双風亭日乗

2014年6月23日 (月)

オシムが泣いていた。

私がイビチャ・オシムの涙を最初に見たのは、旧ユーゴスラビア代表のサッカー監督を辞任する際の映像だった。いまから22年前の1992年5月のことである(DVD『引き裂かれたイレブン』ディスクベリー・ドットコム)。

次は、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表がリトアニアに勝ち、ワールドカップ出場を決めた2013年10月15日の映像である。さらに、ワールドカップの初戦でアルゼンチンと対戦した際、試合終了の間際にボスニアがゴールを決めたとき……(NHKスペシャル『民族共存へのキックオフ』)。

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私は、まだ理論社が「よりみちパン!セ」というシリーズを刊行していたときに、少ない期間ではあるが同シリーズの編集部に所属し、1冊だけ本を編集した。その本が、木村元彦さんの『オシムからの旅』(理論社)であった。

これまでのオシムの振る舞いや言動、サッカー監督としての実績などについては、木村さんの『オシムの言葉』(集英社文庫)がベストセラーになったおかげで、日本でもかなり知られるようになったと思う。

『オシムからの旅』は、主にオシムと、旧ユーゴ代表でJリーグでも活躍したドラガン・ストイコビッチの半生を振り返りながら、国家とは何か、民族とは何か、そしてスポーツとは何か、という大きな問題について、木村さんが考える内容の本であった。

本を作るときには、一夜漬けであれ、本で取り上げる内容について、徹底的に勉強する。もちろんオシムについても、勉強した。国家の動きが、個人にはコントロールできないことはいうまでもない。だが、たとえ個人であれ、それなりのポジションにいれば、国家に対して抗うことはできる。

国家が解体する危機的状況におかれたときに、ヨーロッパでも指折りの強さを誇ったチームの代表監督を辞任することにより、多民族がバラバラになることに抗議し、民族対立により国が崩壊することを嘆いたのが、1992年のオシムの涙だった。

その後、旧ユーゴはいくつもの国に分裂し、「サラエボっ子」であるオシムは、ボスニア・ヘルツェゴビナの人となった。サラエボ生まれのオシムが、みずからを「サラエボっ子」だと言い続けるのは、国家や民族、そして宗教の枠で自分をくくられたくないからである。

私が本を作る中で知ったオシムの人物像は、シャイで、ユーモラスで、まじめで、バランス感覚を持ち、さらに戦略にたけた人物であった。シャイだから、人前で涙など見せることはめったにない。そんなオシムが泣いている映像を見ていたら、思わず私ももらい泣きしてしまった。

旧ユーゴという連邦国家の崩壊。ボスニアが独立国家となってからも、国内ではセルビア人とクロアチア人、そしてイスラム人の民族対立が収まらない。ボスニアのサッカー界も、民族対立の影響で不和が続いていた。そんな中で、オシムが動いたことにより、ボスニアのサッカーは、ワールドカップに参加できるような状況まで持ち直した。

民族共存などと口でいうのは簡単だが、実現はむずかしい。紛争や戦争で敵対していた民族同士であれば、なおさらである。それでも、何かを共有し、共に喜び、団結することによって、共存の可能性は残されているのではないか。サッカーという道具を使うことによって、その可能性を探っているのがオシムなのだと私には見える。

じつは、ボスニアがワールドカップに出られたこと自体に、歴史的な意味があり、その裏にはオシムの貢献がある。くわしくは、木村さんによるこちらの記事を参照してほしい。

22年前の悲劇の涙。そして、昨年と今年に入ってからの、感極まった涙。これら、長い年月を通して見せたオシムの涙の意味。その意味を探ることにより、国家や民族、そして宗教の違いを超えたところにこそ、多くの人々が笑って暮らせる世の中があるという可能性が見えてくるような気がする。

キレイゴトをいっていると思われるかもしれない。でも、私には、不可能性の可能性を追求し続けるオシムの姿がかっこよくもあり、いたましくもあり、愛おしく感じるのであった。ドン・キホーテの役割は、誰にでも演じられるわけではない。オシムだから、演じられるのではないか。

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2013年7月27日 (土)

田舎と呼ばれるような地方の集落。その集落という共同体は、すでに終焉に向かっているように思える。終焉への過渡期といってもいい。山口県周南市の集落で起きた連続殺人・放火事件は、過渡期だからこそ起きたものだと私は思う。

