双風亭日乗

2008年6月19日 (木)

アマゾンの『軋む社会』のページに、同書のレビューがひとつ掲載されています。「本田由紀入門」という表現など、同書を紹介する際に、私の言葉が足りなかった部分を補っていただいているようなレビューです。また、出版社の者としても、出した本がこうして的確に読み解かれることは、至極の喜びでもあります。

以下、レビューを全文引用します。misoraさん、すばらしいレビューをありがとうございます。

崩音!?
2008/6/12
By misora

本書は、本田さんが、ここ数年間に発表された小論やコラム、対談を集めたもの。
専門的な単著もたくさん出されているが、それらに比べると本書は、かなり読みやすくなっており、”本田由紀入門”に最適だろう。

本田さんは、混沌としつつも、不安に満ちた「教育・仕事・若者の現在(副題)」から、「ハイパー・メトクラシー(超能力主義)」化への警鐘、「柔軟な専門性」の提唱、「<やりがい>の搾取」など、学者らしい切れ味のある抽象概念として問題を浮き上がらせてくれる。
それらは、決して理解が難しいものはなく、ごく日常的に、わたしたちが、やりにくいな、おかしいな、もっとこうあればいいのにな、と感じているものと同じだということに気がつく。

調査研究の成果を元に展開される論理の一方で、書かれた言葉の細部には、現状へのもどかしさ、それでも立ち向かう強い意志、正義感など、学者的というよりも、むしろ、人としての熱い願いに満ちあふれている。どうよ、どうよ、これでもか、と、学者としては、めったにないほど、想いをストレートに斬りつけてくる。

社会の軋(きし)みは、少しづつ、マシになりつつあるんだろうか。非正規雇用労働者の労働組合への参加が呼びかけられ、書店のベストセラー・コーナーには、かっこいい装丁をまとった『蟹工船』が並べられている。追い風はあるのかもしれない。

だが、現状の構造を変化させるには、ちっとも足りない。若者や労働者が、不安のない暮らしができるように、できれば、個人の適性や、生活スタイルにあうように。社会はやはり、すべての人にとって、より過ごしよい方向に、変わるべきだ。

「それを、あなたも、どうか手伝ってくれませんか」と、本書は締めくくられる。

”想い”は、困難を乗り越え、形にしなければならない。軋(きし)みは、より明確に鳴り響く。
それは、本書に共感を持つ者の課題となって。瓦解させてはならないものと、瓦解させるべきものを見極めつつ。

編集日誌 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月26日 (月)

9784902465136
お待たせいたしました。
印刷と製本は順調におわりました。本日午後に、本田さんの『軋む社会』が全国の書店に出荷されます。
都内の大きな書店であれば明日から、その他の書店では明後日から、同書が棚に並びはじめると思います。

著者の本田さんですが、6月に入ってからも新聞や雑誌での対談・記事などに登場するようです。情報が得られ次第、このブログでも紹介させていただきます。

また、6月14日の本田さんと広田照幸さんのトークセッション@三省堂書店神保町本店と、本田さんと上野千鶴子さんのトークセッション@三省堂書店神保町本店も、なにとぞよろしくお願いいたします。

編集日誌 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月16日 (金)

『軋む社会』の色校があがってきたので、余分な部分をカッターで切ってから、同じ厚さの本に装着してみました。
ちなみに色校というのは、カバーやオビ、表紙、本扉、本文などに「黒」以外のインクを使用した場合、色の出具合をチェックするために出してもらうものです。

ん~、いい感じの仕上がりですなあ(と自己満足)。実物は、これにビニールがかかるので、もうすこし色が濃くなると思います。


こちらはカバー表1と背表紙

20080516141250_2











こちらはカバー表4

20080516141344_4

編集日誌 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年5月16日 (金)

ごぶさたしております。
『軋む社会』の編集作業ですが、ようやく山場をこえて、あとは現物が届くのを待つのみとなりました。
印刷・製本などで問題が生じないかぎり、5月26日に配本できると思います。

正式な告知はのちほどいたしますが、同書の刊行記念でトークセッションを2回ほど開催します。第1回は、本田由紀さんと広田照幸さん。第2回は、本田さんと上野千鶴子さん。会場は、ともに三省堂書店神保町本店です。

編集日誌 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 2日 (金)

本田由紀著『軋む社会』の目次を公開します。

タイトル: 『軋む社会』
サブタイトル: 「教育・仕事・若者の現在」
著  者: 本田由紀(東京大学大学院教育学研究科准教授)
判  型: 46版、並製、256ページ
本体価格: 1800円(税別)
配本予定: 2008年5月26日

目  次:

続きを読む

編集日誌 | | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年5月 2日 (金)

