いかがなものでしょう。

たまたま当たって審査員や裁判員になった。だからといって、人を裁くことに対して責任を持つということは、顔の見えるかたちでなければ実現できないような気もします。せっかく市民の参加については開かれた制度なのですから、選ばれた人は「起訴」や「判決」に責任を持つ意味で、積極的に記者会見には出席するなど、顔をさらしてほしいものです。

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2010年11月 1日 (月)

ようやくNHKスペシャル「貧者の兵器とロボット兵器~自爆将軍ハッカーニの戦争」を観ることができました。ひとつの戦争における敵と味方の格差を、兵器という面から見つめた秀作ドキュメンタリーでした。

タリバンの自爆テロによって、いまだに自国の兵士の死亡が続くアメリカ。その対策として開発され、使用されるロボット兵器の数々。一方、タリバンの最強硬派で、ハッカーニ将軍が率いる「ハッカーニ・ネットワーク」は、旧ソ連製の自動小銃であるカラシニコフ(AK-47)など、安物の兵器しか持っていない。よって、アメリカのロボット兵器に対抗するために、自爆テロでの攻撃をさらに強化する……。

番組では、この地獄の連鎖ともいえる光景を詳細に報告します。300万人の雇用を支えるアメリカ兵器産業。その稼ぎ頭ともいえるロボット兵器。そして、その兵器をアメリカからの遠隔操作で、アフガニスタンで使いこなすパイロットたち。それゆえに生じる誤爆。異様な光景です。

空を飛ぶロボット兵器に対抗できる武器を持たないタリバンは、さらなる自爆テロの強化を唱い、貧困な集落の人々、とりわけ子どもを自爆用のテロリストとして養成しています。とくに、誤爆された集落では、たとえタリバンのシンパでなくても、人々の憎悪の対象がアメリカに向いてしまう。

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