日本の過疎集落に見られるような過渡期の共同体が抱える問題の最たるものが、相互扶助の崩壊と相互監視の強化である。農業が不振となり、後継者は不在。息子や娘は街に出てサラリーマンの道へ。

集落には老人だけが残る。集会や寄り合いなど、共同を示すような集まりがおこなわれるが、それは惰性のなせる技となる。彼らは、自給自足できる程度の農作業と年金で生きる。娯楽がほとんどないので、関心が向かう先は近所の動向にならざるをえない。

あそこの家の息子は、あの会社に就職したらしい。あの家は、農地を売って家屋を建て直したらしい。そんな、他愛のないネタを噂しあっているのならまだいい。問題は悪口だ。何人かの人が集まれば、気が合わない人がいたり、文句がいいたくなるような振る舞いをする人がいるのは当然である。

それを口に出すと、瞬時に噂話として集落をかけめぐり、たいていは噂されている本人にも伝わる。すると、噂の出所となる人は、噂される人の憎悪の対象になる。狭い集落で、しょっちゅう顔を合わせる人が憎悪の対象になってしまい、噂される人は心を病む。

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2013年7月23日 (火)

おはようございます。毎日、暑いですね。

NHKの朝ドラは、おもしろければ録画して、毎日観るようにしています。最近の当たりは「カーネーション」、はずれは「純と愛」でした。そして、いま放映中の「あまちゃん」は、大当たりといっていいと思います。

現在と過去をいったり来たりしながら、スピーディーに進行していく物語。NHKではギリギリ(というか、一線を越えているような気もする)の小じゃれたユーモア。観てて飽きません。

宮藤官九郎さんの作品といえば、「池袋ウエストゲートパーク」からはじまり、「木更津キャッツアイ」、「「ぼくの魔法使い」、「タイガー&ドラゴン」、「流星の絆」、「うぬぼれ刑事」、そして「11人もいる!」と観てきました。もちろん、はずれはありません。

でも、今回は1回15分の朝ドラです。それもNHK。正直、大丈夫かな、と思ったりもしました。はじまってみると、第1回からそんな不安は払拭され、どんな状況であってもおもしろい作品に仕上げるクドカンの力量を思い知ったしだいです。

今日も笑いました。薬師丸ひろ子が演じる女優の主演した映画名が、「猫に育てられた犬」ですよ。

毎日、ドラマを観て、笑って、それからすべてが始まる。そんなすばらしき生活を送っております。一方、今回でハードルが上がりまくってしまうため、次期の作品はたいへんだなあ、とも思います。

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2013年7月16日 (火)

みなさん、こんばんは。ブログに記事を書くのが久しぶりなので、ちょっと緊張します。

2011年1月から約3年半、週に4回ほど記事を書かせていただいていた夕刊ガジェット通信ですが、7月10日の記事を最後に、執筆が終了しました。まず、原稿料をいただきながら、長期のわたってネットで署名記事を書かせてくれたニフティ株式会社エンターテインメント部に、深くお礼を申し上げたいと思います。

この時代に、ネット掲載の原稿を、ほぼ好きな内容で、かつ分量もほとんど自由、そして原稿料もいただける。そんな、すばらしい環境をセッティングしていただいたニフティさんの度量に、敬意を表したい。歴代の担当者の方々、ほんとうにありがとうございました。

そんなわけで、日々の雑記帳として、ふたたびこのブログを使っていこうと思います。以前、お読みいただいていた方々は、ブログ更新の頻度が落ちるとともに、当然ながらいなくなってしまいました。アクセス数がほぼゼロの状態からの復活となります。

すこしでも多くの方にお読みいただけるよう、努力してみようと思います。

それでは!