Amazon
撮影は、プロカメラマンの横須賀洋さん。
撮影対象は、ある廃墟の壁です。

編集日誌 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月18日 (金)

赤木さんの『若者を見殺しにする国』を刊行した目的は、「就職氷河期世代を中心とする若者の叫びを、ひとりでも多くの人に聞いてもらえたらいいなあ」というものでした。

次の新刊も若者に関連するものです。

著者は、気鋭の教育社会学者・本田由紀さん。タイトルは、『軋む社会――教育・仕事・若者の現在』。本田さんの「いま、どうしても言わなければならないこと」を、一冊の本にまとめました。

5月末に刊行予定です。目次や装丁などは、追ってお知らせいたします。ぜひご一読ください。

編集日誌 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年9月27日 (木)

赤木智弘著『若者を見殺しにする国』の装丁です。
画像をクリックすると、拡大表示されます。Photo

編集日誌 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月25日 (火)


若者を見殺しにする国』 目次


まえがき――赤木智弘とは、いったいどんな人間なのか


第一章 強大な敵としての俗流若者論

 青少年の凶悪犯罪が増えているって?
 なぜ俗流若者論がささやかれるのか
 オタクの発生
 執拗なオタクバッシング
 フィギュア萌え族
 『ゲーム脳の恐怖』の恐怖
 教育とはなにか
 九五年レポートの不合理
 結局、俗流若者論って、なんなのだろう?

第二章 私は主夫になりたい!

 男女平等は当たり前のことでしょう
 なぜ、「主夫」がこんなにすくないのだろうか
 「強者 or 弱者」 and 「男性 or 女性」
 本当の抵抗勢力
 個人の平等から、世帯の平等へ
 本当に弱者を保護するために

第三章 「『丸山眞男』をひっぱたきたい」ができるまで

 「ズレ」から「思想」へ
 「ジャーナリスト養成コース」という居場所
 本名で書くということ
 自分で考える
 スクールバスの論理
 子どもとリスク
 平日の日中に出歩く「不審者」としての私
 若者殺しの時代
 他者を「徴用」すること

第四章 私が戦争を希望する理由

 三一歳、フリーター。希望は、戦争。
 けっきょく、「自己責任」ですか

第五章 どうすれば貧困層を救い出せるのか

 左派が本当に戦うべきは誰なのか
 いま以上にヒドイことなんて、どこにあるのか
 デモ隊の前に立ちふさがる側の論理
 いかにして発見されていない軸を見つけだすのか
 問題の大半は金で解決できる?

第六章 「思いやりのある社会」への希望

 強者に道徳を 弱者に自由を
 自由とはなんだろう
 「希望は戦争」という良心
 平和はなにを守っているのか
 弱者のために、本当になすべきこと
 若者を見殺しにする国
 「平和」との闘争
 スラップスティック

あとがき

※第四章の前半は「論座」2007年1月号掲載の文章、後半は同誌2007年6月号掲載の文章を、それぞれ含みます。

編集日誌 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年9月20日 (木)

以下は、「希望は戦争?blog」のエントリーからのコピーです。


双風舎が赤木さんの本を出すことについて、「これは『論座』と同様に、サヨクのマッチポンプを利用してカネを儲けるつもりだ」というご意見があるようです。なかば紋切り型の定型文のようになっているこのご意見に対し、私の考えをお伝えしておこうと思います。

第一に、会社として生き残るためには、ものをつくって販売し、利益をあげなければいけません。よって、お金を儲けるつもりで本をつくるという点については、何ら反論はありません。いずれにしても、総会屋が余剰資金で社会正義っぽい月刊誌や情報誌をつくったり、宗教団体が布教のために本をつくるのとはことなり、一般の出版社はすべて、お金を儲けるつもりで本をつくっていることでしょう。

第二に、それを前提としたうえで、なぜ赤木さんの本を出すのかといえば、赤木さんの言葉が私の胸に響いたからです。雑誌の掲載論文として一時的に消費されてしまうのではなく、本として残しておくことに意味があると考えました。

そして、赤木さんの言葉が胸に響いた理由は、赤木さんがいうような「貧困層」の経験を、高校を卒業する前までの私自身がしたことにもとづきます。中学から高校のときには、公務員になりたいなどと安定志向を持ちながら、世の中への不信感がいっぱいで、投げやりで、社会をぶっこわしたいという気分に、私は確実になった記憶があります。でも、そんな思いを人に伝える術がありませんでしたから、バイクで暴走したり、タバコを吸ったり、酒を飲んだりして、当時は現実から逃避していたように思います。

私は、小学四年で孤児になり、その後は親戚や里親をたらい回しにされ、最終的に養護施設で高校まで育ちました。そのへんの経緯は、ワーキング・プアの問題とからめて、以下のエントリーで詳述してありますので、関心のある方は読んでみてください。

