2013年7月27日 (土)
地方の集落は、どれだけ「どろどろ」しているのか
田舎と呼ばれるような地方の集落。その集落という共同体は、すでに終焉に向かっているように思える。終焉への過渡期といってもいい。山口県周南市の集落で起きた連続殺人・放火事件は、過渡期だからこそ起きたものだと私は思う。
日本の過疎集落に見られるような過渡期の共同体が抱える問題の最たるものが、相互扶助の崩壊と相互監視の強化である。農業が不振となり、後継者は不在。息子や娘は街に出てサラリーマンの道へ。
集落には老人だけが残る。集会や寄り合いなど、共同を示すような集まりがおこなわれるが、それは惰性のなせる技となる。彼らは、自給自足できる程度の農作業と年金で生きる。娯楽がほとんどないので、関心が向かう先は近所の動向にならざるをえない。
あそこの家の息子は、あの会社に就職したらしい。あの家は、農地を売って家屋を建て直したらしい。そんな、他愛のないネタを噂しあっているのならまだいい。問題は悪口だ。何人かの人が集まれば、気が合わない人がいたり、文句がいいたくなるような振る舞いをする人がいるのは当然である。
それを口に出すと、瞬時に噂話として集落をかけめぐり、たいていは噂されている本人にも伝わる。すると、噂の出所となる人は、噂される人の憎悪の対象になる。狭い集落で、しょっちゅう顔を合わせる人が憎悪の対象になってしまい、噂される人は心を病む。
日乗 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)