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2013年2月25日 (月)

日頃、双風舎の書籍を取り扱っていただき、誠にありがとうございます。

弊社は、返品の入帳は「フリー」となっております。ですから、返品が必要な場合は、お手数かけますが、取次向けの用紙に「双風舎 谷川了解」と記入していただき、書籍本体とともに返品していただきたく存じます。

では、引き続き双風舎の書籍をよろしくお願いいたします。

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2013年2月25日 (月)

みなさま、こぶさたしております。
3月1日に会社を移転することにしました。
移転先は、以下となります。

〒111-0031
東京都台東区千束 2-3-5-201

電話番号は、050-3384-0356。
ファックス番号は、03-5615-2353。

現在、1日でも早く新刊が出せるように、調整しております。
引き続きよろしくお願いいたします。

双風舎 谷川 茂

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2011年12月 5日 (月)

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理論社さんのお仕事を手伝いました。『アニメ版 銀河鉄道の夜』(理論社)が、12月9日に発売される予定です。

1985年に公開されたアニメ映画『銀河鉄道の夜』をノベライズし、映画のシーンを静止画として掲載したものです。私は、ノベライズを担当しました。

ご一読いただければ幸いです。

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2011年10月17日 (月)

どうにか、生きております。

無事、決算が終わり、なんとか会社も引き続きやっていけることになりました。

とはいえ、売文や講義、他社の本作りなど、数々の副業をやりつつ、本業の本格復帰を目指すという状況に変わりはありません。

いろいろやりながら一週間に4回ほど記事を書いていると、なかなかブログに手がまわりません。せいぜい、ツイッターに好きな音楽を書く程度……。でも、ミクシーに飽きたように、そろそろツイッターにも飽きつつあります。

「最終的には、ブログかな」という気がする、今日この頃でございます。

みなさま、お元気で!

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2011年8月21日 (日)

避暑地でテニスしたんですよ。そのあと、海外のビーチでのんびり。ビーチでは、ひと夏の出会いがあったり。夏フェスでも盛りあがったなあ……。というのは、すべて妄想。思い出に残るようなことは、残念ながらありませんでした(笑)

強いていえば、テレビの生出演というおもしろい体験をさせてもらったことくらいですか。これから思い出をつくりゃいいじゃん、という考え方もありますね。でも、昨日の豪雨で一気に夏が終わってしまったような感じがして。

来年こそ、いい思い出をつくるぞ!

と書いてみたものの、47歳のおっさんの発言としてはキモいような気もするので、「来年の夏も元気でいられるように努力しよう」に変更します。この年齢になると健康ネタですよ、やっぱり、ねぇ。

というわけで、以下、夕刊ガジェット通信の記事です。記事への反論や批判はよろこんで受けつけますが、匿名で書かれたものは、読まずに削除します。あしからず。

先週は、生き物もいろいろありました

書かずにいられないのなら、2ちゃんねるをおすすめします

原発も選挙も「コミ戦」。私たちはなめられているのか

【文春vs新潮 vol.2】坂本龍一、「脱原発」を語る

刺青を入れた人の出入りが規制された海岸

親のパチンコが原因で、また子どもが死んだ

先生、不祥事が多いようですが、だいじょうぶですか?

【文春vs新潮 vol.3】肉牛の放射能汚染問題は“陸の津波”

高岡さんのこと

【共同通信】 記事は、ねつ造? 虚偽? 架空? それとも不適切?

【文春vs新潮 vol.4】 お盆前は週刊誌の気がゆるむのだろうか

自転車に乗る子どもにヘルメットを着用させるのは、親の義務なんですよ

「花王」を生け贄にして何がおもしろいのか

「平和宣言」と「脱原発」

イギリスの若者も「希望は戦争」なのか

「交通安全協会」の謎

三重県に人気アイドルグループ誕生!?

【文春vs新潮 vol.5】 ぐだぐだな政局、見殺しにされた被災者

絵空事の「更迭」劇を演じた経産省

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2011年8月10日 (水)

夕刊ガジェット通信に書いた「『花王』を生け贄にして何がおもしろいのか」について、いろいろなご意見をいただいております。というか、その多くは「ネット見て電話したんですよね? フジテレビを支持しております」という花王の電話対応があったことを、調べもしないで記事を書くな、という批判的なものでした。

これだけネットで騒動になっているのですから、電話対応の一件については知っていました。しかし、あえてその件については触れませんでした。その理由は、以下となります。

■「ノリ」「勢い」「一体感」に違和感

まず、フジテレビが韓流ドラマをたくさん放映していることに対する意見については、いろいろあってもいいと思います。もちろん、批判的な意見があってもいい。でも、その批判の矛先が特定のスポンサー企業にまで及び、かつ「不買運動」にまで発展していることについては、疑問に思わざるをえませんでした。