ワーキング・プアな親を持つ子ども 1

ワーキング・プアな親を持つ子ども 2

「ワーキング・プアな親を持つ子ども」再考

ワーキング・プア2、見ました

もちろん、私が貧しかったころと、現在の貧困の問題とは、政治状況も経済状態も違いますから、単純に比較検討はできません。でも、昔もいまも一貫しているのは、貧困な人や赤木さんがいう「弱者」の声が、なかなか世の中に伝わらないということです。

考えてみれば、当たり前のことです。なにをするにも、お金がないのですから。文章技術だって磨けませんし、マスコミなどに入り込むほどの「学歴」を身につけるのも困難。

その一方で、マスコミが「貧困」を取り上げれば、それこそ悲惨な実状という結論が先にあるような、「儲けるため」の取材が横行する。党派的な学者先生が「貧困」を取り上げれば、自分とはイデオロギーが異なる党派への批判「材料」として扱うのが常。横山源之介著『日本の下層社会』(岩波文庫)のごとく、徹底的に価値観を排除したうえで明治時代の貧困層の実態をレポートしたような姿勢は、ほとんど見られません。

貧困層の人たちが声をあげるのが困難で、マスコミも学者先生も自分の都合に合うように貧困層を取り上げるだけ。そんな状況がずーっと続いてるなかで、たまたま「論座」というフィルターをとおして、赤木さんが声をあげたわけです。その声が、私の琴線に引っかかりました。

学者先生や院生さんのなかには、赤木さんが「論座」に書いた文章を読んで、「公式に発表できるレベルの文章じゃない」とか「言論として成立してない」「支離滅裂」などとおっしゃる方がたくさんいます。でも、そんなの当たり前のことではありませんか。赤木さんは、学者先生や院生さん、そしてマスコミの方々のような文章訓練など、ほとんど受る機会がなかったのですから。

文章がなっちょらんからダメ。そんな理由で、これまで貧困層の人たちの声が消され、まともに取り上げられなかったように、赤木さんの声を消してしまっていいのでしょうか。本来なら、学者先生や院生さんが、現代の日本社会で、若者の一定数が赤木さんのような思いを持って暮らしていることに気づき、彼や彼と同じ思いの人びと(赤木的若者とします)の元に聞き取り調査にいって、その調査結果をある程度の権力を持つ学者先生(笑)に報告したうえで、社会制度の改革に役立てたりしてもいいと思うのですが。たとえば、の話ですが。

ですから、学者先生や院生さん、そしてマスコミの方々が、もっとまともに赤木的若者と向き合い、声を拾い上げ、何が問題なのかを考えていれば、わざわざ赤木さん自身が声をあげる必要はなかったともいえます。なんで、彼があのような声をあげなければならなかったのか。その部分にほおかむりをして、自分の研究分野に直接関係があるにもかかわらず、彼の文章技術に難癖をつけて、相手にする必要がないと決めつける学者先生や院生さんって、いったい何なのでしょうか。

はっきりいって、表面的に見れば、私が育った環境よりも、赤木さんの環境のほうが恵まれていると思いますよ、それは。仲のよしあしは抜きにしても、両親はいるし、現状ではその両親の家に住めているんだし。他方、赤木さんにしてみれば、私が「恵まれてる」なんていっていること自体が戯れ言に聞こえるくらい、多くの悩みを抱えてるのかも知れません。

でも、彼の本を出すモチベーションとして、そんなことはどうでもいいんです。貧困層または「弱者」の切実なる声を、消されぬうちに記録しておくこと。そして、その声を、雑誌のような一過性の媒体でなく、書籍というかたちで記録しておくこと。

それが、私が赤木さんの本を出そうと思った大きな理由です。ある意味では、たまたまいま編集者をやっている私の生き様が、赤木さんの声とリンクしたのだともいえます。

これで、赤木さんの言説がよいのかわるいのかという価値判断をほとんど排除したかたちで、私が彼の本を出すということが、おわかりいただけたと思います。そして、「彼が声をあげること」そのものには共感しているわけですから、その意味で、双風舎は赤木さんをとことん守ります。いずれにしても、これを機に、刊行する本を出版社が選ぶときには、さまざまなかたちがあるということも、合わせてご理解いただければ幸いです。

最後に、取って付けたような記述で申し訳ありませんが、赤木的若者の声をスルーせず、真摯に受けとめている学者先生や院生さん、そしてマスコミの方々も、確実に存在します。私のまわりには、なぜか少数派なのですが……。そういう方々には、くれぐれも「引き続きよろしくお願いいたします」とメッセージを送らせていただきます。

編集日誌 | | コメント (0) | トラックバック (0)