商品を製造・販売する企業に対して「不買運動」を起こせば、起こした側にも重大な責任が生じます。仮に、「不買運動」によって商品が売れなくなり、企業活動にマイナスの影響が出た場合、その影響はそこで働く多くの人びとにもおよびます。そういう過酷な状況も想定し、引きうけ、覚悟したうえで、「不買運動」を起こすのであれば、私には何もいうことはできません。でも、ネット上での花王に対する「不買運動」には、そういう想定や覚悟があまり見うけられず、「ノリ」や「勢い」で花王にクレームをつけているものが多いように思えました。

さらに、過酷な状況が起きうるようなことを自覚していれば、花王の電話対応を「ネット情報」として鵜呑みにするのではなく、自らが花王に電話をかけて、その対応を自分の耳で確認したうえで、つけるべきクレームをつけるというのが筋なのではないでしょうか。しかし、ネット上で花王にクレームをつける文章や、アマゾンレビューに低得点をつけているようなレビューには、花王に電話をしていないし、花王の商品を使ってもいないのに、「ノリ」や「勢い」で、妙な「一体感」を楽しみつつ、花王を責めているようなものが多いように感じました。

花王にクレームをつけている人のうち、どれだけの人が実際に電話をかけたり、商品を使っているのか、私にはわかりません。それを知っているのはクレームをつけているご本人のみ。「電話をかけた、かけなかった」「商品を使った、使っていない」という水掛け論になってしまうので、これ以上は触れません。

■やはり「花王」は偶然選ばれたのでは

次に、テレビ局の番組編成が気にくわなかったり、番組自体が気にくわないからといって、「そのこと」について局のスポンサー企業にクレームをつけるのはどうか、という思いがあります。テレビ放送が地上波デジタルからBS、そしてCSも含めて多チャンネル化するなか、視聴者が気にくわない番組編成や気にくわない番組など、いくらでもあるかと思います。

にもかかわらず、「そのこと」が気に入らないからスポンサー企業を叩くといった話は、ほとんど聞いたことがありません。そういう意味で、今回のフジテレビおよび花王の事例については、高岡さんが火をつけたことによって偶然起きたことだ、と私は認識しています。

さらに、今回は電話対応が悪かった花王が叩かれることになったものの、もし他の企業の電話対応が悪ければ、その企業が花王と同じように集中して叩かれていたのではないか、と私は考えています。ようは、叩く企業はフジテレビのスポンサー企業ならどこでもよく、今回はたまたま電話対応が悪かった花王が選ばれたのではないか、と私は推測しているのです。花王を叩く正当性を主張する方には、なぜ他のスポンサー企業は花王と同様に叩かないのかも、一緒に説明していただきたいところです。

■記事の論点、そして論点の裏側

以上で記したことのほかに、「花王の電話対応」について記事で触れなかった理由で最大のものがあります。それは、これだけネットでフジテレビと花王に関する情報が出回っているのだから、花王の件について書かれた記事は「花王の電話対応」も前提になっている、ということです。記事を読んでご批判なさる方々が、口をそろえてそのことを指摘なさっていること自体が、その証拠となっています。

事情をくわしく知らない方には、不親切な記事であったかもしれません。しかし、花王にクレームをつけている方々には、「花王の電話対応」を前提にして、あえてあのような書き方をしていることは、ご理解いただけていることと察しています。

記事の論点は、ただひとつ。「ノリ」や「勢い」を元に、妙な「一体感」を楽しみながら、たまたま選んだ一企業を叩くのは、ちょっとやりすぎなのではないか、ということです。その論点の裏側には、自分がやっていることが、ある企業の活動にマイナスの影響をおよぼす可能性があることや、その企業で働く人たちが置かれる立場に影響がおこりうることまで想像してやっているのか、さらにそういう状況を引きうける覚悟があるのか、という問いかけを記事でおこなえれば、という思いがありました。

いずれにしても、いまとなっては「花王の電話対応」の一件については、記事のなかで触れておいてもよかった、と考えています。あの記事で、はじめて「フジテレビ・花王騒動」について知った読者には、不親切であったかもしれません。ご指摘いただいた方々に感謝するとともに、ご意見は今後の原稿執筆の参考にさせていただこうと思います。

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